こんにちは。あかねです。台風の迫りくる9月29日、私は子規庵へ行って来ました。今回の子規庵は今までとは違います。「子規遺墨遺品展」です。
まずは8畳間に展示されていた、子規の遺品を見ました。体温計や、写真を立体的に見るための、虫眼鏡を応用したような道具、黒い丸メガネがありました。活動写真(今で言う映画)に興味を持ちつつも外出できる体力ではなかった子規にとって、写真だけでも立体的に見えるというのは面白いものだったそうです。また、メガネの幅などから頭のサイズが推し量られたのですが、明治期の男性は身長も低いので頭も小さかったのかなと思いました。ちなみに、子規の身長は163.6cmです。
次に見たのは『墨汁一滴』の原稿です。筆を執る力もなかったので妹による口述筆記でした。資料保存のために写真が取れず、メモもしていなかったので記憶が曖昧なのですが、「ぶるたす、お前もか、と思った」という箇所があり、現代の日本人と一緒の感性に笑ってしまいました。本当に笑っていたので、台風の近付く雨の日に一人でやって来て展示にほくそ笑む変態と化した瞬間でした。
そして6畳間へ移動。最近発見された「福引」の句が展示されていました。原本は開かれてガラスの箱の中にありましたが、全ページ分の写真が大きなパネルにまとめられていました。勿論当時は歴史的仮名遣い。変体仮名の知識を総動員させながら、「ご自由にお取りください」の箱からいただいた現代仮名遣いプリントとパネルを何度も見比べました。
「 福引にキウスを得て発句に窮す
新年や昔より窮す猶窮す
子規」
それと、106年ぶりに発見された書簡も展示されていました。これは子規が送ったもので(誰に送ったかは失念しました……今度はメモを取るようにしたいです)、全集には収められていたものの原本が見つかっていませんでした。相手方の遺品から発見され、今回子規庵での初展示となりました。子規の3度の書き間違いや、「君の手紙に元気づけられました」という言葉から、子規が相当弱りながらも前向きに生きようとしていた姿勢が見て取れました。手紙の最後に一句したためられていた内容も子規らしくて良いなと思った記憶があります。
最後に8畳間で曼荼羅を見物後、雨脚が強くなり始めたので帰路につきました。まだ緑の深い庭で赤とんぼが雨に打たれているのが印象的でした。子規庵の庭は緑が深すぎて未だ一周したことがないので冬に再挑戦します。
雨の日の子規庵
9月19日は正岡子規の命日でした。辞世の句にも詠まれていることから、この日は糸瓜忌と呼ばれています。
葉鶏頭の句も論争の決着がついておらず印象深かったので、まだ咲いていたものを撮りました。
今回は1時間ほどの滞在になり、かなり長かったにも関わらず(普段は長くて20分ほどです)、資料に夢中でメモを取らなかったことが悔やまれました。以後は気を付けたいと思います。そして、これはどの作家にも言えることですが、これからも新たな句や書簡が見つかり、更に文学的な解釈が広がることを願っています。