文章力の向上は難しい……

こんばんは。かつーんです。
バイトの研修が終わり、最近ようやく本格的に仕事を任せてもらえるようになりました。
そのお陰でバイトを終えるともうヘロヘロで、夜ご飯を食べたら何もせず寝てしまうことが増えました。[:汗:]
今はまだ春休みなので睡眠時間が確保しやすいですが、授業が始まったら大丈夫だろうか……と少し心配です。
早く自分のペースを確立したいものです。
さて、今回は先日見つけた興味深い記事について取り上げたいと思います。
2月13日(水)の朝日新聞の「まなあさ」というコラムに、「天声人語書き写しノート」の「脳トレ版」について書かれた記事がありました。
「天声人語」を1分間で可能な限り記憶し、それを書き出す作業が脳トレになるそうです。
学生にも好評らしく、正しく書けた文字数を競い合うこともしたのだとか。
筆者が取材した学生は、「ゲーム感覚でやっている中で、句読点の打ち方なども参考になって文章力が上がったのを実感した」ということを述べています。
そもそも「天使人語書き写しノート」が登場して、中学生が毎日書き写しているとか、年配の方が痴呆防止のために役立っているという話を聞きます。
また、このノートの謳い文句に「受験対策や文章力アップ、大人の学び直しに!」などというようなものを見ます。
でも、私はそれを見たり、今回の記事を読んだりして、「『天声人語』を写しただけで本当に文章力が上がるのか?」と思いました。
なぜなら、常日頃自分の表現力の拙さを実感しており、どのようにしたら効果的に文章力が上がるのか、模索する日々を過ごしているので……。
そこで、疑問その1。
取材を受けた学生は「無駄がなく整った文章は、句読点の打ち方なども参考になる」と述べています。
新聞の文章に無駄がないという点は同意するものの、句読点の打ち方には参考にし難い時があります。
例えば、よく「おなかがすいた、と私は思った。」というような書き方を見ますが、「おなかがすいた」と私は思った。と書く方が良いのではないのか。
この読点の付け方は中途半端で違和感を覚えますが、最近では新聞や本、雑誌、ラノベなどで頻繁に見られる表現です。
この書き方に疑問を持つのは私だけで、世間では定着している書き方なのでしょう。
ちなみに、作文指導の仕事をしている母はこういったことが気になるので、私が有川浩の『図書館戦争』を勧めたものの、最初の一文がこの書き方をしているのを見て、すぐに読むのを止めてしまいました。(^_^;)
私も母の仕事の影響もあって、句読点の付け方を始めとする作文の書き方が気になる人間です。
(母ほどではありませんが……母は「~たり、~たり」という重複表現で書くべきところを1回しか使っていない文を見ても蕁麻疹が出そうと申しております)
疑問その2。
写すだけでは簡単に文章力は上がらないのではないか。
確かに「天声人語」を書き写すことで、自分が普段使わない語彙や言い回しを知って覚えるといった、言葉の幅を広げる効果はあるのでしょう。
しかし言葉の幅を広げられたとして、自分の考えや意見を文章にすることが出来るようになるかと言えば、そんなに簡単ではないように思います。
(自分の考えや意見を文章にすることは、文章力と言うよりも表現力と言った方が正しいでしょうが)
語彙が豊富であっても、いざ文章にしてみた時に言葉を綺麗に連ねただけということにならないようにしたいものです。
自分の考えや意見を文章にするには、また違う訓練をする必要があるのではないかと私は考えます。
「天声人語書き写しノート」を使って、文章力が上がったという意見もあれば、全く効果がなかったという意見もあります。
何にせよ、自分にあったやり方で力が付けば、言うことないですよね。