※トリビアではありません

こんばんは。かつーんです。
最近めっきり寒くなったせいで、朝布団から出て来るのがしんどいです。
ついギリギリまで粘ってしまい、食事時間を短縮すべく、食パンを焼きながら立って冷たいお味噌汁を飲むなんて行儀の悪い朝ご飯率が増えました……。(笑)
ちゃっちゃと起きてやれば良いだけなんですけどね~、朝弱いことも相まってなかなか起きられないんですよね~……。
これからはさっさと起きる! と宣言した所で全然実行出来なさそうなので、せめて温かいお味噌汁を食べる時間を持てる程度には、頑張って起き……られると良いなぁ。
さて、今回は最近私の中で特にクリーンヒットだった授業について取り上げたいと思います。
あくまで私の中なので、その点はご留意頂けると幸いです。m(__)m
●古典文学講義Ⅲ
~先生の本領発揮~

この間から能について学んでいますが、能に入ってからの知識量及び情報量が凄まじいような気がします……。
元々先生の知識・情報量は多くて面白いのですが、能に入ってからは今まで以上にプリントの余白がすぐに埋まっているように思います。気のせいでなければ本当に。
家に帰ってからノートを整理してみると、他の作品よりページを使っているので、やはり増えている気がするのですが、ただ単に私が聞き逃していただけだったら嫌だなぁ……。
世阿弥が努力型の天才であるものの、驕ることが無かった人なのだとよくよく分かる授業です。
●日本文学史Ⅳ(近世)
~『曽根崎心中』より早く没した芭蕉と西鶴~

元禄文化と言えば、西鶴や芭蕉、近松などが挙げられます。
従って彼らは同じ元禄人で、『好色一代男』や『おくのほそ道』、『曽根崎心中』が同じ時期に書かれたと思われがちです。
しかし、実は西鶴と芭蕉が亡くなったのは元禄初期(それぞれ元禄6(1693)年と7(1694)年)であり、2人は『曽根崎心中』を知らずに没しているのです。
(『曽根崎心中』は元禄16(1703)年の作品)
つい一緒くたにしてしまいますが、結構時間のズレがあるものなんですね。
●中国文学史
~海に無い竜宮城~

竜宮城と言えば「浦島太郎」を思い出す人は多いのではないでしょうか。
中国の怪奇小説(唐代伝奇)にも竜宮城が出て来るのですが、「浦島太郎」のように海ではなく、川や湖や沼にあります。
しかも「竜」の字があるだけに、水の守り神である竜が住んでいたという話です。
大陸国の中国では海が遠く、身近な水と言えば長江や黄河だったからこそ、竜宮城が川や湖や沼にあると思われていたそうですね。
(当時は海なんて見たことのない中国人が多かっただろうとは先生の談です)
湖ならまだしも、川や沼の竜宮城と聞くと、少々規模が小さくなる気がするのは私だけでしょうか。
●日本語史
~混交語「よそる」~

皆さんはご飯をお茶碗に入れる時に何と言うでしょうか。
「よそう」「もる」「よそる」……それ以外の言葉を用いる方もいらっしゃるかもしれませんね。
江戸時代になって関東方言(東国語)や上方語(それまでの中央語)、駿河や遠江などの言葉が江戸に入ってきて、江戸で使われる江戸語が誕生しました。
関西と関東のそれぞれで使われていた言葉が混交して出来た言葉もあり、「よそる」はこれに当たるそうです。
関西の「よそう」+関東の「も」=「よそ」で、comtamination(混交語)と呼ぶようです。
(「リラ」+「クジラ」=「ジラ」も同じ原理みたいです)
私は「よそる」で、家族も「よそる」だったのですが、母の知り合い(実家は愛知県?)は「よそう」を使っていました。
●世界の古典Ⅱ文学‐2
~偉い人ほどだらしない格好~

裳や唐衣、十二単などは身分の高い女性が着ていたと思われていますが、実は侍女が日常で着ていたものだそうです。
相手に失礼の無い格好をするのが衣装であり、男性でも女性でも目下の者ほどかっちり&がちがちした服装をしていたと衣装史でも明らかになっているのだとか。
(その証拠に石山寺の源氏絵で、「常夏」巻冒頭の源氏の格好が崩れたものになっています)
江戸時代くらいに話が歪んで、身分の高い人こそがしっかりした豪華絢爛な服を着ていたと解釈されるようになってしまったそうですよ。
この間の授業で、服装を崩した男性が源氏の訳がないと思ったのは、私だけではないと信じています。
他にも面白かったのは沢山ありますが、今回はこれくらいにしておきます。
若干中途半端な時期ですが、少しは来年の受講の参考になると嬉しいです。
まんべんなく受講しようとは言いませんが、食わず嫌いしていた授業が結構面白いことはあると思うので、色々と覗いてみては如何でしょうか?