振り返ってみた

こんばんは!
本日の授業で「良いお年を」と挨拶を交わし、もう12月も終わりに近づくことを実感したあやです。

2020年を振り返るとやっぱりあっという間で、忘れられない嬉しいことや自分の未熟さを感じる悔しいこともあり、感情が忙しかったというのが感想です。
特に、今年度からじっくり取り組んでいる演習の授業では、とりわけ学ぶことが多かったです。作品をよく理解したうえで、自分はどのような点を考察として言及するのか。ただ先行論文を引用してまとめていくのでは不十分で、自分の考えを明確に伝えることができません。去年以上に考えを書く機会が増え、改めて難しさを感じています。思いつかないときは全く思いつかないし、考えが浮かんで文章がまとまったときはパソコンで文字を打ち込むのがとてつもなく楽しいです。ただ時間がかかって焦りがちなので、見通しの悪さを直すのが私の課題ですね(笑)

3年生からはいよいよ卒論ゼミも始まります。私の心中では、もうすでにビビりまくっていて、卒論と聞くと冷や汗が出そうです…
しかし、長い期間をかけて苦しみながらも1つの作品に取り組むことってとても素敵なことですよね。卒論題材の決定のために、残りの12月は気になっている作品を読み返していきたいと思います!
それでは〜

愛に包まれて 武相荘

こんにちは。れいかです!

皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、春休みが想像以上に楽しく、一日が終わる早さに日々驚かされています(笑)
友達と遊んだり、サークルやバイトに行ったり、アクティブに過ごす日も好きですが、予定が何もない一日家でゆっくりする日もとても貴重!
今日は数少ないオフ日です。お家大好き!時間に追われないって素晴らしい!!

さて、今日は、旧白洲邸 武相荘(ぶあいそう)に行った時のことを書きたいと思います!二週間くらい前の話です。
旧白洲邸?クエスチョンマークが浮かんだ人も多いことでしょう。
この家に住んでいたのは白洲次郎と白洲正子。私もこの二人のことを知ったのはつい最近です…。
簡単に紹介すると、白洲次郎は戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたりました。GHQは彼に対して「従順ならざる唯一の日本人」という印象を抱いたとされています。白洲正子は白洲次郎と結婚し、小林秀雄、青山二郎らと親交を結び、文学、骨董に力を入れた人物です。

実はこの旧白洲邸、私の家から車で10分ほどで行けるんです!「せっかくだから行こう!」と家族で足を運びました。
邸宅につく前には門と竹林の小道があって、なんだか旅行気分になりました。
椿や梅の花も綺麗に咲いていました。寒かったですが、今の季節ならではの良さだと思います。
邸宅はミュージアム仕様になっていて、生活感が感じられる空間で展示を楽しむことができました。
書斎、着物、食器。どれを見てもセンスが抜群で、決して派手なわけではないのに目を引くものばかり!
そして家全体の雰囲気と見事に調和していて、見ているだけで心が静まり、穏やかな気持ちになっていきます。
『たしなみについて』『白洲正子のおしゃれ』などの本を読むと白洲正子さんの価値観や美意識が伝わってくるのですが、それがそのまま物にあらわれていると感じました。

旧白洲邸に行く前から、母に話を聞いてこのような旧宅があるというのは知っていたのですが、その時は全く興味がなく……(笑)
去年の十月ぐらいにたまたま寄った無印良品で、白洲正子さんの『たしなみについて』を手に取って読んでみたら面白くて、家に帰ったら同じ本があったので全部読んで、正子さんの考え方や生き方に惹かれました。その時に、この旧白洲邸と白洲正子さんが私の中で繋がったのです。

自分が弱いものである事を痛感しないかぎり、芸術家でも美術家でもありません。
人間の感情、気まぐれな好みとか、たよりない言葉は十人十色であり、その時々変るものであるにかかわらず、
又美しい物は世の中に多いにもかかわらず、美はたった一つしかない、—そういう事を美術は教えます。
たった一つしかないからには、それは物の美しさであるとともに、それをつくった、或いはそれをつくらせた人の美しさでもあります。
結局、真の人間嫌いとは、ですから、ほんとうは誰よりも人間を愛する人の事を言うのです。

『たしなみについて』の中で特に響いた部分を載せてみました。
自分の心に正直に、嘘をつかずに過ごすことを心掛けると、いろいろなことに敏感になっていくような気がします。
それと同時に他者の無意識の言動に気付きやすくなって、嫌な気持ちになることも増えます。
他者を批判せずに赦し、不快に感じてしまう自分の感情もありのままに受け止め、すべてを愛で包み込む。
これがなかなかに難しい……
自分の弱さ。感じずにはいられないです。何をしていても。
以前はそれを必死に隠そうとしていた気がしますが、今では弱さも含めての自分だと感じます。
日々生活していたら、見たくない人間の醜い部分が自然と見えてしまう。私は目を背けずにそれらをただ観察して、意識の光で照らしていきたいです。
正子さんの文章を読むと「厳しい」という印象を持つけれど、傷つくことは決してありません。その理由は、愛から生まれた厳しさだからだと思います。
自分を誤魔化さず真剣に生きてきたことが、言葉の一つ一つから伝わってきます。
何に美しいと感じるのかは人によって違っても、美はたった一つしかない。
この唯一無二の美を、言葉を通してではなく、自分の心で、目に見えない部分でちゃんと感じていたいです。

正子さんは均整の取れた美しさを、自らの行動で示してきた方なんだということを、本やミュージアムでの展示を通して感じました。
その姿は私を勇気づけてくれます。正子さんは私が生まれる二年前に亡くなっていますが、こんなに近くに住んでいたんだと思うと、励まされるような気持ちになります。

私は、美しいきものはほしくはない。顔のきれいな人が羨しいとも思わない。
ただ、人ときものの完全な調和をのぞむのである。

なるほど、一つ一つとってみれば実にいい、手もかかっている、が、全体の
とりあわせが悪ければ、みにくくなることもあり得るのです。

こちらは『白洲正子のおしゃれ―心を磨く88の言葉』から。
主にきものの選び方、着こなしに関連した言葉が多いですが、モノも人も他者であるという点で、あまり区別はないと思います。
調和を重んじた正子さんの信条が強く表れている部分です。

滞在時間は2時間くらいでしたが、ゆったりとした時の流れの中で充実した時間を過ごすことができました。
締めは、白洲次郎が愛した海老カレー!
舌鼓をうちました。

普段なかなか会えない人に会ったり、来月は旅行に行ったり…!
引き続き春休みを満喫したいと思います。
それではまた!

白洲邸次郎カレー

文学の意味

みなさん、こんばんは。さやかです。

早いもので、もう一年が終わろうとしています。ついこの間「あー、二年生になっちゃったなー」とか思ってたのに、いつのまにか二年生も段々と終わりが近づいています。そろそろ予備ゼミどうするか決めなきゃ。

 

さて、今日は「全国大学ビブリオバトル2019首都決戦」のアルバイトに行ってきました!5分間で好きな本を紹介して、いかに「読みたい!」と思わせたかを競うビブリオバトル。今日は全国の予選を勝ち抜いた強者たちがプレゼンをしているのを影から見守っていました。

結論から言うと、「やっぱり本って、活字って、文学っていいな」とそんなことを思わされました。

ノンフィクションやファンタジー、ホラー、絵本と幅広いジャンルの本が紹介された今日の大会。様々な人がその人らしいプレゼンをしていて、本のことだけでなく、発表する人の人柄までもわかってしまうというビブリオバトルならではの魅力を存分に楽しんできました。ですが、そんな様々なプレゼンであるテーマが共通して話題になったのです。それは

「本や読書に意味はあるのか?」

ということです。正直、本がなくても生きてはいける。何でもスマホ一つあれば出来てしまうこの時代、若者の活字離れが叫ばれるこの時代、読書は必要なものなのか。そんな言葉が質疑応答やプレゼンの中で数回あがりました。

その答えは人によって違うと思います。実際、発表者の方々はその人ならではの答え方をされていて、共感する部分も多かったです。

これはあくまで私の個人的な意見ですが、文学にはやはり意味があると思います。たしかに、文学があってもお腹は満たされないし、寒さをしのぐことはできません。でも、もしかしたら一切れのパンよりも、一冊の小説を望む人がいるかもしれない。暖かい家よりも、一つの詩が救いになる人もいるかもしれない。科学技術は今すごい発展を遂げていますが、時にこれは無力です。地震で電力が供給されなくなれば何も出来ないし、きっと人類は永遠の命を手にすることはできない。そういった科学の限界に直面した時、私たちに寄り添ってくれるのが文学なのではないかと思うのです。もちろん、そんな深刻な状況でないときでも、ふとした時に背中を押してくれる。新しいことを教えてくれる。今までになかった体験ができる。そんな文学は、いつでも私たちのそばにあるものなのだと、私は考えています。

 

…なんだか長くて堅い話になってしまいました。つまり、私は文学が大好きということです(急に適当)。あー、本読んでビブリオバトルしたい!

それでは、また2020年にお会いしましょう!

夏休みも自主ゼミ活動!

こんにちは。あかねです。さきおととい、つまり8月26日は近代文学自主ゼミの活動日でした。今回はその様子についてお話ししたいと思います。
夏季休暇中の自主ゼミ活動は、まず全員で夏休みの予定を突き合わせるところから始まります。ご指導は渡部先生にしていただくので、渡部先生がいらっしゃることができる日をメールでお尋ねします。その後、先生の都合が良い日の中で、学生たちが一番参加できる日のアンケートをLINEグループで取ります。こうして決まります。今年は先生も含めて12人の参加でした。
午前中は研究の進行度やそれに対する助言の時間でした。今年は室生犀星の『蜜のあわれ』を扱います。テーマごとにグループ分けがされているので、各グループの動きがどうなっているかの報告をしました。研究内容の詳細はお楽しみに……!来年の『研究ノート』をチェック!
そしてお昼。近代文学自主ゼミでは例年ピザを注文し、お店に歩いて取りに行っています。駅とは反対方向にピザ屋さんがあるのですが、取りに行く場合に限り「2枚頼むと1枚無料」なサービスがあるところも!嬉しい気持ちになれます。あまりピザを食べることもないので、「1年に1回、このゼミで食べるだけだ~!久しぶり!」と後輩ちゃんと話しました。
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ピザとチキンとポテト
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プチパンケーキとエッグタルト~院生の先輩のお土産であるメレンゲを添えて~
午後は研究のテーマから外れた研究をしました。具体的には表記の揺れからの考察です。例えば「クチベニ」と書かれていたのに数ページ後では「くちべに」になっていたり、「コドモ」と書かれていたのにページを進めるにつれ、「子供」の箇所と「コドモ」の箇所が出てきたりします。他にも振り仮名がカタカナにされている部分や、漢字で書けるところがあえて平仮名で書かれていました。表記の揺れ以外でも、田村ゆり子という幽霊の登場人物について、殺されてから発見に至る経緯の矛盾点について考察を深めました。掃除夫の人が扉からすかして死体を見ているのに、第一発見者は牛乳配達人とはこれいかに……。そんなこんなでワイワイと議論を楽しみ、まったりゆるゆると研究に勤しみました。楽しかったです!そういえば私ももう4年生……あれが大学生活最後の夏休み中の自主ゼミだったのかと思うと名残惜しい気持ちがあります。
そんな近代文学自主ゼミですが、なんと、自主ゼミ員2人が入っている演劇が今日と明日、行われるそうです!
演劇の宣伝
以前拝見したのですが、ストーリーにも演技にも惹きこまれました!今回は即興劇だそうです。一度きりの舞台、素敵です!後輩ちゃんたち、応援してます!以上、あかねでした。

夏の京都

最近、夏バテ気味でお腹を壊しています。
かき氷とアイス大好きなのに全然食べることができない。残念極まりない。
皆さんはいかがですか?

こんばんは、れいです。
少しずつ涼しくなってきて、秋の空気ももうそこまで来ていると感じます。
こんな時に思い出すのは、

夏と秋と 行きかふ空のかよひ路は かたへすずしき風や吹くらむ

という凡河内躬恒の和歌です。蒸し暑い中にさわやかな秋の風を感じて、ふと上を見ると真っ青な空に、綿菓子みたいな雲が漂っている。昔の人もきっと同じ思いだったのかな、と想像します。

 

先日、私は京都の同志社女子大に国内留学している友人のところに遊びに行ってきました。実は私も、高校生の頃から国内留学には興味があったのですが、教員免許取得を考えるとやはり難しくなってしまい、泣く泣く諦めたのです。その友人も、我らが同じ日文生で、京都でももちろん同じく日本文学を学んでいます。
私は小学生からの自称京都マニア(?)で、好きが高じて京都検定というご当地検定の3級を持っています。ですが、最近は日本全国の寺社を回ってみたい!という気持ちが強くなって、少し疎遠になってしまっていました。なので、今回その友人に約半年ぶりに会うのもとても楽しみだったし、同時に久しぶりに京都に行ける!という喜びもありました。
ただ一つ残念だったこと…。本当は2日目に奈良の飛鳥に行って、万葉の舞台を肌で感じたい!と思っていたのですが、暑さに体が追い付かず断念したことです。飛鳥は奈良の中心から離れているので、京都からは遠い上に休憩できる場所も少なく、歩く距離が尋常ではない…。諦めて、これもまた行きたいと思っていた、興福寺と春日大社に行きました。でもやっぱり飛鳥行きたかった!!!涼しくなったらリベンジです。

とにかく盆地の京都は暑くて灼熱地獄だったので、暑さに弱い私はとってもスローペースで巡りました。そんな旅の中でも、今日はぜひ皆さんに紹介したい!という寺社や私の体験をお話ししようと思います。

 

まずこちら。五山の送り火です。

今回の目的の一つに、五山の送り火を見るということがありました。毎年テレビでは見ているのですが、いつかこの目でという気持ちがあり、叶えることができました。
一番の見物スポットは出町柳の三角州の所らしいのですが、とても混雑するとのことだったので、松ヶ崎で「妙」の字を目の前で見ました。

 

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今回初めて知って驚いたのが、五山の送り火の火は20分ほどしか保たないことです。綺麗で儚く、その短さが日本の夏の終わりを告げているように感じて、見ていて少し名残惜しく、寂しくなりました。私の家では、ちょうど京都に行く前に迎え火をしていたので、送り火を見ながら、心の中でおじいちゃんにまた来年ね、と自然に声をかけていました。
もちろん私のように半ば観光のような形で来る人も多かったのですが、地元の人もたくさんいて、いかに京都の行事や文化が根付いているかを肌で感じることのできる体験でした。

 

続いて紹介したいのは、北野天満宮の御手洗川足つけ燈明神事です(ちょっと難しい名前なのですが、正式名称通りに記しました)。もとは平安京ゆかりの行事で、清めの神事なのだそうです。境内の御手洗川をろうそくを持って歩き、足を清めた後、更に御本殿の中に特別に入れていただきました。
ネットでこの行事の詳細が出てこなかったので、詳しいゆかりが分からずなのですが、夏越の祓のように、身も心も穢れを祓って清めることで、無病息災で健康に過ごせることを願った行事なのだと思います(不確かでごめんなさい)。

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この上の写真の通りなのですが、この行事は「京の七夕」という京都のイベントの一つで、神事の受付も夜の8時までやっているのです!私は少し暗くなってからお参りに行ったのですが、とても幻想的できれいでした。

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また、冷たい御手洗川に足を付けることで今までの汗もすっと消えて、清々しい気持ちになりました。あと半年間(もないですが)気持ちを新たに頑張れそうです。
最後に本殿の周りをぐるっとして、神事は終了なのですが、ちょうど本殿の裏側に来た時、周りに光がなく、星がきれいに見えたのが印象的でした。星というといつも『建礼門院右京大夫集』を思い出すのですが、ここに祀られている道真も右京大夫も空を見上げたのだろうなと考えると、とても感慨深かったです。忘れられない夜でした。

 

最後に紹介したいのは、祇王寺です。祇王寺といえば、言わずもがな『平家物語』の舞台の一つなので、名前は知っているという方も多いかと思います。私も高校生の頃に『平家物語』を読んで、あまりにも人間の愛が移ろいやすく哀しく、ただ打ちのめされた覚えがあります。
その時から祇王寺に行ってみたいと思っていたのですが、奥嵯峨にあり駅からも遠いので、行くのを躊躇っていました。ちなみに今回は暑さに我慢できず、タクシーを使いました。運転手の方がとても気さくで道中とても楽しかったです!友人によれば、祇王寺は人力車でもいけないそうで、嵐山の駅近くと比較できないほど、人がおらずひっそりとしていました。

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境内はこの青々とした苔が有名で、青紅葉が光に透けて淡い光が地面を柔らかに照らしていて、別世界のようでした。自然の音しか耳に届かず、祇王も仏御前もこの自然の中で安らかに眠ってほしいと心から願ってお参りしました。
祇王は出家して尼となり、どんな思いでこの自然を見ていたのだろうかと考え、私とさほど年齢も変わらないのにいろんな経験をして、尼になった彼女の人生を想像すると、胸が締め付けられる思いでした。

また、とっても静かな場所だったので、自分のことを見つめる時間にもなりました。

 

この三日間、二日は友人と一緒に京都奈良を巡って、夜は二人で将来のことや、互いの半期の講義のこと、履修のことを、久しぶりにゆっくり話すことができたのも忘れられない思い出になりました。また、私は実家暮らしで家に帰ればご飯があるのが当たり前だったのですが、一人暮らしの生活を目の当たりにして、友人のことを改めて尊敬し、自分も東京で頑張らなければと強く感じました。

そして京都を久しぶりに訪れてみて、実際に古都の空気を感じてみると、祖納と思いが膨らむ自分がいました。京都は「文学の舞台」と簡単に形容されてしまいますが、それだけではないと今回感じました。たとえ千年前だったとしても、そこで懸命に生きた人々がいて、そういう人々が紡いできた時間によって、初めて文化や行事は重みを持って行われるのだと思うし、文学の中にいた人々、物語の書き手など、一人一人が生きた証が京都にはたくさん残っているからです。「舞台」という言葉を使うのは、あまりにも軽々しい、と思ってしまいます。

前に、「追憶」という映画がありました。その映画自体は見ていないのですが、「追憶」という言葉がなぜかとても印象的で、心の中に残っていました。「追憶」には、過去をしのぶこと、思いをはせること、という意味があるのですが、京都って「追憶」の場だなぁと思うのです。東京にももちろん江戸の歴史があるのですが、京都はずっとずっと古い。約1200年。そして、その歴史や時の積み重ね、文化の系譜が直接肌で感じられる場所です。
これからもこんな素敵な京都の歴史が守られるように、と感じています。

 

日本語だけじゃなくて

みなさん、こんにちは。さやかです。
元号が変わり、連休が終わり、本格的に新学期がスタートしましたね。連休は色々と用事があり、ほぼ休めないままに終わりました……。五月病にならないように、お互い気を付けましょうね。

さて、実は先週から大学で新たに講座が始まりました。「毎日学ぶ課外英会話」!
毎日40分ずつ授業があり、ネイティブの先生と集団での授業になっています。実は一年生のころから受講し始め、私は今年で二年目です。始めはすごいやる気があったわけではなく、親に勧められるままに申し込みをしてしまったのですが、これがものすんごく楽しい。教室内での会話は英語限定で、始めは(頭の中で英文なんて作れない……みんななんで話せているんだろう……というか、そもそも何を話題にすればいいの?)と混乱状態。でも、先生は根気よく付き合ってくれるし、やさしいし、面白いです。毎回の授業にテーマがあって飽きないのも推しポイントです。40分の中でゲームをしたり、ペアでおしゃべりしたりとテンポよく進んでいくので40分があっという間です。正直、1年生の必修の英語より断然楽しかったし勉強になったと個人的に思っています(決して必修英語の先生方がつまらないわけではないのですが)。

そんなこんなで迎えた英会話二年目。今年の目標はズバリ「TOEICの点数をあげる」。昨年はなんと姉の点数を超えることができた(英会話のおかげです)ので、今年は父親を超えたい。でも父親を超えるには多分あと100点くらいは上げないといけない……。道のりは長いですね。
そして将来的にはハリーポッターを英語で読みたい。小さいころから大好きな作品を日本語訳を通さずに原本のまま楽しむのが、私のささやかな夢の一つです。
日本文学科の人に中には「英語なんて絶対無理」と英語から距離をとっている人が少なからず存在します。でも、同じ言語表現なのだから、英文も読めたらきっと楽しいと思うのです。

そんなことを考えながら、そろそろ来月に控えているTOEICの勉強(覚えなきゃいけない単語が多すぎる……!)をしてこようと思います。
それでは、また!

タイムリミットは一か月。

こんにちは、こりです。

約一か月ぶりぐらいの更新ですね。私のこと、覚えてますかね⁉

 

いやぁ……この一か月……めっちゃ忙しかったです。

自動車免許を取るために教習所に行って、なんとか試験に合格し免許を取得。就職先の健康診断と事前研修。卒論の口述試験。バレンタインバイト。日本語教員養成講座の時にお世話になったので、江田先生の退任講義に出席。これらの予定の合間を縫って、舞台を二本を観に行く。観客動員数を少しでも増やすために同じ映画を二回見る。海外旅行のためにパスポートを取得。『酒呑童子絵巻』を見に、根津美術館へ行く。友達の演劇サークルの退団公演を観る。そして、この後控える二つの海外旅行の準備。ETC……

……なんでこんな毎日出かけてるんだろう。なんで毎日新鮮なことしているのだろう。

 

この忙しさはもうすぐ学生生活が終了するからでしょう。退店セールでお客さんが詰めかける的な?……あ、分からない?大丈夫、言ってる本人もよく分かってない。

 

この忙しい日々から、一つだけピックアップ。

一月の下旬、私は『黒魔女さんが通る』の作者である、石崎洋司先生のサイン会に参加しました。きっかけはたまたま本屋に立ち寄った時に、張り紙を発見したこと。

『黒魔女さんが通る』は小学校四年生の時に大好きだった作品。当時あまりにも好きすぎて友達と一緒にファンレターを出したことを強く覚えています。ある日『黒魔女さんが通る』の派生として、小説の書き方を解説した『黒魔女さんの小説教室』という本が出版されました。私は購入し、小説を少しずつ書くようになりました。小学校六年生のころには本を読むのも書くのも大好きになり、ぼんやりと「将来、大学では国語系の勉強したいな」と思っていました。その後、中学の課外活動で小説の授業を取り、高校で文芸部に所属し、大学では日本文学科に所属することになるわけです……

つまり『黒魔女さんが通る』という作品は、私の学生生活のレールを引いた作品といっても過言ではないのです。そして今回のサイン会は『黒魔女さんが通る』の最新作か、文庫版にした『黒魔女さんの小説教室』を購入した者が参加できることになっていました。学生時代が終わる今、学生時代を作った小説教室の文庫版を購入すれば、先生とお会いすることが出来る……私は迷わず、応募しました。

サイン会当日のことは緊張しすぎてあまり覚えていません。

ですが、周りの人は皆子供で、「私が読まなくなって約十年以上経っているが、下の世代をどんどんと取り込み、未だ人気が衰えないなんて……先生ってすごいんだな」としみじみと感じました。先生についてはいい意味で普通の人だったのでとても驚きました。また最後に握手してくれたのですが、帰宅途中「あの右手が……生み出しているのか」と何度も自分の右手をしみじみと見つめていました。

 

学生生活、最後にいい経験ができたなと思いました。

なんか……小学生っぽい感想文になってすみません!話したいことが多すぎてまとまりません!!

以上!これから35周年のディズニーランド行ってきます!アディオス☆

芋と妹

みなさまこんにちは、てるです。

久々の投稿であります。

テストやレポートの提出が終わり、遂に春休みがやってきました。後期を振り返ると、きつくもあり、ためにもなったもののひとつに演習の授業が挙げられるなと。通年で4回の演習発表をしましたが、どの準備も、アッアッア~~って叫びたくなりました。

どんな表現をしたらいいのか分かりませんが、演習発表の準備って水の中にいるときの感覚に似ているんですよ。水というか、いくつかの流れがある液体。液体はその作品自体で、流れを作っているのは先行研究。私の場合は、先行研究に対して、「うむ、そうかそうか」と流される姿勢があったため、論文を読むたんびに、考察があっちいったりこっちにいったりして迷走しました。

流されてしまうのはテクストに向き合っていないからだと思い、テクスト→論文→テクスト…に戻ることもしばしば。少しずつではありますが、「この論文のこの部分言い過ぎじゃないか?」「私は、ここはこっちの線が強いと思うのだが…」と若干の反論も思いつくように。

水の中をオラオラもがいているだけでは、自分の求める場所には行けないわけで。自分の行きたいところ付近に先行研究の流れがあるなら、それを助けとして泳げばよいし、抗うなら抗うだけの体力(根拠)がなければならんのです。

で、迷走に陥ったら、たまには水から出て息継ぎをします。先行研究にはないところから切り込むために、たまには水からあがって、ジャングルで狩りをしてきます(化学関連の本とか、色の本とか)。で、蓄えたら再び水にざぶーんと。

例えが稚拙で申し訳ないです。しっくりくるのがこのイメージでした。

3年生にあがったら予備ゼミが始動するので、今から焦っております。演習発表内では、質問や感想を言う場面が設けられており、個人的にはとても刺激になりました。思いつかなかった点や、甘かった点が見つかるからです。

なかなか文章に収まりきりませんが、ほんっっっとに発表近くは憂鬱になって、それこそ先程の例えにのっかると、ゴボボボボッッたッ,タスケテクレエェェって溺れかけました。正直に言うと、ほぼ溺れた状態で挑んだ演習もあります…。今だから内心を吐露できますが…。

この春休みはいくつかの資格の勉強をします。自分のまわりでめちゃんこ頑張っておられるひとがいるので、毎度のように凄いなあと思っているのです。

焦りと尊敬は起爆剤だと私は思っています。やっ、やっべえぞ!って精神状態で生み出されるものって案外、やっべえぞ!ってものだったりするのでは。(語彙力が欲しい)

あと、尊敬する何かがあると、走る気力、追いつきたい気持ちが次第にわいてくるような。

ただ、焦り理論にしがみついて、レポートの提出期限ぎりぎりまで粘るのはやめましょう。うん。(自戒)

私は近代文学演習のひとつで、芥川を扱ったのですが、彼は文中にやたらとフランス語を入れたがります。唐突に「etrangerの感」とか出てきます。焦ります。彼はルー○柴さんの親戚か何かなのだろうか。現代に生きていたら、「このappleは小さいですね」とか「この猫はveryかわいいですね」とか言ってしまうのでは。

それらの語はおそらく、重要な意味合いが含まれるなど狙いがあるものも存在すると思っていますが、毎度のように友達と「急にわからん語出てくるよね」と話していました。そうなると急に愛着というか、友達だったらこうなんかなと想像が止まらんかったです。(芥川さんは「君と友達なんて願い下げだ」ってなるだろうすみません芥川さん)

きつかったけど楽しかった。得るものはあった。

話は変わりますが、春休み始まって早々、妹と焼き芋フェスなるものに行って参りました。ひたすらに芋を堪能し、自らが芋で構成されてしまうのではないかと、芋細胞(なんだそれ)に侵食され、芋になってしまうのではないかと焦りました。嘘です。幸せでした。

じゃがいもと豚肉、ならぬ、さつまいもと豚肉のコロッケを食し、焼き芋の断面に砂糖をふりかけバーナーでじゅわりと炙った焼き芋ブリュレを楽しみました。最後は、パープルスイートロードという、紫色の焼き芋を食べました。これがまた上品な甘さで、ほろほろしており、終盤のおなかの状態にはとても優しいアメジストだった。

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ここ最近、ぐぐっと寒くなりましたね。
コンビニバイト中、おばあちゃんに「手、触ってもいいかしら?」と聞かれ、なぜかレジを隔てて握手をするという、謎の展開になりました。そしたらとっても冷えきっていて。「冷たいでしょ~~」っておっしゃって、そのあと「最近寒くなってきましたよね」ってお話してました。ほっこりしました。

みなさま、体調には気をつけましょう。

では、また。

間取りと文学

みなさまこんにちは、てるです。

マックの三角チョコパイを昨日食べました。ついにこの季節がきたなぁと、ほっこりするのと同時に、食欲もどんどんわきつつあり焦っております。

さて、演習が迫りつつありますが、今回の演習での考察の都合上、私はなぜか建築関係の本を大量に借りました。他に空間の概念の本など。間取りや、建築物の写真を眺めていると、演習準備の時間であることを忘れてしまいます。ひとによって考察の進め方は様々だと思うので、あくまで今回は自分の演習準備についてお話したいと思います。

私は前期の近代文学演習では、テクスト内にある「色」や物の配置に着目しました。そのために色が持つ意味を調べました。また、関連しそうな事件を発見し考察に取り入れました。その事件は、私が予想していなかったもので、「色」に注目した末に見つけたものでした。

また1ヶ月前にあった近代文学演習では、少し時代をこえて、本居宣長の歌や、煙草の銘柄、煙に関する語句など、いろいろな方向に広がりました。

そして今回は建築や空間…。

文学は、垣根を持たないんじゃないかと思います。これだ、って規定できるものではないよなと、毎度のように考えます。全然関係のないように思える事柄も武器になるし、繋がっている。

正直、今まであまり向き合ってこなかった事柄について調べるのは大変です。でも、新たな気づきの発端にもなっています。

この世に無駄なんてことはない、というのは綺麗事だと私は思っているのですが、強気に否定できないのは、演習発表を経験したからでしょう。でも、等高線をひたすら書いて奇妙な模様を描いてしまう癖はほんとうに無駄だよなぁと思います(私の癖)。

他に演習を控えてる方がいましたら、がんばりましょう!乗り越えていきましょう…泣きたい。

では、また。

まつりのあと 〜喫茶ロマネスク閉店の挨拶に代えて〜

目白祭。

はやくも先週末のことになりますが、お越しになってくださったみなさま、ご来場まことにありがとうございました!

在校生のみなさまも、ほんとうにお疲れ様でした。

日本文学科有志企画「喫茶ロマネスク」店員でございました、むーです。

当店も、みなさまのお力添えあって無事に盛況のなか、閉店を迎えることができました。厚く御礼申し上げます。

服装からメニューに1つ1つの展示物、そしてイベントに至るまで、こだわりにこだわり抜いて、日本文学科で培ったニッチな知識と文学への愛がぎゅぎゅっとつまった喫茶店を開店することができました。

ご挨拶には時期が遅れてしまいましたが、改めて感謝の旨とともに、思い出を振り返りながら今後の記録とさせていただきます。

 

 

 

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🌸店員の「着たい!!!!!!」が詰まった衣装の数々。袴姿の男装から、フリル付きエプロンの給仕スタイルまで。準備期間を経て、大半の店員が不慣れだった着付けを克服、果ては「5分で袴を着れるようになった」という猛者までいました……お客様にも大変ご好評いただけて、一同嬉しい限りです。

 

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🌸メニューに寄せられた一言は、われらがブログ部のしおりちゃんの作です。近代文学好きのこころをゆさぶる……しかもこのメニュー、裏には文豪の相関図まで掲載されていました……っょぃ

 

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🌸内装はこんなかんじ。壁のいたるところに貼られた展示物はすべて日本文学に関連するものですが、自分の推し作品を漫画にして紹介するものや珠玉の1文をきりとったもの、さらにはノベルゲーム化(!?)したものまで!

自分の好きなものを人に知ってもらいたいときの伝え方ってひとつじゃないのだなって、切に感じさせられます……

料理をお届けするまでの間や召し上がったあと、興味深そうにじっくり眺めてくださるお客様がたくさんいらっしゃって、嬉しいばかり。

 

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🌸こちらは、イベントの様子です。日本文学科の喫茶店、初の試み。結果は大成功でした! ご覧くださいこの盛況ぶり。源氏物語を分かりやすく親しみやすく説明するものから、文豪たちの一歩踏み込んだ個性あふれるエピソードを紹介するもの、日常で使える古語を紹介するもの(?!)まで。個人的にはEテレの番組を観ているような感覚になりました。その道の人が、その道のことを自分がまず楽しみながら人に伝えている。わたしそういうの、すごく好きなのです。お客様にも伝わっていたでしょうか。そうやって日本文学に触れることを、少しでも楽しんでいただけていたらって、切に思います。

 

 

一口に日本文学、といえど、その分野は多岐に渡ります。

分かりやすい1番大きな区別はおそらく、近現代文学と古典。けれどその古典も、時代によって大きく移りかわっていて、個性がぱっきりと分かれています。

私たちはその古典の時代を4つに分けています。上代、中古、中世、近世。

それぞれの時代にそれぞれの色があって、それぞれの愛おしさや、「推しポイント」があります。

私たちが、自身の学ぶ日本文学の何を、どんなところを愛しているかということ、そのように愛おしく思う「日本文学」というものの魅力を少しでも伝えられていて、また感じていただけたなら、それに勝る幸せはないなぁと感じます。

なんちゃってね。あ〜〜愛とかいって恥ずかしい〜〜でもそれ以外に表現すべき言葉が思いつかない〜〜うううう〜〜…………

 

それではさいごにもう1つだけご紹介して、お別れの挨拶とさせていただきたく思います。

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↑ブログでも何度かご紹介させていただきました、当日お店の前に置かれた立て看板。私たちの顔となってくれました。カップのヒゲがキュートでダンディですよね。

そんな大正ロマンみ溢れる看板の裏面には……

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//ワ〜〜〜〜〜〜〜〜\\

画風の温度差がすさまじすぎますが、これまたキュートな「とりかへばや物語」の「サイショウ」がお出迎え。キャラクターデザインは我らがブログ部のゆかさんです。すてき!てへぺろりんぬ!!!

なんて裏話もございました。

そう、もしあなたが私たちのまだ見ぬ日本文学科の学生で、喫茶店を出したいわ、と思われるのであれば、いつでもご連絡ください。

裏話というか、食材の調達や調理の手順、販売、会計の管理などなど、たくさんの経験を今回われわれは蓄えることが出来ましたので、必ずやお力になれると思います。

 

さてさて、ここまでお付き合いくださり誠にありがとうございました。

喫茶ロマネスクにご尽力下さいましたみなさまに、改めて感謝申し上げます。

またお目にかかりましょう。むーでした!