ちょっと聞いてほしいことがあるよ!
前々から頻繁に書いておりますがファウストの話です。
私はこれでもファウストフリークを自負しているので
その点からすると少々恥ずかしいのですが……
ファウストを初めて邦訳したのは鷗外じゃなかったーーーー
ちょっと詳しい方からすれば「今さら?」って思われるかもしれないけど私には新鮮な驚きだった……
明治三十七年に高橋五郎によって、大正元年に町井正路によってそれぞれ翻訳されていたようなんですよね! それもどちらにせよ明治二十四年の『蓬莱曲』よりはあとなので私は別に自分の考えなどに手を加える必要はまるでありません! でもあの鷗外めにファウストの処女雪が踏まれたわけではなかったというのは嬉しい! 実に子供っぽい喜びと思われることでしょう! しかしこれによって私が鷗外を憎む理由が減るのは素直に嬉しいところなんです! やった! もうこれまでほどには嫌わなくていい! 距離を置かなくていい! 嬉しい!
まあそれでもあいつが著書にギョオテって書き忘れた+気付いても直さなかったっていう事実はゆるぎないっぽいけど~この際だから高橋町井の偉業に免じて許してやるよ~~私だっていつまでも百年近く前のことを恨む女じゃあない 水に流すという言葉を持っている国の民であることを誇りに思おうじゃあないか 鷗外作品のなかでも高瀬舟とかは素直に好きだしね……
足るを知らざる貪婪にして巨大な近代西洋的思想が巨大な油絵を思わせるのに対して、あの喜助の「足るを知る」という姿勢は何とも対照的に静謐とした、掛け軸のなかの水墨画的な美であると思いますね。ただ私は喜助の弟の首にかみそり刺さってるシーンが苦手なので趣味で読むのは難しいです。授業で扱ってくれてよかったよ……授業なら逃れようがないもの……。やだー読みたくないーと思ってはいたけどあのグロさなしには喜助の静謐も成り立たないもんな。あのグロ表現があればこその喜助です。素晴らしい対比です。グロが却って喜助という人物自身の静寂を引き立たせている。
とりあえず高橋五郎訳と町井正路訳それぞれのファウストは今後何としても読みたいね~すげー読みづらいと思うし多分単純にコレクションになるだけだけどそうだとしても私ほどお前を愛してやれる女はいないよベイビー とびこんでおいで!! あとよく見たら新渡戸稲造もファウスト物語っていうのを出しているらしいですね! 素晴らしい! 犬も歩けばファウストに当たるって感じですね! 蓬莱曲の扱いが難し過ぎて正直そうとう疲れてきましたけどこの事実をカンフル剤として頑張っていきたいと思います!
何が疲れるって私は透谷と根本的に思想が違ったんですわ。ただ透谷はその人生を追っていくと微妙に情けないところとか面白いところとか無様っぽいところがあって絶妙に可愛いんで捨てられない。ていうかもうゼミ決まってるし捨てられない……