種考房 つ・く・る
建築社会学

建築社会学の視点から−社会的責任とは?

日本女子大学 石川いしかわ 孝重たかしげ
建築社会学・工学博士

建築物は私有財産であるとともに社会性も有する。建築物の社会性にふれる言説は多くあるが、建築界が常に建築と社会との関係を認識し、業務でその社会性や社会的責任を十分に果たしているとは残念ながら言えない状況にある。しかし建築と社会との関係は切っても切れない関係にある。そこで「建築社会学」という新しい切り口(視座)から、建築をめぐる社会性とは何か、社会的責任をどうとらえるかなどについて考えてみた。

建築社会学の視座

 もちろん住宅をはじめ建築単体は私有財産であるが、人々の福祉の増進に資するものであり公共性を有するものでもある。社会における建築の意味を追求するところから「建築社会学」がうまれた。そもそも社会学とは、社会現象を研究する経験的な理論科学である。したがって社会学は幅の広い学問であり、建築社会学の守備範囲も極めて広範になる。ひとつの切り口からとらえると、「建築(行為)を社会基盤に位置づける」ことが、社会から求められている喫緊の課題と言える。建築行為やその成果物たる建築物を社会基盤に位置づけるということは、建築物を企画・計画・設計・施工する立場の人が、社会性を適切に考慮しながら意思決定を行うことであり、建築物にその結果、すなわち社会に求められている条件や設計者の見識が適切に反映されることを意味する。決して、社会に流されることを勧めるものでない。
 ここでは分かりやすい例として、設計で耐震安全性を決定するプロセスをとりあげる。100%の安全性というのは誰にも担保できないことから、物理的な指標だけで安全限界を決することはできない。「どの程度に危険性をおさえるか」という確認が設計行為で行われることになる。これは医療の分野におけるインフォームドコンセント、すなわち事前の説明とその意思決定に極めて似通っている。それは当事者であり責任を負うべき患者自身が意思決定を行うことを基本にした考え方で、医療行為に関する意思決定は医療データに基づく物理的指標だけで一方的に医師から決定されるものでない。社会的な背景を踏まえた医師による患者への説明、対話によって当事者がリスクを判断し、医師へ自分の意思を伝達し、治療行為がなされる。
 建築物の設計、施工では、特に構造設計では執務者・居住者の命に関わる意味で医療行為と同様である。もっと言えば、病気でもない健全な命を突然に奪ってしまうかもしれないのである。2000年の法改正があったにもかかわらず、現実の設計ではここに至っていない。その要因はいろいろとあるが、建築従事者が社会と建築の関係を十分に認識していないことに起因するところが大きい。事前説明と合意、意思決定への建築主(発注者)自身の参画の必要性と重要性が十分に認識されていないからである。また国民視点でも、衣食住とは言うが住にはもっとも関心が薄い。高額の建築費がかかる割に、専門家まかせにしていることが多い。買う前に性能の基本的な説明すら求めない現状は、建築への関心の低さの現れである。その結果、建築界との意識距離に目に見えないが大きなギャップが生じている。
 建築(行為や建築物)を社会基盤に位置づけるとは、「完成した建物が社会の財産になる」という意味ではなく、建築行為が社会性と無関係ではいられないこと、建築界が市民社会との距離を縮めることである。安全神話が崩壊したと阪神・淡路大震災では言われたが、今日の状況は建築行為と成果物に関する信頼神話が崩壊しかけている。国民、専門家双方で意思の疎通が十分に芽生えていないのである。阪神・淡路大震災の被害や耐震偽装の問題から、社会が先にこの問題を意識し始めた。だが、建築界はそれに追いついていない。耐震偽装事件では、このギャップをさらに広げ、また顕在化させた。もちろん、この事件の根源は、個人のモラルティーの欠如であったが、この幕引きを新たな法規制にさせてしまった建築界の認識の低さと実効性のなさを社会はどうとらえているのか? あきらめにも近い冷ややかさが感じられる。

図1 建築と社会基盤とのかかわり意思決定主体の変化に対応する建築界へ

 社会的要素の考慮の必要性は、社会と市民の変化によってもたらされた。すでに社会ではパラダイムシフトが起きており、国家・国民の意思決定システムは、中央集権国家の体制(government)から、NPOや市民グループ等の自主的な組織が加わり意思決定がなされる体制(governance)へと変化してきている1)。図1は建築分野におけるパラダイムシフトを示したもので、これまでの設計が設計者と行政者だけの専門家集団(専門知識におけるエリート層)による意思決定であったのが、設計者と行政者、建築主や社会という三者によって意思決定が行われるようになっていくことを表している。建築が一品生産であることの難しさはあるにせよ、市民社会に理解されるような前向きな取り組みを活性化させることが求められている。
 建築物を世の中に生み出すという意味で、建築主にも相応の責任がある。建築物の創造主体は蓄財を支払う発注者であり、それゆえ行為主体である。設計者や施工者がこれにとって代わることはあり得ない。仮に代理行為だとすれば、やはりそこには契約が必要であり、信頼が求められる。それでは職能として建築専門家が果たすべきことは何か? それは、出資者である建築主と市民社会に対する、建築行為への説明責任である。


表1 消費者の建築に対する要求説明責任を果たすために学界が成すべきこと

  学界はこれらの流れにどう関わるか。社会に意識され、国民に関心をもたれることについて、何よりも信頼を維持することについて対応が遅れる業界全体に対して、学界がやるべきことは多々ある。ここでは3つを指摘しておきたい。
 まず1として、前述したように専門家が説明責任を果たすことである。設計プロセスも含めて、相手が十分に理解できるように分かりやすく説明することである。今の社会、これは職能としての当然の義務である。それには、専門家に対する啓発が重要な段階にあり、説明を確立するための分かりやすい説明方法や解説資料の作成、供給支援も急がれる。
 2つめは、その基盤として社会と建築主を理解することである。ニーズをくみ取るのは言うまでもないが、素人だからといって軽視することは決してしてはならない。人々は損得勘定のみで動く利己的な存在なのではなく、公正さと正義を重視する倫理的存在2)である。表1は耐震偽装事件を受けて、消費者の意見から出てきた自己責任意識の強さを段階に分けて整理したものである。われわれ専門家もこれと同じ段階があること、専門家の責任意識の段階に応じた結果になる。
 3つめは専門家一人一人の倫理である。ますます顧客至上主義になった日本において、建築主よりも上位に設計者・施工者が位置することはむずかしい。また建築主の利得を減らしたり、損得を超越した対応を望んでも現実的には成り立たない。少ないコストで最大の利益をあげようとし、スクラップアンドビルドを厭わない建築主を、地球環境まで配慮した長期的展望をもつ建築主に啓発すること、一建築物が社会的要素であることを認識してもらうこと等々、高い見識と社会の真理を見抜く鋭い目とが、これからの専門家に求められ、学界にはこれらを生み出す制度づくりとその運用への関与が強く求められる。
 建築社会学とは、社会と建築とを結びつけようとする学問である。性能やデザイン・居住性を満足するだけでなく、衣食住のように人々の生活の中で身近なものとして意識してもらいながら信頼をもたれること、それには建築を専門家の創造物で終わらせないことが建築社会学の立場である。そうして初めて「社会的責任」が果たされることになる。


<引用文献>
1)木村忠正,土屋大洋:ネットワーク時代の合意形成,NTT出版,1998年11月.
2)藤井聡:TDMと社会的信頼,都市問題, pp. 29-43,2003年3月.

論文一覧

学会の社会的責任 学会は頼りにされているか
建築雑誌,2008年6月,p.4

建築社会学の視点から-社会的責任とは?
建築雑誌,2008年6月,p.22