●阪神・淡路大震災を教訓として(1995年度版
感性と論理 巻頭言より)
- 当研究室ではこれまでに,構造安全に関する人々の意識や地震災害と住民の生活やその意識との関係について分析を行い,それらを通して,構造安全の水準をいかに設定するかについて模索してきました。今回の地震(兵庫県南部地震)は,これまでに住民・社会が期待してきた「安全神話」を崩したと言われていますが,その原因と経過を分析することによって,「真の安全」の確立に向けて時間をかけて追求していきたいと考えています。
- 構造物の安全性と経済あるいは社会との関係,これらを見据えた上にしか真の答えはありえません。安全概念を具現化し,構造安全水準のあるべき姿を模索するために,今回の震災を通して検討を重ねたいと思います。そのためには,小手先の変更にとどまるのではなく,設計荷重値の妥当性は言うに及ばず,構造計画や力の流れのメカニズムに立ち戻って検証する必要があると考えています。
- これらの構造的な被害は,地震発生時にほぼ瞬時にひき起こされるものでありますが,もう1つ,この地震で深刻かつ長期的な影響を与えたのが,人々の精神面に対してです。その生命やその生活に与えたダメージは余りにも大きいものであります。一瞬にして「日常」が破壊され,「非日常」での生活を強いられることになりました。しかしながら,人々の活動が停滞することは決してないのです。極限状態の住民がそこからどうやって「復旧・復興」の道をたどっていくのか。それは長く,まだ始まったばかりであります。「復旧・復興」の主体は住民であり,その過程を追うことが今後の安全水準のあり方に関わるものと確信しております。そのために人間や生活の場に注目し,分析と統合を繰り返す必要があります。これらの「非日常」は,建築・住居が目的としている「安全性・快適性」の対極をなすものとして,多くのことを示唆しています。
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