お内裏さ~ま と お雛さま~♪

こんにちは。
みずの です。
 今日は耳の日、桃の節句、上巳ですね。
皆さんのお家では雛人形は飾りましたか?
 わが家の雛人形は二段で、お内裏様、お雛様、三人官女です。
小さい頃、友人の家にあった七段の雛人形を見て、何だかいっぱいいる!と驚いた記憶があります(笑)
そういえば、五人囃子は能の囃子方だそうですね。
太鼓、小鼓、大鼓、笛、謡。能の舞台とほぼ同様の位置関係にあるようです。
こんなところにも能があったなんて…と謎の感動。
 3月3日の行事について、以前「世界の古典Ⅱ文学2」という講義で触れたことがあります。
雛祭りは本来3月最初の巳の日に行うものであったそうですが、大変(?)なので、
3(み)の日にすることに。
講義の中では参考文献として、江戸時代に上級の人々(お坊さんを含む)がどのような行事を行っていたのか、京都の風習を記した『日次紀事』を見ていったのですが、この日に行うことが今と異なっていて面白かったです。
まず、草餅を作ります。この草餅には母子草が使われていたそうで、後によもぎ餅になっていったそうです。この母子草で餅を作るのは母親と子であり、母子ともに健康であることを願ったそうです。今では雛祭りは女の子の日と言われていますが、母と子のお祭りだったのです!
 雛遊びは身分関係なく行われていたようです。私の中のイメージとしては、お人形を使ったおままごとのことを雛遊びというのかな…と思います。…今でも小さな女の子達はリカちゃんだとか、バービー人形などで遊ぶのですから、時代が移っても変わらないのかもしれません。雛遊びは紙の人形を作るところから始まり、この紙の人形が雛です。人形はもともと神社などでたまに見かける人形(ひとがた)なのですね。人形(ひとがた)は自分で折って、母と子の名前を書き、身体を撫でたり、息を吹きかけたりして性根(自分の魂?)を入れて、人形に身代りになってもらうものです。水辺でこの人形を流す行事が今の流し雛です。人形は厄除けに使われたのですね。そういえば、現在では人形は紙ではありませんから、性根を入れるより子供が健康な姿を見てもらうために人形を出し、人形の前で遊ぶと聞きました。そう考えるとちょっと緊張してしまうのは私だけでしょうか(笑)…げ…元気です!
 それから、桃花酒(白酒)を飲むこともあったようです。江戸で女は酒を飲んではいけなかったそうですが、この日だけは母子で飲んでも良い日になっていたようです。桃は邪気を払うものなので、これも厄除け効果を狙っているのですね。…もしかして、現在では雛祭りに甘酒~とありますが、母子草の草餅がよもぎ餅に変化していったように、桃花酒も甘酒で代用するようになっていたのでしょうか…。当たり前ですけれど、行事って生活に密着したものなのですね。
その他ですと、なんとこの日に潮干狩り、闘鶏を見に行ったりなどもしたそうです。なかなかのハードスケジュール!…この潮干狩りで採ったハマグリでお吸い物作るのかな…。
ハマグリは貝合わせに使われ、同じ物はないので運命の、理想の相手を指します。いきなり厄除けから恋愛・結婚の話になって一気に今のお雛様のジンクスに結びついていきますね。厄除けと縁結びの二つの面…。女性が中心となる祭りだからでしょうか。
 こうして現代の行事と過去の行事を比べてみると発見があって面白いです。闘鶏や潮干狩りは難しそうですが、他のものは現代でも実践してみると、いつもと違った趣の桃の節句が楽しめそうでいいですね。母と子のお祭りだったんだよ~という部分も大事にしていきたい事実でした。
 
 
 あ!あと文楽についてのお話もしようと思っていたのでした!今日のお話はお人形づくしですね(笑)
行ってまいりました!文楽!一部の「摂州合邦辻」!床本も買っちゃいました!←
友人とともに観に行ったのですが、会場に早く着きすぎてしまって、別棟の情報資料館に入りました。入場無料で入ることができるので有難いですね。その時は歌舞伎絵の展覧会をやっていました。劇場にもいくつか作品が飾ってあったようですが、そちらは残念ながらみることができませんでした…。国立劇場は以前にも来たことがありまして、確か日本文学科の希望者で行く、歌舞伎鑑賞会に参加した際にも、解散後に、この情報資料館を見学しました。日本文学科では定期的に文学散歩や、鑑賞会、文庫見学のお知らせがあるので、その際にはぜひ参加してみるといいと思います。学生の団体で参加することができるので、料金が安く、また質問もしやすいです。貴重な文献に触れることのできる機会でもありますので、良い経験だったなぁと参加者は語ります(笑)
 文楽から少々話がそれてしまいまして、失礼しました…
 「摂州合邦辻」を観た後は、何だが胸がいっぱいでした。語りのエネルギーが観客の全身にぶつかってきたのもあります。物語の登場人物たちの心情に思いを馳せたのもあります。本当は3部まで観ようかな…とも一時期考えていたのですが、一部だけでもこんなにもいっぱいになるのかあと…。いつか一日文楽漬けも体験してみようと思いますが、私の場合、初めて文楽を鑑賞するのであれば、今回のように一部で良かったなあと思いました。一つであれば、慣れていくこともそうですが、何にせ内容が濃い(!!)ので、思いを馳せる対象が一つに集中できました。
 1年生の時に「近世文学」を履修したのですが、そこで福田先生が「途中から人形が人に見えてくる。」とおっしゃっていたことを覚えていたのですが、本当だったんだなあと友人と話しながら帰りました。人形だからこそできる演技、感情移入があるかもしれません。語りが台詞を発するとその発したものが人形に乗り移るような気がしました。そのくらい語りのパワーはすごいものでした。今回キリ(最後の部分)を語られた方は、以前、日本女子大学で行われた「日本女子大学文学部・文学研究科シンポジウム「ことばの身体性 語る・謳う・話す」」でお話をしてくださった豊竹 咲大夫さんでした。(登場された際に、あれ…?あの方は…!となったのですが、間違っていたらすみません…汗)すごい方なのだと改めて実感。
 「摂州合邦辻」内容としては…考える要素がたくさんあって、面白い作品だなと思いました。帰り道は、友人とこれはこういうことだったのかもしれないとか、どうしてこうする必要があったのかな?だとか話しながら帰りました。違う解釈が見れて、鑑賞後も楽しめちゃいます!
中にはミュージカルのようにお布施をもらうために鉦を鳴らしながら舞ったり、取っ組み合いのケンカのシーンがあったり。
 そして、内容から、志のすれ違いだなあとも思いました。物凄く個人的な感想で恐縮なのですが、いくつかの親子の形というものがあって。そして忠心という美談であるにも関わらず、ひどく人間臭さ・泥臭さを感じたのです。玉手御前の話のどれが真実か、嘘か。というテーマもまたこの考えに導いているのかもしれませんが、まさに解釈は観客に委ねられている!といった感じでした。
 私は忠心の話よりもどちらかというと登場人物の人間臭い心情の方に目がいきがちでした…。特に玉手さんはずるいなあと思いました。結局、浅香姫の到底及ばない部分にたどり着いたのですから。玉手さんを清く見れないのは、私がこういう風に考えてしまうからですかね?ですが今の私は浅香姫さんより、玉手さん好きですよ!(聞いてない)
また年月が経っても観たい作品でした。例えば私が親になってから観たら、きっと解釈が変わると思うのです。どちらかというと合邦さん夫妻よりになったりだとか…。
 とにかく素敵な時間でした。暫く「でかしゃった!でかしゃった!でかしゃった!」という台詞が頭から離れません。最近日常でも使ってます(笑)←
文楽観に行けて良かった!また行きたいです!
本日はこれで失礼します!ありがとうございました!
みずの