日文一年生の二大難関(さやかの場合)

先程サークルでZoomを使った会議をしました。友人がバーチャル背景を使っていて「いいな」と思って真似したところ、部屋のカーテンは顔認識されるのに自分の肌は何故か認識されず、自分の顔が背景と一体化するという事件が起こりました。なぜカーテン認識されるんだ。

 

みなさん、こんばんは。さやかです。

今回は宣言通り、新入生向けに主に授業について書こうかなと思います。もう二年前ですって。懐かしいですね。時が経つのは早いものです。

日本文学科一年って結構必修のオンパレードなんですよね。変体仮名だの日本文学の基礎だの基礎演習だの英語だのと。第二外国語や体育まで必修ですから、意外とすぐ上限が来てしまって、一年の頃はあんまり教養科目は私はとってませんでした。大半の人が似たような状況で、皆上限ギリギリとかとってたような気がします。

そして、おそらく日文生の最初の難関が変体仮名演習じゃないかと思います。詳しくはシラバスを見るのが良いのですが、要は昔のあの、うにょうにょした文字を読めるようになろう!という授業です。漢字を崩して平仮名は出来上がっているので慣れれば割と読めたりもするんですが、慣れるのが大変。期末テストがあると聞いたときは絶望しました……。が、ちゃんと勉強すれば大丈夫です。授業をきちんと受けていれば頻出の文字とかも段々わかってきますし、私は最後の方暗号解読だと思って楽しく読んでました笑

次の難関は基礎演習でしょうか。これもまたクラスによって扱う作品や進め方が違うので詳しくはシラバスを見て欲しいのですが、一人一人が作品の中で担当箇所を調べてきて、発表するという授業です。私は去年「なにを調べればいいんだ」「資料どう探せばいいんだ」とワタワタしてましたが、大学院生の方に相談してなんとか乗り越えました。この演習の授業が始まって、ようやく文学研究感がでてくるかな、と個人的に思います。一年の最初のほうとかは、本当に講義形式の授業が多いですからね。

一年生の超重要授業は、私にとってはこの二つです(異論は認める)。他にも必修とか選択必修とかあるので、『履修の手引き』とよくよくにらめっこしてください。テキトウにぺぺっと決めた時間割より、にらめっこして作った時間割の方が一年間頑張れると思うので……!

 

(ここからは宣伝です)

遠隔授業・ガイダンスになったことで、Twitterなどで情報難民と化した一年生が沢山います。そこで、私の所属する合唱サークル「コール・クライネス」で遠隔履修相談会を開催することにしました。なんと、私が企画・運営してます!ブログで書ききれないことなんかを色々お話しできると思うので、もし良ければお待ちしてます…!

ブログ部Twitterなどでも聞きたいこと・相談したいことがあれば、ぜひ活用してください。こういう時こそ、助け合わなければ!

 

こうやって一年生の頃を思い出すと、本当に大学生活ってあっという間だなとしみじみ思います。大学の四年間って、きっと自分次第でなんでもできる数少ない時間だと思います。サークルでもバイトでも授業でもボランティアでも、何か一つでも「自分は大学生活これをがんばりました!」って言えるものがあると、きっと最高なんじゃないかなと思います。

それでは、今日はこの辺で!

今更ですが、新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます!ようこそ日文へ!!

ひとのつながり四方山話

こんにちは!むーと申します。
日本文学科の4年生で、ブログ部の部長をさせていただいています。どうぞよろしくお願いします。

新生活と予想外のイレギュラーの重なり合いで、皆さん本当に本当に大変な思いをなさっていると思います。
そんな中で私にどんなお話が出来るだろうか。
色々と考えてふと、一昨年受講した講義のことを思い出しました。
皆さんは、日本人がものすっっっっっごく昔からバーチャルな世界に身を置いていたことをご存知でしょうか。

どのくらい昔からかと言うと、中世以前から。中世って? 歴史の時代区分で言うと、鎌倉・室町時代あたり。
そんな時代に、SNSのようにバーチャルな交流の場になっていたのは「和歌の世界」でした。

和歌の世界≒SNS。その解説を初めて聞いたとき私は、日本人歪みないな、と思うと共に、自分達と同じような感覚をはるか昔の人々も感じていたことを知って、不思議とほっとしたのでした。

かるーく説明します。当時は、贈答歌や歌合など、歌を通したコミュケーションが盛んに行われていました。
歌集も多く編纂され、たとえ身分の低い人間であっても和歌さえ巧みなら、高官や上皇の目に留まる可能性が十二分にあったのです。
そんな地盤の上で、和歌の世界は主従や身分の貴賤といった現実での関係性を飛び越えて、心と心を通わせる社交の場として機能していきました。
中でも有名なのが上皇と歌人たちの交流。院と呼ばれる人々は、常に身分争いの渦中にあります。誰にも打ち明けられない思いや孤独を抱えながら生きる。その過酷さは、身分も時代もかけ離れた私にとってすら想像に難くありません。
そんな上皇たちにとって心の癒しとなったのが、和歌を通した歌人たちとの交流です。
例えば、崇徳院と藤原俊成や、後鳥羽院と藤原定家ら当時の歌人たち。特に後鳥羽院は「水無瀬殿」という特別な建物を建て、身分の差を感じさせないような空間として演出し、歌合など家臣たちとの交流を楽しみました。

なぜ和歌がバーチャルな社交の場となり、心の癒しとなったのか。
それは和歌が演技性を持つからだ、と考える研究者がいます。
31字にすべてを込めなければいけない和歌。自分の素直な気持ちを詰め込むにしても、おのずとその心情を演出し、芸術表現に昇華していかなければなりません。それはひとつの「演技」。みな現実の自分から離れて、和歌の世界に1つのアバターを作るのです。
そうして生み出されたアバターを通して、人々は誰にも言えなかった思いを交わし合い、またそれに誠実に向き合って歌を返すことで、主従を超えた友愛の情を育んだのでした。

バーチャルな世界だからこそつながる縁は、確かにあると思います。

私も今就職活動でweb〇〇続きで、企業の方に会えない、企業の方にも私をきちんと見ていただけないかもしれないという不安を抱えながら日々を過ごしています。
けれど、こんな状況がかえって、企業の性格や人事部の方の心遣いに触れる機会に繋がっているのもまたひとつの事実です。バーチャルな関係性だからこそ、見える相手の姿がある。もちろんそれは相手側にとっても同じなので私の姿も……という感じなのですが、そんな気持ちをよすがに、このイレギュラーの中を歩んで行けたならと思います。

というかそもそも、私たちブログ部と皆さんと関係性ってバーチャル以外の何物でもないですよね!? あほだわ、まじで今気がつきました。
きっと後期に学校が始まって、皆さんと学校ですれ違うことが出来たとしても、私たちはお互いに認知することはないかと思います。(そもそもブログ部のメンバー自体互いのHNとブログしか知らないみたいな関係性なので、互いに互いを認知できないのです……)

それでも、今この文章をここまで読んでくださっている方がどのくらいいるかは分からないけれど、私たちはブログを通して繋がっています。少なくとも私は今、普段友人たちにはめったに語らないような心の根っこの方で考えていることを、このブログに滔々と書いています。
だからみなさんも、なにかこう……そういうツールを見つけて、自分を表現して、人と交流していっていただければと、思います……(どんどん自分で言っていて気恥ずかしくなっていく図)

皆さんが、このご時勢を活用して、一生ものになりうる人とのご縁や友とつながることができますように。

それでは今日はこの辺で。お相手はむーでした!

 

スキー実習の話

こんにちは!とみーです。
前回、湯西川温泉の話をすると言いましたが、実はまだ行ってません。しかし、十八日から三泊四日で菅平にスキー実習をしてきました。今日はそのお話をしたいと思います。

日本女子大学一年生は体育が必修ですが、後期の体育は、春休みに行う三泊四日のスキー(もしくはスノーボード)でも単位がとれます。学科混合で毎年人気が高く、抽選です。私は友人とともに抽選に申し込みましたが、友人は落ちて私のみが履修することになりました……。今年度の日本文学科人数は、たったの七人。知っている人もいましたが、実質ぼっち参戦でかなりびくびくしていました。
部屋は六人部屋で、日文三人数物三人。四日間ぼっちでは悲しいので、頑張って話しました。数物の子とかなり仲良くなったと思います。

初日は少し雪が降る中での実習。スキー組は皆、暖冬で雪があるのか心配していました。しかし、丁度、十七日の夜から冷え込み、雪が降ってきたそうです。宿のご主人が「皆のために降った」と言っていました。
技術別の八班に分かれ、私は中級である四班。幼い頃は毎年スキーに行っていたのですが、中学一年の頃のスキー林間ぶり。七年のブランクに重ねて、普段の運動不足もあり、かなり不安でした。一日目は、二回ほど転びましたが、無事終了。意外と滑ることができ、ぼっち参戦仲間も多く、話しかけるとすぐに仲良くなれました。
(余談なのですが、今回の宿泊施設、なんと中学の頃泊まったホテルの向かい側。そしてゲレンデは全く同じ。中学の頃転んだ場所がトラウマで覚えていて、同じ場所で転びました。)
夜には、実習班でミーティング。実習中は、ウェア、ゴーグル、ヘルメット、それからネックウォーマーをしているので、顔を合わせても、昼間の誰だか全然分かりませんでした。たまたま私の実習班は口がよく回る人が多く、疲れを感じないほど盛り上がりました。学生からの要望で、四班では二日目からはスキーをする際、先生が飲み物を持ってくれることに。持ち運び手段として、数物の子のかわいい猫ちゃんリュックを、男の先生が使うことに決まり、その場は爆笑に包まれました。

二日目と三日目は晴天。スキーブーツの脛の部分が大変固く、皆「脛が痛い!!」と悲鳴を上げる中での実習となりました。先生は飲み物休憩と共に、エサやりタイムと称し、猫ちゃんリュックからキットカットなどのお菓子を配布してくれました。私たち学生は、ゲレンデの斜面になんとか留まり、先生の投げるエサを必死でキャッチしました。(私は飲み物もエサもゲレンデに落として、拾うのに苦労しました)
中級四班の最終目標は足を平行にそろえた格好いいパラレルターンを行うこと。先生の説明を聞いて、「それができたら苦労しない」と嘆きながらも、皆ぐんぐん上達しました。三日目の午前は景色がとってもきれいに見えるゲレンデで滑走。青空と雪をかぶった山のコントラストに、写真をパシャリ。

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ゾンビのように宿に戻ったはずなのに、昼食になると、テンションがどの班よりも高く、ビックリするほど喋る。明らかに食堂の一角がうるさいという事件。
最もよく滑れる子が「エース」と呼ばれたり、白いスキーウェアの子が「宇宙飛行士」と呼ばれたり……。バラバラの学科の全然知らない子だったし、実習が終わった今も正直名前を全員覚えている自信はありません。それでも、私たちは皆いいチームメイトに恵まれたと喜び合いました。
疲れから死屍累々といった感じで始まった夜のミーティング……だったのですが、「首から上は元気だ」と言って、はしゃぐこと。本来は、三十分程度で終了するはずなのですが、三日目の私たちの班は何故か二時間近く喋っていました。宿の好意でお茶とプリンをいただいたのですが、お茶が実はビールなのではと思える飲み方。あと先生のプリンは、チームメイトの一人の手に渡りました。皆で、軽音ボーカルをやっているエースにライブをせがみ、歌ってもらいました。スキーも歌も上手くて拍手喝采!
真面目なミーティングとして、昼間に撮った自分たちの滑る様子の動画を見て、先生からアドバイスをいただきました。「ヨーロッパの方だとこういう滑り方がよく見られる」というお言葉を貰った二人が、「よーし、ヨーロッパ行こうか!!」と肩を組み始め、宇宙飛行士が「月面滑走」と言われ、笑いすぎて足のみならず腹筋まで痛くなってしまいました。

四日目も晴天。疲れた、と言いつつ名残惜しいスキー実習でした。二日目三日目は「帰りたい」と言っていたはずなのに、最終日になると「寂しい」と言う。ぼっち参戦を嘆いた私はどこへ行ったのかという感じでした。完璧なパラレルターンには程遠いかもしれませんが、まあまあ綺麗なフォームで滑れるようになりました。
天気にも恵まれ、たまたま実習も部屋も一緒だった数物の子と、「楽しかった!晴れ晴れとした気分だ!!」と言いながらゲレンデから宿に帰りました。実習班解散時には、全員で円陣を組み、お疲れと言い合いました。

他の班がどうだったのかは、わかりませんが、私にとっては最高の四日間、最高の四班でした。
次いつ会うことになるかは分かりませんが、「また目白で会おう」と言われて、とても嬉しかったです。

抽選授業なので、誰もが取れる訳ではありませんし、友達とも別々になってしまうかもしれません。新幹線のチケットを取るのも面倒臭かったし、めっちゃ筋肉痛にもなります。でも、それだけの価値はありました。一期一会を楽しむのもいいものです。長いようで短い、三泊四日。スキー実習(身体運動Ⅰc)、最高なので、ぜひ機会がある方は取ってみてください。

 

それでは、今回はこのあたりで。ありがとうございました!

変体仮名を勉強する意味を考える。

皆さんこんにちは!はるなです。

 

いよいよ12月に入りましたね。クリスマスやお正月、気がついたらもう目の前です。
近所の理髪店にサンタクロースのお人形が置いてあるんですけど、
それを見た子供たちが「サンタさんだー!!」と大はしゃぎしていました。とっても可愛い♡

 

さて今日は姉がアップルパイを作ってくれました。美味しそう♡
我が家では毎年姉がクリスマスケーキやお誕生日ケーキを作ってくれます。
考えてみたら超良い姉だなー。尊敬〜。(このリボン、どうやって作ったんだろう……?)

アップルパイ

作ってもらっている間、私は予備演習の資料作りをしていました。テーマは和本リテラシー。
若者が変体仮名を読む意味とは?という議題をゼミに提示するための発表を行います。
そのためにAIについて調べたりしているのですが」
この分野においてはまだまだ人間が主役だなー」と思いました。

 

もちろん、AIはとっても参考になるのですが、誤答も多いし解析不能なものもある。
でも人なら協力して読み通すことができるし、
文脈的に正しい漢字を推測することもできる。
やっぱり人間の能力はまだまだAIに負けることはないと実感しました。

 

さて、このテーマについてどんな議論が交わされたかはまた次回のブログでー。
お楽しみに〜。はるなでした。

トイレとパワポ

みなさまこんにちは、てるです。

梅雨の時期になりましたね。
折りたたみ傘を常備したほうがよさそうです。

さて、今回はある講義を通じて知った、“パワーポーズ”というものについてお話したいと思います。こちらは、『スーパーブレゼンテーション』という番組においてAmy Cuddy氏が紹介していたもので、両手を天高く広げたり、腰にあてたりするなどの、「自信があるように見える、自分を大きく見せる」ポーズを指します。

これは人間以外の動物全般にも見られるもので、威嚇をするときに自分を大きく見せたり、ゴリラが胸を叩く行為などが当てはまります。

また、先天的に目の見えない方でも、スポーツで勝利した際に、喜びの気持ちゆえに手をあげたという事例もあるとのことです。

Amy Cuddy氏は、意図的にパワーポーズをすることによって、自らの性格を変えることができると述べています。発表をする際、何かに挑む際、トイレの中でもいいから2分間だけパワーポーズをする。そうすることによって、効果が得られると。

それはある意味、できる「フリ」をしているように捉えられるかもしれませんが、彼女は、それでいいのだと言います。最初はフリなんだとしても、それが本物になれば、もう紛れもなく自分になるわけで。

私はこの番組を観て、自分に思い当たる節があったのもあり、パワーポーズを心がけたいなと感じました。

私は、大人数の前で発表をするのが苦手です。緊張すると、声が震えたり、自分が今何を言っているのか分からなくなったり、赤面したりします。

それは大人数の前に限らず、ひとと話すときもそうで、頭が真っ白になって、下手な相槌で対応してしまいます。

過去に、赤面して耳まで赤くなったとき、友達にそれを指摘されて、さらに赤みが増したこともあったな….

これは下手な質問なんじゃないか、周りのひとのようなしっかりしたこと言えなきゃ駄目だ、なんで話のネタについていけないんだ、引きつった笑顔に気づかれてはいないか、などなど考えれば考えるほど、自分をコントロールできなくなってしまう。

その時はたいてい、縮こまったり、スマホを見てやり過ごしたりしてました。おそらく、パワーポーズとは対照的な形だったかと思います。できるだけ、ちんまりしていようってアルマジロのごとく丸まってました。

だから、この前授業の前にトイレでパワーポーズしてみたんですよ。便器の前で、両手あげて2分間突っ立っていました。

正直、うおおおお力わいてきたぁぁあってなることはなかったのですが、「ちょっとさっきよりも何か変わったかも!」と思い始めてきたのです。

自分に正直に生きなさい、自分に嘘はついちゃいけない、ってめちゃんこ聞くフレーズですが、これがかえって自分の首を絞めることもあるんかなあと思ったり。

こうなりたい、こんな風になれたら、って行為を「でもこれってフリなだけであって、自分に嘘ついてるだけなんかな」って後ろめたい気持ちに変えてしまうのかなあと。

私は、「フリ」をすることは悪いことではないんじゃないかと考えるようになりました。フリが本物になったら、それは自分なんだと思います。

後半は自分語りになってしまい、お見苦しかったかと思いますが、パワーポーズを知ることができて、思い込む、ってこと、まずは形からでいいんだってことに気づけました。同時に、下手くそな意見なのかなと思っても、相手にちゃんと響くかなとびくびくしても、できるんやで!って雰囲気を出すことも大事なのかなと。

もちろん、その「フリ」を自分のものにしていくまで、何度も継続していくことが1番重要です。

私の就活に対する不安点のひとつとして、面接があったので、パワーポーズや、彼女のプレゼン内容を今一度確認して実践していこうかなと思いました。

本日はここらで終わりにいたします。
読んでくださってありがとうございます。

蒸し暑い時期なので、そろそろかき氷が食べたいですね。

それでは、また。

休みの少ない日々ですが

ゴールデンウィークが終わり早一週間。しばらく祝日がないのかと思うと先が思いやられる今日この頃です。
最近の私といえば、演習発表の準備をしたり演習発表の準備をしたりおいしいもの食べたり寝たりラジオ聞いたり…とこんな日々(要するに演習!!!!!!!楽しいけど辛い!!!!!!!ってことです)演習って、きちんと自分の満足いく、理想に近い(理想なんて一生かかっても追いつかない)発表ができた時は嬉しくてもう飛び跳ねちゃいそうなくらいだけど、そこまで到達するには辛い道を避けては通れないものですよね…。
とにかく!今年度は一つ一つこつこつと頑張ります(涙目)

こんな風に?毎日風のように過ぎ去っていく日々ではありますが、今日は個人的に嬉しかったことを二つ書こうと思います。休みが少ないと気持ちが追い詰められがちですが、皆さんも少しでも良かったことを思い出して、明日からの活力となりますように!

一つ目は、この間初めて『元暦校本萬葉集』をこの目で見られたことです。
今トーハク(東京国立博物館)では、「美を紡ぐ 日本美術の名品」と「国宝 東寺 空海と仏像曼荼羅」の二つの特別展があって、行きたいと思っていたら、運よく知り合いの方が二つとも前売り券を買っていてくれていました。常設展はキャンパスメンバーで無料にはなるけれど、特別展はたったの100円引きにしかならないので、内心お金浮いたラッキーと思っていました(笑)
で、その方と奥さまと私の祖母とで4人で行ってきたわけですが、それはそれは楽しかった…。京都の東寺は一度だけ行ったことがあったのですが、仏像はもちろん普段は見ることのできない貴重資料、仏具等々(唐時代の密教法具、前に授業で触れた東寺百合文書も…)がたくさん出品されていて、いくら見ても見飽きることありませんでした。日本美術の名品の方は、美術なはずなのに定家筆の『更級日記』、後伏見天皇筆の『古今和歌集』がなぜか展示されていて、私には意図がくみ取れなかったのですが、とにかく日文ガール的には美術より大興奮でした。
(博物館学芸員の資格の講義を取っているので、一つの特別展を企画することの大変さと苦労が伝わってきました…)
あと、おいしいものといえば「上野精養軒」に行って、ランチ?ディナー?どっちともいえない時間にお肉とウィンナー(子供みたいだけど、ちゃんと大人な味でした)をほおばってきました。あの時間に食べるお肉ってなんであんなにおいしいの…。若干の罪悪感…あれは人をダメにする。

話は本題に戻って、『元暦校本萬葉集』の話ですが、その「美を紡ぐ 日本美術の名品」の特別出品として出ていました(「令和」だからなのかしら…)。私は基礎演習が『萬葉集』で、前期も演習を取ったり、上代の自主ゼミ長だったりと『萬葉集』に触れる機会も多くて、ちょうど元暦校本もe国宝(ネットで国宝、重要文化財の作品の画像が見られるサイト)で見ていた直後だったので、すごく嬉しかったのです。
元暦校本といえば、殆ど見られない粘葉装という装丁で、紫の飛び雲がすき込んであるのが特徴です。粘葉装は、今の小学校の文集などの袋綴じとは違って、裏表両方に書くのでなめらかで良い紙でないといけないのです。『萬葉集』は残念ながら、奈良時代の成立時期に近い写本は残っていないため、桂本や元暦校本といった平安中期の写本はとても貴重なわけです。
そんな元暦校本を実際に見れるなんて、素晴らしいと思いませんか!!!???
私は今まで『萬葉集』の古写本というと、どこか空想の世界のものだと思っていました。勉強しているけれど本当にあるものなのかな…という遠い存在でもあったり、「令和」発表の前は『源氏物語』の絵巻などの出品の方がずっと注目されていたという側面もあったように感じます。平安中期といえば、約1000年前。千年かけてそれでも残り続けることは、資料の中身だけではなくて、写した人や火災や戦乱も乗り越えて守り続けた人々の思いも詰まっているということだと思います。元暦校本の紙の美しさだったり、伸びやかな字から、その重みを感じました。それから、粘葉装や紫の飛び雲など実物で見ることで、理解度が深まったように感じました。資料は、知識がなくても興味深いけれど、やっぱり知識があった方が見ていていろんな点に気が付くし、面白いです。机上の勉強と実物観察?の両方を大切にしたいと改めて感じました。
また、千年も前のものを今の私たちが見ることができるって、タイムトラベルはできなくても過去と今を繋げることでできるような気がしています。そしてそれを私たちは、未来に繋げていく必要があります。今から千年後…いったいどうなっているか分かりませんが(もしかしたら紙なんてなくて、だれも文字を書く人がいないかも!?)、こういう文化的なものが残ってくれればいいな、と思いました。

二つ目は、嬉しかったというより興味深かったことに近いかもしれませんが…。この間ある講義で、人間は生得的な言語獲得装置(LAD)を持っている、ということを勉強しました。LADというのは、簡単に言えば「言語には何らかのルールがある」ということを生まれつき持っている、ということなのです。
で、今日更にあるまた別の講義で言語について学び、先生に質問をした流れでLADの話になり…その先生がおっしゃることには、言語の獲得というのは、コミュニケーションツールとしても当然重要な役目を担っているけれど、それと同じくらい大切なのは時の流れ(過去現在未来)を把握できるようになったということなんだそうです。というのは、人は言葉にすることで起きたことを把握し、それを次に生かして見えないものに対しても予測できるようになったそうで。結局ホモサピエンスは言語を獲得できたために、獲物が来ることを予想し罠を仕掛けられるようになったために生き残ることができたけれど、ネアンデルタール人は言語獲得できなかったために生き残ることができなかったらしいです(聞いたことを書いているので若干不確かなところがあります)。言語って深いなあと感動します。少なからず、言語はきっと何万年?と歴史を持って日々変化しているのだと思うと、この言語を簡単には手放してはならないと思うのです。
最近一つ思い出したことがあります。それは高校生の頃に、あることで「ごめんなさい」と謝ったら「でもあなたの中で、こうしなければ生きていけなかったんでしょう?」と先生がおっしゃったことです。その時確かに私は「そうしなければならなかった」状態であって、すごく心も敏感になっていたので、その言葉に心を見透かされたように感じたことを覚えています。
しかしながらもし今同じ状況だとしたら、もっと寛大に色んなことを受け入れることができただろうし、今思い返してみるとその「あること」が段々と過去のものになって客観視できるようになってきていると感じるのです。人間とは不思議なもので、辛かったり悔しかったりしても、そこから学んで生かしたり、「時が解決する」という言葉があるように、時をかけることでいろんなことを忘れたり別の視点でものを見ることができるようになるのです。
色々と人というものは理屈で通らないことがあって、でも成長することのできる生き物で、自分自身でそれを実感できるとともに、文学の視点から他の人の生き様を感じることができるのは、とても幸せなことだなと改めて感じました。

最後は何だかすごく真面目になってしまったけれど、毎日忙しい日々の中で自分自身を振り返ったり、ふと嬉しかったことを思い出すというのは、すごく大切なことだと思っています。(じゃないと、毎日があっという間に過ぎ去ってしまうような感じがする)
今週末にはずっと楽しみにしていたライブもあるし!(きゃーーーーー)息抜きしながら、前期を駆け抜けていきたいです!
さて、演習の準備に戻ります。ではでは~っ

優しいあの子にも教えたい♪

4月が来てしまった~~。と思ったらもう月の半分です。皆さま、如何お過ごしでしょうか。

逃れられない令和。まだまだ変換機能が追い付かない令和。この元号をもう次の月では使う事になるのですね。

丁度新しい元号が発表された日は大学の新年度ガイダンスがあった日で、友人も周囲もみなどことなくそわそわしていました。そんな中私が元号より何よりも楽しみにしていたのは、、、

そう!!朝ドラです。記念すべき100回目の朝ドラ『なつぞら』の主題歌はなんと!スピッツが担当なのです!!そしてそれが意味するのは主題歌=新曲!!この日をどれだけ楽しみにしていた事か…!

朝からお茶の間でスピッツが流れる、なんて優しい朝でしょうか…もちろん私はスタンバって聴きました。朝から号泣です。元号より何よりも楽しみにしていた新曲「優しいあの子」。そのタイトル通り優しい曲でした。メインであるドラマも、画面いっぱいに広がる北海道の豊かな自然と、豪華で実力のあるキャスト陣と、オープニングをアニメーションにするという異例の試みと…と、もう盛沢山で期待しかありません。あのアニメーションも優しいタッチで、これまた主題歌とよく合いますね。時間に忙殺される朝、あの曲を聴くと1日が頑張れる気がします。

 

さて話は変わりまして、今年度の履修は「楽しそう!!」という安直な気持ちでぽいぽい組む事を控えめにしたので、無理も無駄も無いスケジュールが出来上がったと思います。その為に諦めた講義はなんと14単位分…。でもやっぱり惜しい…。卒業論文と就職活動でそんな暇は無い事は分っていますが、4年次でもせめて3つくらいは講義を受ける事ができたらなあ…。

今回泣く泣く諦めた講義の中には、このブログでもお世話になっている中世文学の先生の講義もありました。昨年度はその講義で能を学びましたが、今年はお伽草子や中世小説を取り上げるそうで、もうこんなの楽しいに決まってる!!と、迷いも無く履修に組み込んだ訳です。しかし、その講義は扱う内容は違えど昨年度受講した講義と重複してしまう為、履修できないらしく。心の中で発狂しました。「単位はいらない、だから受けさせてくれ―――」と。悔しかったですね。扱う作品は『とりかへばや』に『お伽草子』、今年のセンター入試で話題に上った『玉水物語』などなど。受けたかったなあ…。何より私は『お伽草子』の中でも「鉢かづき」の話が大好物で、小学生の頃にちくまだったかどこかの出版社から出ている学習漫画で読んで、すっかり虜になってしまったのです。鉢かづき姫の詠む歌がそれはそれは愛らしくて…。ああ、考えたらまた悔しい気持ちが…。くぅ…。

読んだことが無い方はこの機会に是非ご一読くださいませ。面白いですよ~。

 

あとはこれは個人的なビッグニュースなのですが、、、実は、公益財団法人日本文学振興会が開催している作家を招いて一般人に講義をするという講演会に当選してしまったのです。それも、あの著名な児童作家・上橋菜穂子先生の講演会に当選してしまったのです…!!!

確か芥川と直木が一緒に酒を飲んでいる写真が新聞の一面広告になっており、その広告がとても素敵だったのでその項だけ切り取ったのです。そうしてよくよく見れば、下に小さくこの日本文学振興会の事が書かれており、気になって調べてみたらこんな素敵な催し物が開かれているではありませんか!これはもう応募するしかないと思いました。

当選者はたったの100名のみ。必要な個人情報と、最後に講演会への志望理由を記入して応募するだけ。まさか当選するとは思ってもおらず、当選の書留が届いたのも4月に入ってからだったので、手にした時は応募したこともすっかり忘れていたので、封をあけて当選の知らせを見て本当に驚きました。大好きな作家さんの、それもただのサイン会とかではなく”講演会”という場で、貴重なお話を沢山聞く事ができるなんて…。いまだに信じられない夢を見ているようです。もし4月後半のブログで書けるのであれば、その講演会の感想を書きたいと思います!むふふ。

 

何かといいニュースばかりが飛び込んできて浮足立つ私ですが、気を緩ませてホームに転落するとか、階段落ちたりしないよう、気を引き締めていきたいと思います。それで今回はこの辺で。えぬでした!

教職履修希望の1年生・2年生は注意を!

あかねです。4月が始まり、先日まで怒涛のオリエンテーションラッシュでしたね。新1年生の方々は体調にお気を付けください。
さて、今年から1年次で履修する教職の科目が増えました。昨年までは「教職基礎論」というものだけが1年次の履修科目で、2年次に7コマも教職の授業があったのですが、今年は1年次に4つ、2年次に4つとなりました。2年次に7コマ(単位としては8つ)だと、他の皆が48単位ほど取っていても自分は44単位に抑えておく必要がありました。それでも大変でしたが……。
しかし、今年からは1年次で取れる授業が増え、負担も分散できるようになっていました!1年生、良かったね!ただし履修は無理のない計画を立てましょう!2年生、多分1年生と合同授業だ!発表の機会があれば、先輩としての手本を示しましょうね!
しかし、問題はそこではありません。皆様、シラバスは確認しましたでしょうか。実は、「教育社会学」「教育学概論」「教育心理学」の3つが1年次からの履修になったものなのですが、Jasmine-Naviで科目は「教育」、学年を「1」として検索すると……出ません……!この三科目はシステム上で学年が「2」のままになっているのです。もちろん教務・資格課に報告したのでこれから直されるかとは思いますが、もしかしたら1年生は履修登録の際にも学年が違うということでエラーが出るかもしれません。オリエンテーションの時にも注意はあったかと思いますが、必ず履修登録期間の初日に確認し、登録が出来なければ百年館2階の教務・資格課まで報告してください。
ここからが2年生への注意喚起です。もしも1年生が見られるようになったら、次は2年生が見られなくなるかもしれません。2年生で「教育社会学」「教育学概論」「教育心理学」を登録しようとしたら「1年生での履修」となり登録できない可能性もあります。2年生も必ず履修登録期間の初日に確認してみてください。これを読んでくださっている1、2年生の方は、教職を履修している友達に大丈夫だったか聞いてみてください。宜しくお願い致します。
履修のミスで諦める人がいないよう願っています……!

砂漠とレジュメ

みなさまこんにちは、てるです。

12月といえばクリスマス。しかし、帰り際イルミネーションがきらきらしていると、クリスマスというより、「今年も終わるのだなぁ」としみじみした気持ちになってしまいます。なんとも切ないきらめき…
でも、今年こそはイルミネーションのイベントに行ってみたいと意気込んでおります。

ここ最近は、演習の翻刻をひたすらやってます。日文の学生なら必ず通る門(その名は変体仮名)があるのですが、久々に見ると読めなくなっていて焦ります。最初は、変体仮名って言葉に出すのすら恥じらいを覚えていたのに、最近はごく普通に使っていて、「これが日文というものかな」とたまに実感。

この前友達と、おそらく建築学科の方が持っている(設計図をいれる用?)長い筒とか、理学部の白衣を見ていて、「日文もなんかアイテムほしいよね」という話をしていたんです。そこで、何を持っていたら日文って分かるのかなと話し合っていて出たのが、発表用のレジュメ。あとは、分厚い注釈書。

共感してくれる方がいると信じますが、演習発表のレジュメは他の学科とは特異な形式なんじゃないかな、と思います。あとは、半分に折っていく作業が大変なのです。図書館で、レジュメを折っているひとを見ると、「日文なんだな…」と勝手に考えてしまいます。間違っていたら、ごめんなさい。

2年生もそろそろ終わりますが(テストやレポートはまだ終わっていませんが)、やはり今年は演習の印象が強かったです。3つの発表が終わり、残すところ一つですが、毎度のように自分が甘かった点に気づかされます。

あと思うのは、目の前のことを一つずつこなしていくことが大事…。論文集めを後回しにすると、のちのち苦労しますし、結局またやるべきときがきます。多くのレポートを抱え震えている私が言うのもなんですが、一つずつ終わらせたり、突き詰めることが重要だと痛感しています。

そして、2年生といえばこのブログです。私がブログを書き始めたのは確か2年生に入ってからでした。過去の記事に遡ると、当初私は、「恋とはいかなる形をしているのか」という考察をしておりました。そして、ここでのせるか迷いましたが、私がだいたい2年ほど前に書いていたメモにも「恋とはいかなるものか」についての考察があったのです。

「普段は保てているはずの理性や常識にピシリとヒビが入って、あっという間にぬるりとした生温かい液体がその隙間を侵食する。まるで羊水の中に浸ったかのように、安堵に包まれた、同時に外に産まれでる緊張感も交えつつ、その絶妙な具合に酔いしれるのである。」

ん??これは別人が書いたのかな??そう信じたいいいいうおおお穴があったら入りたい!!!

私は、思ったことや、考えたことをちょくちょくメモしますが、今となっては黒歴史だ…。でも、ひとは多分そのときの気分で考えや感情が揺れると思うので、その一瞬一瞬が「完全な一回きり」なのではないでしょうか。案外あなどれない、貴重な瞬間なのかもしれない。

今回の話の内容を書く原動力となったのは、最近読んだ伊坂幸太郎先生の『砂漠』という作品です。脇役の西嶋は、集団のなかで浮きがちな男なのですが、当の本人はあほみたいに自分の意志を貫き通しています。彼の語りに呆れることのほうが多いのですが、時にひとの心を抉ります。

西嶋の「今、目の前で泣いている人間を救えない人間がね、明日世界を救えるわけないんですよ」と言う名セリフも素晴らしいですが、何より、こんな大学生活羨ましい(だいぶハードな部分もありますが)と思わせてくれる一冊なので、おすすめいたします…!

さてさて、だんだん冷えてきたので、体調には気をつけて生活していきましょう!

では、また!

こたつむりとラムネ

みなさまこんにちは、てるです。

最近こたつを出しました。「こたつで寝るとかぜひくよ」って昔から言われてきたので、こたつから顔だけだした“こたつむり状態“で長時間いることはしないようにしています。

そういえば最近二つ目の演習発表が終わったのですが、そこでは質問用紙が配られる形式になっております。匿名なので、誰が誰だか分かりませんが、自分では気づかなかった点、甘かった点など後から見直せてためになります。そこで、実はブログ部の先輩と運命の出会いを果たしてしまったんです。

個人的には、こう…少女漫画でキラキラって背景が広がるような気持ちでした。机に書いてた何気ない一言に誰かが返答してくれた!とか、文房具屋さんの試し書きコーナーに書いた言葉に返答がきてた!とか、恋文が下駄箱に入ってた!とかそういう感覚…(どういう感覚やねん)

恋の始まりのような、まさにトゥンク…って言葉を使うべき瞬間でした。今度菓子折りを手にごあいさつしたいなと思うてるでした。

さて、先日私と妹は近所の銭湯を初開拓いたしました。あったかい湯船につかりたいなあと思い、いざ!
入るとひとの良さそうなおじさんが受付をしておりまして、お金を払って中へ。こじんまりとした場所ですが、泡がでるお風呂や露天風呂、なんと電気風呂なんてのもありました(私は怖かったので入りませんでしたが、妹は二回も入っていて「私Mなのかな」と言っておりました)。

体を仰向けにして、リラックスした状態で入れるお風呂がよかったです!泡の勢いも強くて気持ちよかった…癒された…。一緒にお風呂に入っていた方ともお話しました。

お風呂のあとはラムネを飲んで家に帰りました。こうすると泡が出ないんだよーと受付の方が親切に教えてくださったし…体も心もぽっかぽかです。

いつも自分が身を置いてる場所にいたら、疲れてしまうなと実感しました(もちろん安心感もあるが)たまにはどこか開拓するのいいなあと。だいぶ充電できたので、寒い寒い12月に向けて頑張るぞおお!と意気込んだところで失礼いたします。

では、また。