興奮すると早口になるタイプのオタク

授業中に、ふと中学生の時のことを思い出したんですよ。

私って、運動はあんまり得意な方では無いけれど、皆でわいわい楽しめるならそれが一番良いよねってタイプなんですね。だから運動会とかはクラスの中心にいる運動が得意な人の影に怯えて生きていたんですが、普通の体育の授業は思い切りはしゃいでげらげら笑ってたんですよ。

でね、私の中学校って、冬に球技大会があって。

バスケかバレーかを選ぶのですが、運動ができない私がバスケなんかに参加したら殺人タックルでぺしゃんこになること間違いなしだから、バレーを希望したんですよ。それで、バレーを希望した人達が多かったから、色々あって、多分あんまりバレーの試合に貢献できなさそうな人達が集められたのかな。何人か集められて、「今から一人ずつ何本かサーブを打って、誰がバレーに入れるか決めようと思う」って球技会委員の子に言われたんですね。もちろんその中に私は入れられてて、チャンスをもらえるのはすごくありがたいことだなあって思いながら、オーディションっていうか試験?を受けたんですよ。

それでね、委員の子が私達にずっとつきっきりで面倒を見てくれていたから、サーブ練の時とかで「ここはこうしたら?」って言われたら、「そうか!ありがとう!」ってなるべく笑って感謝の気持ちを言うようにしたり、サーブを失敗したら「あーっ!失敗したー!」って叫んだり(これは元々私がそういう失敗を口に出してしまう人間であることもあるけれど)、ボールを取りに行くときも、自ら率先して取りに行くようにしていたんですね。だってだらだらしてたら練習の時間がもったいないし、皆ボールを拾うのが面倒なのは同じだから、それなら少しでも多く拾おうって思ってたのね。

でも、周りはそうじゃない人が多くて、むすっとした顔でサーブを打ったり、指摘されても「あー、ありがとう」ってあんまし良くない態度で受け答えしてたり、ボールを拾わなかったり、練習もせず後ろで話してたり。もちろんその人達は私なんかよりも断然上手にサーブが打てるんですよ。だから「練習しなくてもいけるなんてすごいなぁ」なんて呑気に思って、こっちは本当にボールが常に場外ホームランみたいな感じなので、ヒーヒー言いながらひたすら打ってたんですよ。だらける人達の中に、いつもつるんでいる友達がいて、話しかけてきたけど、「今ヤバいから!!!!」って言って打ちまくったのよ。

でも、本番になっても案の条華麗にサーブなんか打てるはずもなくて、明後日の方向に飛んでいったボールを目で追いかけながら、「ああ、さようならバレー・・・こんにちは修羅のバスケ王国」って己の死を覚悟しました。友達と「これは落ちたわ」「私これでバレーになったら辞退するわ」「私も」って会話をしながら教室に帰って、結果を待ちました。

そしたら、終礼後に告げられた結果では、何故か私の名前がバレーに受かった人の中に入ってて、嬉しいけどこれはどういうことなんだって思ってたら、委員の子が「バレーの上手さだけでは無くて、態度のことも見ました」って言って、なんか、私のバレーのサーブは壊滅的に下手だし、この中の誰よりもできてない自信はあったけど、それでもアホみたいに楽しんでやってたから、そこをちゃんと見ていてくれていたんだなあって。下手くそでもいいんだよって言われたような気がして、本当に嬉しかったです。そして彼女たちが、実力だけじゃ無くて、協調性っていうか・・・チームに溶け込んでプレイする力みたいなものを見る人達なんだってことに気がついて、心から尊敬しました。私だったら勝つためにきっと実力しか見なかったから、すごいなって思った記憶があります。そういう人になりたいなって思いました。

私の名前が呼ばれたのに自分の名前が呼ばれなかった友人達は、「は?なんでゆかが呼ばれるの?」「だってこいつ私達よりも下手だったよね?」と私の目の前で言ってきたり、自分のみ選ばれてしまった罪悪感と、さっき言った「選ばれたら辞退するわ~」なんて言葉を思い出しつつ、当時は気まずい思いをしましたが、今なら胸を張って言えます。それはお前らが驕り高ぶってたからだよーーーー!!!!!!!平氏ですら驕り高ぶった末に滅びたんだから我らごときが驕り高ぶったらすぐに滅びるに来まってんだろーーーーーが!!!!!!!!!因果応報!!!!!!!!!!ってね!!!!!

 

まあ何が言いたかったのかというと、人を能力や、技術、実力だけで評価するんじゃ無くて、もっと内面の、人として関わっていく上で重要なところを見て、評価出来る人になれたらなってことです。

 

なんでこんなことを唐突に思い出したんだろうね。多分、昨日が私の大切な人がいなくなって、二回目にやって来た特別な日だったからのような気がします。今までは生きているのが日常だったのに、今では傍にいないことが日常になってしまいました。それがなんとも、悲しいものですね。幼い頃に、祖母の背に揺られて、黄金色の午後の光の中、子守歌を歌ってもらったことを、たまに思い出しては悲しくなります。いつだって姿見の前に立っておんぶをしてくれたので、祖母の優しい表情も、しっかり覚えてます。昔の自分にとっては当たり前だった過去が、今となっては、幸せだった思い出に変わってしまう瞬間が、どうしても寂しくて、悲しい瞬間だなあと思います。いつかこの幸せだった思い出も、忘れてしまう日が来るのでしょうか。それは、嫌ですね。いつまでも幸せな思い出を拾い集めて、大事に抱えて生きていたい。そんな人生です。

本当はこんな話書くつもりはなかったんだけど、つい手が滑ってしまいました。本当は前から二列目の席で宙組の公演を観たこととか、最近買った雪組のDVD「ひかりふる路」とかのプレゼンをしようと思っていたのに・・・。

でも、こうやってこの話を書いたことで、ひとつ発見したことがあります。一年前じゃ絶対にブログはおろか、人に言うこともできなかった祖母との話を、今こうして普通に書けているということは、多分、あの日無理矢理ぶち破られて開けられた穴から出て行ったものに代わり、長い年月をかけて新しく入ってきたもの達によって、欠けたものが満たされていった証拠なんだなあと、思います。一度漏れ出た者を元の場所に入れ直そうとするのは難しく、辛いことだけど、また新しく何かを入れることは、幸せで、良いことだったんだな、と気がつきました。そうして人はまた一つ賢くなっていく・・・。

 

いやなんかやたらとシリアスになりましたが今日も私は元気にオタ活しては天上にピヨピヨ舞い上がってるんでなんか・・・・朝夏まなと大好き~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!って感じ・・・

多分共感してくれる人は多いんじゃないかなって、一人じゃないよ!!って言いたかっただけなの・・・悲しみを抱えているのは皆同じだから、我慢しようじゃなくて分かち合おうって言いたかった・・・だけなの・・・・

 

 

おわり・・・・