こんにちは。あかねです。今日は土曜日ですが1・2限があり、終わって解放気分を味わったところで思いました。子規庵に行きたい。
実は来週の5月25日(金)から三日間、新宿区の漱石山房記念館にて「明治150年 芸術文化維新展」が開かれます。夏目漱石と深い関わりがあった正岡子規や、池辺三山・高浜虚子らの遺墨が出るそうです。漱石についての展示ですが、主催が正岡子規研究所という不思議なことになっています。しかしそれも最もなことで、漱石は手紙を焼き捨ててしまうタイプだったのですが、反対に子規はメモ魔。漱石との書簡でのやりとりもほぼ書き残されているため、子規を研究している所が正岡家と協力して漱石に関する展示をするのは理にかなっているのです。
さて、子規庵の話に戻ります。昨年12月に行ってきましたが、あの場所の日本家屋特有な雰囲気が堪らないんですよね……人生二度目の子規庵です!すっかり来週の予習気分です。全くもって漱石の予習にはなっておりませんが。
5月は陸羯南と正岡子規特集をしているらしく、前回とはまた違った内容の資料が展示されていました。陸羯南は新聞『日本』を創設した人で、高校時代に日本史を選択していた方は覚えているかもしれません。なんと子規庵の隣に住んでいたご近所さんで、子規が中国から日本に帰国する最中吐血した際も、日本で病院を手配しました。しかも病院代を払う名義人は新聞社です。社の金で療養させたところに必死さと驚きが隠せませんでした。その後子規は松山で漱石と52日間暮らすわけですが、こうしてもると短い人生の中で沢山の人に愛されていたのだと思います。死後も、戦争で子規庵が焼けた時は弟子たちがまた建て直すなどしています。子規庵の雰囲気に惹かれてしまうのも、そういう温かさがあるからなのだろうかと思いました。
余談ですが、子規庵の草木生い茂る庭は、出来るだけ子規のいた当時に近付けてはあるものの、現在は全く関係ない草花も咲いてしまっているそうです。生命力が強いなと思います。草花しか布団の中から見る物がなかったといえばそうなのですが、そういうところも子規が植物を歌に詠みこんだ理由なのかもしれません。
行かなければ味わえない空気や見られない景色があるのは勿論ですが、季節によっても受ける印象は大分変わります。皆さんもリピーターになってみませんか?