新潟旅行

わか、大学四年、夏。
やっとのこと先行きも決まり、夏休みも終わりに近づいた或る日、ふと気がつきました。
「あれ、私、夏の思い出作ってないんじゃないの」と。
こう…なんていうのか、溢れんばかりの夏の情熱をぶつけるような体験してないな、と。
就職活動と卒論だけで、滾ってないなと。
思い立ったが吉日。
新潟にある大学に通い、一人暮らしをしている旧友に連絡。
「一晩泊めてください、観光も付き合ってください」
そんな失礼にもほどがある私のお願いを、友人は二つ返事で引き受けてくれたのでした。

というわけで。
行ってきました、新潟一泊二日旅行。
無計画、着替えと手土産と己の体一つのみという旅路。
良くも悪くも、思い立ったらすぐに何処かへ行けてしまうのが大学生の夏休みのいいところですよね。
写真だけだと物凄い晴天なのですが、実際は台風が来ているタイミングでの旅行だったので(雨や強風で電車が止まったり)、雨が降ったり降らなかったりと非常にバタバタした感じでした。
以下、ざっくりとした新潟旅行記。

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舞台づくりのお話

どうも、バリバリの夏生まれのくせにすがすがしいくらい暑さに弱いわかです。
さっきちょっと用事を済ませに外に出たんですが、…あらら? 思ったより涼しい??
連日の暑さには辟易していたので、このままだんだん涼しくなってくれるといいんですけど…。
あ、もちろん段階を踏んで涼しくなっていただきたい、急に涼しくなったら涼しくなったで寒さにぶっ倒れるので。
自分の貧弱さに涙が出そうです。
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さてさて。9月、ということで。
そろそろ私が所属している能研も、やれ目白祭だお素人会だと舞台へ向けての練習で慌ただしくなってくる時期です。
まだ目白祭にはちょっと早いのですが、今回は私たち能研が目白祭で仕舞を舞う舞台として使用している成瀬記念講堂の舞台についてお話ししたいと思います。
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私たちが仕舞を舞う上で使用する能舞台というのは、実際立ってみると思ったより広いです。
橋掛りを抜きにして、舞台全体のサイズはだいたい6m×6m。
で、実際に仕舞を舞うのに使用するのはその3分の2程の部分。
言葉で説明すると「なんだ、そんなもん?」と思われるかもしれませんが、本当、実際に立ってみると驚くくらいに広く感じます。
で、成瀬記念講堂なんですが。
当然ながら、舞うことを想定された造りではありません。
舞台サイズは、大体能舞台の約半分、下手したらそれ以下。
講演をする分には十分なサイズだと思うのですが、とても足りない。
狭い。
もう何のフォローもできないくらいに狭い。
飛びかえりなんかした日には落ちるかもしれない。
むしろ落ちる。
そんな狭さの上に、さらにそこに松の幕を張ります。
これは能舞台のバックに大きく書かれている松の絵の幕バージョン。
私たち能研が能舞台以外でお仕舞を舞う際に、必ず設置するものです。
この松の幕もなかなか曲者で、上手く設置するためには微妙なテクニックが必要。
とにかく松がど真ん中に来るように。偏ってたりたるんでいたりしたら目も当てられません。
松の幕設置後、念入りに舞台上を掃除し、ようやく完成するのが目白祭での舞台…なんですが。
具体的に言うのであれば、「初めの6足で既に舞台のヘリに足がかかっている」。
それくらい狭い。
この能研部員にしか分からない微妙な恐怖表現よ…。
そんな狭い舞台で本学の1年~3年、賛助の他大学さんが一生懸命仕舞を舞う観世流能楽研究会in目白祭! 
昨年度ブログ部員にも評判の良かったお番組、今年度も更なる工夫を凝らしています!(多分)
是非是非皆さん見に来てくださいね!
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…とまあそんな感じで。無理やり宣伝。(笑)
目白祭は準備&発表こそ大変なのですが、個人プレイの多い能研では珍しく部員が団結して一から舞台作りに励めるまたとない機会であったりもするので、私は結構好きでした。
いや本当…大変なんですけどね…松の幕を固定するための砂袋×20を前日に運び込んでいる時なんて「あれ? 土木サークル?」と何度思ったことか…。

おめでとうございます

本日、私わかの二十二歳の誕生日でした。
祝ってくれた家族&友人に感謝。
えー…しかしまあ二十二って…。
はやいはやい。
小学校中学校のころは「誕生日まだかなー」とそわそわわくわく思っていたような気もしますが、
いかんせんこのくらいの年になるとこう…「ああ…誕生日ね…」という気持ちになります。
絶賛そんな気持ちです。
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もうすぐ九月、ということで、早い人は学校が始まっているのではないでしょうか。
私が通っていた高校も、補講という名のもとでもうこの辺から学校に行き始めていたように思います。
ですが、本大学ではまだ夏休みが半分終わったところ。
で、私ども四年生にとっては卒論提出まで大体四カ月弱。
文字にすると恐怖ですね。
遅い大学だと一月だったりするところもあるようですが、日本文学科の卒論提出は大体十二月中旬。
この辺は、四年も教授も死屍累々。
が、聞きかじったところによると、もうすでに差がすごい。
現在の卒論の進行度の差がすごいったらない。
ある人に聞けば「もうほぼ終わった」。
ある人に聞けば「章立てすら始まっていない」。
なんですかこれは、卒論ってなんなんですか。
同じ名称のものに取り組んでいるはずなのに、そんなに差が出るものなんですか。
そんな疑問を抱えながら、この一行に静まらない夏の日差しの中卒論のために図書館通いをしている私です。
家で熱中症になるよりは、大学でさわやかに卒論に取り組みたい…そんな乙女心…。
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夏休みは長いですが、そろそろ舞台の稽古にも本腰を入れないと。
大学四年、まだまだやることが多そうです。

11月へ向けて

能「三輪(みわ)
三輪山の玄賓僧都のもとへ毎日樒(しきみ)と水を届けていた女が、ある日二本杉の下待てと言い残して姿を消す。僧都が女に与えた衣の掛かる杉の下で祈ると、三輪明神が現れ、三輪山伝説などを物語り、神遊びの神楽を奏して舞を舞う
(社会法人能楽協会・能楽辞典・曲目データーベース(http://www.nohgaku.or.jp/)より)

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わかです。
このブログでもたびたびお伝えしている通り、私、観世流能楽研究会という能楽サークルに所属しております。
で、来る11月にはうちのサークルの勝負どころ、実際の能舞台で仕舞を出す、師事頂いている先生のお弟子さんがそろって舞台を出す「お素人会」というものがあるのですが。
それが幹部を引退した私たち四年の、四年最初で最後の舞台となるわけです。
先日のお稽古で、その最後の舞台で私が舞う曲目が決まりました。
「三輪」。
冒頭に示した内容からもわかる通り、今まで私が舞ってきた、このブログでもご報告している演目の「敦盛」「俊成忠度」とは、また雰囲気の違う曲です。
正直、こんなしっとりした曲目が自分に当たるのは予想外でした。
実は私、うちのサークルであたる曲の主流ともいえる源氏物語系(玉鬘・夕顔等)を舞ったことがありません。
男女の云々を取り扱ったしっとりした曲とは、まともなお付き合いをさせていただいた記憶がない。
その上タイミングのいいことに、ついぞ行った教育実習の研究授業において、諸先生方に「女らしくない」「雑」「もっと丁寧に」とぼっこぼこにされてきた経験がありまして。
まるでそれを見透かされた選曲だなあ、と感じたり。
(先生に直接聞いたら「そんなつもりじゃなかったんだけど…(笑)」とは言われたんですが(笑))
まあ本当にいい機会なので、これを機に
「女らしい」!
「気品ある」!
立ち居振る舞いを勉強したいと思います。
……大丈夫かな。(笑)
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まだまだ先生には教わりたいことがたくさんあるので、早めに余裕を作りたいなあ…。

VS親知らず・2回戦

わかです。
皆さん書かれてます通りほんっとうに暑いですね…信じられない…日差しに弱いので日中はやってられないです。その上暑さで食欲が低下し食物摂取率が下がる下がる。夏生まれのはずなんですがね…。
その上、昼暑くとも夜が涼しいのならいいのですがそうでもなく。
我慢しきれずガンガン起動しているエアコンの電気代を見るのが怖いです。
早く秋口になってほしい…嫌でも急に秋口になられると卒論が終わらないから困る…と何とももやもやした感じです。
涼しさを感じるため、何か夏らしいものでも買って納涼を試みようかと思案中。
*
四日ほど前、右下奥に生えた親知らずをがつんと抜いてまいりました。
以前も左下奥に生えたにっくき親知らずを抜いたんですが、友人や家族から散々「ぜったい腫れるからマスク買っておいた方がいいよ」とか「ろくに食べられないから柔らかいゼリーとか買いだめしておいた方がいいよ」と脅され、「すわ親知らずとは恐ろしいものなんだなと」色々準備をしておいたはいいものの。いざ親知らずを抜いてみたら一切腫れず、痛くなく、抜歯当日を過ぎたらご飯ももりもり食べられるという、大変平和な感じで親知らずとの和解が成立した経緯がありました。
そのため、私は今回の右奥下の親知らず抜歯に関しまして、「まあ大したことないだろう…」となめきっていました。
本当、なめてました。
まさか四日もたつのに腫れと痛みが引かないとは思わなかった。
いやー「抜くときも随分担当の歯医者さんが根性入れて抜いてたなー顎外れるかと思ったわー」とか「あれ? 意外に血がどばどばでるな?」と思ってたんですが、どんなにあれだろうとも一日二日でこの痛みと腫れが引くと思ってたんですよ。全然ひかない。妥協しない。むしろ挑んでくる。鎮痛剤飲まないと歯肉が腫れて歯の根が合わないなんて事態を想定していなかった。
幸運といえば、はたから見ても腫れがわからないというところだけ。内側はパンパンに腫れてるんですけどね。
ここ数日夏バテでご飯が食べられなかったというのにさらに歯肉の腫れでもご飯が食べられないとくるとは…いったい私はいつご飯を食べればいいのか…。
*
最近だと、親知らずがそもそもない・生えてこないという方もいらっしゃるようですが…皆さん、本当! 親知らずに関してはなめてかかってはいけません!
抜歯の際には最善の準備をお勧めします! 本当!

学生生活最後の夏へ向けて

わかです。
最近、暑すぎやしませんか。
暑い上に雨で湿気が多いときたら、貧弱な私にはもう耐えられません。
暑い、暑すぎる、かといってそうやすやすと冷房をつけると電気代が…そんな一人暮らしの貧乏学生ライフを謳歌している真っ最中です。
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つい先日我が漢文学ゼミの合宿日程が決まり、なんとその日程が誕生日にジャスト。来る22才は合宿先でゼミ仲間と迎えることと相成りました。
以前もこちらのブログでお話ししたことがあるのですが、漢文学ゼミの夏季二泊三日合宿は山奥で演習発表をしつつ五右衛門風呂に自炊生活。山登りやらバーベキューやらご担当の谷中先生のアグレッシブさそのままの合宿内容となっており、これがまた結構楽しいんです。
今年は昨年度とメンツも変わり、一体どんな感じになるのかなーと今から楽しみです。
まあ楽しみにする前に準備することが沢山あるんですけどね…。
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そろそろテスト期間ですね、我らがJASMINE-Naviさんからも先週の初めに<個人別定期試験時間割>のご連絡が届きました。
これ、意外に便利なんです。入学当初なかったのが信じられないくらい。
(時々、担当の先生の御都合によりテスト期間ではない日程でテストを行う授業もあります。その時はこの送られてくる<個人別定期試験時間割>に日程内容が反映されていないこともあるので、その点は注意)
さて、確認。
「あなたが登録している寡黙で、定期試験を行う科目はありません」

これには感無量です。
「ああ私もついに四年になったんだな…」と何度目かもわからない感動を覚えました。(笑)
ああ昨年度もその前もこの時期はテストとレポートでいっぱいいっぱいだったな…と考えると、本当感慨深い。
それと同時に少しさみしくもあります。
残り少ない学生生活、色々得るものがあるよう頑張っていきたいところ。

久々に

教育実習の後締めでまだバタバタしています。わかです。
教職課程は初めも大変ならば終わりも大変。
教育実習が終わったらお世話になった先生方にお礼状を出すのはもちろんのこと、大学に三週間分の日誌や教育実習を終えての感想文を提出しなければならないのです。この提出物の多さは無精な私には少々、いやかなり大変。
終わりよければ全てよし、ってことでもう少し頑張ります…。
*
先日、久々にサークルに顔を出してきました。初々しい一年生がたくさんいて実に目の保養。
「すり足、最初は大変だったよなあ…」とか、「そうそうこの腰の入れ具合が難しいんだ!」とか、教えている後輩を見ながらノスタルジーに浸っていました。
一年生の練習が一段落した後、次の舞台で“嵐山”という動きが割合激しい仕舞を出す後輩と「飛び返り」という動きの練習をしたのですが、これがなかなか教えるのが難しい。
足を後ろに運び、後ろに向かって跳んで、くるりと回転した後正面に向かって着地する、という感じの動きなのですが…言葉で説明するのも難しい上に、これを実際にやるとなるとなかなか怖いのです。
私も慣れない内はその恐怖から上手く跳べず、「飛び返り」が上手な友人に何度も跳んでもらって見て覚えたり、何度も跳んで練習したり…身に付けるまでずいぶん苦労した覚えがあります。
その上普段能研が使っている板の間は、フローリングの下はコンクリート。着地をする度足がじんじん痛むので、数をこなすと足を痛めてしまうんです。
素晴らしい舞を見せてもらいたい反面、無理はしないで欲しかったり…むむむ。
四年一同、一年生の初舞台である七月に行われる舞台はカメラ係(笑)として参戦予定です。
ラストスパート、みんな頑張れ!
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で、そんな特訓から三日たつのですが、なんとまだ筋肉痛が治りません。(笑)
な、情けない…膝が笑うと言うより、太ももが笑う感じです。
でもこれ、物凄く懐かしい。二、三年の舞台前はずっとこんな感じだったなあと、痛いながらもなんだか嬉しかったりします。(笑)

無事終了


「三週間って長いだろ…」と始まる前は思っていたわけですが、思っていたよりも短かった……かな?
最終日に生徒からもらった花束は、こんな感じで即日実家の仏壇前に飾られました(笑) わか家の一等地です。
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母校での教育実習、怒涛の三週間でした。
細かい報告はまた後日させていただきたいと思いますが、一言でいえばとても実りある、なかなか経験することのできないことを数多く経験させてもらえることのできた実習だったと思います。
学校教育の幅広さや難しさ・面白さを体感すると同時に、自分が理解したと思っていた教育の薄っぺらさと、実際現場で経験する生きた教育の大変さに驚愕しました。
「相手をしているのは一人ひとりの人間で、クラスという単位じゃない」
そんな当たり前のことに気づいていない自分に気づかされた三週間でした。
人間として一回りか二回り、こんな私を実習生として受け入れてくださった学校と生徒のおかげで成長できたのではないかな……と思っています。
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そういえば、教えた生徒の中にうちの大学志望の子もいました。しかも日本文学科志望!
私と入れ替わりになってしまうのでキャンパスで顔を合わせる…なんてことはないのが残念ですが、ぜひとも頑張ってもらいたいものです。

続・扇のお話

こんばんは、わかです。
前回の記事で意気揚々と能楽で使用している“扇”についてお話ししたはいいものの、「ちょっとサイズがイメージしにくいかな?」と思いまして、今回、能扇を撮影してまいりました。
私の扇は前回書きました通り地紙が破けてしまいなんだか可哀想な感じになってしまっているので(笑)、たまたまサークルブースにいた後輩に協力を要請。
さてさて、こちらが我が能研部員たちが日々練習に使用している能扇です! ばーん!

(能研ブース机にて撮影)
比較対象として後輩の持っていた扇子(右下)とおやつに食べようと思って購買で買ってきた「卵かけごはん」おにぎり(右上)が置いてあります。
一般的にお店で売っていたりする可愛らしい・綺麗な扇は右下くらいのサイズのものが多いので、もうこの写真だけで能扇の大きさが御理解いただけると思います。
このサイズのため、普通のお店で売っている一般的な扇入れには当然収まりきらず。自分で能扇サイズの扇入れを作ったり、風呂敷を扇入れに利用したり、果てはネクタイを改良して扇入れにしたり…など、扇入れに関しては部員個々のこだわりが見られます。
写真では緑の観世水ですが、他にも赤や青の観世水の描かれた扇があり、新入部員は好きな色を選んで購入することができます。
ちなみにこの能扇のお値段は、一本五千円ほど。
意外に値が張りますが、しっかりした作りなので長年使える&使えば使うほど手になじんで使いやすくなります。
まあ、私のは扱いが悪く地紙がざっくり破れましたが…。(笑)
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写真の能扇は、練習の際に使用している扇です。
実際舞台で舞う際には、同じサイズの扇ではありますが「金扇」というものを使用します。
この「金扇」というものは今回写真に載せたものと違いかなりたくさんのバリエーションがあるものなのですが、そのお話はまたいずれ。

扇のお話

“観世流能楽研究会”という、何とも長い漢字だらけの名前のサークルに所属しているわかです。
今回は、我がサークルの必須アイテム「扇」についてちょっとお話しさせていただきたいと思います。
*
1年の頃に初めて買った、練習用の扇が壊れたのはいつだったでしょう。
骨組みの部分はさすがしっかりしたもので問題ないのだけれど、いつしか観世水が描かれた地紙の部分が裂けてしまって、閉じたままの舞ならまだしも開かなくてはならない舞だと使い物にならなくなってしまいました。
他の4年はみんな無事なのですから、多分私の使い方が荒かったんでしょう。
全員が一番練習する、成瀬記念講堂・能舞台で出す仕舞で皆が鬘物(かずらもの:女性が主役)を出す中、私が修羅物(しゅらもの:武士が主役)ばっかりやってたことは多分関係ないはずです。
多分…うん…。
頃合いを見て直しに行きたいです…。
*
能楽で使う扇は初め、開くのも大変です。
使い慣れていない扇は、要(かなめ)が緩んでいないためとにかく固い。
そしてサイズが一般的な扇と比べて大きいため、持ち慣れていないうちは手になじまないからすぐに手が痛くなるし、自分の思うようにまったく動かせない。
扇を買ったばかりの頃、先輩の扇を触らせてもらったことがあり、その手になじむ感触・開きやすさにとても驚きました。
指導をしてくださる先生は、美しく悠々と、扇で刀を作り、盾を作り、盃を作り、泣く仕草をしました。
「練習を重ねれば、いつか自分の扇もこんな風に柔らかくなるのだろうか」
「先生のように扇を操ることができるようになるのだろうか」
そう思ったことを覚えています。
あれから3年。扇はすっかり手になじみました。
そして「先生のように」とはいかないまでも、共に様々なものを表してきました。
時には刀になる、盾になる。酒を注ぐ器になる、酒を受ける盃になる。
顔を隠すように添えれば泣き、左手を添えてぱっと離せば、そこから花弁が散っていく様を表せる…。
一本の扇に、無限の可能性がある。
3年たった今でも新しい発見が多く、能楽って奥深いなあと改めて思わされます。
*
めでたいことに、今年度我が観世流能楽研究会にはたくさんの新入部員(当サークル比)入ってくれました。
今年も、彼女たちが自分だけの扇をもち、その一本の扇が持つ可能性に驚かされる時期が来たんだなあ、と思うとなんだか感慨深いです。