死を見る

 恐ろしいです卒論! 終わりません卒論!
 周りのお嬢さんには既に製本に出しているような方もおられますが私なんといま内容半分行ってるかどうかってレベルです……しんそこ失禁しかねないありさまです……あとこれもはやエッセイと作品紹介になりつつあるという現実 ヤメテーここまで書いて今更その批判はヤメテーそんなことになったら失禁とか失神とか通り越して自害しちゃうからほんと……とりあえず卒業したい……させて
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 唐木順三全集とかで透谷ちゃんの当時の位置づけとかを調べてみるに、みんなあの人のこと天才だ天才だ言うんですけど……まあ「当時の文壇においては」という冠詞をつければ確かに天才なのかもしれませんけど うーん……。ゲーテさんという、とっても長生きでスケコマシで金持ちの息子で弁護士やら何やら副業持ちまくりでワイマル公国の宰相とかもうわけわからんもんにまで成り上がってる人と並べてやってるせいか、透谷ちゃんはどうにも普通の、無邪気な、かわいそうな、たいそう神経が細い、しかし情熱家のお兄さんとしか思えないのである。この時点で自分の価値観に不安を持ってしまい口をつぐみがちになってしまいキーボードを叩く指が止まっているという可能性はなきにしもあらず。てか藤村さんが透谷のことほめすぎたからみんなあとに引けなくなってるとかそういうことはないのかい……
 なおバイロンちゃんについてはお母さんやお姉さんとのことこそかわいそうね~って思いますけど「朝、目覚めたら私は有名になっていた」とかウルトラ悠長かつ妬ましいことをほざいてるあたりでイヤ~ンこの小憎たらしいイケメンめ~^▽^バッキャロ~ィって思わされるため好きです。あとバイロンはその死がゲーテに悼まれてこともあろうにファウストの息子として登場してるあたりめっちゃ羨ましいですね。かのゲーテさま相手にこわっぱがどんだけ感慨与えるとそうなるんでしょうか。ハイネに対する対応はけっこう悪かったってどっかで読んだけどどこだっけ忘れた……たぶん長谷川つとむの本だと思う……
 私のイメージだとハイネのほうがバイロンより知れ渡っているのだが 『四季の歌』のせいかな(「愛を語るハイネのようなぼくの恋人」って歌詞があるよ) 世間的にはどうなのかな
 ていうかファウストマンフレ蓬莱曲の比較とか
 ものすごい初歩的過ぎて話にならんつーか
 学生だからアリなんじゃないの的な甘えがなかったわけではないが
 ああー……
 あともうどんどん文学部の学生としてクソいことしか言いませんが
 なんか透谷関係の論文とか見てるとさ~みんな反定立の自我への応相がどうとかこうとか封建主義へのあじゃらかもくれんとか明治政府のてけれっつのぱとか書いてあるんだけどさ~これがまた死ぬほど読みづらいんですよねまあ仕方ないんですけど……なんでそう透谷だの時代だのいう背景に呪縛されんといけないの~……単にこのうえなく美しい文章の美しいつらなりですよこれは……この幽玄な……ティムバートンみたいな(イヤこれはぜんぜん違うな)……エロール・ル・カインの挿絵がついたグリム童話のごとく、きれいで悲しいお話じゃないか……透谷のつむぐ言葉のひとつひとつに世にもあてなる絵画を見るかのようだわ……こんなにも美しいもんをこのとっつきがたい評論の檻に閉じ込めておくのは損というものではないか……オペラにしてもらうべきだ……マシュー・ボーンにバレエにしてもらうべきだ……ルジマトフとペレンに踊らせて広く知らしめられるべきだ……ボーンにやらせるとホモになるからだめかな~透谷の処女好きさえなければホモでもいいと思うけど……てか『ドリアン・グレイ』と『白鳥の湖』において見るマシュー・ボーン作品において原作者の意志を尊重する意志はあまりないだろう(作品に通底するものは維持してるかもしれないけど)と思うんで、普通に『マシュー・ボーンの蓬莱曲』とかBunkamuraでやってほしいですね。見たいです。
 ……とか言ってるやつがなんで文学部にいるんだ……最初の日本文学概論で「この学科に入った以上日本文学を心楽しく読めると思うなよ」と宣告されたのを忘れたか……って話っすよ……ええ忘れました……さっき思い出しました ラテンアメリカ文学めっちゃ楽しいですちくしょう……野火だって楽しいよ……
 ここ二週間ほど【ファウスト関連書で元気出す→蓬莱曲論文で鬱になる→ファウスト音楽で元気出す→蓬莱曲論文で落ち込む】を繰り返してるんですけどさすがにそろそろはらわたと髪の毛がやばくなってきました^▽^
 私は蓬莱曲についてお話としての話しかしたくない(=透谷ちゃんの思想と絡めれば褒めどころもあるのかもしれないがそんな話はしたくない)……しかしそれだと蓬莱曲の褒めどころとか考えどころって正直あんまりないんじゃないかしら……どうなのかしら……うふふ……つらい……
 ていうかファウストと基本的な話の流れは変わらないはずなのになんでこうみんな蓬莱曲を鬱っぽく扱うんだろうね怨嗟の叫びとかさあ~それ透谷から親父さんへの書簡とかに影響されすぎなんでないの……わかんないけど……自殺とかさ……心底もう考えたくないんだけど……死にたくなってくるし……というか今まさに死にたい……軽々しく言う言葉ではないとは分かっているが重々しく言ったらそれこそ死ぬ羽目になるではないか……つまり言うなと……体内に閉じ込め醸造し健全な精神の肉までもを腐らせろというのか……あなたは鬼か……何と会話してんだ
 ちょっとフランツ・リストによる『ファウスト交響曲』をいっちょう聴いてみていただきたいのですが、そしてそのあまりの壮大さにヘドバンのひとつもしてみてほしいのですが、この澄み渡った空気のなかを限りなく滑空しながら人類の夜明けを見るかのようなまばゆさがどうして『蓬莱曲』には伴い得ないものとされているのだろうか? ほんとうにそれはむりなのだろうか? いやまあ……無理だろうな~……わかってるわそんくらいさすがに……夜明けのきらめきっていうよりこれどっちかっていうと夜の底で濡れた笹の葉のきらめきだもんな(ぜったいこれ露姫の名前に影響されてるだけだよ!!)
 しかしなぜ無理なのか? 透谷ちゃんの人生を覆う形而下的な影、つまり明治期という西洋文明の過渡期がどうのこうのっていう、いかにも森鴎外っぽいとこに原因があると見ていいのか? そうすると蓬莱曲について喋る部分がそうとうはやばやと終わりかねないんですけど~~~~……そして今さら私の脳味噌を明るいほうに連れて行って二万字超書ける自信はないよぉ~あるいは書けるかもしれないけどその場合引用する文献ゼロというえらいこっちゃになってしまう それはもはや論文ではないぞ……うーん
 う~ん
 う~~~~~ん
 作文(正確には違うけど)で苦労するのは初めてだよ~ つらい~~
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 この三点リーダの量に私の苦悶を見てほしいですねo(^▽^)oこの顔文字に寒々しさを見てほしいですね
 ブログ部というのは別に優等生を集めてあるわけではないということがよくわかる記事ですが私以外の子はたいてい立派であることもまた事実であると一応書き添えておきますね!
 じゃあ卒論かくか……