現代社会における女房日記の意味合い

うららかな春から初夏の気配も感じるこの頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

こんにちは!ゆりかと申します。至らぬ点も多々あるかと思いますが、どうぞお手柔らかにお願いいたします。

月曜日の昼休みに高野先生の研究室にお邪魔しました。まあ、つまり中古自主ゼミの見学に行った訳です。

中古文学自主ゼミは今年度は女房日記を扱うそうで、『紫式部日記』などを扱うそうなのですよ。

実は、中世文学自主ゼミも女房日記を扱うんです。『無名草子』というのですが、いわゆる中世の女子会のガールズトークですね。宮仕えを引退した老尼(旧バリキャリ)と若い女房達(新卒)の対談で、女子目線の辛口トークが新鮮です。内容は「序」「物語批評」「歌集批評」「女性批評」の4部構成です。散文文学批評としては最も古く、散逸文学や物語享受研究で重用されています。興味があれば、水曜日の昼休みに石井先生の研究室で中世自主ゼミの活動を行っているので、ぜひ見学に来てみてくださいね。

ここから傾向として、今年は女房文学が中古・中世自主ゼミにおいてブームになっているのではないでしょうか。好奇心がツンツン刺激されます。今なぜ女房日記が熱いのか、ちょっと興味が湧きませんか?現代社会においてこの女房日記はどのような意味があると思いますか?

では、考えてみましょう。時代が求める文学とはなんでしょうか?女房日記とは主体性を持って働く女性像を浮かび上がらせていると考えられます。「働く女性像」!現代社会で女性はどうあるべきかを古典から学ぼうということだと推測できます。おそらくジェンダーのあるべき形を再検討しようとしているのだと思います。

この傾向は振り返ってみればおそらく、マララさんの影響が大きいと考えられます。男女平等が謳わてれるこの時代、男女共同参画社会を推進する安倍政権のもと、必然的に自発的な働く女性像に関心が向いている気がいたします。映画「美女と野獣」のベル役のエマ・ワトソンさんも、国連で「フェミニズム」という形で男女平等と女性の権利に関するスピーチをしていますね。ベル自体、エマ・ワトソンさんや映画「シンデレラ」のシンデレラを演じたリリー・ジェームズさんなどが、ディズニー映画の中でも自立した女性だと評価しています。

このような時代背景から女房日記に「女性のあるべき姿」を求めているのだと考えられます。面白いと思いませんか?

石井先生に質問してみた結果、女房日記には「キャリアウーマンの手引き書」としての意味合いがあると考えられるようです。

さて、それでは新年度を迎えお忙しいとは存じますが、皆様くれぐれもご自愛ください。長文失礼いたしました。

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