あかねです。4月が始まり、先日まで怒涛のオリエンテーションラッシュでしたね。新1年生の方々は体調にお気を付けください。
さて、今年から1年次で履修する教職の科目が増えました。昨年までは「教職基礎論」というものだけが1年次の履修科目で、2年次に7コマも教職の授業があったのですが、今年は1年次に4つ、2年次に4つとなりました。2年次に7コマ(単位としては8つ)だと、他の皆が48単位ほど取っていても自分は44単位に抑えておく必要がありました。それでも大変でしたが……。
しかし、今年からは1年次で取れる授業が増え、負担も分散できるようになっていました!1年生、良かったね!ただし履修は無理のない計画を立てましょう!2年生、多分1年生と合同授業だ!発表の機会があれば、先輩としての手本を示しましょうね!
しかし、問題はそこではありません。皆様、シラバスは確認しましたでしょうか。実は、「教育社会学」「教育学概論」「教育心理学」の3つが1年次からの履修になったものなのですが、Jasmine-Naviで科目は「教育」、学年を「1」として検索すると……出ません……!この三科目はシステム上で学年が「2」のままになっているのです。もちろん教務・資格課に報告したのでこれから直されるかとは思いますが、もしかしたら1年生は履修登録の際にも学年が違うということでエラーが出るかもしれません。オリエンテーションの時にも注意はあったかと思いますが、必ず履修登録期間の初日に確認し、登録が出来なければ百年館2階の教務・資格課まで報告してください。
ここからが2年生への注意喚起です。もしも1年生が見られるようになったら、次は2年生が見られなくなるかもしれません。2年生で「教育社会学」「教育学概論」「教育心理学」を登録しようとしたら「1年生での履修」となり登録できない可能性もあります。2年生も必ず履修登録期間の初日に確認してみてください。これを読んでくださっている1、2年生の方は、教職を履修している友達に大丈夫だったか聞いてみてください。宜しくお願い致します。
履修のミスで諦める人がいないよう願っています……!
4年のあかねです。好きなことは読書で、今は江戸川乱歩全集を読んでいます。好きな本は『今昔物語集』ですが、乱読家のため何でも読みます。
近代自主ゼミと創作自主ゼミに精を出す、忙しくも充実した日々を綴っていければと思います。と書いていた1年次、まさかこんなに文学館や博物館へ行くようになるとは思いませんでした。宜しくお願い致します。
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またいつの日か……吉川英治記念館(と、おまけに三鷹の太宰・鷗外)
こんにちは。あかねです。本日をもちまして、吉川英治記念館は閉館となります。悲しいです……。同時に、文学館は閉じることはないと無条件に信じていたため、こんなこともあるのかと驚きました。研究のための資料は公益財団法人吉川英治国民文化振興会事務局(03‐5395‐3432)に申請すれば閲覧可能だそうですが、吉川英治の家や記念館は見られなくなるそうです。いつまた開館するのかは分かりません。だからこそ、行かなければと思いました。
吉川英治が生涯で最も長く住んでいた家と、吉川英治の人生や作品について知ることの出来る資料館が青梅市にあります。私は17日の日曜日に行ってきたのですが、高齢者の方から子供連れの家族まで、幅広い年代に親しまれていました。家の中では、かつては梅が綺麗だったけれど木の病気感染のために伐採されてしまった旨が書いてありました。その木の切り株を乾燥させて病原菌を完全に殺菌したものから、夫婦の像を彫ったものが展示されていました。他にも、吉川英治が携わった竹の天井や松の柱、親しかった画家の絵等も見えました。内部の写真は撮れなかったので外観のみ庭から撮影します。庭にはスズラン等が咲いていて、植物と家の構図をスケッチする方々も何人かいらっしゃいました。
三枚目の写真の奥に人影がありますが、これでも人の波が切れた瞬間を狙いました。それほどひっきりなしに往来がありました。この奥には離れがあって、眼鏡や万年筆、沢山の本といったものが置かれていました。ともすると吉川英治がやってきそうでした。
資料館では、吉川英治の人生について分かりました。小学校卒業の直前に家が没落し、最終学歴は小学校中退となった吉川英治。東京で働きながら川柳等に親しみ、やがて人気の時代小説作家となります。中には原っぱの中、2~3歳の娘に髪を引っ張られながら笑顔を見せる写真もあり、家族思いの人だったことが見て取れました。現在の記念館の館長の方が吉川英治の長男と同姓同名なのは偶然ではないのでしょう。吉川英治は戦後まで生きた作家でした。戦中は従軍作家になる等、純粋な気持ちで日本の勝利を信じていたようです。勿論、「そういう小説」も書いています。だからこそ戦後数年間は小説を書かなかった(恐らく書けなかった)時期があり、何とも言えない切なさを感じました。信念が裏切られてしまったのは、そしてその信念が悪になってしまったのは、時代のせいとはいえ厳しいものがありますね……。その後も文壇に返り咲き、『新・平家物語』で本当の幸せを追求していたところも印象的な作家でした。お恥ずかしながら一冊も読んだことがない作家なので、時代小説が苦手だからと読まず嫌いをせず、その世界に触れてみたいと思います。
資料館と椎の木
しんみりした帰路、私は気付いてしまいました。中央線に乗り続けると三鷹に着くぞ、と――。
まずはこちら、太宰治文学サロンに行きました。ガイドの方に吉川英治記念館から来たのだと話した際、戦争直後の売り上げランキングとしては一位が吉川英治、二位が太宰治だったそうで、図らずも富豪たちを巡る旅となりました。ここでは太宰の親友について見たのですが、心に強く残ったのは太宰の死の理由についてです。実は自殺の少し前に、太宰は喀血していました。結核です。また、『斜陽』の大ヒットに伴い収入も増えたのですが、太宰の脳内に税金という二文字は薄かったようで、大きな負債を背負ってしまいます。更に、妻と、心中した女性の他にもう一人、関係を持った女性がいたのですが、その女性と子をもうけてしまったのです。様々な要因が一気に来た結果、入水に至ってしまったのだろうとガイドの方がおっしゃっていました。あと2年生きていれば、結核の特効薬も普及していたのに……。複雑です。
玉川を見た後、太宰治や森鷗外のお墓がある禅林寺へ。途中で本を開いたような『斜陽』の像を発見したのがこちらです。
禅林寺では日没に墓所が閉まるということで、既に日が橙色の中急ぎに急ぎます。太宰の墓は森鷗外への畏敬の念からはす向かいに位置するところにあります。両方に手を合わせながら、太宰の墓には花が供えてあるのに鷗外の墓には何もないことが、花を買っていくべきだったかと後悔した点でした。
帰り際、「賀古鶴所さん!」と思わず叫びました。彼については私の名前をクリックし、前回のブログをお読みください。簡単に言うと鷗外が生涯をとおして親友だとした皮膚科医で、鷗外の口述を書き留めて遺書を作成しました。この碑も遺言を写したもので、冒頭部分に「賀古君に書いてもらっています」といったようなことが書いてあります。行く時も帰る時も、若い女性とすれ違いました。鷗外でも医師でもない森林太郎として死に、埋葬されても、私のように小説家としてお参りに行く人が絶えないのは鷗外さんにどう思われているのか気になります……。うーん、人生が思い通りにいっていたら、そもそも文学で何かを表現しようとはならないと思いますので、なるべくして現状に至ったのでしょうが、何と言いますか、彼らの人生が幸せであったことを願います。
とりあえず、自分のためにも生きられるように気を付けつつ、病や心の折れそうなことにも負けずに生きていきたいと思いました。
文学館めぐり~余裕派・高踏派~
こんにちは、あかねです。今回は、2月23日に行ってきた文学館めぐりについてです。森鷗外記念館と子規庵、漱石山房記念館を半日でまわってきました。東京は電車が潤っていて移動がスムーズです。
まずは森鷗外記念館から。千駄木駅から徒歩5分のここは、かつて鷗外の家があった場所です。観潮楼と呼ばれていました。
以前行った時はまだあまり詳しくなく、何故永井荷風がこのようなものを書いたのか分かりませんでした。しかし今は、荷風が鷗外を敬愛していたからだと分かります。展示を見ても、鷗外は多くの人に頼られ、多くの人の面倒を見ていたとありました。お医者さんだからなのか、彼の人間性なのか……正岡子規を「人誑し(ひとたらし)」と評していましたが、案外鷗外自身が世話焼きだったことも影響していたのかもしれません。
現在の特設展は、九州の小倉にいた頃の鷗外の生活を書簡や新聞の投稿から見るというものでした。賀古鶴所(かこ つるど)という7歳上の親友に「工事が始まって、夜の12時までやっているから退屈しない」等と送っています。また、家へは「醤油が届かないから通運会社に聞いてみているが早く送ってほしい」といった、関東と九州で異なる味付けに苦戦した様子が見られました。
モリキネカフェでラプンツェルやハム、コンビーフのセットを食べた後、子規庵へ。
正確に言うと子規庵は文学館ではありません。正岡子規の住んでいた家です。……更に正確に言うと、家自体は戦争の際に焼けてしまったので、弟子や家族が協力して再現したものです。東京都の文化財に指定されています。
普段「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の掛け軸が吊るされている所には、12月に催された蕪村忌の寄せ書きがありました。私も蕪村忌に行った際書きましたが、その時よりもずっと賑やかになっていました。友人へお土産を買った後、漱石山房記念館へ。
……時間配分にはお気を付けください。漱石山房記念館の中にあるsouseki cafeはラストオーダーが17時です。東京メトロ早稲田駅に着いたのは16時40分。坂を上って下って上って、結局片道10分はかかるところを5分で行きました。人間、頑張ればどうにかなるものですね……。
そのような理由で、写真撮影は後回しにしました。だんだん暗くなっていく写真をお楽しみください。
カフェで渋柿のアイスを堪能した後、ショップで黒猫のマスキングテープを購入。以前来た時、帰宅してから後悔が物凄くあったため、今回は必ず買おうと心に誓っていたものです。無事買えました!
展示は留学中の漱石についてでした。立花銑三郎という日本人翻訳者と漱石は友人関係にあり、立花も漱石より前から留学中の身です。公開されていた書簡では、インフルエンザに罹って帰国の途につく立花へ「僕の下宿に寄っても構わない」という旨を送っていました。日本文学科では一年次から「変体仮名演習」という必修の講義で、ミミズのような昔の字を読めるよう訓練されます。しかし、習っていなくても読めるような漱石の筆跡の「インフルエンザ」を拝むことが出来ました。病名は100年以上前と変わらないんだなと驚く一方、結局立花さんは帰国途中に亡くなり、漱石が帰国すれば同郷の親友である正岡子規も亡くなっているわけですから、なかなかにシビアで切ない現実です。
帰路
今回は文豪の作品ではなく、生き方を見る旅でした。中世の教授である石井先生は「非リア充からしか文学は生み出せない」とよく仰ります。神経衰弱の時に高浜虚子から進められ文壇に登場した漱石、病に侵され窓から見るだけとなった世界をそれでも歌い続けた子規は、確かにその通り当てはまります。今回の展示で、医者の家の長男として軍医になりながら、興味は文学の方面へと向かう鷗外の姿にも気が付きました。恐らく鷗外もまた、家督を継ぎ医者となるのが本望ではなく、本当は小説を書き歌を詠んでいたかったのではないかと思いを馳せてしまいます。何かしら思い通りにはならなかったことがあったからこそ「文豪」は誕生したのだと思いました。
やりたいことは体が動くうちに、生きている間にしたいものです。現代は明治・大正当時と、家の在り方も病気への対処法も違いますからね!それに、足が動かなくなってから後悔することは多いです。正岡子規もきっとこんな気持ちだったのだろうと思えるほどに狭まった世界で生きています。今回は3つとも回れましたが、もう少し寒かったら途中で断念していました。そういうリスクも私の外出には必ず付きまといます。どうか皆さんが、いつ何が起こっても後悔しない日々を送ってくださることを願います。多分、鷗外も子規も漱石も、失ったから文学が書けたのだと思います。しかし失った自由や時間や健康や足や友人は帰ってきません。欠落から文学が生まれるのだとしたら、文学というものは穴を埋めるための塊になってしまいますね……。誰かの心にははまるけれど、書いた当人の穴は埋まるのでしょうか。埋まっていたら良いなと思います。
さて、しみじみしたところでお知らせです。生誕150年を記念して、創作能「子規」が3月17日、新宿区の矢来能楽堂で13:30からあるそうです。料金は学生がなんと3000円!全席自由!宇髙通成さんがシテ役で子規を演じます。老人が実は子規で、歌を歌い舞い踊るという典型的なあらすじですが、32歳で亡くなった子規が老人になって登場するというだけで、あの世で老成したのかなと勝手に嬉しさと切なさを感じています。子規庵にチラシが置いてあったのですが、ちょうど後期の講義で創作能レポートを出したところだったのでタイムリーだと思い、この場で宣伝致しました。近代文学と古典芸能のコラボレーションを是非、たった一度の機会ですから見に行きませんか?
私は都合が合わないので、見に行けないのですがね!悔しい……!生誕200年になったら絶対行ってやると固く心に誓ったあかねでした!
初牛鍋!
こんにちは。あかねです。今日から暦の上では春ですが、実際に風も暖かく穏やかな日ですね。今回は季節を逆行して1月21日月曜日、真冬の出来事について書いていこうと思います。
近代自主ゼミに所属しながら創作自主ゼミにも入っているのですが、その創作自主ゼミで食事会がありました。都合により結局4人しか集まれなかったのですが、楽しく鍋を食べに行きました。
陰陽のような仕切りは本当に存在していたのですね……。左がすき焼き、右が豆乳鍋です。牛肉や豚肉をしゃぶしゃぶしていただきました。卵につけて食べる牛すき焼きはとてつもなく美味しかったです。仮名垣魯文の『安愚楽鍋』にもよく登場する牛鍋ですが、確かにこれは画期的に美味しいと体感しました。以前見た「るろうに剣心」の実写映画でも食べられていたり、文明開化の象徴であったりする牛鍋ですが、現代ではあまり食べる機会がないように感じます。しかし、食べる機会があったら是非食べよう、機会がなくても家で作りたいと思うようなものでした。人生で一度は食べておかないと勿体ない。そんな罪深い食べ物でした。恐るべし牛鍋。裏付けは取れていないのですが、「文豪とアルケミスト」というゲームの中でも坪内逍遥と二葉亭四迷が牛鍋をつついて会話していたので、明治期初頭の頃の人々は皆この旨さに震えていたのだろうと考えてしまいます(「文豪とアルケミスト」は、どこまでが史実に基づいていてどこからが創作なのか曖昧なほどなので、文学の入り口におすすめします)。
とろとろの肉とダシの効いた醤油ベースのつゆ、アツアツの豆腐に白菜、つみれ、キノコ……一方の豆乳鍋はまろやかで、優しい風味とごまだれ・ポン酢のたれが非常に合いました。レポートやテストの合間の鍋は最高でしたので、辛い時こそこのような小さな贅沢で体も心もほかほかになれると良いなと思いました。それに、自主ゼミの方々とも仲良くなれたのが嬉しかったです。
楽しい鍋でした!また行くぞー!
2018年最後の子規庵――蕪村忌とともに――
こんにちは。あかねです。2018年の12月23日、ツイッターを見ていた私はあるものを発見しました。
「今年最後の子規庵です。」
行かなければと思いました。急遽外へ行く準備をして日暮里駅へ電車で向かい、そこから徒歩で更に10分かけて。こうして年収め子規庵を行うことになりました。
ボランティアの方が私のことも撮ってくださりました。ありがとうございました。
中では、入館料500円を払ってくじを一枚引きます。はずれ無し最低4等の内、4等を引きました。ポケットティッシュだろうと思っていたら、松山市提供のフェイスタオルと、道後温泉「飛鳥の湯(椿の香り)」のもとでした。愛媛県松山市は正岡子規と夏目漱石の出身地です。学生時代から二人は一緒でした。つい最近論理学のテストの点数が全国ニュースで流れていましたね……子規さんが低いのではなく、漱石さんが高かったんです……。危ない危ない、閑話休題。温泉のもとの椿の香りも、子規さんの弟子で双璧と呼ばれる高浜虚子と河東碧梧桐を彷彿とさせます。
赤い椿 白い椿と 落ちにけり
碧梧桐の句です。この双璧の二人も出身が松山で、子規さんと兄弟のような、先輩後輩のような近しい関係でした。子規さんを最期まで看病していた人たちの中にも二人の名は挙がっています。
以前の子規庵と比べると、緑が減って赤と茶色が目立つようになりました。そしてこの日は与謝蕪村にちなむ蕪村忌が行われておりました。
子規さんたちが寄せ書きしたものです。実物ですが写真撮影が可だったので、傷めないようフラッシュは焚かず、しかし心中大はしゃぎで撮影しました。
「風呂吹や蕪村百十八回忌 規」
規とは子規さんのこと。この句は左の「風呂吹」の掛け軸の右上に書いてあります。よく見ると同じ掛け軸の左上には「風呂吹や蕪村百十八回忌 八々」の字が。門下生が真似して書いたようです。「何同じもの書いてるんだよー!」「えー、同じだったんですかあー!?」とふざけあっていたのだろうと思われます。右の「蕪(かぶら)」とはカブのこと。
「大根は蕪の尻を笑ひけり 紅」
愉快な句もありますね。日本文学科では一年生の前期に「変体仮名演習」という授業があるおかげで、これらの字もざっくりとは読むことが出来ました。実は展示中央にある翻刻されたパネルに、判読の難しかったところが「□」という記号で表されていました。よく見ると「これは「た」、これは「や」……?」と解読に挑戦してみてもいました。先生方ならば漢字も読めるのでしょうか。学生は主に平仮名しか読む練習をしないため、限界はすぐ訪れます。来年、いや、今年、またチャレンジしたいです。
外に出ます。休憩できる東屋では、火鉢とお菓子「のぼうる」(子規さんの本名「升(のぼる)」と、彼が好きだった野球(の・ボール)のボールのような形を掛けたものと思われる)、子規さんが飲んだとも書き残されているココアを頂きました。ここで雨が降ってきてしまい、傘を忘れていた私は雨宿りすることに。ボランティアの方々と談笑しながら止むのを待っていました。
感謝デーとのことで、この日だけ「子規庵ストラップ」の裏側に名前を入れてもらえました。折角なのでストラップ(1個600円)を購入。自分の名前は恥ずかしかったので、子規さんの本名を入れてもらいました。
普段とはまた違った子規庵でした。庵の雰囲気が祖母の家と一緒で、とても落ち着くので何度も行ってしまう……今年もきっと行くのだろうと思います。勿論、他にも行きたい文学館はありますので、その都度お知らせしていきたいと思います!目下、1月14日までの森鷗外記念館「うた日記」に行かねば。以上あかねでした。
サークルを 引退するのは 私たち
こんにちは、あかねです。去る12月16日の日曜日に、日本女子大学オーケストラの定期演奏会(以下、定演)がありました。これをもって3年生は引退となります。引退する先輩を見送っていたら、いつの間にか見送られる側になっていました。体言止めで詠嘆しているつもりのタイトルでした。
大学に入ってから友人とともに入部し、6年ぶりに楽器に触れたあの時から早3年が経ちました。経験があったとはいえ、高いソまで吹けたはずが高いミまでしか出ず驚いた記憶があります。1年生の時の定演ではベートーヴェンの交響曲第5番を演奏し、第4楽章でスタミナ切れに苦しみました。どうしても高すぎて出ない音があり、「高いラなんて人類には出せない」と思っていました。当時はまだ高いシまで出すことになるとは思っていなかったのが可愛らしいところです。
2年生になると、ドヴォルザークの交響曲第8番でソロの部分を受け持ちました。なかなか大きな音で吹けなかったのもあって、吹き方の工夫や、音をどのように出すか強いイメージを持つようにしました。その結果堂々とした音色で吹けるようになったため、とても嬉しかったです。度胸も身に付きました。
3年生になると後輩も入り、分担しながら吹くようになりました。パートリーダーとしてアドバイスをしながら全体を考慮して吹くのは難しかったです。また、今年のチャイコフスキーは今までとは違った雰囲気の音色を求めるものだったので、表現方法にも苦悩しました。曲も長かったため演奏本番も大変でしたが、あの時に持っていた全力を出し切れたとは思います。今年の悔いを是非、後輩たちは来年克服できるよう励んでほしいと思います。
入学してからの年月を矢のように早く感じ、残りの大学生活を惜しみながら過ごすことも増えました。ただ、この3年間をふと振り返った時に、培った経験や仲間たち、試行錯誤して得た達成感や、皆で曲を作り上げていく責任と喜びが、私の背中を前へと押してくれています。去年やっと自己肯定感の低さに気が付いたので、自分がここまで積み上げてきた揺るぎない自信として、大切に思い出を持ち続けていきたいと思いました。私が今の「私」になれた理由のひとつは日本女子大学オーケストラです。色んな考え方や色んな性格を持つ皆が心をひとつにして演奏を成功させる。その一端を担えた嬉しさとともに、技術も心も自他ともに認められるほど成長できた幸せを噛みしめています。このサークルで活動できたことは一生の宝物です。3年間ありがとうございました。
と、言いたいですね。実は私の都合で反省会を後日に伸ばしていただいたので、厳密に言うと引退はまだなんです。フライング「ありがとうございました」なのですが、オーケストラ部員に読まれてしまっていたら恥ずかしい……反省会当日に同じようなことを号泣しながら言っていても温かい目で見ていてください。既に目は潤んでいます。
サークルに入ろうか悩んでいる方々は是非、自分に合っているかを確かめるためにも、まずは入ってみてください。何もせずに放課後を過ごすよりも充実した大学生活が送れるのではないでしょうか。勿論無理してまで続ける必要はありませんし、得るものはきっと酸いも甘いも、辛苦も混じったものでしょう。それでも、何かをやってみなければ成長や充実感は手に入りません。新入生の方も大学生の方も、興味のあることから参加していってみては如何でしょうか。それがもしも日本女子大学オーケストラならば嬉しい限りです!
以上、終わりを迎えたサークルライフと宣伝・勧誘でした。
行きたかった前橋文学館(本題:古典のアクティブラーニングについて)
行けませんでした前橋文学館。こんにちは。あかねです。実は今日、友人とともに行く約束をしていたのですが……疲れが出たのか微熱と眠気に襲われ、昨日友人と話して行くのを止めました。昨夜は20時に寝たのですが起きたのは朝7時。朝ごはんを食べたらまた眠くなってきて眠り、先程昼食を摂ったところです。またほんのりと眠くなってきています。微熱も下がらない……と言っても、私の平熱は36.7℃なので37.0℃なら微熱ではなく誤差かもしれませんが。
前橋文学館に行けなかったので、12月1日に開催された秋季大会について書こうと思います。秋季大会とは、日本文学科生が全員自動的に入っている「国語国文学会」というところの主催になります。国語国文学会委員というものを各学年4人ほど出し、その方々が運営してくださっているものです。午前中は大学院の先輩方の研究発表が3つの教室で順次行われました。
私が聴講しに行ったのは、午後に行われた河添房江氏の講義「『源氏物語』とアクティブ・ラーニング時代」です。古典のアクティブラーニングについてのものでした。アクティブラーニングは教職を取っている人には聞き覚えがあるかと思います。主体的、対話的で深い学びが行えるよう、話し合い等の中で生徒が自発的に学習に取り組めるようなプログラムのことです。アクティブラーニングの例としてジグソー法というものを知り、エキスパート班で学習したことを次のジグソー班で教えていくという方法で、大変参考になりました。他にもツイッター風に登場人物の変遷をまとめさせたり、源氏物語絵巻を活用して何故本文にはない物が描かれているのかを考えさせたりするといった方法も学びました。
模擬授業をしていて感じたのですが、私の学習指導案だと、アクティブラーニングに時間を割いたらその分教科書本文の内容理解が薄くなりがちです。そのバランスをいかにして取るかがこれからの私の課題だと思います。これから頑張っていきたいです。
まずはたっぷり寝て疲れを取ることに専念します!風邪じゃないのがまた辛いですね……早く微熱が下がりますように。以上、あかねでした。
江戸川乱歩の新たな魅力
こんにちは。あかねです。11月25日の日曜日、私は立教大学のシンポジウムを訪れていました。そう、江戸川乱歩のシンポジウムです!
卒業論文で江戸川乱歩の作品を扱うことにしたのですが、新聞に広告を出していたという情報を論文から得た私は「作家の乱歩さんに広告を利用するマーケティング力があったのだろうか……?」と失礼ながら全く想像がついておりませんでした。そんな折に開かれたのがこちら→https://www.rikkyo.ac.jp/events/11/mknpps000000kjx9.html
広告のデザインを自ら手掛け、幅広い新聞読者層へいかに探偵小説を売り込むか、よく計算されていたことが分かりました。初期は大きな見出しで目を引いていたのが、後期になると異国人風な顔やランプの煙のようなデザインで不思議な印象を与えるように変化していました。広告ひとつ取っても奥が深いですね……。売り文句も変遷していて、その時代に合わせたものを考え研究していたことが分かりました。
また、この日は乱歩の旧邸、つまりは乱歩が晩年長らく住んでいた家が特別公開されていたので、一緒に来ていた友人とともに行ってきました。普段は水曜日と金曜日に公開されているので、日曜日に見られるのはラッキーです。行ってみると、夢野久作が乱歩に贈った博多人形が真っ先にお出迎えしてくれました。当時、夢野久作は博多近郊に住んでいたとの旨が書いてありました。自分にとって似つかわしくないような物だがと言いつつ、嬉しさが滲み出ている文面でした。中庭の方へ行くと応接間が覗き見られます。とても豪華です。別室では乱歩の著作がずらりと展示され、テレビでは乱歩手づから録画したビデオが再生されていました。横溝正史や、海らしきところで泳ぐ乱歩も映っていました。乱歩の妻や子も多くあり、幸せそうな様子にほっこりしました。映像の中で乱歩がほぼ毎回帽子をかぶっていたことに気が付いたのですが、テレビの置かれた部屋の隣に、乱歩の帽子も展示されていました。中折れ帽やハンチングがあり、サイズは59~60。「禿げているから帽子でもかぶっていないとお洒落になれない」と言っていたようで、そういうのを気にする人だったのかとお茶目でお洒落さんな一面を知りました。土蔵の入り口も開けてありましたが、あそこは去年の2~3月に感想を書いた気がするので割愛します。目を奪われるので、気になった方は是非足を運んでみてください。
帰り際、池袋駅西口にある和菓子屋の三原堂で、薯蕷まん頭(じょうよ まんじゅう)を購入。ばら売りで1個220円……!4個で1000円ですが、箱が原稿用紙のようなイラストでとても欲しいと思えるものでした……高くて断念。乱歩も好んで食べていたというお味を私も食べてみました。山芋と米粉を練り合わせた真っ白な生地に濃厚なこしあんが入っており、重すぎないあっさりした甘さ。帰宅後に食べていたのですが、もちもちな生地の柔らかさに、もう1個食べたい!と強く思いました。大変美味しかったです。
皆さんも是非、池袋まで来た際は乱歩巡りをしてみてはいかがでしょうか?(在校生の皆さんは、卒論が煮詰まった時はシンポジウムに行ってみると新たな発見に出会えるかもしれませんよ!余裕をもって是非行ってみてくださいね!)
日分喫茶~後日談~
こんにちは。あかねです。とうとう文化祭も終わり、日本文学科生の有志による店「喫茶 ロマネスク」も終了。来年、現在2年生の方々が開いてくださればまた皆さんとお会いできる状態になりました。とても楽しかったです。ご来場なさった皆様も日本文学に触れ、楽しく面白いということを感じていただけていれば幸いです。
今日は、そもそもどのようにして日文喫茶が運営されていったのかをお話ししたいと思います。
2018年3月30日に、グループラインが作られました。有志の募集は5月頃にかかるので、それまでにコンセプト等を決めておかなければなりません。この時は係分けすら為されておらず、とりあえず皆(この時はまだ12人)で意見を出し合います。ある程度決まったら、代表者、会計、内装、衣装、調理、ホール・イベントの6つの係に分かれて進行させました。私は調理係だったので、7月までにメニュー内容を決め、9月に皆で試食、10月に調理関係の食器や皿、調理時に厨房で使用するビニール手袋等を用意していました。他の係、例えば衣装からは、7月に各自で着る物を揃えるよう伝達がありました。行ける人で浅草の古着屋等を巡って安さや品揃えをグループラインに報告する等していました。他、夏休み明けから動き出した係が多かったように思います。
将来、日文喫茶を開こうとしている皆さん!!!必ず夏休み中から動いてくださいね!!!インターンで忙しいのは分かりますが、授業が始まる9月から本格始動だと体力や心がやられます。とてつもなく忙しかったです。
というのも、一昨年等とは違って、今年からイベントをするようになったので、その準備とか……エッセイとか……授業のレポートとか、各係ごとの進行させなければならないこととか、山積みになりました。調理係でも、試飲したコーヒーがまずかったのでメーカーを変え、その際にまた安いところを探して……とかやっていました。
当日。茂吉さんの握り飯(焼きおにぎり)は2個で300円、吾輩の羊羹は200円、文豪の愛した大福(三島由紀夫の好物が大福だったから)は3個で200円、珈琲・あっぷるじゅうす・おちゃが各種100円(お代わりは一杯まで無料!)というメニューで挑みました。
画像に出来ませんでしたが、PDF状のメニュー表です。1枚目が表で2枚目が裏。2年生との共同制作です。他、3年生はキッチンペーパー等の買い出しや買う量の把握を担ってくれていました!
最終的には17人いる内、ホールに5人、厨房に3人、宣伝に3人程という人数での回転となりました。別の団体で別の出し物もしている人が多かったため、掛け持ちだと途中から参加することに……その間も頑張ってくれていた皆さんありがとうございました(私はオーケストラもあったので途中参加の宣伝のみ)。朝の買い出しは3~4人で重い飲み物を運びつつ、前日は冷凍のものを冷凍庫に入れてオッケーだったのでその買い出しにも行ってくれた人がいました。スーツケースは必須です。加えて学生課は朝8時~夜7時45分まで開いているので、変則的な時間にご注意ください!
教訓:当日働ける人数を増やす。準備は夏休みの間から。あと、準備段階から積極的に!これさえ守ればあとは何とかなります!多分!補足があったら他の人がブログでまた書いてくださると思うので、私からは以上です。また日文喫茶開くと良いな。
日文喫茶~準備日1日目~
こんにちは。あかねです。いよいよ次の土・日曜日は目白祭です。木曜の午後と金曜が全日、文化祭の準備日として学生に充てられてます。今日は先生の厚い温情によって2限が休講だったため、私は11時半頃からポスターとチラシの印刷をしていました。喫茶の各テーブルに置くためのエッセイも印刷。それを持って香雪館の1階、102に向かいます。そこが今回の教室になっているからです。
荷物を置いたら協力者を2人呼んで目白祭実行委員会の部屋へ。ポスター5枚全てとチラシの原本にハンコを押してもらいました。これにより、腕章を付けなくても配布が可能になります。
その後、12時45分から実行委員さんの指示に従い机の運び出しを開始。足が悪い私にとって「目白祭で使わない分の机を2階まで運ぶ」という行為は至難の業です。そこでドアストッパーとして働き、机や椅子を出しやすくしていました。10人程度でバケツリレーです。
続いてテーブルの設置。2人用の席と4人用の席をどこにどのようにセットするか、既に案はありましたが皆で考え直しました。イベントを用意したので、それが見えるようにしたのです。持ち寄ったレトロなポスターや好きな日本文学作品の一文などを教室に貼るなどしていましたが、渡部先生がいらっしゃってくださりました!渡部先生は近現代の文学を専門としている先生です。非常にしゃっきりピッシリとした方で凛とした格好良さがあるのですが、甘いものに目がないという可愛らしい一面もあります。喫茶店内のBGMにゲーム「文豪とアルケミスト」のサウンドトラックを使用する予定だったこともあり、先生とたい焼きをつまみながら親知らずや「文アル」の話をしました。岩手県の大学で開かれる近代文学の学会が「文豪とアルケミスト」とコラボするのですが、そのチラシがあるから是非展示スペースにとのお計らいで大きなポスターとチラシ複数枚をいただきました。ありがとうございました。他、日本文学科の中央研究室から拡大印刷された百人一首などを、中世を専門となさっている石井先生からは日文公式ブログ部のポスターをお貸しいただきました。ありがとうございます。
14時半から、エッセイの刷り直しやメニュー表の追加印刷をしにパソコン室へ。16時半に閉まるとのことで、時間に追われながら1時間で印刷しました。16時から予約していた印刷室にてチラシを300枚刷り、帰還。イベントのリハーサルにカッコイー!ヒューヒュー!と合いの手を打ったり、こんな映像があったなんて……と驚いたりしました。私がいない間に着々と内装が進んでいくので、帰る度に「うわ!凄い!」となります。
メニューを各テーブルごとに配置させたら時間が来てしまい、ここで終了。17時になったら帰らねばなりません。今日は予約していた電子レンジが来たり、蛍光灯にゼラチン紙を巻くための業者さんと脚立が来たりと慌ただしい一日でした。明日もサークルの方とも行き来せねばならず大変です。それでも、確実に「日文喫茶」が出来上がっていくのを感じます。
どうか皆様、10月20日(土)・21日(日)は香雪館1階の102をお訪ねください!焼きおにぎりや水ようかん、プチ大福、お飲み物に加えて日本文学の楽しさに触れていただくためのイベントもございます。ちょっとした休憩や昼餉にご利用くださいませ。
(そして日本女子大学オーケストラも百年館3階の306にて演奏を行っております!土・日曜ともに10時~の会と13時~の会がございます。演奏時間は約1時間です。どうかこちらにも足を運んでいただければ幸いです……以上宣伝でした!)



























