大正現地報告② ―浅草―

暑さが厳しいこの季節。皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。

お久しぶりです、しおりです。本日も大正時代からお送りいたします。先日のブログでは、コロナを避けたところが流行性感冒にぶつかり、何とも現実から離れることは難しいと痛感したわけでありますが、どうやら今回はうまくいったようです。

 

到着したのは大正4年7月15日の浅草。今でも浅草は外国人観光客などに人気の場所ですが、大正時代の浅草は「歓楽の王国」と称されるほど。大変な賑わいを見せています。まず向かったのは上野動物園。どうやらこの日はお昼までに1500人が訪れていたようです。とは言え、105年後の舞浜の夢の国の来場者数は3~7万人ですから、それほど混んでいるようには思わなかったですね。残念なのはお目当てのペンギンが死んでしまったこと…。新呼物として大人気だった「ペンギン君」、とても残念です。ただ、花屋敷には「ペンギン君」のお友達のペンギンがいるようで、この子には会えずじまいでしたが、とっても愛嬌のある子なんですって。今度はこの子に会いに行きたいと思います。

 

動物園の次に向かったのは凌雲閣。浅草を訪れた目的は何と言ってもこれです。12階建ての展望塔で赤煉瓦がとても美しい。52メートルの高さだそうで、だいたいシンデレラ城(東京のは51メートル)くらい。スカイツリーと比べてしまうとそれは低い気がしますが、周囲に高い建物がありませんから、あの独特な八角形のデザインを前にすると圧倒されます。そして、何よりも驚いたのはエレベーターが付いていること!大正時代の電動式エレベーター、何だかわくわくしますが多少は怖さもありますね。塔からの眺めはいつまで見ていても飽きません。現代の感覚では少し低めなこともあって、下を歩いている人の服装まではっきりと見えるのです。高層ビルから街全体を見渡すのも面白いですが、少し高いところからじっくり観察するのもなかなか興味深い。ただ、実はこの辺はあまり治安が良い所ではないので、太陽がさんさんと降り注ぐ昼間がおすすめです…。

 
けれどやっぱり、大正時代とはいえ夏の暑さは同じです。気温はだいたい32℃くらいだったでしょうか。氷屋に沢山の人がなだれ込んでいました。氷じるこや金時が人気みたいですが、アイスクリームもあるようです(氷じるこって初めて聞きましたが、汁粉の上に削り氷をかけたものらしいです。とってもおいしそう。令和に戻った時には一度やってみようと思います)。冷たいものを食べて暑さを凌ぐのはいつの時代も変わりません。

 

それにしても何だか小さな子供と若い人が多いなと思っていましたが、どうやら今日は藪入デーだったようです。住み込みで奉公している子供や女中さんの休日。滅多にないお休みということで沢山の人が遊びに来ていたようでした。

 

105年後のお盆は帰省もままならない状況にありますが、全てが落着いた時には大正時代の藪入りのように沢山の人が街にあふれて賑わいそうですね。今日の浅草の様子は『読売新聞』(1915年7月16日朝刊5頁)に掲載されているので、興味のある方はご覧ください。まだまだ大正現地報告は続きますが、最近、自宅に残してきたカメからブログを書かせろとの催促が来ているので、もしかすると次回は久しぶりの令和からのブログになるかもしれません。

 

それでは、また。

大正現地報告① ―流行性感冒―

こんばんは。大正時代に留学しました、しおりです。

前々回からお話しているように、石川淳に倣ってしばらく現実から離れることにしました。大正レトロな世界を満喫しようと新聞を開いたのですが……、飛び込んできたのはこの言葉。流行性感冒。コロナから逃れようとしてスペイン風邪に捕まるというこのありさま。現実逃避は思いのほか難しいもののようです。

さて、今日は留学中の私が目にした流行性感冒にまつわる記事を1つご紹介したいと思います。『読売新聞』1918年11月6日の朝刊です(旧字体は新字体に改めました。なお、横書きのため踊り字は開いています)。

 

 

「風に吹かれるな安臥せよ/危険性の強烈な此頃の感冒/◇患者が全快しても日光消毒を怠るな◇」

昨今は感冒のために斃れる人が頻りにあるので、可なり強い警戒を皆様がして居られ、学校などでも今までの休校を更に延期してその伝染の危険を予防して居るところが多うございますが、この休校中と雖も各家庭に於て相当に注意を怠るやうな事があつては、折角の警戒も水の泡となつて終ひます一体今度の感冒には、肺炎菌その他の恐るべき黴菌を伴うて居りますので、普通の感冒と違ひよほど大事に静養しないと余病の併発する惧があります。普通の感冒ですと鼻水が出て咳をする位に止まり、遅くでも二三日位で快癒しますが、悪性の黴菌の伴ふ感冒は症状もズツと重く、初めはゾクゾクと悪寒がして、肩からかけて背筋、腰などが痛み、次に烈どい頭痛がして三十九度乃至四十度の高熱が出て、激しい咳嗽に襲はれます。人によつては最初咽喉を冒されるのもあり、順序は不同ですけれど兎に角熱の非常に高いことは一様です。これは重に患者の傍にゐて唾液に交つた菌を吸い込んで伝染するので重いのは咽喉から気管支、それから肺を犯され遂に肺炎にまで進むのであります。肺炎になると十中の八九は望みのないものだと云はなければなりませんから、そうした重態にならない最初に於てよくよく注意をしなければなりません。普通の感冒なら兎に角、かうした悪性の感冒の時は素人療法を止めてまづ医師の診察を乞ひ、適当な汗の出るやうに布団をかけて暖かくフウワリと熱の引くまで寝てゐなければなりません。風邪に吹かれるといふ事が大禁物です。それに高い熱のために消化器が犯され易くなつてゐますから、成るべく不消化の食物をさけて、お粥のやうな柔かい温かいものを食べるやうに注意し、熱の余り高い時は氷で冷やすも宜しい。そして家内に感冒患者が一人でもある時は、なるべく患者を一と間に隔離し、他の人は傍へ行かぬやうに注意する事です。全快したならば、患者の使用した夜具布団、寝巻の類は、悉く日光に曝らして消毒し、其の室内もよく掃除をして、カラツと明け放して風を入れ日光にあてて消毒をしなければなりません。

 

 

100年以上も前にコロナ禍が予言されていたと言われても信じてしまうくらい似通ったことが書かれていますよね。大正時代というと私の中では竹久夢二の描いた世界のイメージでして、おしゃれなカフエーにきれいな女給さんがいるような、その女給さんが良い香りのするコーヒーを運んでくるような、全てが絵になる世界を想像していました。ですが、当然ながら当時の人々にとっては日常生活を営む現実の世界だったわけでして、絵画や文学には美しい一部分が切り取られていたとしても実際はそれだけではない。新聞記事を目にすると、そんな当たり前のことを今更の如く実感するわけです。

さて、次回は何を見に行きましょうか。小旅行気分を味わうために(大正時代なのですから、「小旅行」である必要はないのですが)浅草辺りに行ってみたい。スカイツリーの代わりに凌雲閣でも見てきたいと思います。令和の日常に書くことが溢れる日が来るまで、今しばらく大正現地報告にお付き合いください。

それでは、また。

昭和37年12月4日

お久しぶりです。しおりです。

以前のブログで「大正時代に留学する」と言いましたが、どうやら昭和に不時着してしまいました。大正8年頃に行く予定であったのですが……、昭和37年……。高度経済成長期真っ只中ですね。さて、どうして不時着してしまったか。燃料不足?故障?そもそも私は何に乗って留学する予定だったのでしょうか。それは私にもわかりません。ただ、不時着した理由は明確でした。原因は、祖母から送られてきた一冊のストックブック。

持ち主は私の祖父。今から10年以上も前のこと、私が小学校3年生をもうすぐ終えようとしていた2月に亡くなりました。小学校3年生の2月と言えば、中学受験塾で4年生の学習が始まる頃。中学受験は2月に行われるので新学期の始まりも2月です。本格的に受験勉強を開始した丁度その時。誰よりも教育熱心で、誰よりも私の受験を応援してくれていた祖父は突然私たちの前からいなくなりました。それから、夢にさえ一度も出てきません。私の中に残る記憶も、ビデオテープを見てそこから無意識に作り上げてしまったものであるのか、本当にその光景の中に私自身がいたのか、正直なところ今となってはわかりません。中学時代、高校時代、そして大学生の現在。勉強に関する話をした後には必ず母や祖母が呟くのです。「一番伝えたい人が、一番喜んでくれる人がいなくなっちゃったね。」

こうして書いていると何だか悲しい話のように思いますが、初めに言っておきます。これは悲しい話なんかではないのです。実は最近になって、ものすごく祖父の影を感じるのです。(ついでに言っておきます。怖い話でもないのです。)ずっと以前のブログで、それはちょうど介護等体験に行った時のことでしたが、ものすごく感動的な話がありますがそれはまたの機会に、と書いたことがありました。その話を今日はお伝えしようと思います。

お世話になったデイサービスセンターに1人のおじいさんがいました。地理に詳しい方だったので、これまでに行ったことのある観光地についてお話をしていました。その時、私がふと母の出身である和歌山県の話をしたのです。すると、その方の出身も和歌山県であることがわかりました。偶然行った介護等体験先で、偶然お話した方が和歌山県出身であったことに大変驚きました。しかし、その驚きはまだ始まりに過ぎなかったのです。お話を伺うと住んでいた地域まで非常に近いことがわかりました。嬉しくなった私は、祖父母が和歌山県の川湯温泉というところで小さな民宿をやっていたことを話しました。するとその方は、川湯温泉にある宿の具体的な配置を話し始めたのです。その正確さは決して旅行で訪れた程度のものではありませんでした。一軒一軒の宿の隣に何があったかまで正確に把握されていました。そして、私が祖父母の民宿の名を出した時、「そこはあの辺では珍しくユースホステルもやっていたね」と仰ったのです。まさしく、その通りでした。あまりの偶然の重なりに言葉を失いました。偶然訪れたデイサービスセンターで偶然話した方。その方が偶然にも和歌山県出身で偶然にも住んでいる地域が近く、小さな温泉街の、小さな宿に過ぎない祖父母の民宿を正確に記憶している。奇跡としか言いようのない出来事でした。そして、その時にふと祖父の気配を感じたのです。忘れないでほしい、ちゃんと見ているよって、そう伝えてきているのではないかと。そんな気がしたのです。

そして、その祖父の影はもっと明確な形で(いいえ、面白い形でと言った方がいいかもしれません)、先日、私の前に現れました。それが、祖母から送られてきたストックブック。地歴公民、学校の授業では社会が大の得意だった祖父は中学時代から切手を収集していたようです。中を開くと、各地を旅行した際の記念切手や東京オリンピックの記念切手、また、戦前の切手なども色々とコレクションされていました。もしも今、祖父と話が出来たなら。かなわないことですがそんなことを想像してしまいます。祖父は喜んでストックブック片手に色々な話をしてくれたのかもしれません。私が成長して、沢山のことを話せる日が来ることを楽しみにしてくれていたのではないかと思うのです。一枚一枚の切手を見ながら、交わされるはずだった会話を想像しました。

何だかまた暗い方向に話が進んでいますね。ですが、ご安心ください。話はここで終わりません。和歌山県、つまりは関西人の祖父。当然ながら、感動なんかで終わらせるわけがない。笑わせてなんぼ。オチのない話は話じゃない。

さて、祖父はどんなオチをつけたのか。それはストックブックを手に取った瞬間わかりました。自分の名前、至る所に書き込んでいるんです。イニシャルにしてみたり、筆記体にしてみたり、くずし字風にしてみたり。その数、実に18か所……。B5よりも小さなサイズの中にですよ。どこを開いても祖父の名前が飛び込んでくる。「ここにおるで!」「わしのストックブックやからな!」「ふりがなもふっといたで!」。そんな声が聞こえてきそう……。もう笑いが先にこみ上げて来て、これでは「オチ」でもないですね。初めから笑わせに来ている。祖父との会話を想像して、介護等体験での奇跡を思い返して、しんみりした気持ちでページを開くと、大迫力のお名前の登場ですよ。わかった、わかった、夢には出てこないけど、ちゃんとそこにいるんだねって、笑いながら実感したのでした。

「あつめ始め、昭和37年(1962年)(12月4日)」

最初のページにこの一文がありました。いつの日か未来の人の手に渡り貴重な資料として保管されることを想像していたのかもしれません(でも、そのためには、お名前は1個で十分だったと思うよ)。何の脈略もなく、突然に祖母から送られてきたストックブック。大正時代に留学しようとしていた私に、まずは昭和に寄っていけ(というか、自分の切手見ていけ!!)と言っているような気がしました。

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乱雑な入れ方も祖父らしい。折角なので、そのままにしておこうと思います。
13年目にしてようやく近くに感じられた。それでまた笑わせてくれた。
ありがとう。色々と世の中が落着いたら、そう伝えに行きたいと思います。

甘食に魅せられて

こんばんは。しおりです。

気が付けばもう七月。一年の半分が過ぎてしまいましたね。ワクチンはいつできるんだ、終息はいつだ、と毎日の様に議論されています。日本はワクチン開発に慎重でそれだけ時間もかかる。海外でワクチンができたとしても、それが日本に入って来るのにはやはり時間が必要である。こんなことを耳にするたびに、何だか不安になりますよね。そんな時はこう言い換えてみるといいのでしょうか。時間はかかるけれど、日本製のワクチンは慎重な分だけ十分な効果を期待できる。時間はかかるけれど、海外でワクチンができれば日本にも入って来る。一年の半分が過ぎてしまったではなく、終息するその時に着実に近づいていますね、と述べた方がいいかもしれません。

さて、今日は近所のパン屋さんに売られていたレトロなパンのお話。

突然ですが、皆さま、ジブリ映画の「風立ちぬ」はご存知ですか?以前のブログにも書いたでしょうか、記憶が定かではありませんが、私は堀辰雄の『風立ちぬ』と出会ったことで近代文学に興味を持ちました。あの世界観が何とも言えず好きでして、読んでいると心が落ち着きます。きれいな景色を見た時に、理由もなく感動するように(何故それがきれいであるかを分析して「感動に値する」と認定する、なんてことはありませんよね)、なぜ惹かれたのかは正直今でもわかりません。しかし、わからないということこそが、本当に好きであることの何よりの証明だと思っています。そんな『風立ちぬ』ファンの私は、当然、ジブリ映画で一番好きな作品も「風立ちぬ」と答えるわけです。この映画についても語りたいことは沢山ありますが、今日はパンのお話をするのです。「風立ちぬ」の中に「シベリア」というお菓子(早速話題がずれました。パンではないですね)が出てきます。中心人物である堀越二郎が自身の買ったシベリアを小さな女の子に分け与えようとするんですね。シベリアなんて私自身はこれまで食べたことがなく、この映画で初めてその存在を知りました。そして、近所のパン屋さんにふらっと立ち寄ったところ、映画で見たままのシベリアが売られていたんです。カステラ生地で羊羹を挟んだ、それはそれは甘いお菓子でした。

シベリアが売られているパン屋さんというのは他になかったもので、それからも時折そこに立ち寄りました。そして最近、それは丁度お腹を壊していた時でして、そのお気に入りのパン屋さんに行ったのですが、お腹が悪い時には当然甘いものは天敵なんですね。きれいに並べられたシベリアを恨めしそうに見つめながら、店内を何周も回っていると、ふとこんなものが目に付いたわけです。

「甘食 一個九十円」

何ともお腹に悪そうな名前をしていますが、見た目は非常に優しそう。その他のパンが食事パンばかりだったこともあり、それを一つ買って帰りました。もちろん、最後までシベリアに視線を残しつつですが。

さて、家に帰り包装を開けてみると、何だか妙に懐かしい香りが漂い出します。一口食べると素朴な甘さが口の中いっぱいに広がりました。シベリアよりは甘さは控えめですが、温かい牛乳と一緒に食べると何だか妙に癖になる。

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調べてみると、どうやら明治時代からあるものだそうです。ちゃんとした文献にあたったわけではありませんが、東京発祥のため西日本ではあまり知られていないんだとか。近代文学で卒論を書いている私としては、明治大正期のレトロなものに出会えると嬉しくなります。さすがシベリアのパン屋さん、と、またまたそのパン屋さんがお気に入りになったのでした。

この前、ふと近所を歩いていて思ったのですが、意外とレトロな町並みって残っているんですね。「○○ネオン」などという古びた看板があったり、今は使われなくなった旅館があったり。京都や鎌倉などに行かなくても、小旅行気分って案外味わえるものです。そして、甘食の話のように、知らないところに昔ながらのものって意外と残っている。戦時中、江戸に留学するって言ったのは石川淳でしたっけ。以前の授業でそんな話を聞いたことがあります。再び外出自粛が求められている今、私もそろそろ大正時代に留学したいと思います。

それでは、また。

桜桃忌

子供より親が大事、と思いたい。子どものために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。

こんばんは。しおりです。
6月19日。今日はそう、桜桃忌です。

太宰治の誕生日であり、奇しくもその亡骸が見つかった日でもある今日。晩年の短編小説「桜桃」にちなみ、太宰治をしのぶ日として「桜桃忌」と名付けられました。冒頭は「桜桃」の一節。私自身は大学2年生の演習でこの作品を考察対象にしたことがあり、何だかとても親しみのある作品です。「子供より親が大事、」という衝撃的な言葉の後に付けられた「と思いたい。」という告白。前半部分だけが印象に残ってしまいがちですが、「子供より親が大事、と思いたい。」という全てを含めて、ようやく父である語り手「私」の言葉を受け取れるのだと感じたことを覚えています。

演習の授業を思い返すと、あの時は楽しかったなと感傷的な気分になります。もちろん今もオンライン上でゼミはありますし、皆のレジュメを読んで疑問点を挙げるという点では同じかもしれませんが、やはりその場の空気感と言いますか、発表の緊張感も含めすべてが楽しかったわけです。家に籠っているのは本当によくないですね。最近になって非常に痛感します。そんなこと随分前からわかっているのだけれども、実はこのブログにも以前に書いたように、私自身ついこの間までセルフ緊急事態宣言の真っ只中にあったもので、世の中が見えている様であまり見えていなかったんですね。発端はお正月の高熱(今思えば不思議なんです。インフルエンザの検査は陰性、かつあの恐ろしい味覚嗅覚障害があったんですね…。ただ、これがコロナだとすれば私の感染時期は昨年の12月になるわけでして、そんなことはあるはずがない。ウイルスが実はずっと以前からあったなんてことにならない限りはですが…)、その延長で扁桃腺を悪くし、ようやく耳鼻科通いも終わりセルフ緊急事態宣言を解除したところで、今度は長引く抗生剤の服用によって胃を壊すという始末。皆さま、風邪も馬鹿にはできませんね。しかし、おかげさまでようやく快復に向かい、さあここは一つ好きな事でもしようと思った瞬間!!いや、待てよと、セルフ緊急事態宣言は解除されたけれど、まだまだ世の中は自粛ではないかと気が付いてしまったわけなんです。大学に行けないこの時期に体調を崩したのはある意味本当に不幸中の幸いでしたが、元気でいるのにどこにも行けないという自粛の苦しさに今ようやく気が付いたわけです。そして、そんな私に飛び込んできたのは、卒論で扱う作品に書かれたこの一行。「苦労があつて苦労、苦労がなくてまた苦労」。あまりの的確な表現に却って笑いがこみ上げてきました。

ただ、最近は体調を崩していたからこそのこんな幸せがあったのです。それは、お気に入りのパン屋さんのチョコクロワッサンを食べたこと。チョコレートなんて胃の天敵ですから、それがクロワッサンの中にいるなんてまるで救いようのない食べ物なわけです。しかし、これが以前からずっと好きでして、ようやくこの前一口食べてみました。ふわっとした生地に包まれたたっぷりのチョコレート…。もう、その感動ときたら、言葉では到底言い表せないものです。こんなに美味しい食べ物がこの世に存在するのかと、その日は一口で一日が幸せになりました。うどんとお粥とはんぺんとボーロ(どうしても甘いものが食べたくて)で過ごした毎日がようやく過ぎ去り、好きなものを食べられる幸せ!!「苦労があつて苦労、苦労がなくてまた苦労」だったけれども、甘いもののことを考えていたら何だか心が幸せになる。明日は何を食べよう、クレープがいいかな、タピオカがいいかな、アイスも食べたいな…と、最近の私の頭はざっとこんな具合なわけです。ただ、胃をいたわる食事は身体にとってはものすごく理想的なものだったようで、この生活を今まで通りに戻してしまうのは長い目で見てどうなのかと疑う自分もいるわけですね。野菜中心で油ものと糖分は控えめの食生活。どう考えたって身体に悪いわけないじゃないですか。

そして、桜桃忌の今日。演習で扱った懐かしい「桜桃」を思い出すと、もう直後には、甘いものに頭が支配された私はさくらんぼ(缶詰の赤いやつ)を思い浮かべていたわけです。しかし一方には、これからは糖分を控えて野菜を食べろという私がいます。そして頭に浮かんだのはこの言葉。

野菜より砂糖が大事、と思いたい。

結局、誘惑には勝てませんでしたね。残念ながらさくらんぼはありませんでしたが、マンゴーゼリーと杏仁豆腐がセットになった、それはそれはおいしいデザートを見つけたのです。それを極めてまずそうに頬張りながら、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、野菜より砂糖が大事。

新しい世界

こんばんは。
段々と太陽の光が強くなってきましたね。とは言え、夜になると涼しい風が入ってきて、昼間の暑さが嘘のよう。私は最近、もっぱら砂利の掃除をしています。何でかって?だって、夏になると砂利に苔が生えるんだもの。

あっ、いけない、ご挨拶を忘れてた。私、クサガメのみどりです。「クサガメの」って付けるそろそろやめようかなって思っているんだけど、しおりが付けないとだめって言うの。私、いつかのブログにも書いたけれど、最近、飼い主さんたちがずっと家にいて変だなって思ってました。何だか大変なことになってるんですってね。カメの世界に感染症はないみたいだから(だって、鳥インフルエンザとかは聞いてもカメインフルエンザって聞かないでしょ?)、あんまりよくわからないんだけど、とにかくあの顔を覆う布みたいなやつ、あれ、暑そうね。私は耳が出っ張ってないから、カメの世界で何か流行ってもあんなの付けられない。でも、誤解しないでほしいから言っておくけど、私にだって耳はあるんですよ。アカミミガメっていうカメもいるくらいなんだから。人間の声もちゃんと聞こえてるんです。

それでね、この前、飼い主の怒る声が聞こえてきたの。

「何してるの!!!危ないでしょ!!!」
「どこに手かけてるの!!!早く降りなさい!!!」

しおりの母親、めちゃくちゃ怒ってた…私にね。

私、ちょっと冒険してみたかったんです。しおりが最近ディズニーの音楽をよく聞いてて、「a whole new world~♪」とかって聞こえたものだから、私も新しい世界に踏み出そうとしてみたの。あとちょっとだったのに、怒られちゃった。でも、怒りながらもしおりの母親、私の挑戦をちゃんとカメラで撮ってくれたの。

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ねっ、惜しかったでしょ。でも、立ち上がってみる世界って全然違った。同じ水槽の中だけど、同じライトの下だけど(それに隣にはやっぱりひらめがいるけれど…)、ちょっと角度を変えると「a whole new world」になるんだなって思ったの。

人間の皆さんもstay homeで大変みたいだけど、見方を変えると全く新しい世界を見ることができるんじゃないかな。今日はこのお話をどうしてもしたくて(あとね、私がこんなにちゃんと立てるんだってことも自慢したくて)しおりにブログを譲ってもらいました。私も、あと少ししたら自力で水槽を出られるようになりそうです(というか、本当はもう出られるんだけど、出た後にたどり着くのってひらめの水槽でしょ。だからやらないだけなの。これは飼い主には内緒ね)。朝起きて目を開けた瞬間、真横にカメがいるってすてきな目覚めでしょ。ディズニー好きはこういうの好きだろうから、もう少し岩の位置を調整したらやってみたいと思います。

それじゃあまたね。

会話を笑顔で

こんばんは。しおりです。

オンライン授業が始まって2週間が経ちましたね。4年生になってほとんど授業がない状態の私は、正直なところオンライン授業の大変さにあまり気が付かずにおります…。ただ、1日中同じ場所で卒論に向き合うというのも、頭のなかがどんよりと曇ってくるものです。何かの発見があると一気に目の前の気色が鮮やかに映りだすものですが、迷宮入りしてしまった時にはまるでモノクロ写真。場所を変えると気分も変わるものですが、今はそれができませんから、せめてもの思いで昨日はペットのクサガメの前で作業を進めました。

悩みながら顔をあげるとカメと目が合う。

ページをめくるとカメが目で追う。

何とも奇妙な時間となりました。

さて、そんな単調な毎日を送っておりましたが、今日はとても嬉しいことがありました!バイト先で一緒の方から、ブログを読んでいるとのお声をいただいたのです。発信した言葉が誰かに届くというのはとても嬉しいことです。ブログ部のTwitterでも新入生の方から色々とご質問をいただき、OGの方からも励ましのお言葉をいただいておりますが、そうしたお言葉の1つ1つが本当にありがたい限りです。誰かの言葉を聞くと、それだけで気持ちがふっと軽くなるのは不思議なものですね(その点、カメは目が合うだけなので、やはりカメはカメなのです。あまり言っていると目を合わしてくれなくなりそうなのでやめておきます)。ちなみに、バイト先の方とはZoomでお話したのですが、能や狂言を習っていらっしゃるとのことで、立つときの姿勢や座り方、謡本のゴマ点についてなども色々と教えていただきました!!中でも興味深かったのは、能の基本姿勢での手の位置。イメージで言うとスーパーのカートを押す時の形なんだとか…!これから見るときはぜひ意識してみたいものです!

誰かと話すのって本当に大切です。電話もいいですが、やっぱり顔が見えた方がいい。もちろん、オンライン授業などではビデオを切ってのZoomの使用もあるかもしれませんが、自主ゼミなどでは顔が見えたほうが寂しくなくっていいんじゃないかなって思います。明日の夜は毎週恒例のZoom女子会があります。中高時代から仲のいい友達なのでとにかくみんな自由です。突然画面から消えたり、アイスを食べだしたり、ミッキーの耳付けだしたり。私も毎回ノーメイクのパジャマで参加して眠くなったら勝手に抜けます。まるで修学旅行の夜みたいです。

沢山笑って沢山会話して、楽しく外出自粛をしたいと思います。

それでは、また。

ロイヤルミルクティーでほっとひと息

こんばんは。しおりです。

段々と日が長くなってきて、部屋の窓も開け放せるようになって。暖房のきいた部屋でぼんやりしているのもいいですが、風を感じる清々しい1日は心もふっと軽くなるような気がしますね。とは言え、まだまだ朝晩は冷たい空気も感じる日々。今日はそんな季節にぴったりなロイヤルミルクティーのお話をしたいと思います。

ミルクティー、実はこの前まで大の苦手でした。元々紅茶が得意ではなくて、だからといってコーヒーしか飲めないというのも何だか物足りなくて。徐々に飲めるようにしていったのですが、ミルクティーだけは最後までだめだったんですね。アップルティーやレモンティーなら飲めるのにミルクティーだけは残してしまう。ただ、ミルクティーが飲めなくたってそれほど困ることはなかったんです。そう、「タピオカ」が流行るまではね。タピオカミルクティーのお店が沢山できて、おいしそうに飲んでいる人を至る所で見かけて、あの黒真珠のようなタピオカの誘惑に負けた私は潔く行列に加わりました。そして、初めて本格的な(というのも今まで飲んだのは全てペットボトルのミルクティーでしたので)ミルクティーを飲んだ瞬間…。タピオカが主役の座を降りて引き立て役に回るのを感じました。ミルクティーのおいしさに圧倒されて、それ以来カフェでも好んで頼むようになったのです。

ところが、ここからがこのお話の本題なのですが、お店の味がどうやっても家では出せなかったのですね。人工的な甘さのないミルクティーをティーバッグと牛乳で作ろうとしたのですが何だか味が薄くて美味しくない。お手軽にお店の味は出せないものかと思い色々と挑戦しました。そして、最終的にはあの有名なクックパッドを覗くこととなりました。クックパッド、今更ながらですが本当にすごいですね。本格的なお料理はもちろんのこと、ミルクティーのような「料理」とは言えないちょっとしたアレンジ術についても沢山紹介されています。そして、以下の要領で作った結果、お店で飲むロイヤルミルクティーの味を再現できたのです。

使用したのは紅茶のティーバッグと牛乳のみ。はじめにティーバッグを小さなお皿に入れて極少量のお湯をかけます。次に牛乳を温めます。牛乳が温まったら、その中に先ほどのティーバッグを入れるだけ。

とっても簡単ですが、とっても美味しいのです。ポイントは最初にティーバッグをお湯で湿らせておくことだそうで、こうすると茶葉が開いてしっかりと紅茶の味が出るようです。牛乳にそのままティーバッグを入れたり、濃いめの紅茶と牛乳を合わせたりもしましたが、この方法が本当に一番美味しくできました。

ブログを書いていたらまた飲みたくなってきてしまいました。もう少し気温が上がってきたら、水出しアイスティーも美味しそうですね。クックパッドで検索しながら色々な味に出会ってみたいと思います。

最後に、実は今日はうちのペットのクサガメ、みどりのお誕生日です(本当はいつかわからないのだけれど「みどりの日」なので今日ということになっています…。みどり本人には内緒です)。そして明日はもう一匹のペット、ひらめのお誕生日です(ひらめは子供っぽいから「こどもの日」なのです。これもやっぱり内緒です。)ミルクティーを飲みながら、二匹のお祝いをしたいと思います。

それでは、また。

飼い主よ、どうしてあなたは家にいる…

お久しぶりです。みどりです。

今日はしおりに代わって私、クサガメのみどりがブログを書きます。あっ、新入生の皆さまには初めましてかもしれない!私ね、しおりのブログに時折登場するカメです。もう一匹、ひらめっていうカメもいるんだけど、ひらめは最近岩に隠れて出てこないから、だいたいブログを書くときは私なんです。今後も時々このブログにお邪魔するつもりだからよろしくね。

4月も半ばを過ぎましたね。4月と言えば新学期、色々と慌ただしい季節ですよね。ただ、私ね、大変なことに気付いてしまったんです。本当に大変で、私、最近朝起きる度に不安になっちゃう。うちの飼い主、何故だかずっと家にいるの…。もちろん最初は嬉しかったですよ。構ってくれるから。構ってくれるってことは、えさだって多くもらえることがあるんだから。でも、こんなにずっと家にいられると何だか不安…。大学はどうしたのって聞いてみようとしたんだけど、しおりを見たら必死の形相でフラフープ回してて、怖くて聞けなかった。おかしいな…おかしいな…と思って、でもよくよく考えてみると、私のもう1人の飼い主(というか本当はこっちが主となる飼い主?なのだけど)であるしおりの母親も、いつもバタバタとスーパーに行ってた人なのに最近家にいる…。うちの家族、どうしちゃったんでしょう?唯一しおりの父親(この人はね、飼い主というより時々水槽の近くに遊びに来る人。ひらめと仲良しなんです)は仕事に行っているらしいんだけど、それに対してしおりの母親が何だか心配そう。皆さんのところはどうなのかしら?

それでね、何だかおかしいな…と思っていた矢先ですよ!この前、決定的なものを見てしまったんです…。しおりの母親の奇行を、ね…。そのまま書くとなんだか怖いから、私、替え歌にしてみたの。皆さま、これは本当に我が家で起こったことですよ。やっぱりうちの飼い主、どうかしちゃったのかしら。歌詞の途中に証拠写真も載せておきます。次にブログを書くときには、いつも通りになっているといいな。それじゃあ、またね。

Every day every night
人を見ているばかりで どうにかなりそうなんだ
ほんの少しの 不安が頭よぎって
岩陰からのぞいたよ

今 目を疑うのさ
僕にはわからないことがある

花束のかわりにレタスを

retasu

置き物のかわりに甘夏を

amanatu
いつも近くから 人を見ていた
でも今は少し距離をおこう…

 

なんにもしない1週間

母「世の中、大変なことになったね」
娘「外出禁止だってね」
母「テレワーク、家族の協力も必要だね」
娘「家で仕事するんだもんね」
母「電話独占されるのかな…」
娘「そうなるかな…」
母「あっ!!今スマホで電話すればいいのか!!」
娘「確かに、スマホあるじゃん!!」

世にも奇妙な物語?いいえ、我が家で本当に繰り広げられた会話。何だか気持ちの悪いおかしな会話と思われた方、あなたは時代にしっかりと乗れているようです。隠さずお話しましょう。母と娘、何を間違えたかと言うと「テレワーク」の「テレ」の意味。二人そろってテレフォンだと思ってた…。イメージだと昔のドラマとかで見る両耳に受話器を当てた感じ。自宅で固定電話使って仕事か…となって、いや今の時代スマホじゃない?となって二人して大爆笑。でも、後からわかりました。そもそもテレフォンワークじゃなかったのね…。

ご無沙汰しております、生まれる時代を間違えました、しおりです。

前期は全てオンライン授業に決定したようですね。メールを見た瞬間ドキッとしました。この前、Zoom使っておいてよかった…。本当に私はアナログ人間で、これからの授業について行けるのかかなり不安です。でも、こんなことがないとなるべく避けて通ろうとするに決まっているので、長い目で見ると本当にいい機会だと思っています。

でも、不安は色々ありますよね。私の場合、一番気がかりなのは卒論です。授業開始は遅れています。図書館も閉まっています。いつ開くかもわかりません。提出期限はどうなりますか?図書館行かずにどうしますか?ゼミの発表どうしたらいいですか?不安が次から次へと押し寄せました。卒論に向かって突き進んできた3年間。正直悔しいです。だけど、こればかりはしょうがない、やれることをやるしかない。それで、やれることって何か、それを見つける力はこれまでの授業でしっかり身に付けさせてもらいました。だから、きっと大丈夫。一時は焦りましたが今はそう思っています。

こんな事態になって気持ちも何だか沈んでしまいますが、見方を変えるのってとっても大切だと思います。私事ですが、この3月は緊急事態宣言どころじゃない日々を送っていました。高校以来安静にしていた扁桃腺をやらかしてしまったのです…。そして耳鼻科のおじいちゃん先生に言われました。「1週間、今やっていること全てやめなさい!!じゃないと治らない!!免疫力まずいよこれじゃ!!」。何もしないってどういうこと…と頭の中は?でいっぱいになりました。卒論、ただでさえ不安なのに1週間何もしないってあまりにも不安じゃないですか。でも、従わないと手術になりそうで、それはもっと不安…。だから、本当に1週間好きなことしかしませんでした。寝て、起きて、動画見て、本読んで…。後は少し近所を散歩したり、母と料理をしたり。こんなに何もしなかったのは初めてっていうくらい本当に何もしない。悪く言えば手持ち無沙汰な1週間だったかもしれませんね。ですが、私にとっては意外にも豊かな1週間として感じられました。気持ちがせかせかしていない、ゆったりと時間が流れていく。こんな時間もいいじゃんって思ってみると、何だか楽しくなってきたのです。

作家たちってよく静養(?)に行ってるイメージありませんか?どこかの温泉でまったりと心と体を休めるみたいな。1週間、自宅で何もしないで思ったのは、案外、家でも静養ってできるということ。好きな本読んで、好きな飲み物飲んで、好きなテレビ見て。こんな時にしか味わえない時間の流れ、私は貴重だと思います。気持ちが沈み込で不安になってしまった時にこそ、「なんにもしない1週間」おすすめです。何てことのない時間にも幸せを感じますし、何かできることにもありがたさを感じられる。旅行にでも行ったと思って、自己免疫力アップのために敢えて取り組んでみると新しい見方と巡り合えるかもしれません。

もう4月、新学期はスタートできなくても春はやっぱり新しい感じがする。
1日でも早く終息に向かいますように!
1日でも早く時代に追いつけますように!(あっ、これは私の問題です…)

それでは、また。