読書の秋

街でイルミネーションの飾り付けがはじまりクリスマス仕様になっていく中、未だに7月気分のさやかです。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。あと一ヶ月と少しで今年が終わるなんて信じられませんね。

 

今回も近況報告をしたかったのですが、特に面白い出来事が無かったので、最近読んだお気に入りの本紹介をしようかと思います。

ここ最近、推しの作家さんが連続で作品を出されたり、とある人と本の貸し借りを始めたりと、読書熱が強まっております。色んなものに追われ、読書時間が充分とれているわけではないのですが……

【お気に入り①】綾崎隼『盤上に君はもういない』

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はい。私の推しの作家さんです。中学生の頃からずっと追っかけています。

みんな仲良くハッピーエンドよりも、どこか悲しみとか虚しさが残る結末が好きなものでして、そんな私の趣味にどんぴしゃな方でございます。

二人の女性が史上初の女性棋士を目指し戦うという今回のお話。将棋は駒の動かし方程度しかわからない私でも、将棋にハマってしまいそうなくらい対局の描写が魅力的。そして、女性棋士を目指す天才少女も、病弱というハンデの中少女と戦う女性も、そんな二人を見守る観戦記者や、周囲をとりまく全ての人がかっこよくて。中でも、私が素敵だと感じたのは、病弱でも戦う女性・千桜夕妃。頭脳戦といえどやはり体力勝負でもある将棋で、身体が弱いというのは圧倒的不利です。それでも、彼女なりの信念を持って挑む姿勢が本当にかっこよくて、結末では一人部屋で号泣しました。彼女のような、しなやかな芯のある女性になりたいものです。

 

【お気に入り②】三秋縋『恋する寄生虫』

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タイトルが印象的でずっと読みたいと思い何度も手に取っていたのですが、「うーん、今じゃないかな…」となんとなく読まないでいた作品。本の貸し借りをする中で幸運にも読ませていただいたのですが、私はなぜこんな素敵な作品を読まずにいたのか……

失業中の男と不登校の少女。うまく社会に馴染めない欠点を抱える二人が出会い、果たしてどんな結末を迎えるのか…というお話です。色々感想を書きたいのですが、明らかなネタバレになってしまいそうでヒヤヒヤしながら書いているのですが、うーん、どこまでなら許されるのか。

作品の中で、二人は重大な選択に迫られることになります。その答えが読者の心を抉ってくるわけですが、読みながら「もし自分ならどんな選択をするだろう」と考えさせられました。正解なんてなくて、きっとその人の人生観とか価値観とかそういったもので決めるしかない問題にぶつかった時、自分ならどうするか。私だったら、選ぶことすらできないかもしれない。そんなふうに思った時、登場人物二人のとった選択が(結果がどうであれ)すごく愛おしくて、あたたかい気持ちになりました。

 

他にも色々書きたい作品があるのですが、長くなってきたので今回はここまでにしようかと思います。

秋の夜長に、みなさまも本を一冊いかがでしょうか。それでは、また!

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皆さんこんにちは、如何お過ごしでしょうか。えぬです。

㋅がやって来てしまいましたよ―――!!!一年の半分が終わる!!!推しに会えないまま一年の半分が終わってしまう!!!なにより暑い…例年より暑さが半端じゃない気がしています。夜な夜な寝苦しくて飛び起きちゃうんですよね、何かいい対策方法があるといいのですが…。

 

さてさて話は変わりまして…遂に私のアルバイト先の書店も営業再開になりました。嬉しかったのは、フロア全体にお客さんの顔に笑顔が浮かんでいたことです。「やっとほしい本が買える!!」という喜びなのでしょうか、カゴいっぱいに本を積み上げてほくほくした顔でお会計後にお店を出ていく姿を見ると、私も嬉しくなりました。私もそんなお客さん達に触発されて、欲しかった本を買っちゃいましたよ~~~。

さてその買った本というのは、今話題のブレイディみかこ氏の『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』です。新潮社から出ている本になりますね。この本を手にした理由は試し読みで数ページんで、名立たるブリティッシュロックバンドの名前がポンポン出てきたからです笑

僕は◀『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社

作者のブレイディみかこ氏は英国に在住しており、その地で中学校に通う息子さんと配偶者と共に人種差別、貧富の差やアイデンティティの難しさを英国での生活を切り取りながら一緒に悩んでいく姿が見られます。さてここで皆さんに問題です。作中には”シンパシー”と”エンパシー”というこの二つの言葉が出てきます。皆さんはこの二つの違いは何だと思いますか?

著者は本書で、シンパシーとは「かわいそうな立場の人間や自分と同じような意見を持つ人に抱く感情=同情や共感=自分で努力をしなくても自然に出来る感情」を指し、「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力」をエンパシーとしています。これは実は息子さんの考え方から導き出された答えなのだそうです。差別の前にまず人を傷つける事はしていけない、だからこそまず理解しようと歩み寄ってみる。そういう行為を多種多様な人権が認められつつある現代だからこそ、していくべきなのでは無いでしょうか。深く考えさせられる一冊でした。

この本の読みどころというのは、そういった人種差別や貧困問題、格差などの凝り固まった世界の課題に対して、大人が堅苦しく考えるよりも思春期真っただ中の子供の方がずっと敏感に感じ取っていて、大人よりもずっと「多様性ある現代社会で相手を思う心」でもって隣人を理解しようとする姿勢をしていると気付かされる事です。

何よりタイトルが素晴らしく、本書を読んでこのタイトルが付けられた経緯を知った時には思わず鳥肌が立ちました(是非読んでほしいです)。この貧富の差や差別といった世界に当たり前のように存在する重たい話題も、著者のパンクな文体と息子さんの思慮深く素直な言動にすんなりと身体に入ってくる感じがします。とても読み易いです。帯に「一生モノの課題図書」と推薦文句があるのですが、なんて言い得て妙なんだと思いました。本当にその通りです。世界から差別や格差が無くならない限り、一生読み返すことになるであろう、そんな本に出会えました。

このコロナ騒ぎだけでなく、世界中で差別や色んな問題が浮き彫りになっています。そんな現代だからこそ読んでおきたい、子供も大人も関係なく、いや成人した大人こそ読むべき一冊です。

(下記に新潮社特設サイトのURLを貼っておきます。今なら4章分公開中ですので是非!)

https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/

それでは今回はこのあたりで。えぬでした~~

愛に包まれて 武相荘

こんにちは。れいかです!

皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、春休みが想像以上に楽しく、一日が終わる早さに日々驚かされています(笑)
友達と遊んだり、サークルやバイトに行ったり、アクティブに過ごす日も好きですが、予定が何もない一日家でゆっくりする日もとても貴重!
今日は数少ないオフ日です。お家大好き!時間に追われないって素晴らしい!!

さて、今日は、旧白洲邸 武相荘(ぶあいそう)に行った時のことを書きたいと思います!二週間くらい前の話です。
旧白洲邸?クエスチョンマークが浮かんだ人も多いことでしょう。
この家に住んでいたのは白洲次郎と白洲正子。私もこの二人のことを知ったのはつい最近です…。
簡単に紹介すると、白洲次郎は戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたりました。GHQは彼に対して「従順ならざる唯一の日本人」という印象を抱いたとされています。白洲正子は白洲次郎と結婚し、小林秀雄、青山二郎らと親交を結び、文学、骨董に力を入れた人物です。

実はこの旧白洲邸、私の家から車で10分ほどで行けるんです!「せっかくだから行こう!」と家族で足を運びました。
邸宅につく前には門と竹林の小道があって、なんだか旅行気分になりました。
椿や梅の花も綺麗に咲いていました。寒かったですが、今の季節ならではの良さだと思います。
邸宅はミュージアム仕様になっていて、生活感が感じられる空間で展示を楽しむことができました。
書斎、着物、食器。どれを見てもセンスが抜群で、決して派手なわけではないのに目を引くものばかり!
そして家全体の雰囲気と見事に調和していて、見ているだけで心が静まり、穏やかな気持ちになっていきます。
『たしなみについて』『白洲正子のおしゃれ』などの本を読むと白洲正子さんの価値観や美意識が伝わってくるのですが、それがそのまま物にあらわれていると感じました。

旧白洲邸に行く前から、母に話を聞いてこのような旧宅があるというのは知っていたのですが、その時は全く興味がなく……(笑)
去年の十月ぐらいにたまたま寄った無印良品で、白洲正子さんの『たしなみについて』を手に取って読んでみたら面白くて、家に帰ったら同じ本があったので全部読んで、正子さんの考え方や生き方に惹かれました。その時に、この旧白洲邸と白洲正子さんが私の中で繋がったのです。

自分が弱いものである事を痛感しないかぎり、芸術家でも美術家でもありません。
人間の感情、気まぐれな好みとか、たよりない言葉は十人十色であり、その時々変るものであるにかかわらず、
又美しい物は世の中に多いにもかかわらず、美はたった一つしかない、—そういう事を美術は教えます。
たった一つしかないからには、それは物の美しさであるとともに、それをつくった、或いはそれをつくらせた人の美しさでもあります。
結局、真の人間嫌いとは、ですから、ほんとうは誰よりも人間を愛する人の事を言うのです。

『たしなみについて』の中で特に響いた部分を載せてみました。
自分の心に正直に、嘘をつかずに過ごすことを心掛けると、いろいろなことに敏感になっていくような気がします。
それと同時に他者の無意識の言動に気付きやすくなって、嫌な気持ちになることも増えます。
他者を批判せずに赦し、不快に感じてしまう自分の感情もありのままに受け止め、すべてを愛で包み込む。
これがなかなかに難しい……
自分の弱さ。感じずにはいられないです。何をしていても。
以前はそれを必死に隠そうとしていた気がしますが、今では弱さも含めての自分だと感じます。
日々生活していたら、見たくない人間の醜い部分が自然と見えてしまう。私は目を背けずにそれらをただ観察して、意識の光で照らしていきたいです。
正子さんの文章を読むと「厳しい」という印象を持つけれど、傷つくことは決してありません。その理由は、愛から生まれた厳しさだからだと思います。
自分を誤魔化さず真剣に生きてきたことが、言葉の一つ一つから伝わってきます。
何に美しいと感じるのかは人によって違っても、美はたった一つしかない。
この唯一無二の美を、言葉を通してではなく、自分の心で、目に見えない部分でちゃんと感じていたいです。

正子さんは均整の取れた美しさを、自らの行動で示してきた方なんだということを、本やミュージアムでの展示を通して感じました。
その姿は私を勇気づけてくれます。正子さんは私が生まれる二年前に亡くなっていますが、こんなに近くに住んでいたんだと思うと、励まされるような気持ちになります。

私は、美しいきものはほしくはない。顔のきれいな人が羨しいとも思わない。
ただ、人ときものの完全な調和をのぞむのである。

なるほど、一つ一つとってみれば実にいい、手もかかっている、が、全体の
とりあわせが悪ければ、みにくくなることもあり得るのです。

こちらは『白洲正子のおしゃれ―心を磨く88の言葉』から。
主にきものの選び方、着こなしに関連した言葉が多いですが、モノも人も他者であるという点で、あまり区別はないと思います。
調和を重んじた正子さんの信条が強く表れている部分です。

滞在時間は2時間くらいでしたが、ゆったりとした時の流れの中で充実した時間を過ごすことができました。
締めは、白洲次郎が愛した海老カレー!
舌鼓をうちました。

普段なかなか会えない人に会ったり、来月は旅行に行ったり…!
引き続き春休みを満喫したいと思います。
それではまた!

白洲邸次郎カレー

原作にはいませんでしたよね!?(楽しみです)

こんにちは。あかねです。もうすぐ卒業論文の発表会がありますね。私も去年、先輩方の発表を拝聴した記憶があります。今年は職場の研修とかぶってしまったため行けなくなってしまいました。残念です。さて、去年の卒論発表会では、よく話していた先輩が石川啄木の詩について発表なさっていました。石川啄木の歌は中学国語の教科書にも載っています。より理解を深める必要があると感じたため、金田一京助という人が書いた『新編 石川啄木』を読みました。実はこの金田一京助、『明解国語辞典』の著者であると同時にアイヌ文化研究の第一人者であり、石川啄木と同郷、一時期は東京で二人暮らしをしていたような人だったのです。この金田一京助と石川啄木の史実を基盤に据えた探偵小説があります。『啄木鳥探偵處』という、1995年に出版された小説です。この小説が来春、つまり2ヵ月後の4月13日からアニメとして放送されます。

アニメ「啄木鳥探偵處」の新情報が昨日解禁されました。小説では語り手として登場する金田一京助と、探偵として事件を謎解いていく歌人石川啄木がメインで、明治大正期の他の歌人は全くと言っていいほど描写されていませんでした。しかし昨日明らかにされたキャラクター紹介PVでは、野村胡堂や若山牧水、吉井勇がいました。この三名は同郷だったり啄木の死を看取ったりする等、比較的史実でも親しかった者として名が現れます。しかしこの他にも、アニメでは萩原朔太郎や芥川龍之介が登場するのです。更に、公式のホームページの相関図を見ると、森鷗外や夏目漱石の姿が!とても驚くと同時に、アニメではどのような関わりをもつのか、小説とはまた違った結末になるのかが気になります。小説がかなり京助と啄木の二人だけの世界だったように思われるので、私としては不安よりも、探偵ではなく歌人としての啄木の姿が見られるのかもしれないという期待が大きいです。これを機に明治大正期の歌や小説に触れる人が増えてくれたら良いなと思っています。

ちなみに、前述したとおりアニメの初回放送日は4月13日なのですが、この日は啄木が結核で亡くなった「啄木忌」に当たります。そしてアニメのオープニングは啄木の死を看取った若山牧水の声を担当する古川真さんの歌であり、エンディングは吉井勇の詩を基に作られた「ゴンドラの唄」(「命短し歩けよ乙女」というようなフレーズのもの)だそうです。不穏な気配に胸の高鳴りが止まりません。『啄木鳥探偵處』の作中は明治末期です。啄木の命が尽きる大正時代はもう、すぐそこまで迫ってきているのです。

探偵稼業を始めた啄木と、啄木と啄木の才能に惚れ「歌を歌っているべきなんだ!」と叫ぶ京助の活躍を、アニメ映像と音楽で楽しみたいと思います。4月からの新生活、何としてもアニメを見る時間を確保せねば……!以上、来年(度)の話をして鬼が笑いそうなあかねでした。

二十歳

先日、二十歳になりました。

私は小さい頃、大人になったら心は変わって、今のものではなくなると思っていました。

でも違った。
特に、私の心は変わっていなかった。
成長はしたけれど、根本は変わらない。
昔、上を見て「大人だな」と思っていた人たちも、実は大人に見えるだけだったのかもしれない、と思うことが最近あります。

私は、小学生のころ、早く二十歳になりたいと思っていました。漠然とした憧れがありました。
今、小学生に戻りたいとは思わないけれど、その時の私に言いたい。

憧れるほど、私の心は大人になっていないって!

 

さて、二十歳になるにあたって、私はとてもドキドキ?ちょっぴり楽しみなことがありました。
それは、昔、母が書いてくれた手紙を開けることです。
実はこれは、二、三年前にたまたまアルバムを整理していたら、宛名も何も書いていない手紙があり、開けてみたら一行目に「二十歳になったれいへ」とあり、慌ててしまったものなのです。
母は、もう書いたことさえ忘れていて、またアルバムにはさんだら絶対に二十歳の時に忘れて開けられない、と思ったので、私の机に引き出しに大切にしておきました。

開けてみると、母がこの手紙を書いたのは、1999年12月だということが分かりました(生後4か月とあったので)
それを伝えると、母はさっぱり思い出せないと。本当に書いたことを忘れていたらしいです。

私は、十九歳と二十歳は、大きく違うと感じています。たとえそれが、ある日には十九歳で、次の日には二十歳になる、そのたった一日の違いでも。二十歳になると「成人」になり、法律で認められて許されることが多くなる一方でそれは自分で自分のことを律しなければならないことでもあります。
また、いよいよ将来について今後どのように生きていくか考えなければならない年にもなります。

 

「自分の信じた道を歩いて下さい。」
母からの手紙にあった一節です。一年後、十年後、先のことを考えると、すごく不安になって、空回りしそうになります。そして、未来の夢に向かって着々と歩を進める友人を見ていると、なぜ私はいつまでも足踏みしているのかと焦ります。
でもこれを読んだときに、少し、自分に自信を持てたように思いました。そして、素直に「こうなりたいな」と考える自分の姿を、純粋に描き出せるような、そんな気持ちになりました。

地球や、自然の摂理から比べると、二十年は、ほんの一瞬なのかもしれない。でも、私たちは決して過去の自分にも、そして今この瞬間の自分にも、戻ることができない。常に、未来へと進むしかないのです。でも、こうして二十年前の母から手紙をもらい、時を超えて、母から大切なものを受け取ることができました。
この二十年、色々な事があったし、今後もたくさんの経験をすると思うけれど、ここまで育ててきてくれた母には、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。

 

そしてやっと夏休みに入り、本をゆっくり読む時間ができました。記念すべき今夏1冊目は、

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佐々木丸美さんの『雪の断章』です。佐々木さんは、五十六歳の若さで鬼籍に入られていますが、この『雪の断章』は処女作になります。簡単にあらすじを説明すると、孤児の飛鳥という女の子がお金持ちの家に引き取られるのですが、お手伝いさん同然(それ以下?)に扱われ虐められて、家を飛び出したところで、運命の男性と出会うっていう、いわゆる「シンデレラストーリー」的なお話です。
これだけいうと好き嫌いが分かれそうですが、なりよりも佐々木さんの詩的な表現、場面展開が秀逸で、孤児という枠にとらわれずに、少女の心の屈折を描いているところに私は共感し、感動しました。特に、この運命の男性(飛鳥から見るとお兄さんのような存在になるのですが)祐也さんに出会う場面の最初、唐突に
「偶然の神秘というものを信じている」
の一言から始まるところで、衝撃を受けました。これで、物語全体の全てを表現しているような、「偶然の神秘」ってすなわち「運命」のことなのですが、飛鳥の生きる時間と祐也さんの生きる時間がぴったりと重なることの予感と、その空気が、ここまで伝わってくるように思います。
タイトルに「雪」とあるように、北海道のお話で「雪」が飛鳥の心を表現する助けになっているのですが、「雪」がこのお話を幻想的で美しく、また寂しく悲しいものに仕上げていて、ある意味で少し観念的なでも現実とは離れていない綺麗な作品に仕上げているのだと感じます。

なお佐々木さんは生涯でたった十八作品しか書いておらず、作家活動も数年しかなかったために、一時期は廃刊になっていたようですが、復刊運動が高まり、今は「ブッキング単行本」「(東京創元社)創元推理文庫」で復刊されているようです。わたしは、ブックオフで創元推理文庫のものをたまたま見つけたのですが、ブッキング単行本には、佐々木さん自身のあとがきがあるようで、こちらも手に入れたくなってきました。
そしてファンサイト(ご家族公認のようです)によると、この十八作品すべてがなにかしら繋がっているみたいです。登場人物相関図を作る人もいるとか…。とりあえずまずは、二作目の『崖の館』を読みたいです。そして北海道で『雪の断章』聖地巡礼をしたいです。特に、飛鳥と祐也さんが出会う、札幌の大通り公園三丁目のベンチには、絶対行ってみたい。雪は積もっているのだけれど、やんでなければならないのです(条件が難しい)。1975年の作品、せっかくだからその場所をフィルムカメラで写真を撮りたいです。夢が広がる。

主人公飛鳥は、屈折を持った素直でない女の子です。引き取られた家を飛び出し見知らぬ人に育てられるなんて現実的なお話ではない、とも思います。でも、少女飛鳥と周りの人の温かさ、団欒、そしていつかは別れていくという儚さ。私たちの心の中に、必ず共通するものがあると思います。
二十歳になったばかりの時に、出会ってよかった。そんな風に思える作品です。

獣とヒトと25年

むーです。

7月ですね。7月といえば、そう!!!!!

『BEASTARS』最新刊が、7月8日に出ます!!!!!!!!
―――――最近太字を覚えたのですぐ使いたくなってしまいます。よくない。

いやそれはさておきですよ、待ちましたこの日を。あと2つ寝ればBEASTARS。あぁもうほんと嬉しい。課題、テスト、将来のことが山積していて頭がくらくらしますが、とりあえず今は気持ちがはやっています。

BEASTARS。
この漫画のキャッチコピーは、「動物版ヒューマンドラマ」です。
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舞台は擬人化された動物たちが暮らす世界。ライオン、コウモリ、トラにビーバー、ラクダ、オオカミなどなど、多種多様な動物が共存しています。『ズートピア』から夢の国感を抜いた感じを想像してもらえれば◎。そんなこの世界の絶対的タブーは、「食殺」。肉食獣が草食獣を食べる事は重罪、決してしてはいけない。この倫理観の上に社会は成り立っているのです。

物語は、高校生のアルパカ、テムが校内で食殺されたというショッキングな事件から始まります。
主人公のレゴシはハイイロオオカミの高校2年生。心優しく平穏を好む青年で、自身の肉食獣としての本能に思い悩んでいましたが、「あること」がきっかけで1つ歳上のウサギ、ハルに恋をします。
同級生のテムが食殺されたことと、ハルに恋をしたこと。レゴシはここから、肉食獣と草食動物、大型獣と小動物、イヌ科、ネコ科、シカ科など、自身の世界を取りまく多様性と共存の問題に、真正面からぶつかり合っていくことになります。

数々の漫画賞に輝いていて、アニメ化も決定している『BEASTARS』。名前は知っていたり、本屋さんで見かけたことがあったり、読んだことがある、そもそも全巻読破しているという方も多いかと思います。

私がこの作品を好きなのは、組み立てられた綿密な設定をもっているから。ストーリにはもちろん校内や町中の背景のひとつひとつ、漫画の1ページ1ページにすごく反映されていて、読んでいてすごく楽しいのもめちゃくちゃにあるし、個性豊かに描き出された登場人物も魅力的です。その等身大の姿から、作者さんがそれまでの人生でいかに人間と関わって、その深いところに接してきたのかを邪推してしまいます。

けれどブログの場でぐっと押して伝えたいのは、やはり「共存」について。
ちらっと先ほど『ズートピア』の話を出しました。『ズートピア』と『BEASTARS』の一番大きな違いは、その関心の在りかにあるだろうと感じます。『BEASTARS』は肉食獣が草食獣にむける「食欲」まで描き切ろうとしている。『ズートピア』の肉食獣と草食獣の関係は、そこまでは獣ナイズされていない、より人間に近い比喩の範囲内で、おそらくは留められています。

『ズートピア』以前に、そもそも子ども心に感じたような、擬人化された動物たちがでてくるファンタジーへの違和感--しまじろうとトリッピーが仲良しなのはおかしいよ。だってトラはトリを食べるじゃん、みたいな、そんな感覚に対しても『BEASTARS』はある意味アンサーを返しうる作品だと思います。「違い」というものを、とことんつきつめようとする作品です。おそらくそこに『BEASTARS』の本旨があります。

あと、もう1つ。比較したい作品があります。『あらしのよるに』。
嵐の夜にひみつのともだちになったヒツジのメイとオオカミのガブ、とても気の合う二匹ですが、ガブは「ともだちなのにおいしそう」とメイへの「食欲」に苦しめられます。
食べ、食べられる関係に加えて、二匹の間にはお互いの群れの仲間からの目も立ちふさがり、そんなかれらの種族を超えた友情は成り立ちうるのか。みなさんは、この絵本の結末を覚えているでしょうか。
『あらしのよるに』の刊行から、今年で25年が経つそうです。『BEASTARS』の、特に11巻を読んでいて、「25年の年月は社会のありかたをこんなに変えたのか、こんな物語がうまれる社会なのか、私の生きる現代は」と、切に感じました。

すごく、いろんな意味であつい物語です。厚いし、アツい。これから先をずっと追っていきたい、この物語がどんな結末を迎えるのか、その瞬間を見届けたい。そう願ってやみません。

というわけで、ご興味のある方はぜひ!! 7月8日発売の14巻もよろしくお願いします!!!(?)

それでは今日はこの辺で失礼します。お相手はむーでした!

砂漠とレジュメ

みなさまこんにちは、てるです。

12月といえばクリスマス。しかし、帰り際イルミネーションがきらきらしていると、クリスマスというより、「今年も終わるのだなぁ」としみじみした気持ちになってしまいます。なんとも切ないきらめき…
でも、今年こそはイルミネーションのイベントに行ってみたいと意気込んでおります。

ここ最近は、演習の翻刻をひたすらやってます。日文の学生なら必ず通る門(その名は変体仮名)があるのですが、久々に見ると読めなくなっていて焦ります。最初は、変体仮名って言葉に出すのすら恥じらいを覚えていたのに、最近はごく普通に使っていて、「これが日文というものかな」とたまに実感。

この前友達と、おそらく建築学科の方が持っている(設計図をいれる用?)長い筒とか、理学部の白衣を見ていて、「日文もなんかアイテムほしいよね」という話をしていたんです。そこで、何を持っていたら日文って分かるのかなと話し合っていて出たのが、発表用のレジュメ。あとは、分厚い注釈書。

共感してくれる方がいると信じますが、演習発表のレジュメは他の学科とは特異な形式なんじゃないかな、と思います。あとは、半分に折っていく作業が大変なのです。図書館で、レジュメを折っているひとを見ると、「日文なんだな…」と勝手に考えてしまいます。間違っていたら、ごめんなさい。

2年生もそろそろ終わりますが(テストやレポートはまだ終わっていませんが)、やはり今年は演習の印象が強かったです。3つの発表が終わり、残すところ一つですが、毎度のように自分が甘かった点に気づかされます。

あと思うのは、目の前のことを一つずつこなしていくことが大事…。論文集めを後回しにすると、のちのち苦労しますし、結局またやるべきときがきます。多くのレポートを抱え震えている私が言うのもなんですが、一つずつ終わらせたり、突き詰めることが重要だと痛感しています。

そして、2年生といえばこのブログです。私がブログを書き始めたのは確か2年生に入ってからでした。過去の記事に遡ると、当初私は、「恋とはいかなる形をしているのか」という考察をしておりました。そして、ここでのせるか迷いましたが、私がだいたい2年ほど前に書いていたメモにも「恋とはいかなるものか」についての考察があったのです。

「普段は保てているはずの理性や常識にピシリとヒビが入って、あっという間にぬるりとした生温かい液体がその隙間を侵食する。まるで羊水の中に浸ったかのように、安堵に包まれた、同時に外に産まれでる緊張感も交えつつ、その絶妙な具合に酔いしれるのである。」

ん??これは別人が書いたのかな??そう信じたいいいいうおおお穴があったら入りたい!!!

私は、思ったことや、考えたことをちょくちょくメモしますが、今となっては黒歴史だ…。でも、ひとは多分そのときの気分で考えや感情が揺れると思うので、その一瞬一瞬が「完全な一回きり」なのではないでしょうか。案外あなどれない、貴重な瞬間なのかもしれない。

今回の話の内容を書く原動力となったのは、最近読んだ伊坂幸太郎先生の『砂漠』という作品です。脇役の西嶋は、集団のなかで浮きがちな男なのですが、当の本人はあほみたいに自分の意志を貫き通しています。彼の語りに呆れることのほうが多いのですが、時にひとの心を抉ります。

西嶋の「今、目の前で泣いている人間を救えない人間がね、明日世界を救えるわけないんですよ」と言う名セリフも素晴らしいですが、何より、こんな大学生活羨ましい(だいぶハードな部分もありますが)と思わせてくれる一冊なので、おすすめいたします…!

さてさて、だんだん冷えてきたので、体調には気をつけて生活していきましょう!

では、また!

第二次安室景気

(GWも終わり、すっかりいつもの日常が戻ってまいりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

なんと、次の祝日は7月だそうですよ。まだまだ先が長いですね…この頃暑かったり寒かったりと不安定な気候のせいなのか、体調を壊してしまいました。皆さまは体調管理に気をつけてくださいね。

 

皆さんは巷で騒がれている「100億の男」というフレーズをご存知でしょうか。女性ならご存知の方も多いはず。これは四月に公開された名探偵コナンの映画『ゼロの執行人』でキーパーソンとなる、安室透という人物を指しております。この安室透という人物は、イケメン×才色兼備×トリプルフェイス(一人で三人の人物を生きている)…etc.という様々な萌え要素をふんだんに持ったイケメンなのであります。

(語彙力がないのと、おそらく語りだしたら歯止めが利かなくなるので、気になる方はコミック原作・アニメ・映画を見てくださいね!)

さて、そんな安室透に世の女性たちは心を撃ち抜かれ、「安室の女」だとか「執行された」などのNewワードを生み出し、映画の株もさらに上々。中には1回だけじゃ飽き足らず、5回以上「執行されに行く」女性もいるのだとか。かくいう私も、今度の休みに3回目の執行の予定でございます。

この女性による評判が来場者を呼び、遂に興行収入が65億を突破したのです‼!その情報が回ると、世の女性達は目の色を変え目的を変え、”推し”安室透を「100億の男」にすべく映画を観に行くように。安室透という男は、経済も女性の財布をもかき回す男だったのです。

 

安室透による影響は、映画の興行収入に飽き足らず、私のバイト先の本屋でも起こっていました。恐らく全国の書店でも。映画のおかげで、小説・原作コミックス・雑誌・グッズ・円盤など、関連商品が飛ぶように売れるのです!!!(私はこれを第二次安室景気と呼んでいます。)コミックスを1巻からまとめ買いしてきたお客様の対応をしたときは「安室透…恐ろしい男…」と思ったほどです。

さて、昨日もバイトのシフトがあったのですが、その日はよりにもよって『名探偵コナン』が掲載されている「週刊少年サンデー」の発売日&安室透完全網羅ガイドブックなるものの発売日がかち合い、朝から在庫確認の電話がひっきりなしに鳴り、レジもお問い合わせで長蛇の列。全国の書店・コンビニエンスストア・ネットショップなどで完売御礼状態で、こちらも為すすべがなく、悔しい思いでした。SNSでも、どこにも在庫が無いと嘆く書き込みがみられ、一書店員としてはとても心苦しかったです。

 

どうか、手に入れられた方々は大事にお読みください。今回手に入れることができなかった方々も、ネットショップで高額に売られているものに手を出したりしてはいけません。週刊誌のほうは恐らく印刷した部数自体が少ないのと、一書店に置く数はとても少ないので、手に入れることはもう難しいと思われます。

しかし、安室透網羅Bookの方は、重版の予定が立っております!入荷がいつになるのかは未定なのですが、遅くなっても確実に手に入れたい方は、書店などで予約をすることをお勧めいたします。

安室景気により、書店も活気づいていることでしょう。最近は本屋が次々に閉店していくので、きっかけは小さくとも、本屋に人が増えていってほしいと思います。

一日も早く、安室の女達の元に本が届きますように。えぬでした。

二十歳になりました!!

四月も終わりに近づいてきました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

夏日のように暑かったり、かと思えばまだまだ寒かったりと安定しない天候に左右されがちな毎日です。

 

さて、私事ですが、本日で二十歳を迎えました!ただ、年々自分の誕生日を忘れていくので歳を取る以前に別の意味で不安になります。こんな奔放な人間が成人を迎えても良いのでしょうか…。不安もありますが二十歳という節目を迎え、気を引き締めてこれからの日々を送っていこうと思います。

今日は誕生日にも関わらず、アルバイトがありましたが、おそらく今までで一番素敵な誕生日を迎えられたと思います!(といっても記憶力が乏しいので毎年同じことを言っているかもしれません)

アルバイト先の本屋で、五年前に完結したと思っていた小説の、スピンオフが単行本になって出ていたことが分かったのです!嬉しさでアルバイトも全く苦痛になりませんでした(笑)仕事終わりに本を購入し、帰って読むのが待ち遠しくて、幸せな気持ちになりました。最近は読書に時間を割くことができておらず、虚無感が膨らんでいたので、自分史上最高のプレゼントを自分に贈ることが出来たと思います。

本が、本を読むことが好きで、本当によかったなあと思います。無人島に行くとしても恐らく本を持っていくでしょう。私にとって本は無くてはならない生活・身体の一部です。

皆さんには、出会って一番大切にしている、記憶に残っている本はありますか。私はありすぎて答えが出ません笑

まだまだ、これからも沢山の本と素敵な出会いをしたいと思います。そのためには、早く本棚を増やさなければ…。

ちなみに、私が今日購入した小説は、大好きな作家の一人である荻原規子の『RDG レッドデータガール』です。有名な作品なのでご存知の方もいることでしょう。表紙の装画も、私の大好きな作家の酒井駒子さんが描くとても美しく繊細なタッチの絵で飾られています。

興味のある方は是非、読んでみてください。そして引き込まれてほしいです!笑

それでは、二十歳を迎えた、えぬでした。皆様、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

『いまさら翼といわれても』

読書が趣味と言えるほど本が好きなわけではないのですが、いざ読み始めると、立っている電車の中、信号待ちの横断歩道、トイレ等、その物語が終わるまで本は離しません。なので、一冊の本を読み終えるまでに二日以上は絶対にかからないです。

そして、読み終わった後は、物凄い後悔に襲われます。

一度読んでしまった本は、もう二度と「初めに読む感動」を味わうことが出来ないからです。

ですので、本当に楽しみにしている小説は、発売日には買わずに、本屋でもほとぼりが冷めてから買うことにしています。

 

そして先日、実に3カ月間楽しみにとっておいた小説を遂に読み始めました。そしていつものように、その日中に読み終わりました。

それはそれは、ものすっっっごい、後悔しました。

初めて読む時に感じる、ページをめくる感覚を、この本に対しては味わうことはできない。

軽く絶望です。

 

米澤穂信『いまさら翼といわれても』

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我慢していた3か月間、タイトルからわかることを自分なりに考えていました。

「いまさら」「いわれても」ということは、以前から言われていたことが何かのきっかけで全く逆のことを言われるようになってしまったのだと考えられます。そしてその事を「いまさら」と表現するということは、あまり嬉しい状況ではないのでしょう。なぜなら、それが喜ばれる状況であるのだとしたら、「いまさら」という表現は使わないからです。この言葉には「遅すぎる」「そんなことを言われても困る」という意思が感じられます。タイトルなので根拠は提出できませんが…。

そして、次の言葉「翼」から導き出されるものは、鳥、自由、飛ぶために必要なもの等。様々なキーワードが考えられますが、前に付いている「いまさら」と一緒に考えると、鳥よりも自由のほうがしっくりきます。

まとめるとこうです。

 

以前は、「翼(自由)」とは異なることを言われていたけれども、何かのきっかけで「翼(自由)」と言われるようになった。しかし、それは「いまさら」言われても困るのだ。

 

これは誰の言葉なのか、言葉ではなく形容だとしたら誰を指すのか。なんだかゼミで発表したくなってきました。。皆の意見聞きたい。。

ネタバレは絶対に嫌なので、興味がある人は是非、米澤穂信「氷菓」から読むことをお勧めします。