浅瀬の水草、金魚ちょうちん と スーパー能

こんばんは。みずの です。
まだ風が涼しいのが救いですが、連日湿度が高く、夜は寝苦しい日が続きますね。
押し入れから籐枕っぽいものを発掘し、早速使ってみたのですが、枕の高さが高過ぎて起きたら首が痛かったです…。
この間は、新入生のお着物を選びに浅草に行ってきました!
講義が終わってから向かったので、着いたのは既に夕方。ほんのり暗くなっていました。
着物を選び終わり外に出ると、向かいのお店に金魚ちょうちん…。
なかなか幻想的です。

着物屋さんの近くには芋きんつば屋さんがあって、そこの芋きんつばはとても美味しいです。浅草に行くといつも買ってしまいます。
今回は閉店間際にも関わらずお土産に芋きんつば10個注文するという暴挙をして帰りました。
芋きんつば屋さん、本当にすみませんでした…。
浅草と言えば…
浅草寺。今回はお参りできなかったのですが、最近図書室でこんな作品を目にしました。←課題やりなさい。
『丑御前の御本地』
(成立は元禄~正徳頃か)
あらすじもどき↓(間違ってたらすみません…)
源満仲の子に角が生え、鬼のような顔をした子が産まれた。その子は丑御前と名付けられた。その容姿に満仲はその子を疎んで、
侍女(乳母?)に殺害を命じる。しかし、あわれに思った侍女(乳母)は丑御前を逃がして育てる。
丑御前の生存を知った満仲は同じく我が子である源頼光に丑御前を殺すことを命じるが、丑御前は反撃、頼光の軍は逃げ帰る…。
その時の私「おおう…。頼光軍が打ち負かされているだとう…。しかも兄弟(妹?)じゃないか…。継子譚と言うわけではないかもしれないけど、どこか似通っていて、頼光の討伐話の面も持つけど、頼光軍打ち負かされてる…。
出てくる「あさくさ川」ってあの浅草かな…。
…。
ほかに丑御前の何か資料ないかな。」←課題やりなさい。(2回目)
そして『吾妻鏡』(私がみたのは『全釋 吾妻鏡 第五巻』です。)に牛の怪物が登場しています。その場所が武蔵国浅草寺であるというのです。(ここまで長かったですね!←)
「三月大
六日 丙寅 武藏国淺草寺に牛のごときの者忽然として出現し、寺に奔走す。時に寺僧五十口ばかり、食堂の間に集會するなり。
件の怪異を見て、廿四人立所に病痾を受け、起居進退成らず。居風と云々。七人即座に死すと云々。」
…障気のみで被害甚大(焦)
浅草寺にこんなお話があったとは…。
浅草寺とその辺りで、牛に纏わる何かがあるのですかね。牛を奉っている神社があったような…。
ところで蛇や龍以外の牛という動物に川、淵など水との関わりがみられますね。小さいころ、日本昔話でみた「牛ヶ淵」?か何かの話を思い出しました。なかなか怖かった記憶が…(トラウマ)
そちらは牛鬼という妖怪(?)だったのですが、水辺と牛でイメージが被りますね。…何故、水辺と牛なのでしょう。
水田と耕作のための牛?
牛が川を渡った?
…図書館に籠りたいなぁ!←課題を
ちなみに今回、現実逃避の如く目白の百年館8階の日本文学科図書室で資料を調べている時に移動書架(ハンドルで動かすタイプ)の間に挟まれそうになって、本を上の本を抱えながらリアルインディージョーンズごっこに洒落こんだのは、わたくしです。←
ハンドルを回した方、驚かせてすみませんでした。
皆さんは私の様に書架にロックをかけるのを忘れることの無いようお気をつけください。ちなみにロックはハンドルの上の部分にあります。
そうそう、話は変わりますが、土曜日にテレビで放送された「スーパー能650年目の革新」を観ました。
創作能や西洋楽器と合わせたものなど、
多くの取り組みがある中で、梅原猛氏の取り組みは現代語での能でした。
練習風景の感想は、ともかく謡いも動きも大変そうでした…!今までの形式とは大分異なっていたので、大変な取り組みだということがよくわかりました。
梅若玄祥さんの劇→能にする過程が興味深かったです。現代語にした時、果たしてどうしたら能になるのか…!
少し、普通の演劇と能の比較ができたように思いました。
それから特に印象だったのは、梅若玄祥さんのサスペンダーでした。←
もはや釘付け。ピアノの鍵盤柄は、私のような若輩者が言うのもあれですが、大変…可愛らしかったです…。
古典で語られていたものを現代語で現代人にも親しみやすく。入り込みやすく。確かにあるべきで、今までの数百年間にそんな取り組みはなかったのでしょうか。
革新への取り組みは、能が安定期に入った証なのかもしれません。
また、家ごとに役が決まっている能の世界で、それぞれから意見が飛び交い形作られていくというのは、それまでの能のイメージとは異なりました。
私は現代語の能もあるべきものと思います。スーパー歌舞伎同様、これからスーパー能という新しいジャンルが色々な人の手によって生み出されることは、もっと面白いと思います!
ただ、スーパー能を一部鑑賞していて、ほんの少し、心残りに思っていることは、(映像が部分的だったのでどこかで使われてるのかもしれませんが)
古典で語られていた時には存在していた鼻濁音や開音の響きが、鼓膜を揺るがさなかったことでしょうか…。鼻に抜けるあの音が、私は好きです。
本日もお疲れ様でした!
これにて失礼させていただきます。
では。
《参考文献》
・『古浄瑠璃正本集 第十』1982年 横山重 室木弥太郎 坂口弘之 (角川書店)
・『全釋 吾妻鏡 第五巻』1977年 貴志正造 (新人物往来社)
みずの