4年間ありがとうございました

大学生最後の春休みでした。去年の今頃に立てていた予定ではキャンパスメンバーという立場を堪能し、国立博物館や文学館へ安く入りじっくり楽しもうと考えていたのですが、このような情勢になってしまいました。当然のことながら自粛しており、とても残念に思っています。このような理由で博物館・文学館レポではない最終回となっております。
それ以上に残念だったことは、卒業式と学位記授与・袴の写真撮影の中止です。卒業式だったはずの当日はどうやら、袴を着付けてきた卒業生ならば構内で写真撮影できたようで、友人が何人か幸せそうでした。ただ、やはり友人たちときちんと別れ、先生方に直接お礼を申し上げたかったです。先生方には4月以降の週末、新型コロナウイルスが落ち着いたら菓子折りを持参したいと考えております。ご自愛ください。
自粛中は室内で軽く運動し、必要になれば買い物に行く生活を送っています。職場に関する連絡も来ましたが、これから変わっていく可能性は十分あります。教職の道に進んだ身としては、兎にも角にも自分が感染源になってしまうことだけは避けたい気持ちでいっぱいです。また、再び臨時休校になってしまうことも考慮した単元や授業構成、ワークシート作りに励んでいきたいです。現在教職を履修している皆さんも、今後は大変でしょうが頑張ってください。応援しています。(勿論、就活の方々も応援しております!)
4年間、ブログを書き続けてとても楽しかったです。誰かの何かに役立っていたら良いなと思います。今までありがとうございました。以上、あかねでした。

楽しい最後の春休み!の、はずだった……

こんにちは。あかねです。大学生活、そして学生生活最後の春休みとなりました。教員免許の話をしているように4月からはそういう職場なので、厳密には来年の今頃も「春休み」はやってきているはずですがそれは置いておきます。
2月の中旬は友人(私の記事で出てくる「友人」はほぼ同一人物です。その、いつもの「友人」です。)と一緒に名古屋へ卒業旅行に行きました。徳川園や徳川美術館でのひなまつり展示、明治村で明治偉人隊の方々との写真撮影や写真館、西園寺邸見学とスタンプラリー参加などとても楽しいものでした。下旬には近代文学自主ゼミの先生や皆と鎌倉へ行ってお寺や海、碑などを見学してきました。
3月は映画を観に行く予定でした。テレ玉で放送していたドラマ「おいしい給食」が「―Last Battle―」という副題を付けて劇場版として帰ってきたのです。市原隼人主演で、給食を食べるために教員になった男を演じます。現在上映中です。3月下旬にもFateシリーズの劇場版で最終章にあたるものが上映されるのですが、コロナウイルスに感染しないよう観に行くのは止めているのが現状です。
卒業式も祝賀会も中止になってしまい残念です……。

しかし、生協さんが頑張ってくださった結果、振袖の着付けや写真撮影を行ってくださることになりました!とても嬉しいです。楽しみにしていたことも誰かが懸命に日程調整・代金徴収をしてくれたことも空しく消えてしまうばかりという気がしていましたが、ご厚意が本当にありがたいです。あとは自分自身が健康に気を付けて過ごすのみだと思っています。勿論、4月からの準備もしていきます!
以上、非日常の中の春休みを過ごすあかねでした。ちゃんと大学や生協、振袖を貸してくださる会社のHPを見るようにしましょうね!そして早くこの事態が収束しますように……。4年生の皆、4月がどうなるか分からないけど頑張っていきましょう……!

原作にはいませんでしたよね!?(楽しみです)

こんにちは。あかねです。もうすぐ卒業論文の発表会がありますね。私も去年、先輩方の発表を拝聴した記憶があります。今年は職場の研修とかぶってしまったため行けなくなってしまいました。残念です。さて、去年の卒論発表会では、よく話していた先輩が石川啄木の詩について発表なさっていました。石川啄木の歌は中学国語の教科書にも載っています。より理解を深める必要があると感じたため、金田一京助という人が書いた『新編 石川啄木』を読みました。実はこの金田一京助、『明解国語辞典』の著者であると同時にアイヌ文化研究の第一人者であり、石川啄木と同郷、一時期は東京で二人暮らしをしていたような人だったのです。この金田一京助と石川啄木の史実を基盤に据えた探偵小説があります。『啄木鳥探偵處』という、1995年に出版された小説です。この小説が来春、つまり2ヵ月後の4月13日からアニメとして放送されます。

アニメ「啄木鳥探偵處」の新情報が昨日解禁されました。小説では語り手として登場する金田一京助と、探偵として事件を謎解いていく歌人石川啄木がメインで、明治大正期の他の歌人は全くと言っていいほど描写されていませんでした。しかし昨日明らかにされたキャラクター紹介PVでは、野村胡堂や若山牧水、吉井勇がいました。この三名は同郷だったり啄木の死を看取ったりする等、比較的史実でも親しかった者として名が現れます。しかしこの他にも、アニメでは萩原朔太郎や芥川龍之介が登場するのです。更に、公式のホームページの相関図を見ると、森鷗外や夏目漱石の姿が!とても驚くと同時に、アニメではどのような関わりをもつのか、小説とはまた違った結末になるのかが気になります。小説がかなり京助と啄木の二人だけの世界だったように思われるので、私としては不安よりも、探偵ではなく歌人としての啄木の姿が見られるのかもしれないという期待が大きいです。これを機に明治大正期の歌や小説に触れる人が増えてくれたら良いなと思っています。

ちなみに、前述したとおりアニメの初回放送日は4月13日なのですが、この日は啄木が結核で亡くなった「啄木忌」に当たります。そしてアニメのオープニングは啄木の死を看取った若山牧水の声を担当する古川真さんの歌であり、エンディングは吉井勇の詩を基に作られた「ゴンドラの唄」(「命短し歩けよ乙女」というようなフレーズのもの)だそうです。不穏な気配に胸の高鳴りが止まりません。『啄木鳥探偵處』の作中は明治末期です。啄木の命が尽きる大正時代はもう、すぐそこまで迫ってきているのです。

探偵稼業を始めた啄木と、啄木と啄木の才能に惚れ「歌を歌っているべきなんだ!」と叫ぶ京助の活躍を、アニメ映像と音楽で楽しみたいと思います。4月からの新生活、何としてもアニメを見る時間を確保せねば……!以上、来年(度)の話をして鬼が笑いそうなあかねでした。

正義であると同時に悪であることは可能なのであった

何故なら正義の対義語は不正で、悪の対義語は善だからです。正義と善は別であり、正義の反対は悪ではないのです。
こんにちは、あかねです。前々回でしこりが見つかった話をしたと思います。あの結果が出まして、良性なので今すぐどうこうということもなく、癌になるような心配もないとのことでした。
ただ、今後大きくなっていった場合は手術が必要になるとのこと。良性か悪性かということと手術が必要か否かということは全くの別物として考えなければならないらしく、大変驚きました。手術の可能性が消えない事実に、思わずタイトルの内容を思い出した次第です。
大きくなる前に気が付けたので「検査したら良性だったけど大きいので今すぐ取り除きましょう」などという事態は避けられましたが、再検査は半年後なので手術しても職場に迷惑がかからないような予定を組む所存です。早めに万が一の心構えが出来たことだけが不幸中の幸いですね。
皆さんも自分の体を大切にして日々をお過ごしくださいね!以上、何ともなかったあかねでした。

元旦から車を運転しました

明けましておめでとうございます。あかねです。

私は普通自動車免許を持っているのですが、教職は配属された学校まで車を運転することも多々あります。初任者のうちは車通勤が禁止されていますが、2年目からは場所によって通勤方法が車となるでしょう。母も教員で車通勤だったので、卒業論文を提出した後から自家用車で運転慣れに励んでいました。

正月は祖父母の家へ行きます。大晦日の夜に私の運転で祖父母宅へ行ってみようという話になり、片道1時間の道のりを走ることになりました。勿論、親は普段の裏道ではなく、走りやすい大きな道路をルートとして教えてくれました。ただ、高速道路の傍にある太い道路ではなく、制限時速50kmで左右に曲がれば細い小道もあるようなルートでした。親自身も言っていましたが、とてもスパルタでした。

大きな事故もなく、父方・母方ともに往復出来たのでほっとしています。片道二車線でウインカーも出さずにこちらへ寄ってきた車や、やけに遭遇回数の多かった救急車など試練は満載でしたが、運転に自信が持てるようになりました。とはいえ、まだまだ経験不足なので、無理のない程度で仕事に向けて努力を重ねていきたいです。以上、あかねでした。皆様、お餅にはお気を付けて!

がん検診に行ったらしこりが見つかりました

正確には「子宮がん検診に行った際、胸のしこりらしきものを検査していただいたところ、やはりそれはしこりだったと判明した」ということです。しかし注意喚起のため、あえてこのタイトルにしました。

皆さんの中には20歳以上の方もいるかと思います。大学1~2年生といえば必修や演習に忙しい時期で、子宮がん検診に行かずじまいの方々もいるのではないでしょうか。また、4年生は卒業論文を提出し終わり、一息つけた頃かと思います。病院に行くならば今がチャンスです。
それに、女性は乳がんの恐れもあります。私は去年「ラジエーションハウス」という放射線科医のドラマを見ていたこともあり、どこかのポスターで見た、胸のしこりを自分でチェックする方法も知っていました。そのため、風呂で確認した際に気が付けたのです。私の住んでいる自治体では本来、乳がん検診は40代からです。そのため、子宮がん検診のついでに相談し、検査をすることになったという流れでした。超音波検査をしたのですが、それでもくっきりと影が写っていました。良性か悪性かは不明なので、これから専門医の医院で再検査します。良性の確率の方が圧倒的に高いそうなので大丈夫だろうと楽観していますが、それにしても早期に気が付けて良かったです。検査は大切だなと思いました。
ちなみに子宮がん検診の結果は1ヵ月後なので、その時にはしこりについて解決していたらいいなと思っています!皆さんも面倒くさがらず体を大切にしてください。以上あかねでした。

風邪をひきました

こんにちは。あかねです。実はこの記事を書いているのは4日です。しかしこの記事自体の日付は2日です。つまり2日間遅れて書き、更新日時を本来更新するはずだった日付に変えているのですが、これには訳があります。タイトルにあるように、風邪を引いたからです。

先週はかなり忙しい週でした。月曜日は国立国会図書館と国文学研究資料館、地元の図書館の3つを巡って資料を集め、午後は家で卒業論文の最終仕上げを行いました。火曜日は製本所に印刷を依頼し、水曜日は日本語日本文学演習(卒論のゼミ。3年になったらこれの予備演習というものを取り一緒に授業を受けることになります)を受講後、池袋のオリエント博物館を見学しました。木曜日は国語国文学会委員さんに連れられて静嘉堂文庫の見学に、金曜日は片足が悪いのでそのリハビリに。土曜日は、教員採用試験に受かると新卒の人を対象に研修を希望することができるので、それに行っていました。
すると12月1日の夜から喉に痛みが出始めます。まだ熱は36.8℃と平熱でした。2日、本来ならば記事の更新を行う日に、熱は37.1℃へ。平熱が高いせいで何とも言えませんが多分微熱でした。喉の痛みの他に頭痛や怠さもあり、甘草湯やパブロンを飲み飲み一日中寝ていました。ちなみに、この辺りから声を出すと喉が痛くなるため筆談に切り替えています。そして昨日、37.8℃へ。インフルエンザが怖いので病院へ行き、関節痛などがないからか、とりあえず炎症を抑える薬の処方で様子見となりました。今も喉は痛いですが、薬を飲んでしっかり休みたいと思っています。

1~3年生の方々は単なる風邪を引いた話で済むのですが、4年生は笑い話で済まない場合があります。今回は偶然、かなり早い進度で卒業論文を書き進めていたおかげで製本所へ依頼した後での風邪となりましたが、まだ製本所に出していなかったら……1週間ほど製本にはかかるので、頑張って明日申し込んだとしても卒業論文の提出は12日となります。製本にミスがあってまた製本し直すとなったら、更に7日かかると考えて19日。卒業論文の提出期限は19日の木曜日、正午きっかりなので、かなりギリギリのスケジュールとなります。これを書いていて不安になってきました。不備がないことを祈っています……。学生だけでなく先生も風邪でお休みなさっているので、どうか皆さんも風邪とインフルエンザにお気を付けください。そして4年生!無茶すると体調を崩し、のんびりしすぎると提出が危ぶまれます!無理せず急ぎましょうね!以上あかねでした。

国立博物館 御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」

こんにちは、あかねです。私は先月と今月、国立博物館の特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」を見に行ってきました。前期・後期ともに見てきたのは初めてだったのですが、国宝は半期しか出していなかったり、前期には出ていなかった重要文化財が見られたりしたので行って良かったと思いました。今回、あまりにも数が多すぎたので自分の中で感動した物の紹介に留めたいと思います。
正倉院展
まずは森鷗外です。何故ここで文豪の名前が出るのかと不思議に思われるでしょうが、彼は大正期、国立博物館の館長を務めていました。今回の特別展では、入り口には宝物殿の閂を開ける音を詠んだ句が、出口には今までもこれからも伝統や美が伝えられることを願った句がありました。とても大きなパネルで、始まりも終わりも鷗外であったことに驚きつつ、その鷗外の歌も後世に遺されていくんだなあとしみじみしました。

次に心に残ったのは螺鈿紫檀五弦琵琶です。社会の資料集で、ラクダに乗った人が描かれた綺麗な琵琶を見たことがありませんか?あれの実物です。実物は漆の部分に経年劣化がやや見られましたが、螺鈿部分は今もなお輝いていて美しかったです。復元したものも少し離れたところに展示してあったのですが、楽器のお尻の部分の模様は自然界で生み出されるもののようで、多少異なる点がありました。しかし、赤い花の模様がうっすらと浮き出るようにされているなど趣向も実物と変わらず緻密でした。制作風景のビデオも流されており、職人の方々の技術力の高さとプレッシャーへの強さが凄いなと思いました。非常に細かな作業ばかりでした。まさしく「寸分狂わぬ」手さばきです。
三つ目に感動したのは白瑠璃碗です。碗は「椀」ではなく「碗」です。白瑠璃で出来ているそのお皿は、丸い模様が均等についているような物でした。多分これも社会の資料集で見たことがあると思います。ただ、写真と違い、昔の物は反対側の丸い模様がこちら側の丸の中に幾つも光って見える工夫が為されていました。手でCの字を作ってみてください。親指側から見ると、他4本の指の丸や手のひらの部分の丸がちらちらと輝いているのです。灯篭流しの明かりのような、クリスマスのキャンドルのような、小さくも眩しい光が星のように浮かび上がる様子はとても神秘的で、これは確かに国宝だと感じました。心が惹きつけられるとはきっとああいうことを言うのだと思います。
最後に、甘竹簫です。奈良時代の物なのですが、明治時代に12本の竹の筒を組み合わせた楽器として修繕されました。しかしその後、更なる竹の筒が発見され、明治時代の修繕は誤りだったことが判明します。貼り付けるための糊の部分だけを酵素で溶かし、虫食いが進んでいた箇所には木の皮と漆を混ぜたものを塗布し補強するなど、現在修繕が進められているそうです。これもビデオで紹介されており、修繕は宮内庁が受け持っていることや、一度修繕されたものでも新たに直す時は直すこと、そのための技術もあることに驚きました。前述の森鷗外は年齢もいっていましたし、仮にこの簫を見たとしても12本の竹筒のものだったことを考えると、なんとなく不思議な気分になります。現代に森鷗外がタイムスリップしてくる小説は幾つかありますが、現代の修正され始めている簫を見てどう思うのだろうと考えてしまいます。
黄熟香
おまけに。ガチャポンは一回500円でした。これは黄熟香というお香で、権力者たちが削って使用した跡が残っています。小さな短冊がついているのが分かりますでしょうか。右から足利義政、織田信長、明治天皇です。お香は焚くのが正しい使用法ですが、あまり使ってしまうとそれはそれで何とも言えない気持ちになりますね。意外と織田信長の使用量が少なくて面白かったです。
以上、「正倉院の世界」展レポでした。11月24日(日)までとなっていますので、皆さんも是非ご覧になってみては?特に本女の皆さんはキャンパスメンバーとして1200円のところを1000円で入れますよ!ちなみに、後期の展示を見に行った日は大饗の儀の直後、土曜の京浜東北・山手運休の前日だったので、平日の14時にも関わらず1時間待ちでした。お気を付けください。これを逃すと次は何十年後だろうという特別展です。この機会に、現代までまもられ、未来へ伝えられていく物たちを見てくるのはいかがでしょうか。

江戸東京たてもの園

こんにちは、あかねです。先週、友人と江戸東京たてもの園に行ってきました。
まずは東ゾーンへ。乾物屋や荒物屋、生花店といった昭和初期の建物を見て回りました。耐火性を高めるためにタイルが貼られており、軒先も道へ張り出さない「看板建築」です。それでも洒落た心は忘れない江戸の人々は流石なもので、店の看板の上には四季を象徴した花が4つデザインされていました。

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荒物屋の鍋。よく見ると蒸し器も売られていたことが分かります。
他にも、明治初期に創業した建物があったので入ってみました。文具店の武井三省堂(さんしょうどう)に入って硯や墨を眺めたり、仕立て屋で吊るされた着物を見たり。
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大正期は小寺醤油店という店が始まったそうで、昭和25年以降の食卓で使用されている調味料の変遷のグラフがありました。醤油の使用量がとても多く驚きましたが、毎日の食生活を振り返ると納得します。安政3年から続く「鍵屋」という居酒屋は昭和45年の時の姿で復元されていました。現在でも広く知られているビール瓶や、皆さんが人生で一度は使っているであろうソースも、昔は瓶だったようで、置いてありました。歴史は連綿と続いていっているのだと感じました。
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続いてセンターゾーンへ。大正期に旧宇和島藩伊達家が建てた門もありました。家ばかりだと思っていたので、門まで展示されているのは意外でした。同時に、江戸時代のものだと予想した門が大正期にできた門だったことも意外でした。明治大正期は和洋折衷な文化が花開いた時期ですが、そのような時代だからこそ、奥ゆかしく格調高い和風の門は威厳たっぷりに感じられました。
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その後で入った高橋是清邸は、とてつもなく広かったです。様々な広さの和室があり、しかしどれも異なる内装をしています。以前明治村に行った際も西園寺さんの家を見学しましたが、それよりも恐らく広かったです。中には明治時代からそのまま使われ続けているガラス戸もあり、現代まで残してきた色んな人たちの努力に思いを馳せました。
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最後に、旧自証院霊屋(おたまや)を横目に西ゾーンへ。江戸時代から続く格式高い農家の家や民家、写真場等を見て回りました。私は片足が悪く、この頃には両足とも疲れてきてしまっていたのですが、エレベーターがついていたことで二階まで見ることができました。ありがたかったです。西ゾーンで最も感動したのは三井八郎右衛門邸(みついはちろうえもんてい)です。財閥の家は高橋是清邸と同じくらい広かったのですが、金箔を惜しみなく使うことでより豪華な雰囲気になっていました。洋間もあり、暮らしの中に西洋が入ってきていたのだと分かります。
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華やかな中にも教養が試されるような襖絵等があり、凄かったです。この写真では光が反射してしまっていますが、左に置かれている時計も緻密なデザインでした。
全部で3時間程度の滞在だったと思います。それでも見ごたえのある建物ばかりで、やがては私のいる時代も、こうして保存され受け継がれることになるのだろうと思うと不思議な気分になりました。また、このような営みが現在の暮らしに繋がっているのだろうと考え、伝統として後世まで残っていくと良いなと思いました。
学生は320円です。皆さんも、明治から昭和にかけて、かつての生活を垣間見てみてはいかがでしょうか。以上あかねでした。次回は「正倉院展前期・後期」です!

目白祭お疲れさまでした!

こんにちは、あかねです。昨日と一昨日に開催されていた目白祭が終わり、今日は後片付けの日でした。私は4年生なのでサークルは引退、日文喫茶にもお客さんとして行っただけなので、今日は大学生活で初めて休みの日でした。今年の日文喫茶に関してはいつか3年生の皆さんが書いてくださるかとは思いますが、お客さんとして行って、とても日本文学を楽しめた喫茶だったので感想を述べていこうと思います。
まずはイベントです。喫茶なのだから飲食物がメインかと思う読者の方々もいらっしゃるかもしれませんが、日文喫茶では1時間に1回、イベントが行われます。そこで、展示の他にも日本文学に触れて楽しさに気が付くことができるのです。私が土日の両日行って見られたイベントは、令和という元号に関するものと、文学作品の冒頭を読んで作品を当てるもの、小さい頃に誰しもが読んだ昔話を原典である古典作品と読み比べるものの3つでした。どれも「授業でやったやつだ!」と懐かしく思いながら解きました。稀に知らなかった作品が出てくるので、日本文学というジャンルの広さを痛感しました。
次に飲食物です。土曜日は小雨でしたが日曜日は晴れ、予想より暑くなりました。2杯目は1杯目と同じ飲み物に限り無料というのがありがたかったです。また、カステラ等、かつて文豪がどんな気持ちで食べたのだろうと思いを馳せながら食べるのは楽しかったです。イベントがない時はギターを抱えた萩原朔太郎や、芥川龍之介を真似する太宰治も見られましたしね!
最後に展示物です。作品と作者の写真があり、投票できるようになっていました。私は有名どころの芥川や太宰、石川淳に投票したのですが(2日間で3回訪れたので3回投票しました。許可も得ました)、国木田独歩や宮沢賢治、中島敦にも多くの票が入っており根強い人気を感じました。教科書で皆さんも読んできたからだろうと考えました。文学カノンですね……。展示してあった本も、光源氏が栗になっているもの等、読んでみたい作品と多く出会えました。様々な時代の日本文学と会えて良かったです。
それと、伝票が文豪にちなんだメモ帳だったのが思わず笑っちゃうほどほっこりしました。「注文の多いメモ」は最高でした。
以上、目白祭での日文喫茶の思い出でした。サークルの受付としてシフトが入っていたので日文喫茶で見られないイベントもあったのですが、とても楽しかったです。酷いわがままなのですが、このまま伝統として続いていったら良いなと思います。そして、多くのお客さんにとって、充実した日々を送るきっかけとなるような作品に出会える場となったら良いですね……!日本文学の楽しさはきっとそういう、何気ない日常の端々に表れてくるものだと信じているので……あくまで私個人の意見ですが!
それでは関わった皆さん、本当にお疲れ様でした。ご来店くださった方々、ありがとうございました。興味をもってくださった方々、是非来年ご来店いただければと思います。
あるいは貴方が次の日文喫茶のメンバーかもしれませんね!