初めての「卒業」

少し北風の冷たく感じる日もあるけれど、段々と暖かい空気を感じる日が増えてきて。ベランダに洗濯物が揺れなくなったから、春が来たんだなって思います。春になったら人間はマスクをするけれど、最近は何だかずっと外さないもんだから季節がわからなくなっちゃった。でも、最近の飼い主は眼が痒いって言ってるから、やっぱり春が来たんだね。

皆さん、お元気ですか。みどりです。

今日は大先輩が冬眠から目覚めました。話したこともないし会ったことさえないけれど、噂に聞くところによるとかなりの美亀さんらしいんです。昭和生まれの大先輩。古風な美亀さん。今どき冬眠なんて時代遅れだよって思っていたんだけど、やっぱり冬眠は美容にも大切なのかしら。なかなか起きないもんだから、ちょっぴり心配だったんだけど、ようやく目を覚ましたみたいで安心しました。私は今年の冬中ご飯をおいしく食べちゃったからダイエットしなきゃいけない。

最近、皆さんは何をして過ごしていますか。私はいつもと一緒。朝は岩に登るでしょ。ご飯を食べるでしょ。岩の上でお昼寝して、起きたらちょっと考え事。水替えの時に運動して、後はライトに当って日向ぼっこしながら寝るの。毎日なにも変わらない。特別なことはしないから、世の中がどんなに変化したって私は私のまま。

ただ、今日は私にとって数少ない特別な日なんです。それは、ブログを卒業する日だから。飼い主・しおりが忙しい時に代理で書いたのがきっかけだったんだけど、いつしか私も書きたくなっちゃって、シフトが出る度に取り合いをしていました。最近なんか、前回がひらめのブログだったし、今回が私だし、一体誰がメインだかよくわからなくなっちゃった。初めてブログを見る人は「本当の日文生はどれ?」って思った人もいるかもしれないですね。でも、こうして自分の気持ちを言葉にする楽しさを知ってしまったもんだから、やっぱりやめられない。だから、卒業するのが本当に悲しい。

私たちの生活はさっきも話したみたいに何も変わりません。だから、こういう時には強いんです。だって、外に遊びに行くこともないから外出制限されたって関係ないし、友達と集まったこともないから寂しさも感じないでしょ。ただ、そういう毎日をずっと続けていると感情がなくなってくる。つまらないとも思わなければ、感動することもない。淡々と毎日を送るだけ。日向ぼっこで甲羅を乾かすのと同時に心も蒸発してどっかにいっちゃうのかな。だけど、こうしてブログを書くようになってからは、毎日がとっても楽しかった。何を書こうって考えて、まあ、それほど書けることもないんだけど、その中でも何かないかなって探してたら、日向ぼっこだって水替えだって隣のひらめだって、そんなに悪いもんじゃないなって。楽しいことを知っちゃったから、つまらないって感情、出てくるのかな。でも、それも悪くないかもしれない。なにも感じないよりは何倍もいいかもしれない。

皆さん、クサガメのブログを読んでくれて本当にありがとう。またどこかで会えるといいな。ペットショップでカメを見かけた時には思い出してくれると嬉しいです。よくしゃべるカメがいたなってね。私も昭和生まれの大先輩みたいに「あのカメ、平成生まれらしいよ…⁈」って言われるように頑張らないと!まだまだ書き足りないけど、いつまでも長々と書いてたら怒られそうだから、そろそろ終わろうと思います。
皆さん元気でね、それじゃあ、ばいばい!

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I still love you ~その後のカメの恋物語~

こんばんは、しおりです。

皆さま、昨日の地震は大丈夫でしたか?
ブログ部のTwitterにも「地震大丈夫でしたか?」とマシュマロを送って下さった方がいて、とても温かい気持ちになりました。私の家は地震の少し前に停電してしまい、インターネットも繋がらなくなりました。停電からの地震という流れは東日本大震災の時と全く同じでしたので当初は大変焦りましたが、思いのほか復旧も早くて一安心しました。この機会に防災グッズを見直すなど、緊急事態に備えて行動したいものです。今後も余震の可能性があるようですので、気を付けてお過ごしください。

さて、今日は2月14日、バレンタインデーですね。今日こそは自分にブログを書かせろと、うちのひらめ(クサガメ・15歳・♂)が言っていますので、私はこれで失礼します。

それでは、また。

 

 

お久しぶりです。ひらめです。

ようやくブログを書かせてもらえた。2月14日がシフトって聞いたもんだから、次は絶対僕が書くからねって何度も何度も念を押したんです。僕はお隣に住んでいるクサガメのみどりちゃんが大好きで、そのことは前にもブログに書いたことがあります。「I always love you… 13年目、それでもやっぱりみどりちゃんが好き」ってね。覚えてくれている人がいたら嬉しいです。みどりちゃん、いつも僕のことは見てくれなくて、人間のことばっかり目で追っているのだけど、そんなところも僕は好きで、時折ふとこっちを見てくれたりなんかしたら、その日は一日中幸せで……。これは前にも載せた僕がお気に入りの写真です。

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すてきでしょう?

2年前の写真ですけど、やっぱりみどりちゃんは美しい。飼い主には「いよいよストーカーだね」って言われるけれど、なんというか、僕はそれとはちょっと違うと思う。僕の中でみどりちゃんは女神さまのような存在なんです。だから、こうしてずっとガラス越しに見つめていたい。最近、運動不足だからってベランダを歩かせてもらうのだけど、そういう時には僕は決して近づきません。みどりちゃんの方から近くに来てくれることもありますが、そんな時は僕は決まって逃げるんです。だって、僕の女神さまは二枚のガラスを挟んだ先にこそいるんだから。まあ、そうやって逃げてしまった後で、(ああ、やっぱりちゃんとお話すればよかったのかもしれない……)って思うのも一度や二度のことではないんだけどね。

バレンタインデー、人間は女性から男性にチョコレートを贈るんだってね。みどりちゃんが人間だったら僕にくれるのかな。義理チョコくらいはくれるかな。だけど、僕はそのチョコレート、なかなか食べられない気がします。一生大事に取っておきたい。だけど、腐らせちゃうのも嫌だから、最後は深呼吸して、噛みしめながら食べるのかもしれない。それで、箱はもちろん、紙袋も包み紙もリボンもシールも全部きれいに取っておく。やっぱり、僕はみどりちゃんが好きなんだな……。

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これはついこの前に撮ってもらった写真。ねえ、みんなわかる?ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、2年前よりみどりちゃんの岩が僕の水槽に近づいてる。みどりちゃんはその日の気分で自分で岩を動かしてるから、この日は僕とお話したくて僕の近くに来てくれたのかもしれない。そうだといいな。そうだったら幸せだな。

皆さん、僕の恋物語、聞いてくれてありがとう。飼い主・しおりより一足早く、僕はこれでブログを卒業します。だけど、僕の恋はいつまでも続きます。

I still love you… 15年目、いいえ、ずっと先の未来まで。僕はまだみどりちゃんを愛しています。

サクラ咲け🌸

受験生の皆さん。

いよいよ明日になりましたね。
とにかく暖かくして風邪を引かないようにお気をつけください。耳鼻科の先生曰く、この時期の就寝時の最適温度は22℃。可能な限り、オイルヒーターを使って部屋の温度を保つこと。エアコンを使う場合は、加湿器もマスクも付けて絶対に乾燥させないように。頻繁に喉が痛くなっていた私もこれでかなり改善されました。

私自身は中学校から本学の附属に入りましたが、思い返せば中学受験も2月1日に行われました。小学生でしたので、状況がわかっているようで実は何も深く考えられていなくて。それなりに緊張していましたが、「もう少しで遊べるんだ!」という気持ちの方が強かったことを思い出します。中学受験と大学受験では、求められるものも周囲の環境も自分の精神状態も全く異なりますよね。これから本番を迎える今の皆さんのお気持ちは、私の想像をはるかに超えていることでしょう。経験したことのない私には「頑張って」という言葉を使うことはできません。

 

ただ、これだけはお伝えしたいと思います。大学受験に立ち向かう皆さんは本当にかっこいい。コロナ禍の中、日常生活を送ることだって大変な中です。それでも諦めずに頑張り続ける姿、その精神力。私は皆さんを尊敬します。

ぜひ、今日の夜はよく寝て、明日の朝を笑顔で迎えてください。夜中、緊張で寝付けなかったとしても大丈夫。横になっているだけでも体は休まります。少しくらい寝不足だって、皆さんのこれまでの努力はたった一日の寝不足にやられるようなものではないはずです。それに、気持ちが高ぶっていると頭はちゃんと回転してくれるものですよ(これは私も何回か経験済み)。ただし、寝られなくてもベッドには入っておきましょう。たった一日とは言え、身体の冷えは後に響くことがあります(これも経験済み…)。出かける前には意識的に笑顔を作って、気持ちも免疫力も高めていきましょう。

皆さんにお会いできる春を楽しみにしています🌸

 

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特別な「おめでとう」

お久しぶりです。しおりです。

2021年初めてのブログですが、気が付けば、お正月から既に2週間が経過していますね。のんびり家にいたはずなのに、何だかあっという間に1月も半ばになりました。

先日は成人の日がありましたね。遅くなりましたが、新成人の皆さま、ご成人おめでとうございます。今年は成人式が中止になってしまったところもあり、残念に思われた方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。そんな中、京都きもの友禅の対応が話題になっていました。

「あなたのハタチに、「また来年ね」なんてないから。」

公式ホームページに掲載された文章を読みました。たった十数行の文章ですが、そこには心のこもった言葉がありました。色々なことが中止になったり、延期になったりするけれど、だからと言ってお祝いする気持ちを自粛する必要はない。当たり前のことですが、改めてそのことに気が付かされました。今年しかできない、今年だからこその「おめでとう」の伝え方。非常事態を悲観的に捉えず、特別な思い出に塗り替えていこうとする姿勢を教えられたように思います。

けれど、成人式って懐かしい友達と久しぶりに会う機会でもありますよね。一昨年は私自身も遠くの大学に行った同級生と久しぶりに近況を報告し合いました。成人式は振り袖を着て写真を撮るだけの会ではないはずです。ハタチに「また来年ね」はないけれど、久しぶりの再会に「また来年ね」はあってもいいのではないかと思います。同窓会、何歳の時にやらなければならないという決まりはありません。21歳のおめでとう、22歳のおめでとう、23歳のおめでとう。20歳のおめでとうとは別に、特別な「おめでとう」をみんなで祝うのもすてきではないかと思います。学校の都合、仕事の都合で予定が立てにくくなるなど現実的な問題もあるかと思いますが、どうか思い描いていたような、懐かしい再会の機会が全ての新成人の方に訪れてほしいと願っております。

さて、大学共通テストももうすぐです。受験生の皆さま、どうか健康第一でお過ごしください。私たち大学生にできることは、必要以上に出歩かないこと、感染を広めないこと、安心して受験できる環境づくりを妨害しないことなのかもしれません。沢山の「おめでとう」に溢れるすてきな春が訪れますように…!!

ブログ更新もあと数回となりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ある年の瀬

2020年1月1日。私は今年最初のブログを担当しました。東京オリンピックにディズニーの新エリア誕生。感動が沢山詰まった1年になることを楽しみにしていました。けれど、現実はそうでなくて、外に一歩も出られない日もあったり、毎日毎日更新される感染者数に落胆したり。家に籠ってばかりいて、ブログに書くことなんて何もないと焦ったこともありました。でも、こうして無事に大晦日を迎えられて、直接は会えないけれどパソコンや電話を使って大切な人の声は聞けて、明日の朝になったら「明けましておめでとう」って言えるのってとても幸せなことなんだと感じます。2021年、どんな年になるのかはわからないけれど、やっぱり新しい年を迎えるのは楽しみなものです。

さて、今年最後はどんなお話をしましょうか。1年のまとめといえば、4年生の場合、やはり卒論の話になります。私自身、これまであまり卒論についてはブログに書いてきませんでしたので、書き終えた今思うことを今日はお話したいと思います。

3年生の頃から約2年間をかけて仕上げる卒業論文。書き始めは規定の字数にただただ圧倒されて、本当に書けるものなのかと不安を抱きました。書いている最中も不安だらけ。論の方向性に無理はないか。わかりにくい構成になっていないか。先行研究で実は言われていたなんてことはないか(しっかりと目を通したつもりでも時折あります。論の主軸ではない部分でさらっと一行触れられているなど)。調べたのに何も役に立たなかったなんてこともありました。少し前、テレビで外国の方がこんな言葉を真剣な表情で語られていて、その時は笑ってみていたけれど本当にその通りだった。「われわれは、ここには〈いない〉という痕跡を発見した。」ジャングルで何かの動物を探す番組だったような気がするのですが、この言葉って結局のところ何の痕跡も発見できなくて事態に進展はなかったってことですよね。それをいかにももっともらしく言うとこういう表現になる。しかし、卒論ではまさかこんな風に書くわけにはいきません。「実際に当時起きた事件と本作の描写は何の関係もないという事実を発見した」なんてね。調べたものが関係なかったとなると、費やした時間を振り返って不安になる。ゼミ発表まであと何日と数えて焦り、教育実習があることに気付いて焦り、データの保存が上手くいかなくて焦り。私は提出の際にあろうことか添付の仕方を間違えまして、提出後も達成感より落胆する気持ちの方が大きかった…。取扱った作品タイトル同様、それはまさしく「苦の世界」。自宅でずっと一人でいることがだいぶ影響したのだと思いますが、本当に2年間「苦の世界」に紛れ込んだ気分でした。

けれど、不思議なことに、「苦の世界」に紛れ込みながら書き終えた瞬間の心は「楽しかった」という気持ちで満たされていました。不安になって焦ってばかりいたのに、何が「楽しかった」のかは実はいまだによくわかりません。例えば、旅行に行って「楽しかった」というのは、どの瞬間を切り取っても楽しい思い出としても残っていますよね。しかし、執筆中はどの瞬間を切り取っても常に不安や焦りと共にあったように思います。その心理状態は決して純粋に「楽しかった」と言えるものではないわけです。しかし、その不安と焦りでできた瞬間が集まって構成された卒論執筆期間というのは楽しい思い出として私の中に残っている。達成感や満足感ではなくて純粋な楽しさとして残っているのです。これは不思議な感覚です。実は『苦の世界』という作品も、描かれる一つ一つのエピソードは救いようのないものなのですが、全体を通して見ると何だか楽観的な明るい世界として見えます。どうやら、作品に漂う雰囲気は卒論執筆中の私たちに大きく影響するようです。不安と焦りでできた救いようのない毎日だったけれど、全体を見ると何だか明るく楽しい2年間だった。扱う作品によっては2年間の感じ方もきっと異なってくるのでしょう。作品世界にどっぷりと浸った、個性あふれる感想を共有したいものです。

あと少しで新年です。明日は家でまったり過ごす予定。そういえば、『苦の世界』にも「ある年の瀬」と題して年末年始の光景が描かれていました。類にもれず救いようのない年の瀬なのでこれはあまり実践したくないけれど、おせちを食べてお餅を食べて、お酒は飲めないので(作者・宇野浩二もお酒が飲めないらしい。何だかちょっと嬉しい)ジュースで乾杯をして、平凡だけど特別な1日を過ごしたいと思います。

それでは皆さま、良いお年をお迎えください。

カメ、失格になりました。

冬なんて来なくていい。冬なんか来なければいい。ずっとぽかぽかと春みたいだったらいいのに。寒い季節は大嫌い。体は動かなくなるし、食欲もなくなってしまうから。人間って冬も食欲あるんだってね。「冬は鍋だね!おでんだね!だけど、雪見だいふくも案外いける」なんていう飼い主を前に、あんたらいつまでも食べるんだねと、そう思ってきました。そう、去年まではね。

こんにちは。みどりです。正直に申し上げます。食欲が衰えません。もう12月なんだって?そんなこと知りません。だってまだお腹空くんだから。最近、飼い主のしおりと母親、毎朝私の方を見ながらこんなことを言ってる。

「今日は?」
「食べたね…」
「昨日も?」
「食べてるね…」
「おかしいんじゃないの?」
「いよいよおかしいかもね…」

おかしい?失礼ながら申し上げますが、私はおかしくなんかありません。お腹が空くから食べている。いたって正常です。

「〇〇さん家のカメはヒーター付けても餌食べないってよ」

そうなんですね。ただ、そうだとしても、一体だから何ですか?私は私です。他人と比べて自分を失うのは良くないって、人間はよくそんなことを言うでしょ?

「〇〇さん家のカメは冬眠したってよ」

そもそも、〇〇さんとはどちら様でしょう。私の知ってるカメは隣にいるひらめだけ。どうやら、あなた達がいつも手にしてる長方形の箱の中にいるみたいだけど、そんなカメを私は知りません。それと、可能であればそのカメに言っておいてください。今どき、冬眠は時代遅れだよ。

最近、あんまり嫌味を言われるものだから、おかわりをもらうのは諦めました。それなのに、これは昨日のことですよ。日向ぼっこをしていい気持ちになっていたら、こんな言葉が降ってきた。

「カメ、失格。」

一瞬、はっと飼い主を見つめました。だけど、その後すぐに笑いが込み上げてきて。こんな時、表情筋がないって便利ですね。ポーカーフェイスでいられるから。それにしても、上等じゃないですか。冬眠もせず断食もせず、餌に食らいつく生涯を送ってきましたってか?私はカメを失格になって、晴れて恒温動物に昇格したみたいですよ。

そういえば、私、見たんだった。飼い主がとんでもないもの食べてるところ。皆さんはきっとこんなもの食べないはず。ご当地パンのイベントがスーパーでやってたとかで、偶然買えたんだって。皆さん、飼い主が食べていたパン、おそろしいものですよ、そのカロリー。671kcal…。確かに美味しそうだけど、これに手を出してしまうって…。甘いものでよく胃を壊すくせに、まだ学ばないようです。カメじゃないんだから、もう少し頭を使えばいいのに。カメだって自分の許容量くらい理解してますよ。理解してるから、まだ食べるんです。12月だろうと食べるのは、自分の体がわかってるから。許容量超えて食べるって、おかしいのは私なんかよりもうちの飼い主だってこと、もうブログを読んでる皆さんはお気づきのはず。

うちの飼い主、人間、失格。

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小さな森

冬になると陽の光が襖の奥まで差し込んできて、午前中はとても暖かくなります。夏の照り付ける太陽とは違う、じんわりとしたやさしい光。外に出てしまうと風の冷たさばかりが感じられますが、家の中で過ごしていると、冬の太陽が好きになりました。

家の和室に小さな森が出現したのは、そんな冬のある日のこと。

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あたたかな光を受けて輝く緑。この植物、今までに見たことがないスピードで成長していくのです。じっくりと観察していると、葉っぱが動くのも見えるほど。水を吸い上げているからなのでしょうか、風もない和室の中でかすかに揺れている。それはまるでジブリの世界に迷い込んだかのよう。庭に埋めた木の実をトトロたちが発芽させるシーン、印象的ですよね。あのシーンを現実に再現してみたらきっとこんな感じなのでしょう。朝、目覚めると、昨日より確かに大きくなっているのがわかる。トトロの魔法、本当なのかもしれない。

 

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「子どもの時にだけあなたに訪れる不思議な出会い」

大人になっても不思議な出会いってあるものですね。和室に出現した小さな森のお話。さて、結局のところ、これは何の植物なのかって? それは、内緒にしておきましょう。言ってしまったら、一気におもしろい話になってしまうから。ただ、少しだけヒントを言うのならば、最初は食べるつもりだったということ。

それでは、また。

ありがとう、令和のヒーロー

こんばんは。しおりです。

11月になりました。今年もあと2ヶ月弱。考えてみると早いものですが、何だか今年は気持ちが晴れない日が多いですよね。家に籠って鬱屈した気持ちになって、外には出てみるけれど、本当にやりたいことを思う存分やったり、行きたい場所に行ったりできるわけじゃない。何だか気持ちが安定しない、そんな毎日ではないかと思います。

とにかく必要以上に電車に乗りたくない私は、ここ数ヶ月、自転車で近所に気晴らしに行くことが増えました。自転車をこいでいると、風も直接肌に感じられてとても清々しい気持ちになるのです。ただ、そうやってあまりに乗りすぎていたからかもしれません。先日、いつものようにこいでいると妙な違和感を覚えました。何かが外れた感覚。そうです、チェーンが外れてしまったんです。それも、外れた場所が不運にもなにもない場所。自転車屋さんまで行くのも大変な距離でした。母と二人、とにかく自転車を歩道に止めてどうにか直そうとしましたが、全くどうにもならないわけです。新しい自転車でもないので、そもそもチェーン自体が錆びていたんですね。下手に触っていると手を切ってしまいそうで、どうしようもなくなって呆然としていました。

するとその時。突然、走ってこちらに向かってくる人がいました。そして、「チェーン、外れたんですか?」と声をかけてくださったのです。持っていた軍手をさっとはめて、錆で汚れてしまうのも気にせずその場で直してくださいました。その方は車で車道を走っていたそうなのですが、私と母が突然立ち止まったのを見てチェーンが外れたのだと思い、居ても立っても居られなくなって車を止めてきたとおっしゃいました。チェーンを戻すと車から工具を持ってきて、緩んでいたネジまで締め直してくださいました。そして、全てが終わると何事もなかったように車に戻られました。何かお礼を、と思うもののコンビニも自動販売機さえもない場所。結局、「ありがとうございました」という言葉しか伝えることができませんでした。

困り果てていた時に突然現れて助けてくれる。それは小さい頃にテレビで見ていたヒーローそのものでした。コロナ禍のただでさえ気持ちの晴れない時期。自分のことに精一杯になってしまって、やさしさや思いやりを持つこと自体が難しい時期かもしれません。それも全く知らない他人に対してです。困っていることには気が付いたとしても、ソーシャルディスタンスなども言われていることですし、車にも乗っていたわけですから、通り過ぎてしまうのが普通ですよね。それをわざわざ車を降りてまで来てくれた。本当のヒーローってこういう人のことを言うのだと思います。

卒論に追われているこの頃。気持ちの落着かない中で全く知らない人に助けてもらって、何だか心のバランスまで正常に戻していただいた気がしました。どこの誰だかわからないけれど、忘れられない令和のヒーロー。本当のやさしさに触れた、心温まる一日となりました。

 

教育実習を終えて

ずいぶんと冷え込む季節になってきましたね。お久しぶりです、しおりです。

9月末から10月半ばにかけて教育実習に行ってきました。その間、ブログはお休みをいただいていたので久しぶりの投稿となります。コロナ禍での教育実習、当初は中止になるのではないかという不安もありましたが、無事に全日程を終えることができました。このような状況下にも関わらず温かく迎えてくださった先生方、そして真剣に授業に耳を傾けてくれた生徒の皆さんには本当に感謝してもしきれない思いです。

さて、実習を終えた今、何を感じるのか。実習日程の詳細などについては様々な情報を含む可能性があり、外部に発信することは望ましくありません。そこで、私自身が授業を行い何を感じたかについて、ここでお話いたします。

最も痛感したのは、自らの理想と中学校の授業で求められる形のバランスを取ることが非常に難しいということでした。私が担当したのは魯迅の『藤野先生』という作品です。以前にもブログに書きましたが、昨年度、中国文学演習を履修していたこともあり、作品名を聞かされた時には大変驚きました。そして第一に思ったことは「とにかく作者である魯迅を中心とした読みを展開しなければならない」ということでした。私がこのように感じたのは、自らが演習授業の中で中国文学と日本近代文学の読み方の違いに非常に困惑した経験があるためです。日本近代文学のようにテクスト論で中国文学に向き合おうとしていた私は、魯迅の思想や、それが色濃く表れた随筆を参考に作品と向き合うことに対し当初は強い違和感を抱いていました。しかし、1年間をかけて学んでいく中で、魯迅の文学は魯迅という人物を排除しては決して理解できないことを痛感したのです。だからこそ、たとえ対象が中学生であろうともその読み方だけは崩してはならないと強く心に決めて指導案の作成に取り掛かりました。

しかし、そうして出来上がったのは演習のレジュメと何ら変わりのない文章。論文をあさって様々な情報を取り入れて。今思い返せば、指導案とも呼ぶことのできないものであったと感じます。指導担当の先生は、はっきりとおっしゃいました。「授業と講義は違います」と。話してしまえば楽で、説明をしてしまえば生徒は聞いてくれる。だけれども、生徒自らに考えさせて生徒自らの言葉を引き出すのが中学校の国語なのだと。その言葉を耳にして、ようやく自らが「指導案」だと信じてきたものが自己満足にしか過ぎなかったこと、そこに中学生という対象の存在を全く考えていなかったことに気付かされました。

とは言え、私自身も授業に対する自分の理想は貫きたいと思っていました。それは、必ず論文に立脚した読み方を提示すること。主流となる読み方を提示すること。何故ならば、他教科で間違ったものを教えることはあり得ないためです。文学の解釈に「正しさ」や「間違い」などがあるのかという点は物議を醸しそうですが、主流となる読み方はありますよね。つまり、中国文学ならば作家論で読むということ。魯迅という人物を中心に据えて作品と向き合うという姿勢です。『藤野先生』という作品、作中の「私」を魯迅と捉えなければ、国境を超えた先生と生徒の絆のみが焦点化されるかもしれません。しかし、そこに魯迅という人物を踏まえるのであれば、試験問題漏洩事件と幻灯事件が非常に痛ましいものと見えてきて、作品発表年である1926年という時代も大切になってくる。どうしてもテクスト論で読むのは違う。周辺事情を理解しながら読むことは、中学生にも絶対にできるはずだ。担当の先生もその考えを大変尊重してくれました。私自身の理想とする形を崩さず、どのように授業の形に変えていくか。実習中、何度も何度もアドバイスをいただきました。そして、どうにか授業の形まで持っていってくださいました。

授業後、ワークシートを配布しましたが、そこには魯迅という人物を理解した生徒たちの言葉が綴られていました。中にはそのまま演習で発表できるのではないかと思うほどの鋭い指摘もあり、大変感動しました。しかし、未だに考えてしまうのは、果たしてその言葉が教師から与えられた一方的な言葉になっていなかったかということです。社会科の回答を作る時のように、理科の実験手順をテストで書く時のように、全てを覚え込んで吐き出すだけになってはいなかったか。それが悪いとは言いません。むしろ、情報を整理する能力や、論理的に説明する能力が身に付くとも考えられます。しかし、自らの感性で作品を味わう時間というのも、やはり同時に大切にすべきであったと思われるのです。

教育実習は本当に色々なことを考えさせられる時間でした。理想的な授業については、まだ私の中で明確な答えが出せません。しかし、だからこそ非常におもしろいものです。もっとこうしてみたい、もっとこういう投げかけもしたい。そう思った時には既に授業も終わっていて、もっと実習が続いてほしいと思いました。来年度以降に実習を控えているという方、今は不安を感じているのではないかと思いますが、教育実習は大変充実した学びの多い時間となります。ぜひ、楽しみに、そして最大限の準備をして望んでほしいと思います。コロナウイルスもその頃にはきっと落ち着いているはずだと、私も強く願っております。

さて、実習の終了を誰よりも待ち構えていたものがあります。机の上に並べられた参考文献と論文たち。そうです、卒業論文でございます。とにかく書かなければいけません。もはや書けないとは言っていられません。気持ちと頭を入れ替えて、全力で取り組みたいと思います。

 

それでは、また。

カウンセラー、はじめました。

書けない。何をどうしても書けない。
頭が動かない。パソコンに乗せた手が動かせない。
ねえ、どうしたらいい…?

 

飼い主が私の水槽の前で呟いてる…。

せっかく気持ちよく甲羅干ししてたのに、物凄い形相でこっちを見てる。「どうしたの?」って一応は首をのばすけど、だからって私には何もできないの知ってるでしょ?「書けないならいっそのこと書かなければ?」なんて思っていたら、「ああ、カメは冷たい目で見てくるよ」なんて言われるし、心配そうに見ていたら「カメにわかるわけないか」と言われるわけ。私だって大事な甲羅干しを中断して聞いてあげてるんだから、少しはありがたいと思ってエサの1つでも落とすくらいしたらどうなの!

ご挨拶が遅くなりました。お久しぶりです、みどりです。今日はしおりの代理です。うちの飼い主、ソツロンというものをどうやら書いているらしい。「カケナイカケナイカケナイカケナイ」と呪文のように呟いてる。何だか知らないけれど、書けるときと書けないときがあるらしくて、書けてるときはニコニコしながら水槽をのぞきこんでいる。でも、書けないときは無表情で水槽の前に立つもんだからたまったもんじゃない。「ねえ、言霊ってあるでしょ?カケルって言った方がいいよ」ってアドバイスしてみたんだけど、素直に従いそうにない。今日もまた「何も書けない…」とつぶやいて水槽の前を去ってった。

それにしても何だかものすごく慌ててるから、もうすぐそのソツロンとやらの提出期限があって、それが過ぎたらようやく私にも平穏な日々が来ると思っていたのに…!期限は12月なんですってね…。12月までこの状態が続くなんて、飼い主さん、私にとってそれはとても不愉快な毎日ですよ。それで、なんでそんなに慌ててるのかというと、どうやら冬に風邪をひくことを恐れてるらしい。もうすぐキョウイクジッシュウという何ものかもあるらしく、なかなか時間がとれなくなるみたい。「だって、11月に最後の追い上げって思っててさ、もしコロナになって入院したらどうなるの?インフルになって寝込んだらどうなるの?ねえ、絶対風邪ひかない確証ってある?シドウアンも書かなきゃいけないし、そもそもジッシュウ中にコロナになったらどうしよう。学校に迷惑かけちゃうよね、体調管理とにかく、体調管理!でも電車内でクラスターとかだったら怖いな、歩いていけない?それは無理か…」そんなこと、私に呟かれても知らないよって思うけど、とりあえず日光浴しなさいって言ってみました。甲羅はないかしらないけど、日に当たれば体強くなるよって。

ああ、早く平和な毎日が訪れますように!思うように書ける日が来ますように!その時にはたっぷり今までのカウンセリング代(1回につきエサ3粒、30粒は軽く超えますよ)払ってよね。もうすぐ大学生も授業が始まるみたい。皆さんもお体には気を付けて。あと、書けない時、うちの飼い主のような呪文は呟かないこと。本当に書けなくなっちゃうから。明るい言葉で笑っていれば絶対にどうにかなるもの!私、これを機に、カメのカウンセラーはじめようと思います。