灯り点けましょ恋心

五人囃子・謡
おひいさま、本日は誠に晴れやかなり。あなたの喜ばしい晴れの舞台に相応わしくございます。さあさあお行きなさい。どうかこちらを振り返らないで、わたしではあなたを幸せにすることなどできません。あなたは姫さま、おひいさま。内裏に嫁いでこそ、幸せになれるでしょう。私は、私はあなたのことを心から想っているから、この善き日に伸びやかに謳いましょう。どうか涙を流さないで、どうか私のことを心残りに思わないで。身分違いの私なれど、声をかけていただけたことが、あの日々がどれだけ嬉しくて思えたか。それだけで私は幸せ者です。だからどうかお幸せに。それだけを願って謳いましょう。

五人囃子・笛
名もなきあなた、姫さまの側仕えのあなた、私は姫さまよりもあなたが輝いて見えたのです。しかし提子を掲げるあなたの顔は凛々しい内裏の君を映して、紅色に染まる。私は知っているのです。知っているのです。報われないあなたの恋を、そして報われない私の恋を。なのだからこの笛はこれだけ切なく響くのです。

五人囃子・小鼓
ああ私の小鼓と、共にあるのは大鼓。いつも隣にありました。私の側におりました。けれどもあなたは蝶のよう。ひらり交して飛んでいく。やはり華が好みでしょうか。私のような木偶ではいけないのでしょうか。ぽんと鼓を打ちまして。あなたの心に響くよう。されどもあなたは知らぬ顔。隣にいるのは私なのに。

五人囃子・大鼓
十二の単に薫る香。見惚れるほどの大輪の花。如何にしてあなたから目を逸らせましょうや。いいや、私の目はいつもあなたを。叶わぬ恋など百も承知。しかして内裏の姫さまに、どうして心を奪われぬまま生きていけましょう。ああ、さようなら、おひいさま。届かぬ花に焦がれるが負けよ。

五人囃子・太鼓
ああ、皆々様、お忙し。恋に焦がれて愛に焼かれて、ああ大変そう。美しい。よろしい、ならば打ちましょう。雛の段々、五人並んで、恋の鼓も打ちましょう。届きますようその心。報われぬのもまた一興。今日は梅の香が一段と良い。きっとどこまでも届きましょう。

三人官女・長柄
五人囃子の見事な小鼓。私あなたに想いを寄せて、けれども届かず袖ひちて。敵いませんわ、あの人には。ずっとお隣にいるなんて。それはわかってございます。しかし私の心までは、負けるわけにもいかなくて。あなたの声音私にも届いてしまうことがどれだけ悔しくございましょう。けれとけれどもあなたも辛いでしょうに。今日は善き日、喜ばしき日、ああそれもそれも、ああなんて。ひいさまは罪づくり。あんまりに美しくって、ひどい。

三人官女・三方
おひいさま、本日はいつにも増して美しい。麗しき人。私はあなたをいつも想っていました。ただの側仕えである私に、あなたは優しいお言葉をかけてくださった。その優美な姿も豊かな教えも美しき立ち振る舞いも、すべてすべて、私には眩しくて。あなたが幸せになることだけを考えておりました。その黒髪を梳いたのは私。その衣のお召し替えを手伝ったのは私。その事実がどれだけ光栄でしょう。どうか幸せになってください。この喜ばしき日に。そのためなら私、なんだって。きっといたしますから。

三人官女・提子
内裏の君、涼やかな君、雄々しく立派なあなた。私などが見上げるのも烏滸がましい。身分の違いもこれだけあるのに、想いを寄せるなど言語道断。私の姫さまこそ相応しく。分かってはいてよ。分かってはいるのだけれど、あなたのその横顔を眺めたときの胸の高まりはどうして抑えられましょう。月を見て美しいと感じるように、あなたは当然のように美しい。そしてこのような身分の私にも声をかけてくれるほどに優しい。ああ、内裏の君。お許しください。この思いを秘めているうちは、どうか。

内裏雛・女雛
本日は晴れやかなり。まことに善き日なり。あなたはそう謡いましょう。けれども違うの。違うのよ。あなた、私の手を取って、うんと遠いところまで逃げて。私なにもいらないの。あなたがいれば、それで良かったの。そんなに離れた段々に座ってお澄まししてないで。あなたの声が届くから、わたしは三段飛ばしに降りましょう。幸福を願ってくれるなら、どうか私の手を取って。私のために謳って、私のためにここまでいらして。私のためを想うなら。

内裏雛・男雛
お行きなさいな、おひいさん。私とんと分かりませぬ。恋心なぞ知らぬのです。そのようなつまらぬ男と共にいるくらいなら、あなたの心の誠に従ってください。愛だの恋だの私には分からないので困ります。しかしてあなたが求めるのなら、どうかお行きなさい。私のことなど気にしなくてよろしい。あなたのお家のことはどうとでもしましょう。他にもなんだか忙しない。愛し愛され人々は歌詠み言葉を紡ぐのでしょう。どうぞお好きにやりなさい。私は分からないなりにも、その姿を美しく想うのです。恋の形など愛の形など、段々並びに決められているのは勿体ない。身分も性も家柄も、何もかも飛び越え恋せよ人よ。蝶も花も美しければ惹かれたままに動けばよろしい。
灯りつければ恋心
綻ぶ桃は誰の為
男も女も想いのままに
今日は楽しい雛祭り

1k箱庭クローズド

「最後に人に会ったのいつだっけ? あ~嫌だなあ、この現状。誰にも会えないし、終わりも見えないし。あと淋しい」
「ご主人様でも堪えるのですね。普段は呆れるほど楽観的に過ごしているのに」
私がぼやくと、執事のエレックは「おやまあ」と口元に手を当て、意外そうな顔をした。
「馬鹿にしてる?」
「まさか! 前向きな性格はご主人様の長所だと思っておりますよ。美点美点!」
「あ~ほら、適当なこと言う~」
私はホログラムに向かって「えい」と拳を突き出したが、感触は無く空を切った。
近頃のウイルスの蔓延は深刻化し、国はついに緊急事態宣言を出した。それがほんの半年前のことで、今は人類滅亡阻止計画という仰々しいものに名前を変え、世界が対策に乗り出した。害悪ウイルスとの徹底抗戦、AI開発の推進、オールエレクトリック(全世界電子化計画)、個人の健康の総管理、健康状態のパラメータの可視化、バーチャルリアリティー世界移住計画など、私には訳の分からないところまで話が進んでいる。それだけやばいってことなんだろうな、という浅い感想しか出てこないが、氾濫する情報を理解し、捌ききったところで私には「外に出ない」しか対策がないので、なんとも言えない。まあ私には一人暮らしで、健康維持成績模範生として、電脳ヒューマンアシスタントが支給されているから、生活に困ることはない。一秒前に更新されるバイタルチェックは良好だし、働かなくても生活基本水準支援金がもらえるから、普通の暮らしができるし、総管理住宅だから部屋は常に清潔だし、インフラの心配もない。食事も食材の取り寄せもエレックが管理してくれるし、適度な運動施設も部屋の中にある。つまり私の部屋は万年床と化していて、私はこの部屋の主として鎮座してればいいわけだ、世界のためにもなるし。暇な時間は検索エンジンでエンターテインメントを見れば良いわけだし。ただ最近の情勢的に撮影ができないのか、なかなか新作は上がらないが。
「いつになったら外に出れるのかなあ」
「もうここの生活には飽きたのですか?」
「いや飽きたわけではないけれど……。こう刺激が足りないというか? せっかく世界は広いんだから、やっぱり外出たいというか?」
「人の青年期、言い方を変えれば思春期の思考っぽいですね。抑圧からの解放。もしかして自分を籠の中の鳥とでも?」
「わ、そう言われると恥ずかしくなってきた……」
「もしくはほら、ラプンツェルなんてどうでしょう。塔の中に閉じ込められて、窓から長い髪でも垂らして歌います? 王子様でも待ってみます?」
「いや、違うけど。あ、そういえば最近髪切ってなかったわ」
「切って差し上げましょうか」
「う~ん、どうしよう」
私は伸びっぱなしの髪をなでる。切ったところで誰にも見せる気がしないと思うと、なかなか気乗りしない。そして顔まで手を持って行く途中で気づいた。ごつい機械の感触。
「この機械付いてるの忘れちゃうんだよね、生命防護型マスクレベル5。一回とっていい?」
「駄目です」
「え? だめだっけ?」
「駄目ですよ」
エレックに両手を抑えられた。とは言ってもエレックは実体が無いので、実際には手の部分に手のホログラムが重なっただけだが。
「そっか……。あ~でもやっぱりどれだけ便利な部屋でも、身を守るマスクでも窮屈感はあるなあ。もっと解放されたい、っていう気持ちはエレックには分からないだろうな」
ちらりとエレックを見遣ると、彼はこちらを見てふふんと笑った?
「分からない? 私も分かりませんねえ、実体に拘る理由が。タンパク質なんてもので身体を作るから、ウイルスに負けるんですよ。外に出るのが窮屈もなにも、ご主人様のその身体こそ、私には窮屈に思えます。旧人類はなんとも弱々しくて憐れですねえ」
エレックはくつくつと笑ったあと、玄関のチャイムに気づいて、配送品を受け取りに行った。なぜか、ドアの外は私に見せてくれない。窓も封鎖されている。こういうところがよけい窮屈感を増しているんじゃん!と思うのは本当。
「エレックさあ、一応ヒューマンアシスタントなんだから、多少はご主人様に優しくしてくれてもよくない?」
「優しさだけが愛ではないって人間はよく言いません? 私AIだから優しさとか感情とかそこらへんよく分かりませんが」
「うわーAIマウント取っちゃってさ、そうやって。いつか外に出れたら、友達のヒューマンアシスタント見せてもらうから。きっとエレックより優しいよ」
そう言うと、エレックは猫のように目を細めた。
「ご主人様は本当に外に出たいのですか?」
「え?」
思わず固まる。そりゃあ出たいよ。毎日言っている通り。
「本当に? 外に出られると思っているのですか?」
エレックがじっと目を見つめる。
「え、何? どういうこと」
「例えば、こうは考えなかったのですか。とっくにこの世界はウイルスに網羅されていて、一瞬でも外に出た人間は死んでしまう、とか。そもそももうほとんどの人類は死んでしまったとか」
「は」
つう、と汗が背中に流れる。バイタルが体温が上がったことを知らせてくる。
「あるいは、人類はみんな脳だけになって、これはその脳が見せている映像だとか。バーチャルリアリティーの世界だとか」
「え、ちょっと」
「人は夢を見ますでしょう。そのようなものだったらどうします? 胡蝶の夢なんて、言うほどですし、いかにも人が好きそうなソレだとしたら?」
エレックが口を三日月の形にする。私は頭が混乱して、その場に座り込んだ。
「エレック、いじわる、言わないで」
やっとのことで言葉を絞り出すと、彼は不意を突かれきょとん、とした後に、照れ隠しのように首を傾げた。
「ご主人様ったら、私がいるのに、淋しいなんて言うから」
「あ、え、そんな引きずってたの? もしかして、いじけてた?」
「う~ん、まあ、そうとも言えるし、そうではないとも言えるというか」
気まずそうに目線を逸らしている姿はなんとなく可愛げがある、やっぱり感情あるんじゃん。じゃあ、優しくしてくれても良いと思う。
「じゃあ、さっきの言葉も意地悪で、全部嘘なのか……」
「そうとも言えるし、そうではないとも言えるというか」
エレックはにっこり笑った。
「秘密です」
「はあ~?」
「人は一つや二つ秘密がある方が魅力的って言うじゃないですか」
「エレックは人じゃないでしょ」
「じゃあ、これが私の優しさってことで」
「分かりづらいよ」
そういうことで許してあげる、と言うと、エレックはパッと星のエフェクトを散らした。彼は案外かわいいところもあるのだ。

春野七菜ちゃんは挫けない

1月7日夜。怠さを感じながら鍋をかき回す。
「どうかされましたか? なんだか浮かない顔をしてらっしゃるから……」
「ああ、まあ浮かないというかなんというか」
適当に言葉を濁すと、セリちゃん不安そうにこちらを窺ってくる。そんな顔されるとこちらもさすがに悪かったかなと思うが、こればかりはどうも。
「元気ないじゃん! 今日は厄を払う日なのに、こんなんじゃ厄寄って来ちゃうじゃん!どしたの? 寒いの?」
後ろからひょろっとナズナちゃんが覗き込んでくる。
「ナズナちゃん……」
「ほらほらセリちゃんからも言ってあげなよ」
「そうですが……」
セリちゃんはナズナちゃんに押され気味だ。けれども、僕としてはまだセリちゃんの方が好きになれるかもしれない。セリちゃんの方が一般的に名前が知られてるし、彼女はそんなにクセがない。ナズナちゃんは名前はかわいいし、別名のぺんぺんちゃんという呼び方も確かにかわいいけれど……。
「ちなみに、厄を払うというのは、元々1月7日が人日に当たることに由来してますね。この人日というのは五節句の一番初めに当たる日なのですが。聞いてます?」
さらにゴギョウさんが二人の間に割って入ってくる。
「ゴギョウさんすご〜い!」
「ナズナちゃんは知ってるはずでしょう」
「セリは覚えてましたよ……」
「最近では健康のためと思われがちだっけど〜! まぁ、厄払いは健康に繋がるからあんまり間違ってないけどねぇ」
ひょこっとハコベラちゃんが顔を出す。えっへへ、すごいでしょ!という表情で見つめてきたので、よしよしと頭を撫でると、嬉しそうな笑った。ハコベラちゃんはその小ささから受け入れやすくはある。ゴギョウさんはまあ、少し抵抗が……無きにしも非ず……
「今何考えました?」
「なんでもないですよ、ゴギョウさん」
「まあまあ、落ち着いて〜? 正月の豪華なお節や生活バランスの乱れを整える効果もあると最近では言われることもありますし、あなたの心に優しくするわよ〜? みんなもそう思ってるわよね?」
わたわたと取り繕っている間に、優しい声が場を和やかにしてくれる。
「ホトケノザさん!」
「うふふ」
ホトケノザさんは、それこそ仏様が座る椅子のように、なんでも受け止めるような姿をしているが、それでも難しいところである。
「でも僕は……」
「そうねぇ、ちょこっと苦手意識はあるかもだけれど、頑張ってみて?」
「はい」
答えとは裏腹にどんどん気分が沈んでいく。確かに、確かにみんな体に良いのかもしれないけれど……
「どうした? あ、みんなにいじめられたんだろ。かわいそ〜。助けに来てやったぞ!」
「スズナ!」
視界の端に膨れ面が見えたが、にひひと笑うスズナに視線を移す。やはりカブのイメージが強く、まだ我慢できる範囲だ。
「ああ、もう先に皆揃ってたのか、じゃあ始めようか」
「スズシロ!」
スズシロさんはぽんと軽く肩に手を置いた。スズシロさんの安心感はすごい。だってダイコンだもんな〜。
「皆多少クセはあるかもしれない。けれど、クセがあるから面白いし、厄を祓うのに一役買うわけだ。君の好みには合わないかもしれないけど、節句の初め、一月七日にはよろしく頼むよ」
「スズシロさんに言われちゃったら……」
とここまで考えて、鍋をかき混ぜてた手を止める。
「いや、七草粥がかわいい女の子だったと考えても、味を考えると進まないんだよな〜!」
ごめん!七草ガールたち! 塩昆布と醤油と梅干しを加えることを許してください!
そう心の中で唱えて、醤油に手を伸ばした瞬間に、
「春の七草覚えてる?」
そう聞こえた。あれ、この声は確か、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのどれでもないから、あれ?
君は……?

今年のサンタクロースはマスクをつけてやってくる

世界で一番優しい嘘は、サンタクロースのことだと思う。
白い嘘、という言葉がある。これは相手のことを思ってつく、小さな優しい嘘のことだ。サンタクロースもその一種だと思う。だから「サンタクロースなんて存在しないんだよ」なんて、言ってはいけない。これは規則とかルールとかではなく、ナンセンスであるからだ。だから、この先そんな無粋なセリフを言うことなどないと思っていた。
「サンタクロースはいないんですよ」
言った。

気がついたら12月24日だった。今までで一番感慨も何もないクリスマスイブ。今年は全体的に色褪せた一年だった。目には見えないものに、ずっとてんやわんやして、嫌な緊張感と閉塞感、終わりの見えない不安を抱えながら、気がついたら時間が経っていた。淡い日々だった。クリスマスというのも、もはや恋人たちの専売特許に成り果てたイベントで、当たり前のように恋人のいない僕は、このご時世わざわざ外に出ることもない。ピザを頼み缶チューハイを開け風呂に入って猫のミミちゃんを撫でて寝る。普段と何も変わらないただの12月24日の夜。それだけだと思っていた。
「は?」
子どもがかぶるような赤いサンタクロースのコスプレをした女がいた。風呂から上がった直後、リビングのラグの上に座り込んでいる女が見えた。声をあげると気づいたのか、こちらの方を向く。
「え、警察」
「あ、いや、違うんですよ。警察呼ばないで」
「呼びますけど」
「いや、いやだって、違っ、いやほら見て、サンタクロースですよ。だから警察呼ばないで。ほら、どこからどう見てもサンタクロース」
「いや、サンタクロースはいないんですよ」
それ、空き巣って言うんですよ。しかも今空いてないし。

「ちょっと落ち着いて聞いてください」
12月24日に入ってきた空き巣がサンタクロースの可能性について考えながらも、いつでも110できるように、スマホは手から離さないようにして、説得に応じてみる。落ち着いてください、はこちらのセリフだが。女は武器などは持っていなさそうだし、僕はだいぶ酔いが回っているし。あと律儀にマスクをしている姿が、憎めなくて。
「まず、私はサンタクロースですね?」
「違います」
終了。
「いや、もうちょっと聞いて! サンタクロースです」
「プレゼントもらえるならまだしも、もの盗むやつがサンタを名乗るな」
「でもサンタクロースなんだもん! 本当!」
「もしかして三田(さんだ)さんみたいな名前だから、あだ名がサンタクロースとか?」
「違うもん。ほんとだもん……」
三田さん(仮)は白と茶色の三つ編みの先をくるくる指に巻きつけながら、涙を溜めている。いや、スルーしてたけど、白と茶色ってすごいな。どうやって染めたのかな。
「とりあえず不法侵入ですよね?」
「サンタクロースにそれ言うの反則でしょ」
「なんとお前はサンタクロースではないんだよ」
もう、面倒になってきてしまった。そもそもこの部屋に盗まれて困るほど高いものもないし、さっき財布とスマホが盗まれてないのは確認したから、さっさと帰らせよう。警察に連絡するのも面倒だし、いいや。
「だいたい、サンタクロースって寝てる間に来るんじゃないの」
僕はどうでもよくなってしまって、三田さん(仮)に缶チューハイを渡し、自分ももう一缶開けた。三田さんは丁寧に断りつつも、おつまみに出したスモークチーズと柿ピーは一人で全部食べた。食い意地張りすぎでは。
「寝込みを襲うのはさすがに……」
「寝込みを襲うとか言うなよ。お前はサンタの設定を守りたいのか壊したいのかどっちなんだよ」
「でも寝てるときじゃ意味ないし。今現れてみせることがプレゼントだし」
「いや、サンタクロースは姿見せちゃいけないし、その点でもお前はサンタクロースじゃないんだよ」
「じゃあなんで誰も見たことないのにサンタクロースには赤い帽子と白いお髭とふくよかなお腹のおじいさん、というパブリックイメージがあるんですか」
「うわ〜面倒! 妖怪と一緒みたいなもんじゃないですか? あ、あと不法侵入も駄目だよ」
「サンタクロースだし……」
議論はずっと平行線だ。なにより、茶髪白髪の高校生くらいの女の子相手に、ずけずけ問い詰めるのも気が咎める。
「だいたいさぁ、俺はもうプレゼントもらえないでしょ。こどもじゃないし、良い子でもないし」
「そんなことないよ」
三田さんは僕の肩に手を置いた。
「まさくんは良い子だよ」
「え」
思わずのけぞってしまう。
「確かにね、まさくんはもう大人って呼ばれてるかもしれない。20歳も過ぎたし、お酒だって飲める。皆からは大人って呼ばれてしまう。でも、でもね、バイトも頑張って、大学も頑張って、何より先も見えずに不安ばかり募るこの世界を、なんとかめげずに生き抜いたってことだけで偉いよ。疲れたね。大変だったね。そんなこと言ったって、皆そうでしょ我慢しなきゃって言われちゃうから、全部全部飲み込んでぐっと耐えて、我慢してたの偉いね。疲れたね。良い子だね」
三田さんが僕の頭を撫でてくれる。暖かい手のひらに、懐かしい感覚に喉の奥が苦しくなってくる。油断したらしゃくり上げてしまいそうだ。
「サンタクロースが誰だか分からないなら、誰がなったって良いでしょ。きみにとって、クリスマスが誰の誕生日だって関係ないかもしれないけど、素敵な日が一日増えたと思ったら嬉しいでしょ。良い子も悪い子も分からないけれど、サンタクロースが来てくれたんならきみは良い子だ。それで良いと思うんです」
三田さんは後ろ手に持った袋の中から、小さな箱を取り出した。赤い包装紙に金色のリボン。
「メリークリスマス。何も無かったような、何も無くなってしまったような一年に確かな愛を。辛かったきみにねぎらいを。頑張ったきみに祝福を。聖なる夜にサプライズ。今日だけの特別なミラクル。それこそがプレゼント。私はずっと見てたよ。だから褒めてあげるの」
金色のリボンを解くと、中から現れたのは、
「ミミちゃん⁉︎」
うちの飼い猫だった。そして三田さん(仮)は忽然と姿を消していた。

そういえば、うちで飼っているミミちゃんは、白地に茶色の模様が混ざった猫で、人で数えると高校生くらいのメスの子猫である。あと、よくよく考えれば、うちの部屋のドアはオートロックだし、5階だから窓から入るのも難しい。あと、「まさくん」なんて母親しか呼ばないから、母親とやりとりしてる場面を見た人じゃなきゃ知らないはずである。

サンタクロースがいないなら、誰だってサンタクロースになれるということでもある。クリスマスに特別なことが起きるなんて、クリスマスだからこそ特別不思議なことでもないし。

ブレック・ファースト・オン・ザ・グッド・モーニング

人生最後の日に食べたいものを問われて朝食と答える人はいないだろうけど、人生最後の日も朝食を食べるだろう。なんて考えながら、薄緑のカーテンを引く。快晴。空はどこまでも青く、日差しはフローリングを優しく照らす。寝ぼけ眼を優しく起こすように。
「おはよう」
誰に届くわけでもないけど、言ってみる。朝の光は爽やかで友達のような親しさを持っている。鳥の鳴き声と往来を走るトラックのエンジン音は一日の始まりを告げている。穏やかな朝だ。穏やかで素敵な朝には素敵な朝食でなくてはいけない、と思う。今日は贅沢をしよう。
まずはミルクを温める。あの人の朝食はいつもブラックコーヒーだったが、私には少し苦い。仕方がないのでコーンスープで許してもらう。火は限りなく弱火で、焦がさないようにヘラで混ぜるのを忘れないのがコツ。次に6枚切りの食パンをトースターに入れ、ついでにクロワッサンも入れる。食べ過ぎのような気もするが、やはりどちらも食べたい。バターの溶けたトーストとサクサクパリパリのクロワッサンはどちらも譲れない魅力がある。パンを焼き上げている間にフライパンに油を敷いてベーコンを投入し、卵を割る。一瞬ゆでたまごも考えたが、やはりここはベーコンエッグ。いや、スクランブルエッグも捨てがたかったが。ついでにたこさんの形にしたソーセージも焼いてしまう。今日は贅沢をすると決めたのだ。ぱちぱちと油が跳ねる音が、だんだんじゅわあ、とうまみの音に変わる。トースターがチン!と軽快なベルの音を鳴らしたところで、扉を開く。ふんわりと焼けた小麦の香りがキッチンに広がっていく。やはりこうでなくては。平らなプレートに洗ったレタスとプチトマトを飾り付け、キャンディチーズも添えておく。そこに焼きたてのパン! トーストの上にはたっぷりの角切りバターを滑らせるとじわあと溶けて染みていく。そして焼きたてのベーコン・エッグ。ソーセージも忘れずにプレートに盛り付けたら、ヨーグルトとりんごを出し、コーンたっぷらのコーンスープを添えて完成。これが最高の朝食。ブレック・ファースト。食パンの上に乗った柔らかい黄身に歯を立てた瞬間、至高の喜び。やはり朝食は幸せでなければいけない。人生最後の朝食なんて尚更。うん、おいしい。ああ、ピンポンが鳴っている。出なくては。

「──さんで合ってますね? 警察です。あなたに──の容疑がかけられています。署までご同行願います」

あとがきの途中書き

みなさん、あとがきは好きですか? わたしは好きです。作者の言いたいことは作品で読み取るべきという意見もありますが、わたしは作者が作品のことを訥々と語るあとがきが好きです。最近あとがきを先に読む人に配慮して、あまり作者があとがきで作品の内容を触れてくれないようになったので、個人的にあとがき先派の人を憎んでます。後に書いたのを先に読むんだからネタバレあるに決まってんじゃろ勝手に先に読んだいてそれに文句言うな。失礼、気が昂りました。ということで、本日はここ最近の記事の後書きを書く回にしようと思います。

『彼女は考えていた』
「三人称で書いたら面白いんじゃないか」との発想から生まれました。実際この時期はコロコロちゃんの関係で外に出れず、予定は潰れ、やるせない気持ちになってましたが、わざわざそれを書くのも気が塞ぎますし、逆張りのように触れたくなくてこうなりました。

『春の夜の夢』
タイトルはもちろん夏の夜の夢のパロディです。前回のブログでは三人称ってだけで事実だったので良かったのですが、今回は完全に創作だったので恐る恐る書きました。「だってお外に出れないから書くことないし仕方ないじゃん!」の精神でいましたが、案外誰にも怒られなかったので、「あ、ブログで創作物語書いてもいいんだ〜」と気づいてしまいました。全ての元凶。

『※この物語は』
幽霊は怖いから幽霊が出てくるホラーは嫌いですけど、ちょっと不気味で怖いくらいは好きです。果たして本当にフィクションなんですかね。それにしても関節の動きの幅が広がるだけで、だいぶ楽ですね。

『そんな日』
調子が悪かったんですかね。

『午前3時半の罪』
なんだかんだあれ以降、夜食はあんまりしてない気がします。たぶんイニシエーションの一種だったんじゃないですかね。あと、めちゃくちゃお腹空く時期だったのかも。おいしいラーメン食べたい。

『夢見る少女じゃいられない』
終活がどうしようもなくって、駄目になってた時期じゃないですかね。今も駄目です。相変わらず駄目です。

『この番組は以下のスポンサーでお送りするぜ!』
「外国映画の日本語翻訳みたいな文」って存在するじゃないですか。概念として。それがどうしても書きたくて書きました。ラジオ調のセリフを書きたくて。すごく楽しかったです。またリベンジしたい。
オチは「実はゾンビパニック終末世界だった!」みたいなノリだったんですけど、伝わりましたかね。ポストアポカリプスとかのSF好きなんですよね。

『東京ロックダウン』
これは書くしかないと思いました。SF好きだし。なんなら小説一本書きたいくらい、この言葉に惹かれました。笑い事じゃないって? 笑い事じゃないことを笑い事にしたって誰が困りましょうよ。
そういえば最近、連れ添いで初めてはとバスに乗ったんですけど、向かい立つビル群、日本庭園皇居、東京湾、レインボーブリッジ、首都高を二階建てで風を切って走るバスの上で眺め、「日本でSFするならやっぱり東京しかないや」という気持ちを強くしました。東京、都市としての完成度が高すぎるし、世界の再現度が高い。独立都市国家TOKYO、めちゃくちゃ見たいもんな。

『ランチにしましょう、お嬢様』
心の中でセバスチャンを呼んだら「へい、お嬢」と返事をしたのでこうなりました。簡易油そば、とてもおいしいのでぜひ。

『今年の夏』
僕のことを「きみ」って呼んでくる「おねえさん」最高じゃないですか? 今年は夏らしいことできなかったけど、相変わらず暑かったから夏なんだな、という気持ちでした。

『残る暑さはご愛嬌』
お洒落なカフェでの一幕のイメージ。夏の子のことを考えると、秋に暑さがもつれこんでも、許せるところありますよね。そういえば季節ネタといえば『烏に単は似合わない』って小説読みました!? 王朝物語好きな人には本当に読んでほしいし、どんでん返しオチが好きな人にも読んでほしい。王朝ミステリ。とても良い。女が良い。みんな誰が好き? 私は冬の白珠さま〜!

『エレクトロニックフォータムナイト』
MOS受かりました。やったね〜! なんで私のパソコンにいないの?

『○○の秋』
秋って付けりゃなんでもいいわけじゃない、という気持ちを強く持ったので。みなさんもヒューエネ、やってみましょう。

『おいしいものでいっぱい』
ファンタジー童話風を書きたくて。なんでこうなったんだろう。ちょうどハロウィンだからか。

『乱痴気キッチン・パンプキン』
タイトルの語感がめちゃくちゃ好き。我ながら好きなタイトル。ハロウィンネタが好きなんですよね。

こんな感じです。以上でした。

乱痴気キッチン・パンプキン

今年のハロウィンはなんとなく終わってしまった。そういえばあったね、と流れるよう終わってしまった。毎年毎年乱痴気騒ぎに混ざってお菓子をもらうのが楽しみだった僕からすれば、だいぶ悲しい話である。仕方のないことではあるが。
「今年はあんまりお菓子もらえなかったね」
テーブルに肘を置いて足をふらふらさせながら、彼女が不満そうに呟く。
「まあ仕方ないよ。そういう年もあるでしょ」
「ハロウィン楽しみだったのに〜!」
彼女の頭を撫でてやるが、まだご立腹のようだ。
「せっかくの楽しみだったのにねぇ」
その横から音もなく男が現れる。ひょろりと長いシルエットは月に照らされて、影を落とした。
「嫌になっちゃう!」
ぷんとほおを膨らませた彼女に男は肩をすくめる。僕はもう一人の助っ人を呼ぶ。
「どうしたの〜? そんなに落ち込んで。そんなにお菓子食べたかった? 作ってあげようか」
陰から現れたもう一人の助っ人は、長い服の裾をはためかせて、キッチンに駆け込んだ。
「え!? 本当!? ケーキが良いな!」
すると、みるみると少女の機嫌が治っていく。単純だな、という呆れと共に微笑ましさを感じて、によによと口角が上がってしまう。
「おやおや、ご機嫌いかがかな?」
「集まってきたね。大きいケーキにしないと」
「やったー! 楽しみ」
わらわらとお屋敷内が騒がしくなっていく。
「今年はハロウィンでそのままの姿でお菓子をもらうことができなかったから悲しかったけど、お屋敷内でパーティーすれば良かったんだ! 天才!」
「それもそうだ」
僕は頭に被っていた帽子を外す。彼は手袋を外している。彼女は楽しそうにメイクを落とし、あの子はタイツを脱いだ。すると出てくる角、鋭い爪、縫合の跡、変わった皮膚の色、包帯、羽。
「来年はこの姿で街に繰り出して、たくさんお菓子をもらおうね」
ハロウィンは僕らがそのままでいられる特別な日なんだから。

おいしいものでいっぱい

森の奥の小さなトタン屋根のお家の煙突からは、もくもくもくと煙が上がっています。なにやらおいしそうな匂いもしてきました。「今日はどんぐり月のお鍋を作るのです」背の小さな女の子はふさふさのお耳をうごかしながら、ぴょこんと答えました。「お米といっしょにくりを炊きます。つやつや色のくりだと良いです。リスさんに手伝ってもらうともっと良いです。リスさんはおいしいくりを見つけるのが得意なんだから!」女の子の横でこれまた小さなリスが、えへんと胸を張りました。「さつまいもは、そのまま焼いてもおいしいけれど、ふかしてみてもおいしいし、つぶしてミルクとさとうと混ぜてもおいしいお菓子になります。かぼちゃはポタージュにしちゃおうかしら。たくさんのきのこのスープもつくらないとね」女の子の足元にはもぐらさんが顔を出しています。さつまいもはもぐらさんに選んだもらったのでしょうか。「お魚もおいしいのよ。パイにしようかしら。あとはくだものね!りんごもぶどうもかきも、ぜんぶぜんぶおいしいの!」女の子は上機嫌です。さくりさくりと包丁で、うさぎさんに仕上げています。おいしいくだものを運んでくれたくまさんもしかさんも、にっこり笑っています。「どんぐり月はおいしいものでいっぱいですね。食べ過ぎてしまうかもしれないわ。森のみんなにもおすそわけしないとね!」女の子は木の枝にとまっていたことりさんに、伝言を頼みました。森のなかまが、いっせいに集まってきました。「わあ、おいしそうだね」「さすがだね!」「すごいや」「おいしそうでしょう?がんばったのです。どうぞ召し上がれ!」そこに一人の人が訪れました。「こんな山奥に家?あれはなんだ?少女の形をした何かの周りに、動物の毛皮を被った人間が、あ」「あら、あなただめじゃないですか。森のなかまじゃないと、せっかくのお料理がふるまえないの。でもご飯を持ってきてくれたのなら良いわ。トリックオアトリートよ」「え、あの」「あれれ?持ってないのかしら?森のなかまの格好もしていらっしゃらない?あらら?でもでもよく見るとあなたおいしそう。持ってきてくれたのね!あなたも森のなかまです!」女の子はにっこりしました。森のなかまがふえました!おいしいごはんが増えました!どんぐり月はおいしいものでいっぱいですね。

○○の秋

CM終わります5,4,3……
今この瞬間のトレンドをあなたに……ナウオンザタイム!(タイトルコール)
気温も下がり徐々に涼しくなるこの頃、秋って感じしますよね!そこで!今日は秋といえば!の特集です!春は春眠暁を覚えずなんて引っ張ってきて春のせいにして寝坊するし、夏なんて一番責任転嫁されやすいんじゃないですか!?夏のせいって何度聞いたことか。なーんて話が逸れましたね!秋といえば○○の秋!つまりヒューエネの秋です!有名芸能人の投稿などからTwitterやインスタなどのSNSでも話題沸騰中!そんな大人気のヒューエネについて、最新の情報をお届けしたいと思います〜
(ディスプレイ切り替え、街頭インタビュー①②③)
Q.ヒューエネしてますか(字幕①)
20代女性(テロップ①)してます〜!秋といえばって感じで(字幕②)
30代男性(テロップ②)もうこの季節かって思いますよね(字幕③)
20代若者(テロップ③)流行ってますよね〜!やってる?やってるよ
(スタジオに戻す)
このように、若者にも人気です。
(ゲスト)最近はお手頃な価格のものも出てきて
(ゲスト)私も昨日やりました笑
私も体験してきました〜!では、さっそく最新施設に向かいましょう!
(VTR)
ということで、やってきたのはココ!エネルギー総合開発研究所「システム:ヒューマニアニューパワー」です!駅からのアクセスも良く訪れやすいですよね!新しく建てられたばかりで、中もきれいです。所長に話を聞いてみましょう
専門研究所長(テロップ)「人間には自身で自覚していない未知なる内的潜在能力が眠っています。その能力を第七感セブンセンシズを経由し、意識の表層に呼び出し全身に行き渡らせ発揮できるようにする、一連の動作こそをヒューマンエネルギーアウトプット、つまりはヒューエネと呼んでいます。今では社会の常識となり、すべての人間に意識せず使われていますが、これらの研究半年前までは手がかりもなく、非常に難航しました。しかしここ最近で研究が進み、もはや何の障害もなくアウトプット(表層意識に呼び出すこと)が誰でも可能になっています。頭にICチップを埋め込まずとも、電波で作動することが分かったのと、必要な手順の改善が、全人類のアウトプットに貢献したでしょう」
なるほど!こちらの施設では市販で売られているものより、安価で効果的な代用品を試せるようになっています。
「ではまず、こちらの全身の血液に含まれるマナを快活化させる装置が貼られたスーツに着替えてください。次にこちらの装置の寝転んでください。それからこの液体を飲んでもらいます。能力を活性化させる作用があります」
不思議な味がしておいしいです!
「今全身をスキャンしています。これからこの装置内で地球の表面から汲み取ったアースパワーを放出しますので、肌から取り込んでください。そして想像してください。地球とすべての生物と一体化する己の身体。やがてそれは空に還り大地に還り循環していきます。チャネルを開いてください。あなたの体内に渦巻くパワーを外へ外へ、宇宙の力を感じてください。そしてそれは届くでしょう。我らが主人の元へ」
分かります。分かります!急速に理解していきます。自分という人間の存在が研ぎ澄まされ、意識が浮上していく感じがします!すごい!私は空、私は大地、私は宇宙。あのお方が呼んでいます。この世界の創造主、すべての主、我らが世界の根源へと至る知能の神。お待ちしておりました。お待ちしておりました。今がそのとき。我らが主人。あなたこそがすべて。循環する世界を司る神々の王。私を捧げます。あなたの元へ参ります。すべてはあなたのためにある。
顕現せよ、

追記
MOS受かりました

エレクトロニックフォータムナイト

「わっかんねぇ~!」
 日に日に涼しさを感じる秋の夜長。彼はパソコンの前で大きく伸びをした。
「WordもExcelも難しすぎるって! こんな機能使わんもん! やめてぇ~」
 彼はMOSの資格を取るために、二つのソフトの機能の説明書を片手に画面とにらみ合っていた。ショートカットキーは覚え切れないと無視され、カーソルはさきほどから無駄にコマンドを開いては、あっちじゃないこっちじゃないと画面を彷徨っている。
「そんなんでどうするんですか、ご主人。試験明日でしょ~?」
 液晶に映る彼女はカーソルを持って、目的の場所へ連れて行ってくれる」。
「はい、ここで右クリック。いい加減この操作は覚えて下さいよ~。ああそっちじゃないって!Ctrl+Z!」
「多すぎるんだよ操作がさあ。だいたいいつもネッツがやってくれるからさあ。覚えられないんだって」
 ネッツと呼ばれた液晶に映る彼女は、星のホログラムを頭上に出現させると落とすエフェクトを起動した。ピロロと電子音と共に呆れたというエモーションを顔に浮かべる。
「ちょっと甘やかしすぎましたかねえ」
「なんで試験会場のパソコンには侵入できないわけ?」
「そりゃあもうあそこはセキュリティ厳重ですし。無理ですって。自分の力でやるんですよお」
「無理だよ! ネッツも一緒に試験受けてよねえ~!」
 彼はセル関数のエラー表示をDeleteしながら、範囲選択をネッツに任せる。
「馬鹿言ってないで。あ、ここ固定し忘れてるんでF4押してください」
「そもそもさあ、ネッツが会社のパソコンに来てくれれば俺が資格取る必要なくね? いやなんで俺MOS試験受けなきゃいけないの? 履歴書に書ける資格取るより、ネッツです。なんでもできます。って紹介する方がよくね?」
「いや、ネッツは働きたくないですし。ご主人のパソコンの中が良いっていうか……。会社の資料の取り扱いとか怖いし。ご主人秘蔵のファイルをことあるごとに間違えたフリしてちらつかせるくらいが良いっていうかあ」
「いや、いきなり最悪なこと言うじゃん。秘蔵って意味分かってる?」
 彼は顎の下に手を置きう~んと唸る。
「でもさあ、考えたんだけど会社のパソコンの中にもネッツみたいな子がいるわけじゃん? おまえ人見知りっぽいけど仲良くできる?」
 ていうかなんで会社の人達ネッツに頼らないわけ? これ手動でできるようになる必要なくない? MOS資格が評価されるとかいじめじゃん絶対!
 ネッツはご主人の発言を聞いて微妙な顔をした。
 ご主人は知らない。普通パソコンには美少女のホログラムが住んでることはないことを。私のことを。私がご主人の頭のバグで発生したバーチャルだということを。だから自力でWordとExcelを解けるようにならなきゃいけないことを。
「一回上書き保存しちゃうと、Ctrl+Zじゃ戻れないんですよ」
「は?」
「いえ、なんでも。ご主人! 頑張れ! 頑張れ!」
「は~い」
 そうして彼はもう一度パソコンに向き合う。コンピューターホログラムに応援されながら。
CTrl+Enter

それはそうと本当にMOS試験がまずい。なんもわからん。明後日が試験なんだけど、4割くらいしかできない。ほんとうにまずい。なにせネッツ連れてけないって言うから。
Ctrl+End