すっかり春になりましたね…。風の感触がやわらかくなって、自転車で出かけるのが楽しみになりました。今年はなぜか花粉症にもならず[:花:]わーい
昔から思うのですが、桜の時期になると何だか変なにおいがしませんか?なんていうか…「美味しくないメンマ」のにおい[:ラーメン:]
花見客のおつまみのにおいかなと思っていたのですが、どうも違うらしい。気になったので、調べてみました。
そのにおいの元は、「ヒサカキ」という植物だそうです。
画像上げられないのが残念ですが、枝にそってびっしり小さな白い花がついている植物で、花がさくと独特のにおいを放ちます。とりあえず「桜のにおい=メンマ」でなくて一安心。
思い返せば幼いころ、夜桜を見物している時にもこのにおいを嗅いだなぁ…というのを思い出しました。入道雲のように覆いかぶさる桜の重みと、この怪しい中華街を思わせるメンマのにおいが、昼間とは全く違う、危なげな雰囲気をかもしだしていて、幼心に怖かったのを覚えています。桜って、どの時代を見ても日本文学には欠かせない存在ですが、なんとなく女性の魅惑のようなものを感じさせるというか。そんな感覚を、きっといつの時代の人も感じていたのだろうなぁと思います。
だから、このメンマのにおいが、実は桜じゃなくてヒサカキだと知って、ちょっと拍子抜けしたんです。桜のにおいじゃなかったの!?って。あの妙に生ものっぽいメンマのにおい、すごく夜桜の怪しい感じにぴったりだったので、ちょっと意外だったんです。
桜ってそう考えると、すごく女性的な花ですね。色んな表情を持っていて、昼の健康な感じも夜の不健康な感じも、美しさのうちに入れてしまうところがあると思います。
ちなみに私は、「夜明けの桜」が一番好きです。
今まで夜の闇の中にいて、危険なかおりを放っていたけれど、日が昇ってすぅーっとその闇が引いて大人しくなった、あの感じ。白い月と薄い花びらが透けて、清らかになったあの感じ。「あぁ、今まで夜の女だったけど、足を洗って帰ってきてくれたんだね…!!」と思わず涙ぐんでしまう、、、あの感じが私はとても好きです。
Author Archives: さと
こんなこと考えるのは私だけでしょうか
久々に雪が降りましたね[:雪:] 前回成人式の日に降った時は、カマクラを作り損ねてしまったので[:ニヒル:]、今回こそは作ろうと思っていたのですが… 今見たらあとかたもなく、なくなっていました[:ぎょ:] うーん残念(+o+)
最近「痛み」についてよく考えます。私は寒いのがあまり好きではなくて、「寒さも一種の苦痛だよなぁ。なんでこんな痛い思いしなきゃならないんだろう?そもそもどうして痛い思いしなきゃならないんだろう…」と、自転車で坂を下る度に思います。包丁で指を切るだけでも痛い、裸足で廊下を歩くだけでも痛い、たんすの角に足を引っ掛けるだけでも痛い…もっと大きな事故に合ったら、この傷は今もうどうしようもないことはありありと分かるのに、痛みだけは痛烈に続くという最悪な状況になる訳です。
最近知人がサッカーの試合中に、二人に同時に踏まれて粉砕骨折をしました。「事故当時のことが怖くて思い出せない…」とのこと。考えるだけでも痛すぎる!!!
どうしてこうも痛い思いをするのか…近頃ずっといやだいやだとばかり思っていたんです。でも、痛みがなかったら…それは、もっと恐ろしい事だと思ったのです。
ある話では、手の痛覚がない子がいて、その子は火の上に自分の手があっても全く気付かなくて、焦げ臭いにおいがして初めてそのことに気づくのだそうです。自分の手が火事になっているのに気付かないなんて…その後のことを考えると恐ろしすぎますね。それを聞いて衝撃を受けました。
「痛み」は危険を知らせてくれる信号だから、「痛み」がなかったら、人間は死んでしまう。本当はすごくありがたいものなんですよね。痛い思いをするから二度と同じ過ちを繰り返さないし。人前で恥をかいても、その苦痛を二度と味わうまいと、気を付けられますもんね。
そう思うと、「痛み」って実はすごいプレゼントなんですよね。
(こういうことを考えだすと、私の思考が止まらなくなるのですが)どうして「痛み」を感じるのかも不思議じゃないですか?どういう構造で「痛み」を感じるのかも理論では分かるかもしれないけれど、、「痛み」を感じるこの肉体を、作れるのかと言ったらできません。昔『鋼の錬金術師』という漫画で、そんな話があったけど、人間の肉体を構成している材料があっても、人は作れないと言う事が、本当に神秘的だなぁと思います。
そんなことを考えながら、自分の「痛み」と向き合う今日この頃です。[:あうっ:]
こりがじわじわ
最近肩こりが猛烈に辛いです。さとです。
皆様あけましておめでとうございます!!信念を迎えたかと思ったら、もう学校がはじまり、テストの心配をしだすような時期になりましたね…あわわ
四年生だからほとんどテストはないのですが、この時期のあわただしさに私も気が焦ります。しかし大学最後のテストとは、感慨深いですね。今までになく頑張ります。
2013年に入ってから、もともと凝っていた肩がより一層凝るようになりました。原因不明で、肩のみならず首なども被害を被っております。人って不思議なもので、一つが崩れると、じわじわと全体にひびが入って、結局全体が崩れるんですね。肩首にはじまり、背中、腕、太もも、足首、終いには精神にまで凝りが響いています泣!!肩こりが原因で、脳が酸欠状態になって、イライラしたり眠くなったり。一言で言うと、ろくな事がない、です。
全身が筋肉痛で悩んでいた時、スポーツ科学を専攻していた人に聞いたのですが、どうやらそれは骨盤や背骨のゆがみからも来るみたいですね。今まで肩筋ばかり揉んでいたけれど、実は目に見えないところからも肩こりが始まっていたわけです…恐ろしい!
お正月に、栗きんとんだけごっそりなくなっていたら、おせちとして認められないように(私の中では)、全てが揃っていなければ辛いですね。全身まんべんなく凝りのない、理想的な姿を目指して、おしりで歩いたりしている毎日です。
良い方法があったら是非教えて下さい[:あうっ:]
明日はクリスマス
今日はクリスマスイヴですね[:月:] 皆様いかがお過ごしですか?
私はこんなものを作ってみました。シャルロット・フレーズ?というケーキで、中身はいちごのムースとバニラのババロアです。二層で済むはずがボリュームが足りず追加、全く見えないけど三層構造の豪華な作りになりました笑
卒論も無事提出し、お菓子作りも余裕をもって出来るようになりました。嬉しい限りです。
明日はいよいよクリスマスですね[:りんご:]
クリスマスというと私は食べ放題とか、自宅でオールナイトとか、そういうイメージが強かったのですが笑 クリスマスはイエス・キリストの誕生日、ということは世に知られているところですけれど、意外と本当の意味って知らないな…と思いました。イエス・キリストがどんな人物なのかもあまり知っている人はいないのではないでしょうか。聖書大好きな私、ここぞとばかりに熱弁をふるいたいと思います[:にかっ:]
イエス・キリストが生まれる4000年前、アダムとエバ(イヴとも)がエデンの園という所で、神様と一緒に暮らしていました。しかし、他には何をしてもいいけど、これだけは絶対禁止!という神様との約束…「善悪を知る木の実」を食べてはならない、という法を破ってしまいます。神様の思いを裏切った二人は、エデンにはいられなくなり、神様との関係が切れてしまったのでした。それによりその後、約4000年間におよぶ旧約聖書の歴史がはじまります。たった二人の過ちが、後世の人々にも及んだ時代。それは人々にとって、奴隷の苦痛を味わう時代でした…
4000年に渡る刑期を経て、それまで奴隷と主人のような関係だった人間と神様が、親子のような関係に回復するチャンスが到来します!それがイエス・キリストの生誕でした。殺してはならない、姦淫してはならない、といった律法よりさらに次元高い、新しい神様の教えをもたらしたのがイエス・キリストだったのです。その新しい法は〈愛〉や〈精神〉の度合いが強く、人々を僕の立場から救う唯一の道でした。しかし、ベツレヘムという田舎(日本でいえば秋田や青森のような所)で生まれた彼は、大工の息子という何の肩書もありません。一番救われたいと願っていた宗教家達は、それを受け入れられず、自分たちを唯一僕の苦痛から解放してくれる人を、十字架という極刑に処してしまったのでした…
というわけで、その救い主のお誕生日を祝おう☆というのが本来の意味です!かなりざっくりですが、、、
ちなみにイエス・キリストがうまれたという馬小屋は、現代で言うと駐車場みたいな感覚らしいです。しかも、宿を借りた先で貸してもらえたのがそこ、だからどれほどひどい扱いでしょうか。「家の中は無理だけど、駐車場なら泊まっていいよ」ということ…?
あまり知られていない、というか私は全く知らなかったクリスマス。自分とはまったく関係なさそうな2000年前に生まれたイエス・キリスト。でも、聖書が毎年売上№1なのも、こうしてクリスマスが毎年世界をあげて祝われているのも、そしてよく分からないけどクリスマスを祝っている自分がいることも、きっと偶然ではないと思う今日この頃です。
たまには真面目に語らおうじゃないか
四年生のみんなも卒論に追われているんですね…!!文面から必死さが伝わってくるよ[:しくしく:] 私も頑張ります!!何の思い煩いもない年末年始にするぞー!!!
今卒論で三浦綾子さんの『塩狩峠』という作品を扱っているのですが、その中で一つ、女子の皆様にお知らせしたい事を見つけました。
ある論文の中で、三浦さんが「最近の若い女性は、愛を誤解している人が多い」とおっしゃっていた資料が載っていたんですね。
「好き=愛してる」という誤解、「愛=肉体関係を持つこと」という誤解。
この二つの誤解の故に、若い女性たちは心に傷を受け、三浦さんのもとによく相談に来ていたのだそうです。「好き」というのは流れる感情に過ぎない、突発的な好奇心のようなもので、「愛する」というのはひたすら忍耐、練達、長い期間をかけて紆余曲折を経ながら持つようになるものだとおっしゃっていました。三浦綾子さんには光世さんという旦那さんがいるのですが、肺病と脊椎カリエスという難病を抱えて寝たきりの彼女を五年も待ち続け、介抱し、小説執筆もままならない三浦さんの為に、口述筆記という形でサポートし続けた方です。あんなざまもこんなざまも、全てを受け入れる。ものすごい献身です。しかしそんな光世さんの愛を受けていながらも、「もしクマが目の前にいて襲ってきたら、私は彼を差し出して、逃げるかも分からない」と三浦さんは言っていました。ちょっとひどい…!と思うところもあるのですが、彼女自身も相当自分の心につまずいたと思います。これだけ愛されているのに、愛で返しきれないという思いを抱くのは、しんどかったのではないでしょうか。でもそんな葛藤を乗り越えて、一つ一つ勝ち取っていった愛は、だれにも壊せません。
「好き」という感情も「肉体関係を持つこと」も、結局は一瞬です。
極端に言うなら他の動物でもできます。でも、「愛」は人間しかできません。私の尊敬している牧師さんがおっしゃっていたのですが、人間はどんな能力も神様には及ばないけれど、「愛」だけは神様と同格になれるのだそうです。そんなすごいものを持っているのに、まるで「愛=性欲」のように扱ってしまったら悲しすぎる…!!私も少なからずそういう誤解をしていたなと最近になって気付きました。「愛してる」といわれると、「何かきもちわるいな…」と思う瞬間があって…
きっと無意識のうちに変な認識感を植え付けてしまったのでしょうね。うむ!直します!!
冷めたら味の無くなるものよりも、永遠においしいものがいいじゃないですか?愛が何だかよく分からなくなっている今、もう一度心の中を点検したい次第であります(^J^)
もうどうにも止まらない…が、止めます!!
最近、お腹が全く空きません。
しかし、口は相変わらず動いております。さとです。
そう、ここ三ヶ月くらい、お腹が空かないんですよね。成長期が終わって、体がもうあまり栄養を必要としていないのでしょうか??ちょっと前まで、一日三食食べない=下パジャマのまま登校してしまった 位に大変なことだったのですが[:パンダ:] 今では時計がなければ一日食べなくても行けそうな勢いです。
しかーし!!
何でか胃は求めてないのに、口が食べたがっているんですよね[:ねこ:][:おにぎり:]
これまでおかしいと思いながらも放っておいていたのですが、空でない器にものを詰め込むのはちょと苦しい!!色々検討した結果、これはもしかして、砂糖中毒…!?という結論に至りました。
気付けばどの食品にも糖類が入っているし、習慣的にお菓子に手を出しているし、胃は満たされていても、私の舌は未だにあのあんま~い味を求めてさまよっているのでは?
友人にもメールで、砂糖断ちして肌荒れが治った人の話をされ、これは2012年、最後に踏み出すべき一歩なのではないかと思いました!というわけで、しばらくお砂糖たちとはバイバイです[:ニヒル:]キッ[:ケーキ:][:プリン:]
おそらくこれから卒論の追い上げに伴って、糖分過剰摂取が見込まれるので、今のうちから広告しておきます[:にかっ:]
皆さんと約束しないと、明日にでもまた食べ始めるので笑 砂糖なしでもどれだけ生きられるのか、挑戦してみますー!!
気になるあの子に会いに行こう
7日の記事で、ゆりちゃんが幼馴染に謝罪&ご飯のお誘いをしたという内容がありましたが…
なんと私も同時期に同じ事をしてました\(^o^)/ 奇遇ダネ!!
高校時代に一番いがみあっていた子に、本当に申し訳ない事をしたなぁと思い、急に会いたくなったんです。部活のペアで距離が近く、比較したり競い合ったりする場面が多く…似た者同士ということもあって、火花を散らしまくっていました。
同じ日本女子大の附属校だったので、大学もエスカレーター式で共に進学し、気まずい関係もエスカレーター式に続いたのでした。
思えばこの四年間、一回も互いに心を打ち明ける機会などありませんでした。あぁ、きっとあの時もこの時も傷つけたんだろうな、と思いつつ…
しかしもう卒業まで実は四カ月しかなーい!!この時を逃したら、もう一生許しを請うこともないでしょう。私は何年かぶりに、一大決心のもと、彼女にメールをうったのでした…
実際に会ってみると、何とも不思議なもの。お互いあれほど犬猿の仲だと思っていたのに、そんな日があったかしらと思うほどに仲良くなってしまいました。雨降って地固まる、というのを久々に体験しました(*^_^*)
彼女も私との仲で後悔したことが多かったようで、就活の時に今までの人生で後悔したこととして、私のことも話していたそうです。
きっと向こうは私と仲直りしたいんだろうな、と分かっていながらそれをはねのけてきた四年間。
今思えば本当にガキンチョで、もっと素直に頭を下げたり、笑顔を向ければ良かったものをと、今更悔いています。そうしたらもっと前から良い関係でいられたのに…[:がーん:]
でも互いに許しあうにはこの時間が必要だったのかも知れませんね。とりあえず在学中に解決できてよかった…!!
この記事をお読みの皆様、きっとこれを読んだ事には意味があると思いますので、過去清算しきれなかった仲があるならば、ぜひ解いてみてください。ものすごく寿命が縮まることもあるかと思いますが^_^; 思いがけないステキないきさつが生まれるかもしれません。
見て見て(^v^)
皆様こんばんは。さとです[:月:]
私は昨日日本女子大の大学院の入学試験を受けまして…
めでたく合格しました!!ヤッタネ!!!
方々からの助けを受け、ようやっとこの日を迎えました…教育実習を終えた6月頃から本格的に勉強を始めたのですが、もうその時はあまりにも自分の教養の無さを思い知り、あと数カ月で英語も古典も日本語学も近代文学史も網羅できるのか…!!?と途方にくれていました。受験勉強なんて小学生以来でしたし、一人で勉強しなければならない状況も初めてだったので、かなり不安だったのですが[:ぎょーん:]それでも様々な人材が送られ、口述試験では許可が下りる前に着席するという失態を犯してしまったにも関わらず爆、なんとか合格に至りました。本当に感謝いっぱいです(^J^)
さっき友人からもらったコアラ○マーチ。
まさか…!!コアラさんから「祝」の一言\(^o^)/
続いて二つ目は…
いやぁ…ありがたい限りです。こんなところでもお祝いしていただけるとは!!!人生は本当にドラマの連続ですね[:オッケー:]
そんなこんなで今日はとても楽しい一日でした[:にかっ:]
しかし次は卒論が…!実はあと8週間くらいで提出なんだということに気づいて愕然としました[:ぎょ:] 2012年もあと10週間ほどで終了です。泣いても笑ってもあとわずかですから、毎日受からせていただいたことに喜び泣きつつ、笑顔で頑張っていきたいと思います(^^♪
この世でたったひとつの
まだまだ暑いと思っていたら、すっかり秋の気配ですね… 毎日最高気温に合わせて寒い服を着てしまう今日この頃です[:あうっ:]
さて、突然ですが…皆さんは自分の事が好きですか?
もちろん好きさ!という方も、うーんちょっと…という方もいるでしょう。私は正直、こう聞かれたら返答に詰まります。
ものすごく嫌い、という訳ではないけれど、そこまで猛烈に好きな訳でもない。かといって普通、というのもまた違うような…そんな感じです。
なぜこんな質問をしたのかと言うと
私は卒論で三浦綾子さんの『塩狩峠』という作品を扱うのですが、キリスト教文学なので、聖書の内容も出てくるんですね。私は結構聖書読むのが好きなので、並行して読んでいるんですけど、「自分の体を愛するように、隣人を愛せよ」という言葉がよく出てくるんです。相手の立場に立って、自分がその人だったら、と考えるということだと思うんですが、そのためにはまず自分を愛さないといけないってことじゃないですか?
私たちって、自分でも気付かない所でたくさんのきずを負っているんですよね。子供のころはすごく希望に満ちていて、怖いもの知らずだったのに、成長するにつれて、「あ、意外と自分ってたいしたことない…?」という瞬間が多くなっていったりして。特に日本は他人と比べるでしょう。出る杭はどんどこ打たれて、十年二十年経ってみたら、皆似たような形に…それってすごく残念なことだと思います。
何かものを作る時、人間は同じものをたくさん作るけれど、神様は一つとして同じものは作らないんだという話を聞きました。現在にも過去にも未来にも、自分という作品はたった一つしかないんだと思ったら、すごく貴重だなぁと思うようになりました。つい自分の足りなさを見ると、そのことも忘れてしまうんですが、、、人が人を見る時のはかりは年単位でコロコロ変わってしまうけれど、人ってそんなものに振り回されていい存在ではないと思いますねぇ。
もしどなたかこの記事を読んでいる方で、自分は美人でも優秀でも何でもないと思っている方がいるならば、そんなの気にしなくていいよ!と声を大にして言いたいです。私自身その価値をまだ全然分かっていないと思うのですが^_^;
自分の事も他の人の事も、もっと根っこから好きになれたら、本当にステキですよね。今まで降り積もらせていた傷をどんどん失くして、本来あるべき姿に戻るべく、現在挑戦中です(^^♪
幸せ者です
こんばんは[:月:]
もう九月も後半戦ですね…気付けばもう学校がはじまる時期です!!いつの間に!!今年の夏休みも色々もりだくさんでしたが、やはりあっという間に過ぎますね。
急な話ですが[:ハンバーガー:] 私は最近色々な方からお叱りばかり受けているのですけれども、それが実はものすごくありがたい事なのだなぁと、この年にして分かるようになりました。というのも、大学院に出願する時に提出しなければならない卒論のレポートがあって、私はそれを担当の先生に見ていただいたんですね。ものすっごくお忙しい大学の先生に、12000字に及ぶレポートを見ていただくのだから、それなりに準備をし、校正し、最終チェックまで入念にしてから出すべきなのですが…
これがまたひどい出来で\(^o^)/
出した時は「まぁこんなもんだろ」と、ちょいちょいっと以前から書きためていたものをまとめて提出したものだから、ケアレスミスと欠陥の嵐でした。そして普段からケータイをほとんど見ない&PCのメールも見ないため、先生から連絡が来てから数日後に返すという…
そして見ていただく度に、なおすために一時間近くお電話していただきました。そんなこんなを4回以上!!
いやぁ、これはさすがに院落とされるのではないだろうか…?だって自分で言うのも変だけど、こんなことする人見たことないもん…!!それにこんなに叱られてしまうようなことをしていたら、信用を失ってしまっても無理ないよ…[:がーん:]
と思っていたのですが、本当にこれは愛されていることだと感じました。何度も同じようなミスを繰り返してしまったり、アホなことをしでかしたりすると、自分ではもうだめだ完全に終わったと失望してしまいそうになるのですが
普通大学生になって、こんなに面倒を見ていただけることってないだろうなと思います。就活もせずのんべんたらりと過ごしていた私は、すごく幼いまま今に至ってしまったので、こうして今育てられているのだな…と感じています。でも世の中でそれをされたら私は多分耐えられなかったから、私に一番合う形でしていただいているのでしょう。ありがたい…!!
ちやほやするのは簡単だけど、叱るってかなり大変なことです。その人を真実に思うからできることだなぁと、ものすごく痛感する今日この頃です。
その分絶対受からねば!!10年ぶりの受験、がんばります(^J^)