私の源氏物語

あっという間に3年生の冬を迎えようとしています、れいです。
時の流れというものは、怖いです。一時は本当に悲観的になっていました。
神経質な私は、この新しい生活になじめず時間が失われていくばかりな気がして、どんどん置いて行かれるんだ、と思っていました。でも、困難に出会った時に、すぐに適用してそれをプラスのエネルギーに変えられる人もいれば、忘れたころに何か活かされる場面のある人もいるはず。
私もいろんな経験を通して、少しずつ自信を取り戻すことができています。うまくいかないと感じる時は、自分に変化を求めている時だとも思うのです。そしてどんな時も、自分は気づいていなくても人は少しずつ成長している、変化していると私は思っています。

そんな2、3年で見方が大きく変わったもの一つに、『源氏物語』があります。

 

実は、私は高校生の時、源氏物語が苦手でした。古典が好きなので選択授業も取り、人よりも(少なからず授業内では)源氏を読んでいたのですが、その時は文法の難しさと登場人物の多さ、垣間見などの共感できない要素からか、あまり好きになれませんでした。

源氏が苦手なまま入学したのですが、一年生の時一つ目の転機が訪れます。それは、昨年度ご退任された高野先生の源氏物語の授業を取ったことでした。先生は、源氏物語を和歌という視点からご研究されており、私が古典の中で最も好きな和歌との繋がりの中で源氏物語を学べたというところが大きかったのだと思います。そして、先生の「源氏物語は女君が主役でもある」という言葉。今まで光源氏を中心に物語を見ていた私にとって衝撃が走りました。そして実際に女君の視点で源氏物語を読むことで新しい発見が多くあり、苦手意識は少しずつ薄れてきました。

 

そしてもう一つの転機、それはまさに今です。今年私は通年の演習授業で『山路の露』という、建礼門院右京大夫が書いたともいわれる源氏物語の二次創作を読んでいます。そして後期からは、源氏物語の講義も取っており、源氏物語をいろんな角度から見ることで、「生きた」物語として読めるようになったと思います。
そのような中でふと気が付いたことがあります。本文に最初に登場する女君、桐壺更衣ですが、和歌の中で「生かまほしきは命なりけり」と詠み、生きたいと願っているにも関わらずすぐに死んでしまいます。しかし最後に出てくる浮舟は、更衣とは反対に死にたくて入水をするものの結局生きながらえることになるのです。その皮肉というか、まさに生き方が「生と死」という視点で対比されていて、自分で気が付いた時鳥肌が立ちました。定家も宇治十帖は紫式部本人が書いたと言っていますが、こんなストーリー同一の作者ではないと書けない、と私も思います。そして最後に死なない女君、浮舟に視点を当てることで、私たちに現実世界で女性として「生きる」とは何かを考えさせているのかな…、と漠然とですが考えました。
そして、すでに指摘がされているように、源氏物語が母と子の物語であることも、桐壺更衣と浮舟の対比は示しているように思います。実際、光源氏は母桐壺更衣の面影から藤壺への思慕と繋がり、またその思いが物語を動かしますし、浮舟は反対に母親がいても、親子ですべて理解し合えることができないのです。
『山路の露』は浮舟物語の後日談を書いたもので、最終巻夢浮橋からしばらく過ぎた、薫二十八歳の秋から物語が始まります。ちょうど先週発表担当だったのですが、その際に源氏物語からの継承という視点で、浮舟物語を読み直しました。すると、母中将の君にとって、娘浮舟は身分意識の中で自己投影の存在としての側面も持つことにも気がつかされました。別にそれは母君が悪者ということではなく、母君は母君自身の中で浮舟の幸せを、自分の境遇とも照らし合わせながら考えているのでしょうし、一方の浮舟は母の気持ちも十分に理解しつつ、でも自分の描く幸福はまた別にあることに確実に分かっていて…。『山路の露』は、まさにその母娘の心情の機微をも上手く描き出していて、源氏を愛した人が書いた素晴らしい作品なのだと改めて感じました。
たぶん女性なら誰しもが自分を浮舟に重ねる部分があるはずです。私も、浮舟を知ることは自分の痛みと向き合っていくことでもありました。『山路の露』をはじめ二次創作が書かれたのは、源氏物語が普遍性を持つ作品であるからだと改めて実感します。

 

浮舟物語を読むと、私が必ず思い出すのは、3年ほど前の「お母さん、娘をやめていいですか」というドラマです。主役の娘美月はずっと母と一緒に乗り越えてきて、母がなれなかった教師にもなり、母が親友といういわゆる「友達親子」なのですが、ある男性との出会いによって母親の顔色をうかがいながら生きてきたことを自覚していきます。一方の過干渉な母は、段々と自分の手を離れていく娘に戸惑い、どんどん追い詰めていってしまうというのが大まかなストーリーなのですが…。今考えると親子関係はまさに中将の君と浮舟に重なる部分があって、もしかしたら時代を近くして源氏物語を読んだ読者は、このドラマのような生々しさを感じていたのかな、なんて思いました。
「お母さん、娘をやめていいですか」は、私が見た中でも忘れることのできないドラマで、いつの時代も変わらないんだなと実感します。

 

今まで私は、古典の物語は、日記や和歌とは違い別の世界にあるものだから、どうしても共感できないことが多くありました。でも、架空であるからこそ、自分に引き寄せて読むことができるのかな、自分の想像を膨らませることができるのかな、と今回発見しました。まだまだ源氏物語のほんの一部にも満たないほどの読書と知識量ですが、時間を経ていくごとにどんどん好きになっています。これからも、この好きという気持ちを大切にしたいです。

恋歌×月って最高

さつまいもが美味しい時期になってきました。今とてもスイートポテトが食べたいさやかです。みなさん、こんばんは。

この前は中秋の名月でしたね。空や月を眺めるのは割と好きな方で、改修工事中のせいで覆われてしまった謎の幕の内側から(工事の時に建物を覆う幕・布って何のためのものなんでしょうか…?)、お家でがんばって月を見ました。Twitter上でも、綺麗な写真をあげている方がいて、肉眼よりも綺麗に撮っていました。自撮りやインスタを全くしない、カメラに疎い私には衝撃…。

 

月を見てなんだか風流な気持ちになったので、月にまつわる、私の好きな和歌を今日は紹介します。

 

「恋しさは 同じ心にあらずとも

今宵の月を 君見ざらめや」(源信明 『拾遺集』)

 (訳:恋しい気持ちは同じではないけれども、今夜の月をあなたも見ているのだろうなぁ)

  昨年、京都国立博物館の佐竹本の特別展に行く際に色々と調べて知った和歌です。比喩とかは全く入っていない、一見シンプルな歌。でもこれを知ったとき、ググッと来てしまったのです。

 まず上の句の時点で、悲恋譚・せつない話が大好きな私は心惹かれます。実際は信明はこの歌を贈った相手とは良い関係だったそうです。しかし片思いであっても、両思いであっても「自分はこんなに好きだけど、相手はそうじゃないかもしれないなぁ…」と誰しもが思うのではないでしょうか。

 そんな自分と相手には距離を感じてしまう中、「今宵の月を君見ざらめや」。「今自分が見ているこの月を、あなたも見ているだろうなぁ」と、月を媒介にして相手と通じようとしているのがもう、素敵で素敵で…。

 私のテンションの上がりようについていけない方は、綾香の「三日月」の歌詞を参考にしていただけると、結構わかりやすいと思います。こっちは完全に2人が別れてしまっていますが、月を通して相手を感じる、というのは同じです。こうしてみると、現代人にも割と通じる感覚であることがよくわかります。

 私自身はそんなに和歌の解釈とかはそんなに得意ではないのですが、場面が素敵すぎて印象に残っています。ちなみに、佐竹本三十六歌仙絵では、信明はこの歌とともに、少し俯いて切なそうな顔で描かれています。月を見上げるのではなく、相手を思ってしょんぼりしているのかと想像して、可愛いなと昨年思いました。

 それでは、今日はこのへんで。さやかでした!

四年生になる前にパソコンの確認はしっかりしよう

大学入学時に購入したパソコンのキーボードが死にました。どうも数日ぶりです。ゆかです。

ここ数ヶ月、卒論の発表のレジュメを作るために、毎日パソコンと向き合いキーボードとダンスを踊っていました。すると二週間ほど前から右手の可動範囲のキーボードがやたら重く、何じゃこりゃ~と思っていたら、ついにエンターキーが壊れました。何度も強い力でタップしないとだめです。なんでこんな時期に壊れるんだよ!と大いに焦りながら、大学生協に問い合わせをしようとしています。

ゼミの先輩が去り際に、「パソコンの動作確認はしっかりして置いた方がいい。自分は卒論の時期に壊れて大変だった」と言い残していたことが今になって思い起こされます。その時は「まあ大丈夫っしょ!」と思っていましたが、全然大丈夫ではありませんでした。

思い返せばこのパソコン、ここ数年ワイファイ繋がらなかったりプリンターと繋がらなかったりしていたなぁ・・・ちゃんと前兆があったわけですね。はぁ。

とにかく、中間レポートをこのパソコンで作るのは無理そうなので、大学生協からお借り出来る代替機、もしくは学校の図書館のヌッシー(これ久々に使った)にでもなって頑張ろうと思います。ひとまず、データは全部USB×2に移して、何があっても大丈夫なようにしたいと思います。パソコンの修理ってどれくらいで終わるのかな。パソコンでお絵かきが出来なくなるのは大分きついんだけどな・・・。三日前漸くレジュメ地獄からほんの一時だけですが解放されたばかりなのに、私はまたお絵かき禁をしなくてはならないのか・・・!?と震えています。うーんでも卒論が書けなくなる方が困るので修理には出します。代替機に無料のお絵かきアプリ(安全なやつです)ダウンロードするしかないかな!!!

 

さて、そんなわけで今回の内容は、これから卒業論文に立ち向かう予定の、後輩に向けてのアドバイスです。結構役に立つと思うのでよかったら読んでね!

 

【必需品編】

〇パソコン

パソコンの調子はまじで一回確認した方が良い。特にキーボード。現在私のパソコンは、5:5の割合でキーの調子が良くなったり悪くなったりしますが、悪いときは本当にストレスなので少しでも違和を感じたら速攻修理に出しましょう。大学生協で購入したものなら、4年間保証書が尽きますし、修理の間は代替機を貸してくれます。

〇データについて

私はパソコン本体、USB、ドロップボックス(これは完成版のみ)にデータを保存しています。データは色んな所に保存して間違いはない!

〇論文の整理

論文は必ず印刷しています。論文の最初のページに何ページに何が書いてあるか、いつの発表で使うか簡単にメモするとわかりやすいです。また、私は「道成寺」「道成寺説話」「水 竜 女」など、テーマ毎にファイルを作り、それに応じて論文を入れています。そして最後はおっきなファイルに全部入れちゃえば、取り出しも簡単です!

 

【卒論との向き合い方】

〇テーマ

なるべく早めに決めて、卒論で論じたいこと、結論にたどり着くためにはどういうプロセスで何を論じれば良いか考える→章立ての決定 って感じでやると、無駄なく研究が進められます。簡単に言っちゃったけど、詳しいプロセスの構築の仕方が聞きたかったらいつでも声かけてください。

〇卒論と就活

私の代の就活は3月から本格的に始まりましたが、実際は2月から準備に追われていました。2~5月は就活で圧倒的に余裕がない・・・みたいな状況が続いていたので、なるべく早い段階から卒論には向き合いましょう。私は2月中に校訂本文を作り、語釈もざっくりと終わらせて話の内容も頭にたたき込んでおきましたが、普通にそれをやってもその後の発表が大変だったので準備は前々からやっといて損はないよ。両立は頑張ったけどむずかしかった・・・

〇卒論と息抜き

私は発表のレジュメがおわるまでっていうか基本的にやるべきことが完遂できるまで普通に禁欲して娯楽を一切排除しちゃう人間なんですけど、それやると気力体力ともにやられてしまうので、メリハリのある生活を心がけましょう。私も今一所懸命両立を覚えています。多分ね、早起きして朝からレジュメして、午後は三時間息抜きして、又作業をするみたいな生活スタイルが一番はかどるし、精神衛生、健康面に於いても絶対に良いと思います。逃げ場は必要です。

就活と重なると、就活の終わりの見えなさ、卒論のヤバさであわわわわわ・・・ってなって自分を追い込みすぎて破滅・・・ってなっちゃうので、頑張りすぎず、自分に優しく生きてください。まずは就活もとい、自分の将来最優先で・・・卒論は終わったらめっちゃ頑張って取り戻せるから・・・いのちだいじに生きてください。

リフレッシュできる方法は絶対に覚えておいた方がいいよ。卒論で一番大事なのは、自分の体調と向き合いながら作業を進めることだと思います。体は壊さないようにね。

〇困ったら先生と院生の方に積極的に相談しよう!

相談しなくて失敗するよりも、相談して成功した方が絶対良いよ!ということなので、先生方とは日頃から沢山お話して、信頼関係を深めましょうね!提出物も頑張ってね!

 

【最後に】

これは一番大事なことだけど、発表で怒られたりご指摘をいただいたりしても、それは自分の人格否定とかではないし、自分のことを思ってくれているからこその注意(お叱り)なので、前向きに生きてね!中には重箱の隅をつつくようなところも存在するみたいですが、少なくとも先生方は愛をもってご指摘してくださいます。多分どうでもいい人にはお客様対応で、指摘すらしてくれないし、指摘の数は愛の数・・・と、中高演劇部という厳しい競争環境・日々指摘され改善を求められる環境にいて、他人から指摘を受けることにすっかり慣れてしまった私の意見でした。そうはいってもお叱りを受けたらしょんぼりするけどね!!!!次頑張ろう!!!!!!

これ言えるのは、私が過去の経験からやたら打たれ強くて、どん底に突き落とされても、何度でも這い上がる執念の鬼だからかもしれないわ!

 

 

私は中世ゼミで、回転率の早い発表に現在進行形で苦しんでますが、定期的に先生のチェックが入ること、卒論の手を抜かずに、隙なく作業できること、発表の予定を逆算して、最後の発表までには全部論じなくてはならない場所を論じ終え、後はレジュメの修正箇所を除いてほぼコピペ・・・って感じで済ませようとしているので、今は大変だけど将来のことを考えたら、本当にありがたいゼミだ・・・と思っています。とかいってたらこの前普通に一ヶ月くらい禁欲してたことに気が付いて笑いました。禁欲よくないな~どこの修行僧だよ。

あと、少なくとも中世文学は知識勝負なので本当に色んな研究書に触れる機会が多いです。読んだ数だけアウトプットもするので、知識が凄い積み重ねられて私はたのしい。中世ゼミの宣伝はどんな時でも忘れませんよあたしゃ。いえ~い皆見てる~?

 

あと、パソコンの調子の確認は絶対に忘れないでね。

本当に、忘れるなよ!?!?!?!?!?!?!いいか!!!!!!!!!!!!!!!!!!わかったか!!!!!!!!!

 

 

 

目下の悩みは卒論の文字数が3~4万字になりそうで震えているゆかでーした!どうにもならねえわこりゃ!ははは!許してちょんまげ・・・って感じで生きてる(今までの総文字数10万越え)

 

追伸

 

最近アンダーテールという作品にハマりました。大いなるネタバレになるけど【megalovania】という曲がマジクソかっこいいのでネタバレ気にならない人は聞いてください。マジクソかっこいいから ほんとだって 嘘じゃ無いって ほんとだってば

元気いっぱい!

どうも!ゆかで~~す!!

ここ一週間嬉しいこと、良いこと、楽しい事が続いて、毎日とってもハッピーです!
でもでも、この一週間本当に長かったなぁなんて思ったりもします。
前までは一週間なんてあっという間だったのにね!

 

さて、その中でも一番のハッピーニュースを皆さんにお届けしちゃうぞ!!

 

実は私・・・・・・

 

 

 

 

日本文学科奨励賞を受賞しちゃいました~~~~~~!!!!!!!!!

いえ~~~い!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

日本文学科奨励賞とはなんぞや?って人のためにかる~く説明しときますと、学業・人物ともに優秀で、ユニーク(創造的)な学生生活を送った人に授与される、四年生だけの賞です!
いやあ、なんだか自分で「私めっちゃ優秀だよピッピロピ~!」って言っているみたいで照れますなぁ!
この賞、例年は一人しか選出されないという事なのですが、令和最初ということで多分色々アッタのでしょう!今年はなんと!私含めて二人が選ばれたんですよ~!しかももう一人はお友達であったというミラクル。残念な事に、本当に残念な事に賞金は半分こになってしまいましたが、二人で良い思いが出来たので本当に良かったです!良い思い出になったぞ!!

実は私には、「日文の星になる」という密かな夢がありました。
それは、高校を卒業する時に、仲の良かった現代文の先生が最後のテストのコメントに「日文の星になってくださいね」と書いて下さった事から始まりました。
多分先生はその事を覚えていないだろうし、軽い感じで書いたのだと思いますが、この大学生活でずっと「日文の星になるぞ!」と思い、辛いときも頑張り続けてこられたのはその言葉のおかげでした。

だから今回!賞を受賞する事により日文の星になる目標を個人的に達成する事ができて本当に嬉しいです!やったよ!!!!

あと個人的にですが、内部生(日本女子大学附属高等学校からそのまま上がってきた人の事を指す)もやればできるんだぜって事を証明出来て嬉しかったです。やるぜやるぜ 俺はやるぜ!

しかし私は、まだ己が高みにいけると信じています。ここで満足なんかしてませんよ!!!!

まだ私達には「卒論優秀で賞」と「成瀬賞」が残っていますからね!!!!!

は~~~~!!!!!!!!!!絶対どっちかを受賞!!!したい!!!!!

でもこればっかりは上の皆様が選ぶ事なので、私はいつも通り真面目に楽しくハッピーな学生生活をおくろうと思います!

 

唯一の心残りは

受賞者のスピーチで

「ご紹介にあずかりました~」と言うつもりが

緊張しすぎていつものノリで

「こんにちは!!(フルネーム)です!!!!」

と朗らかに言ってしまったことです。馬鹿っぽさ丸出しやん!!!!!

 

あっあとあと、今回の春季大会、同じブログ部のれいさんとみずほさんが本当に頑張っていて・・・お疲れ様!!!!!と大声で叫びたいです。
今年は色々な事と重なってしまい、二年生が運営しなきゃいけなかったらしく・・・変更点も多かったため、対応がとっても大変だっただろうな・・・と思います。
前で一生懸命頑張る後輩ズをすっと見ていましたが、頑張る二人はすごくかっこよかったです!
途中の休憩時間では話しかけてくれてありがとう!私は二人に気が付いていたけど二人は私の顔忘れてると思ってたから嬉しかったです!も~~~~本当にお疲れ様!!!しばらくはゆっくり休んでください!!!!!

ブログ部といえば、私の気が向けばと、ブログ部の皆の賛同があればですが夏休みあたりにまたオフ会という名のブログ部大集合のカラオケ大会でも・・・企画しようかなって思ってます。気が向けばね!これ見て「やろうぜ!」って思ったブログ部員はゆかまで連絡ください!

 

とにかくこれからも、大好きなコナンの映画に通いつつ、お絵かきを楽しみつつ、卒業論文にしっかりと向き合いつつ、頑張りまーす!

ゆかでした!

その場のノリで物事決めてもいいじゃない?

皆さん、こんばんは。こりです。

月日は流れ、人生最後のブログ更新となってしまいました。折角なので思い出を語っていきたいと思います。

 

ブログ部の最初の出会いは1年生の時の説明会。その時は「ほ~ん…そんなのあるんだ」ぐらいで、別に調べもしませんでした。その頃の自分はまさか自分が入るとは微塵も思ってません。

確か冬になりかけの頃だったでしょうか。能研のある1人の先輩が「アドバイザーの先生にこりのメアド教えて良い?」と突然LINEを飛ばしてきました。当時の私はアドバイザーの先生をひどく恐れていて、「やべぇ…何かしでかしたんだ…私…」と冷や汗をかきながら先輩に「大丈夫です」と一言、返信しました。その後すぐに先生から「ブログ部員にならないか」というお誘いが。

 

〔当時の私の心境〕

えーっ…ブログ…私…三日坊主で超飽き性だよ…しかもPCを開くの時間かかるし…(その当時インターネットが繋がってるPCは親のみが知るパスワードが必要であった。つまり私のPC利用時間は親に管理されており、唐突に深夜使うことや長時間使うことは許されていなかった)…いや…何より面倒いな…でも先生からお誘いきてる…これ断るって選択肢なくない?えー…でも私やり切れる自信な…お断り…でき…でき…

 

私はその数分後「ブログ部員になります!」と先生に返信。その後先生から「二つ返事でお引き受け…」と来て、(これは迷って良かったやつだったのかー!!)と膝から崩れ落ちたのだった。

このような経緯を経て、ブログ部員へ。そもそもテンションで話す私。文字化すると一気に語彙が減るし、文章がまとまらない。

初期から(いや、今でも)文章が長い。打ち込む時間も長い長い。そしてすぐに更新日を忘れる。

え、つまりどういうことだって?

 

…更新日に更新ができないんだよ!!!(エコー)

 

いや、長い文章書くなら、前もって準備しておけばいい話なんだけどさ。私が悪いんだけどね?「あ、いっけねー☆更新日、今日だった。これから書こう!」と思って書き始めて3時間。やっと書き上がると日付がとっくに変わってるとか日常茶飯事。というかこれはいい方。旅行とか手が離せない用事が重なってる時「更新忘れてますよ」とメンバーから連絡が来た。

 

〔心境〕

LINE。あ、いっけね。昨日だったか。え~でもこれから友達と会う約束だから…すぐには無理だな。でも今日中には更新しよう。まず何をネタにしよう。ネタがないわ。寝て食べて、それしかないわ。どうしよう。ネタないし、時間もないから、1時間ぐらいで書けるかも。いや、どうせネタがないわってくだりから始まって…3時間コースか??あ~今から書くことダルいわ…あとで家に帰ってからプロット書こう…

 

となってズルズルと伸びていく…更新日。本当に申し訳なかったなと思います。(というかまだ10月31日の再更新してないじゃん。もう終わるってのにヤベェなこれ。)

あれ、これ。完全にブログ部の愚痴だけになってるじゃん。違うのよ??これからよ、これから。

では話は戻りまして、ブログ部に入った当初のお話へ。最初は不安いっぱいの私。

その時にアドバイザーの先生のご自宅へ伺うというイベントが発生。断れない私は勿論伺うことに。因みにアドバイザーの先生は能研の顧問でしたが、まだ代表の仕事は先輩がやっており授業でしかお会いしていませんでした。またこの場で初めて会う新入ブログ部員。今まで語学のクラスで一緒だった子もいれば、全く知らない子も。

 

〔実況〕

「こちら会場は先生のご自宅。さぁ、パーティスタート。おおっとこり選手、緊張状態により最初からハイテンション」『過去の傾向から行ドン引かれるか可能性が高いですね』「…かと思いきや、意外とノリよく皆さん乗ってくれた!」『皆さん、心が広いんですね』「ここで先生と初めてお話しする。先生は色々な方面の知識に強く、私の話を興味深く聞いてくださる」『ありがたいことですね…』

 

という感じで、先生も周りのブログ部員も私の話を優しく聞いてくださったのです。

実はこの当時オタクバレというのをしてなくて、日文では微笑みのビーナス、能研に行ってハッチャケるという生活を送っており、初めて日文の前でハッチャケ…え、そんなことない?もう既に知ってた…?おやおや…私ったら本性がちょこちょこバレていたようです。

そしてブログを書き始めて良いことが。

①弱点が分かった。そう。今まで飽き性ということは知っていたが、自分の文章が纏まりがないことを知った。だからなるべく簡潔にまとめようと試みた。その結果書き直し等が起きて、まぁ…締め切りが…まぁ書き直したところで結局また文章長くなっていくので意味ないんですよね。でも弱点を知れただけで大きな成果かなと私は思いますよ!

②文章を書く癖ができた。何かを伝える文章。起承転結。強制されないと中々コンスタンスに書けないと思うんですよ。でもブログ部にいる以上、月2で書かなきゃいけない。自分の感動を誰かに伝えるってことは難しい。その練習が出来たのは良かったです。

③日記としての役割。今自身の過去のブログを読み返してるんです。読んでいるうちに「この時、ディズニー本当に好きだったな」「あ、竹生島もらったの、この時か。随分前だな」としみじみと思い出す。そしてこの4年間楽しかったなと思い出に浸ることが出来ます。

④先輩友人後輩との関係。ブログ部に入ったことで仲良くさせてもらった先輩。気を許せる友人(謝恩会で「ブログ部で写真撮ろうよ」と発言する程、私はブログ部員が大好きだ)。ブログ部にいるという所から会話を広げて仲良くできた(ゼミの)後輩。本当にブログ部を通して広がった友人の輪は大きい。

⑤先生との出会い。先程お話しした通り、私は学生の噂や基礎演習での自己紹介から先生を恐れていた。でも先生とブログ部の新入生との交流会にてお話しして先生のことが大好きになり、日本文学Ⅲ(中世)を受講し、結果中世ゼミに所属。先生の元で卒論を書き上げた。きっとこのブログ部に所属していなかったら、大きく違う学生生活を送っていたのではないだろうか。

 

 

 

さて、ここからが本題。

 

 

私はインカレに入って、彼氏作って、青春を謳歌するんだ。

日本文学を大学で勉強するなら、絶対『源氏物語』。武士だけは絶対にない。

ブログ部?めんどくさいし、入りたくない。

就職するなら、華やかな民間。公務員なんて地味な仕事はやりたくない。

 

【本当は、私は日本女子大学に入学したかったわけではなかった。】

 

 

以上は私が実際に抱いていた気持ちです。以下が過去を振り返ってみて。

 

「大学生の時にしかできないことをしたい」その思いが強くて、日本女子大学観世流能楽研究会に入った。でも私はインカレに入らなかった。

『源氏物語』をやりたくて日本文学科に来たのに、卒業論文を一番ないと思っていた中世で書いた。

ブログ部、めんどくさいと思いつつ、入った。その結果、自分の弱点を知ることが出来た。そして先生や良い友人と出逢い、人の輪が広がった。

結局安定を取って公務員へ。

 

【「屈折した思いで入学したが、今卒業して、私は日本女子大学で良かったと思う」。そんな安っぽい台詞でこの四年間をまとめる気はない。だって未だに屈折した思いは心に残っている。私の大学生活が日本女子大学が良かったか、卒業した今でも自問自答する。でもこの学校で知り合った友人や先生は本当に良かった。先生の授業はタメになったし、面白かった。友達と色んな話をして、遊びに行ってとても楽しかった。もしこの学校でなければそれらを経験できなかったというのであれば、私はこの学校に入学出来て良かったと思う。とても楽しい大学生活でした。】

 

 

人は夢を持つ。希望を持つ。

でも現実は甘くない。

思わぬところから機会は突然やってくる。

意に沿わないこと、やりたくないことをやらなければならない場面が立ちはだかる。

その時に、尻込みせずにとりあえずノリでやってみる。

マイナスな気持ちを持って、取り組むのではなく、本気でやってみる。

すると意外と楽しいことや自分に合っていることがヒョイと見つかることもある。

『だからどんな時も前を向いて、全力で取り組むことが大事』だと思う。

 

きっと新一年生の中には複雑な思いを抱えて、入学する人がいると思う。複雑な思いで入学し、卒業した私から上記の言葉を送ります。少しでも心にとめておいてくれたら嬉しいです。

 

そして未来の私へ。「黒歴史だ」と青ざめるかな。「青臭いことを」と鼻で笑うかな。でも私は大学生活でこれを学びました。これからこの理論が間違っていないか検証しに、未来へと向かうのが少し楽しみです。(日記的役割)

 

 

さて、ブログ部にノリで入っちゃった話から、ここまでやってきました。

最後少し恰好付けたので、恥ずかしいですね。

おや、もうそろそろブログ部や学生生活とお別れをしなくてはいけないようです。

それでは、みなさん、また会う日まで。

アディオス☆

ランドセルを背負う老人のはなし

こんばんは。お久しぶりのむーです。

最近とってもぽかぽかしてますよね。お天気にも恵まれて、サークルの色塗りの作業が大変はかどってありがたい限りです。そんなこんなな日々を送っていたらおしゃれ着をペンキで汚してしまいました。しかも赤。何がまずいって血みたいに見える。根性で落とします。

さてさて、今日はとっても貴重な経験をしてまいりまして、そのお話をばと思っております。

能楽師の方と、同じ机を囲み、能についてのお話を伺ってきたのです!!!!

来る3月3日、国立能楽堂にて、粟谷明生先生主催第102回『粟谷能の会』が上演されます。その観劇に当たり、我々日本女子大学の学生を対象に、粟谷先生ご本人が事前講座を開いてくださったのです。この講座、毎年恒例らしく、我らがアドバイザーの先生と粟谷先生が「いつからやっているんだっけ」と言葉を交わされると、院生の先輩が3年前も同じ会話をされていました、とお二人に仰っていました。いつからなんだ……

今回の講座の内容はおおまかに二つ。面についてと、今回上演される『木賊』についてです。

まずは面。能の最大の特徴とも言える面について、その意義や装着の仕方、どのような角度が良しとされるか、などなど演者としての視点、能の専門家としての視点から様々なお話を伺い、一層仮面劇としての能への関心が深まりました。その上何と今回は、先生がご自身の面を4つお持ちくださり、実際につけていただくことも出来たのです……!

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↑「中将」の面。大のモテ男、在原業平の顔をイメージして造形されたものだそうです。眉間にしわが寄っているのは、困っているから。一体何に困っているのか、女性にもてすぎて困っているのだそうです。💢💢💢

 

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↑美しい高貴な女性の面、『増女』。バイト帰りに講座に来たブログ部のしおりちゃん、スーツ姿で能面……

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一同「バリキャリじゃん」。中世の“強い”女がここに、という感じでした、違和感のなさたるや……髪をひとつにくくった増女もまた素敵だなと素人心に思いましたが、正式には髪を下ろし、能面に描かれた髪の生え際と合わせることで、面と顔を馴染ませるのだそうです。

 

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↑美しい少年、『童子』。経年や素材によるものとは存じますが、他の面より濃いその色に健康的な日焼けを思わされました。面の難しいのは、少しの傾きで表情が付きすぎてしまうこと。斜めに首をかしげるなどすれば、間が抜けたように感じられてしまう。能の世界でそれは良しとされないのです。姿勢を正し、背中から垂直に、横を見るときは顔を地面と平行に動かすことが求められるのだそう。

2019-02-23 18.25.39

 

最後、『小尉』。今回の『粟谷能の会』にて上演される『木賊』で先生が実際につけられる面です。『木賊』はその難易度から上演される機会がほとんどなく、アドバイザーの先生からも「レア」と繰り返し伺ってまいりました。

子を愛する父親と、父親に黙って突然出家してしまった子。幾年か幾十年か経った頃、子が師匠のお坊さんと共に父の様子を尋ねに行くと、父の従者から忠告を受ける。「あの爺さんは客人が来るといつもおかしなことをするから気をつけろ」。老いた父は、訪ねてきたのが自分の子供だと気がつかないまま、まだ幼かったころの我が子の装束を身にまとって、客人の前に姿を現す――

先生が演じられるのは、その父親。子供の装束を身にまとう、というのは現代の感覚に置き換えるなら、「小学生の黄色い帽子とランドセルを背負う」と同義だそう。うわああああ。

先生は、「自分の父親だと思ってみてごらん」とおっしゃっていました。老いた私の父が、私を恋しく思って、私のランドセルを背負う……? そう思うとなんとなく冷めた気持ちになってしまって、いやもし私が急にいなくなったとして父はそのような行動はとらないだろうと思うのですが、親の心子知らずという言葉を実感したような気がしました。子を恋しく思う老人の、なんと滑稽で、なんと悲しいことでしょう。観るのが本当に楽しみです。

チケットはまだ売りとめにはなっていないようです。お時間があればぜひ、貴重なこの曲と出会いに、国立能楽堂へ足を運んでみてはいかがでしょう。

さてさてこの事前講義、以前は装束についてやかつらについての講座もあったそう。それも実技付き。すてき……!「ぜひリピーターになってね」と言われてしまったので、これは来年も参加させていただくしかありません。とても貴重な経験ができました。この場をお借りしまして、粟谷先生、本日は本当にありがとうございました。

それではまた!むーでした。

中世ゼミ旅行 パート ファイナル

どうもゆかで~~~す!!

 

今回もゆりか、もも、みのり に引き続き、「中世ゼミ四天王によるハチャメチャ☆京都旅行!~狂気を添えて~」について書きたいと思います!

 

 

 

第一回 ゆりか

http://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=9311

第二回 もも

http://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=9340

第三回 みのり

http://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog2/?p=9354

↑これまでの記事です~

 

これまでのあらすじ!

ゼミの先輩達に憧れて研究旅行と称して京都旅行に向かった中世四天王ズ!

(なんか私仕切り役なこと多くね?)とうっすら気が付き始めたゆかによる不安げな引率の中、みのりは隣で歌い変顔をし(こわい)、博識なももは色んな豆知識を披露しながらツッコミを入れ(大変そうだった)、ゆりかの暴走(参照 みのりの記事)は止まらない──。

そこで出会ったのは・・・アバ茶とキッド様・・・

響け!魔法の合い言葉、「イー」「ハー」!

死んだ眼になれ!苦労人もも!!!

独り言おおくね!?ゆりか!!

☆ゆかとみのりの暴走は・・・止まらねえーーーーー!!

 

 

 

 

ていうか四天王の皆私のこと大好きすぎない!?!?!?全員からいじられててちょっとびっくりなんですけど。まあももが私のこと大好きなのは知ってたけども~!(ミサワポーズ)

 

って言っても私からお伝えすることはもうほぼないんですよね~皆書いてくれたから・・・

でもでも、「皆で書こ♡」って言ったの私なんできっちり書きますぞ!!

 

みのりが紹介してくれていましたが、私からもイカれた四天王を紹介するぜ!!!

 

♡とにかく下ネタを連発するみのり

♡キレのあるツッコミをかまし、自分は常識人ですという顔をしているがしっかり狂気なもも

♡実は独り言が多く、はじけるスマイルで辛辣なことを言ってくるゆりか

♡テンションがいつもの5割増しなゆか

 

って感じです。とにかく暑苦しいメンバーでした。

 

 

それぞれの日程や、やったことに関しては他の四天王が書いてくれたので、私からは印象に残ったシーンをご紹介しますね!一部下品な描写が含まれておりますので、閲覧は自己責任でお願いします!

 

 

①とにかく事故写が多いみのり

 

なにかと自撮りで皆と写真をとりたがるゆか。しかしみのりは八割型変顔をしているため、彼女がまともな顔で写っている写真の数はとても少なかった・・・。

ももやあのゆりかでさえスマイルなのに、何故か鼻を広げたりチベットスナギツネのような顔で写り込むみのり。何もないところでジャンプし、無事に作画崩壊した姿をスマホに刻むみのり。靴下を貰ったときのドビーになりきるみのり。みのり。みのり・・・。だ、黙ってればかわいいのに・・・!黙っていればね!

みのりの変顔写真はいつ見返しても笑ってしまいます。

 

②雨×WABISABI

 

「雨だけどまあいけるやろ」と思って軽い気持ちで観光するが、雨脚が強くなり全員死ぬ。金閣寺~清水寺あたりがクライマックスでしたね~!でも、曇った空をバックにもの寂しい佇まいを見せる金閣寺の中にある西園寺家の夢の跡地は・・・とても・・・趣というか、今は失われし栄華の名残って感じがして好きでした。そういうオタクだから盛者必衰、諸行無常とか好きなわけよ。茶色の土、枯れ木、遠くに見える痩せた木々・・・金閣寺は寧ろ雨の日に訪れるべきなのでは?と感じました。

 

③「お前ら全員独り言が多いんだよ」by もも

 

独り言がとにかく多いみのり、ゆりか、ゆか(しかも声が大きい)。

ゆりかは一人でテレビに話しかけ、みのりは誰も反応していないのに、一人で「ブッ」「プリッ」となにやらブリブリ言い(どうやら彼女は精神年齢が小学生男子のまま時が止まっているようだ、)私は・・・あれっ何言ってたか忘れたわ。もしかしたら私は独り言なんて全然言っていなかったのかもしれません。ももはすぐに私の事いじりたがるからなぁ~!ブリッ!

 

④求める面影

 

ゼミの先生のことが大好きすぎて、色んなものに先生の面影を見出しては「あれ、先生・・・じゃね・・・?」とひそひそ話したり、「先生はダンブルドアポジね」「この写真先生にあげよ~」と、何かと会話に出さずにはいられない私達・・・。まあ、チルドレンだからね!!!!

 

⑤みのり、めげない

 

ハリポタのアトラクション待ちをしている時に、みのりが何かと私に「ねえ、あれなんだろうね~?」「あれなんだろう!ところであれは~」と話しかけてくるんですよ。でも自分から話しかけてくるくせにどんどん話題が変わっていくので、「無視してみよう」と思い一言も発さずに無視をし続けたんですね。

でもみのりは、私が明らかに無視をしている体制を取っているのにもかかわらず、「ねえねえゆか・・・あれってさあ、ウンタラカンタラじゃない?・・・・・・・・・・まあ、聞こえてないみたいだけど。それでさ、あそこに生えてる植物って・・・・・・あ、なんか、聞こえてないのかな?聞こえてないみたいだけどさ、ダンブルドアって・・・」とこっちを見ながらめちゃくちゃしつこく話しかけてくるので、そのメンタルの強さには思わず笑ってしまいました。

私だったら「ねー!ちゃんと聞いてよー!」と怒るところなのに、「・・・あ、聞こえてないみたいだね?」と言いながら話を続けようとする精神力がこわ・・・みのり、こわ・・・。

 

⑥もも、ヘルツを自在に操れる事が判明

 

ハリポタのアトラクションで、隣に座るももの叫び声のヘルツが予想以上に高くて全然アトラクションに集中できないゆか。

ももって地声が引くいんですけど、なんか隣に座ったら「キャーーー↑」みたいなぞうきんを裂くような悲鳴が聞こえてきて、「あれっ!?もも・・・・・・アレッ!?アレレッ!?!?」という感じに動揺してました。

そのことを話したら首の後ろをわしづかみにされましたが、ちょうどツボに入ったので「あ~!そこそこ!」と喜んだら気持ち悪がられました。トホホーイ!

 

⑦ゆか グロッキー事件

 

ハリウッドドリームみたいな名前の屋外型ジェットコースターに乗ったのですが、あまりにも早いのとあまりにも高い位置から落ちたのとあまりにもあまりにも・・・な感じでとにかくすさまじく、チキンハートな私は安らかに召されました。

その後ぼさぼさの髪の毛のまま呆然と放心する私をももとみのりはゲラゲラ指を差して笑い(鬼畜の所行)、ゆりかはそんな私の背を「嬉しそうに」、良いですか、「嬉しそうにかつ楽しそうに」さすってくれました。良いですか、ヤツは、項垂れる私を見て、笑っていたのです・・・。

つづく。

 

⑧ゆか グロッキー事件Ⅱ

 

みのりの記事にも書いてありましたが、フライングダイナソーみたいな名前の出荷型ジェットコースターに乗ったときに、あまりの恐ろしさに転んだり叫んだりしながら無事に出荷されて来た時の事です。

歩きながら「ねえ、Gが最高にこの身に降りかかってこなかった!?一身にこの世の災厄を受け続けてたんですけどなんで二人ともそんなけろっとしてるわけ!?」とギャーギャー騒ぎ、ゆりかと合流した時のことです。

ハリウッドなんちゃらで私の背を「楽しそうに」さすって来たゆりかが、今度もまた私に嬉しそうに「ダイナソー、どうでしたか?」とにやにやしながら聞いてきたんですよ!?!?!?!?

エ!?!?!?私の状態見えてる?!?!?いやなんでそこで敢えてグロッキーな私を選んで聞くねん!!!!!ゆりか、お前ってヤツはそういうヤツだよ!!!!!いや見ればわかるでしょ!?!?!?!?めっちゃGかかってたわ!!!!!生きながらにして出荷される気持ちがわかるってどんな気持ちだと思う!!?!?!?!

とツッコンだら、ニヤニヤ笑いながら謝られました。いやお前絶対悪いと思ってないだろ。

 

 

 

そんな感じでアンパンマンマーチ歌ったり、みのりとピストルズのモノマネしたりきらきら星のメロディーに合わせて替え歌を歌ったり、ももを殴ったり殴られ返されたり、珍しくテンションの高いゆりかを見られたり小芝居したり小芝居したり小芝居したり小芝居したり・・・とにかく笑いに溢れた旅でした。もうずっと爆笑していた気がします。こんなに連続して楽しいと思い、ゲラゲラ笑った時間って今までにある!?くらいに楽しかったです。

後日ゼミの先輩方に今回の旅行の話をしたら、「もも、よく平気だったね・・・」と呟きながら、私とみのりを残念なものを見るような目で見てきました。なんでやねん。

 

 

私はそれまでも個々とは仲が良かったのですが、この旅を通じて更に個人個人との絆を深めることが出来ましたし、また、四天王全体としての絆も確実に深まったと感じています。

お互いがほどよくお互いに気を遣いつつ、主張はちゃんとするし率先して動くって素敵だなぁと思いました。

 

ハ~~~~これはもう就活終わったらまた四天王で旅行に行くしかないな!!!次は仮装して思いっきりふざけられるとこに行きたいな!!!!言うだけタダ!!!!

 

今回の旅行を糧に、就活頑張ります!

そして、今回の旅行で訪れた場所、見た景色、得た知識をちゃんと自分の卒論に生かせるようにしたいです!!私の扱う文献は(も)、大変なので頑張ります・・・!まずは先輩方を見習って、一つ一つに語釈を付ける勢いでテキストを読み込み、その上で諸本の比較を徹底的にしていきたいと思います。細かい作業を怠ることなかれ・・・ですね!

ここ数年ずっと行きたいと思っていた私の運命の寺、道成寺にもお参りすることができたので、道成寺が大好きな女の名に恥じないようにしたいです。

 

それでは長くなりましたが、ここまでおつきあい下さりありがとうございました~~~!!!!

 

あばよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

おまけの写真

私達の狂気が少しでも伝われば幸いです。

 

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中間発表〜こだわりの推しに愛を添えて〜

溢れ出るアドレナリン、めくるめく幸せな日々。
「楽しかった!」「「卒論ゼミ!!」」
「思い出に残った!」「「あの人の推し!!」」
「みんなで行った!」「「打ち上げ!!」」
ぼくたち、私たちは、今日───。
こんにちは、みのりです。夜です。
前期も終わったということで、本日私の所属する中世卒論ゼミでは中間発表がありました!とにかく!!!楽しかったです!!!!!

 

我がゼミの中間発表では四年生の先輩は前期のまとめ、三年生の私たちは自分が卒論で取り扱っていきたい作品の発表をします。
私も『木幡の時雨』という作品を扱うことに決まり、ほくほくしています。今ならサトシのコスプレをして肩に原文を乗せて旅に出れそうな気持ちです。この気持ちをずっと持って四年生の冬まで旅をしていきたい…。

今回話したいのはとにかく中世ゼミが楽しいことで、今日私は皆さんの発表を聞きながら「愛………」と感じていました。

 

ちょっとあれです、何日か時間が経ってからのブログ更新であればもう少しまとまった日本語で魅力を話せたかもと思うのですが、今は今日が楽しかった余韻でふわふわしているのでお察しです。
中間発表では各々しっかり調べたことの発表で進んでいったのですが、卒論という推しに垣間見える愛、雑談で溢れ出る愛、思い通りにいかない愛、自分の趣味と絡む愛、待ってそれって愛じゃない??うんうんなるほど…それは愛……。あなたのいる世界………推せる……………。

「卒論は愛」という言葉が今までの中で今日が1番身に染みた気がします。
興奮の息遣いと共に読まれるレジュメ、人の発表を聞いていて上がるテンションと奇声。「程よい美人」という的確な例えがあれば、「尊い…」以外の語彙が消滅したり、三年生の間では「頭が発泡酒」というパワーワードも誕生しました。

 

中間発表でも推しへの愛が部屋に溢れ、その後の打ち上げでも解放された気持ちと美味しいご飯と尽きない推しトークで愛が溢れ!!あーー!!!楽しい!!!好き!!!という感情大爆発でした。

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(↑打ち上げのお写真。可愛らしさを演出しようとお花にしたら狂気が出てしまいました。)

 

1.2年生の皆さんは今後出会える(既に出会ってるかも)推しを楽しみに、3.4年生の皆さんは推しへの愛を心の中に、暑い夏休みも後期の学校生活も頑張っていきましょうね!

 

何が言いたかったのかよく分かりませんが、とにかくあれです、卒論ゼミ楽しくてハッピーです!!
中世に興味を持たれてる方のことお待ちしてますが、この楽しさを少人数で独占したい気持ちもあります。強欲。私の気持ちなのでまあお気になさらず、皆さん自分のやりたいことを楽しくやっていてください…!!!

 

打ち上げで行った雑司が谷のモズカフェというお店もとっても素晴らしかった…。ランチも美味しいらしいのでまた行きたいです!

 

今日が楽しかったの積み重ねで私は毎日幸せに生きてるなと思います。その中でも今日は特に楽しかったな!!!

楽しげな様子がなんとなく伝わっていたら幸いです。終わり!それではまた〜!

人生3度目の

こんにちは。あかねです。今回はつい先日の「古典文学講義Ⅲ」で体験した能面体験について書こうと思います。人生で3回目です。

まず能面を付ける前に、お能の喜多流でいらっしゃる現役能楽者の友枝先生からお能の歴史や舞台の変遷、大道具のサイズ等について拝聴しました。幕をくぐれる大きさで、かつ人力による運搬が可能なものだけしか舞台に持ち込めないと知り驚きました。

次にお聞きしたのは能面について。ただのお爺さんの能面と、超人性を身に付けた「実は神様」なお爺さんの能面を見比べて付け髭の有無等を確認しました。幼い頃は能面全てが恐怖の対象でしたが、流石に怖い鬼や死人の能面と一般市民な生きている人の能面の差が分かってきました。大人になりました。

そして授業後半は、お待ちかね!能面体験です!友人が固く蝶々結びされているところを覗き見して、友枝先生に指示された通りのゆっくりとした動きで方向転換。友枝先生がおっしゃるには、「能面を付けている」と思わせないような動きになるそうです。以前付けた時は遠くが一点だけ見えるという視界状況だったので、友人の「うわっ、見えない」という言葉の気持ちがよく分かります。ここで、友人が能面体験終了です。先生の「もう一人、誰かやらない?」に別の友人が顎で「行きなさい」とアピールなさってたので、1か月ぶりくらいに能面を付けました。

相変わらず呼吸しづらく、口角を上げると能面に顎が押さえられて上手く笑えません。本来は顎が少し能面から飛び出る大きさなのですが、女性は顔が小柄なのでしばしばスッポリと装着されてしまいます。こうして最後尾の席の人が辛うじて一人見えるくらいの視野の中、起立。教わったとおり、肩と腰を結んで出来る四角形を意識して背中は平らに、上半身と下半身は別々に動かさないよう小刻みに左右を向きます。腰の辺りから折るようにして上を仰ぎ、下へ俯いて。自分ではどのような所作になっているのか全く分からないため、これでおかしくはなっていないか不安でした。

本講義を聞き、体験して、能楽者さん達の舞や動きは決して簡単なものではないこと、観客が想像しやすいように能面を生かせる技術を磨いていらっしゃることが分かりました。お囃子や謡(うたい)と一体になり作られるお能の魅力がもっと身近になった気がします。近々お能を観に行くので楽しみです。

8月のオープンキャンパスでもお能の体験を予定しております。ぜひお楽しみに!

復習に次ぐ復習!

こんにちは。あかねです。今回は、前回予告した「漱石山房記念館」と、昨日・今日で急きょ行って来ました「能のお囃子体験 in 津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス」についてご報告したいと思います。

まずは、漱石山房記念館についてです。5月25日(金)~5月27日(日)の三日間、記念館では「子規・漱石ほか この時代を築いた人々」の展示が行われていました。土曜日は1限も2限も教職関連の授業があるので、終わってから向かいます。駅を出て最初に撮ったのは「夏目漱石 生誕の地」と書かれた石碑でした。生まれましたよ、夏目漱石が。「夏目坂」と呼ばれる坂を上り、着いたのは出来立てでピッカピカな記念館でした。子規庵がザ・日本家屋なので、どうしても比較してしまいます……エレベーターもコインロッカーもあってハイテクです。

500円のチケットを買って奥へ。すぐ目の前には山房を再現した漱石の部屋が展示されていました。本は積み重なり、温かそうな火鉢と小さな文机が印象的な部屋でした。階段を上がって2階へ。漱石の様々な作品から抽出された各一文が異なるフォントで印字されたプレートを見つつ、通路を進みます。最初に見たのは、漱石の作品を4期に分けたものでした。どの作品もあらすじが紹介され、通路の真ん中には初版本や手書きの原稿が置かれていました。森鴎外記念館で見たやつだ!というものもありました。次に見たのは夏目漱石を取り囲む人々の紹介です。畏友の正岡子規の他、森鴎外、石川啄木……魯迅などもいましたし、小説家ではなく新聞社や政治家の人もいました。次は正岡子規の書や、子規の叔父の遺言書などの展示。正岡子規研究所が協力しているので、子規関連の展示が4分の1を占めていても違和感はありません。むしろ、「この字は正岡子規では!?」「この書は子規庵で放送されているビデオで見たやつだ!」と一人で盛り上がれました。帰りがけに漱石カフェで渋柿のアイスに舌鼓を打ちつつコーヒーを摂取。楽しかったです。

そして、中世の石井先生が宣伝してくださっていた能のお囃子体験に行って来ました。現在も国立能楽堂で演奏していらっしゃるプロの方々をお呼びし、先生直々に教えてくださるという企画のものでした。動機としては千駄ヶ谷が学校から近かったからですが、とても充実した、貴重な体験でした。土曜日は一人で行きましたが、今日は友人と一緒です。土曜日も同じような体験でしたが今日の方が充実していたので割愛します。

まず体験したのが、太鼓です。肘を顔の辺りまで上げ、バチを振り下ろします。昨日は太鼓の体験はなかったため、友人と一緒に人生初太鼓。全然綺麗な音が出ず、バチで叩くだけのはずなのにかなり難易度が高かったです。次に体験したのは、能管と呼ばれる笛のような物です。笛ですが、明確な音程が決まっている訳ではありません。友人はフルート奏者なので、能管特有の高く鋭い音を吹きに吹いていました。昨日は、空気の漏れるスカーッとした音しか出なかった私。何とか音は出せましたが、「オーヒャー」という旋律が、どう足掻いても友人より1オクターブ低くなります。息も沢山必要で、吹くのを止めた途端頭が重くなりました。酸欠注意です……!ちなみにこの友人、能管の先生から「最初からここまで吹けるのは天才だ」と言われ、1節丸々伝授されていました。凄い……。その間、私は小鼓を叩いていました。左手で皮の張りを調節しつつ叩くのですが、昨日叩き方のコツを掴んだために今日は良い音が出せました。先生の出す「カン」という音とほぼ同じ音も出せて気持ち良かったです。友人も能管の次に小鼓を叩いたのですが、小鼓や大鼓は叩く際、手首と指から力を抜かないと良い音が出せません。加えて小鼓は左手の力の調節もあるため、難しいと言っていました。私も右肩だけで支えるのは少し苦手です。なぜ右手で叩くのに右肩で支えるのか聞いたところ、大鼓など並んだ時の兼ね合いなども含まれていたのではないかとのご返答でした。昔の人は謎です……。最後に大鼓。順番待ちをしていたのですが、能管と小鼓コーナーに誰もお客さんがいなかったので、友人は1節習い、私はコツを掴もうとしていた訳です。で、順番が来たので早速叩きます。小鼓と違い、馬皮は固く張られています。叩いた瞬間、手が痛くなった昨日の思い出……強く叩くと、ビリビリと指先が痺れます。先生が当て皮によって指を守っているのも納得がいきました。これにて私と友人のお囃子体験は終了。能管や小鼓といった楽器に触ることは今後一生ないかもしれません。ましてや2日連続はきっとこれっきりだと思います。とても楽しかったです。

さて14時頃、狂言の講義を受けに3階へ向かいます。鯛の鳴き真似を強要される泥棒の話に始まり、能と比較しながら、「泣く」「怒る」「笑う」所作を体験しました。泣く際は「へーっ、へっへっへっ」という言葉を発していることや、怒る時に「はらたちや、はらたちや」とご立腹アピールが凄かったことなどを確認しました。帰り際、狂言に使う、子供用の猿の面や大人用の鬼の面を間近で見て行きました。夢に出ないことを祈っています。

本当に貴重な体験でしたし、友人と行って良かったと思える楽しさでした。明日も同じ友人と遊びに行く予定なんですけどね!

こうして友人とほぼ週6で一緒にいるのも、あと2年を切りました。切ないような、悲しいような……でも、今を楽しみながら頑張って、将来もっと二人で遊びに行けるよう、しっかり職に就きたいと思います!以上、あかねでした。