こんにちは、こりです。
前回、「後で更新するからね!」と言ったのですが、ラストを見たことで心に深い傷を負い、「癒えたら書こう……」と思っていたら、次の更新日がやってきました。……なんてこったい。
ということで、再更新ではなく、本日ここに書き記します。
まず、どうして手下にハマったのかという所から始めたいと思う。
大学一年の時、私は授業が終わった後、毎日食堂のWifiを使ってネットサーフィン(Twitter)をしていた。そして丁度この時期、ふと「今年のディズニーはヴィランズだったんだよな。どんなだったんだろう」と思い、Twitterで検索をかけた。すると……
……出てくる出てくる、手下の動画やイラスト!
最初は何が何だか分かりませんでしたが、見ていくうちに心が惹かれていった。「闇落ち」、「悲恋」、「妖しげ」、「儚い」というワードが大好物な私の性癖にグッサリ刺さったのだ。
最初は友達の友達とTwitter を介して話していたのですが、彼女は「知っている」という程度でした。私はもっと内容の濃い話がしたかったのですが、別ジャンルに熱狂的な彼女に話を振り続けることはできなかった。
ここで、「友達がおススメしたものにハマる」、「友達と仲良く話すためにハマる」というオタク活動しかしてこなかった私は、自ら沼にハマったが語る人が誰もいないという経験を初めてした。
「もっと話がしたい」
そう思った私は、Twitterの専用垢を作ることにし、知らない人と繋がる……SNSの波にダイブした。
オタクの友達が沢山できて、濃い話ができて最初は楽しかった。でも徐々に苦しかった。
「Twitterでは絵が上手い人がチヤホヤされる、界隈の中心人物みたいな人と話せる。私は絵が画伯で、超下手くそ。でも毎日書けば、一端は描けるんじゃね?」そう、垢開設時は思っていた。でもそんなことなかった。毎日書いても下手くそすぎる。絵を書くための本も何冊か買った。「絵を書く」のは嫌いなのに、そのために毎日二時間絵を書く。自分では上手く書けたつもりでも、「いいね」はこない。
しだいに友達の意向が気になった。「○○さんは私と同じぐらいの画力なのに神絵師と繋がっている」「「#繋がろう」タグに反応しているのに……○○さんには反応が来て、私は無視される」。
暫く経ち、相互だったのにブロ解されるという現象が起こり始める。Twitterではよくある現象だ。でも人に嫌われることを極度に怖がる私は、「嫌われてしまったのか」と心が病む。当初はブロ解した相手に理由を聞きに行ったりした……もちろん返答なんてなかったけど。
嫌われたくないという理由で、「作品に対して積極的に感想リプを送る。ぶっちゃけタイプでもない、寧ろ下手くそな人にも讃辞の言葉を投げつけた。」自分の惨めさが増した。「相互を増やすため、無駄にディズニーへ行ったりオフ会に参加した。」お金と時間が無駄だったな。「相互さんとの会話は切らさないようにした。」人と話すことが義務になり、疲れた。「必要でもない推しの商品を購入。どんなにテンションが低い時でも明るく振る舞った。」心が苦しい。
ついには毎日Twiiterのことを考え、心が病んでいった。そして、去年の冬、私は垢から離脱した。
悲しくて暗い過去と同時に楽しいこともあった。
「友達は全国にいて、様々な立場の人がいた。」
環境が淘汰し、私の周りには私と似たような人しか集まらない。しかしTwitterには様々な人がいる。近隣、都市、地方。年上、年下、結婚してる人。自分とは違った環境で育ち、違った感性を持った人が集まる。その人たちが同じジャンルを介し、様々な話をする。私の考え方が凝り固まっていることを知った。社会に出れば、自分の価値とは違う人と話をするだろう。その時に人には様々な価値観があることを知っていれば、相手と温和に話すことが出来るだろう。それを社会に出る前に学べてよかった。
「色々な経験をさせてもらった。」
私は所謂年功序列というものを大切にしてきた。しかしSNSには年功序列がない。年上、年下関係なくタメ語で会話する。最初は慣れなかったが、「相手が自分より年上とか年下とか関係ない。敬意を持って仲良く話せば良いこと」と思えば、少しは楽になった。そしてそのように話すことで、相手との距離が縮まり、楽しく深い話が出来たように思える。今後社会に出た時はTPOを弁えつつ、そんな話し方を混ぜてみてもいいかもしれない。……ま。まだ未だに全然慣れてないんですけどね。
他にはオフ会というものに参加し、主催の片棒も担がせてもらった。私は「SNSで出会うのは恐ろしい。良くない」と教わってきた。最初に参加した時は一人で知らないグループに参加するということもあって、酷く緊張した。しかし拍子抜けするほど良い人たちばかりだった。怖いのは一部であり、全部が全員がそうではないと身をもって体験した。そして自身がオフ会を主催した時、遠方からわざわざ来てくれた人がいたのはいい思い出だ。もう一人の主催者に「またやろうね」と言われたが実現できそうにない。少し心残りだ。とりあえず自身の認識を打破し、新しいことをするのは恐ろしくて勇気が要る。だが楽しいことも多く、いい経験値になるのだ。
あと、スケブの書き合いっこや、大好きな絵師様からイラストや二次創作グッツを貰ったり、自身も制作してみたこともあったな。初めてのオタクらしいオタク活動。とても楽しかったな。
「ジャンルは変わっても仲良くしてくれる人と出会えた。」
これは非常に大きい。ディズニーの手下という1つのジャンルを通して、ご飯を食べに行ったり、他愛もない話が出来る友達が出来たのはとても喜ばしい。このジャンルで沢山の人と知り合ったが、普通に仲良く出来る人は片手で数えられるほど。その少なさがリアルだし、この人たちに出会えただけでも、この垢を開いた価値があると言いきれるかもしれない。
「少しだけど自分の作品を評価してくれる人がいた。」
下手くそな作品を上げ続けた。いいねはほぼ来ない。だけど見てくれる人はいる。たまに感想で「上手くなってるね」と言われた。本当に泣きそうになった(というか泣いた)。努力が実る瞬間だと思う。優しい仲間に感謝。そして幾ら成果が実らなくても、少しづつやれば、その姿を評価してくれることを実感した。(……ま、今は全く手つかずになり、努力すらしなくなった。こんなことを今の私が語っていいのかは疑問だ)
「勿論手下の人と会えた。」
これは本当にね。そのために作ったのだから。専用の垢を作ったことで、知識も理解も手下に対するの愛も深まった。自分の感動をみんなと共有できたことが嬉しかった。
手下だけで言えば、ショーの時に選ばれて、一緒に写真を撮ったこと。(しかも二回も。そのうち一回は推しと同じ画面に映ったんやぞ!!)写真は印刷して、写真立てに飾っている。机の上から推しと幸せそうな私が覗いている。これは一生の思い出だ。あとは動画、自分にしてくれたリアクション。動画サイトにはない、私だけの思い出。
ここから分かるかもしれない。
私にとって「手下」というジャンルは、ただのオタク趣味ではない。
1つのジャンルを通した、人々の交流譚だ。
「手下」は今年をもって消える。ファンは減り、消えていくだろう。私が大学四年間でSNSを学んだ土壌が消えうせる。謂わば学び舎が消えるようなものだ。
先程も述べたが、垢離脱した時点で、私の「手下」への熱は一年前以上から消えうせている。今年のハロウィンの最終日、「終わったな」という感覚で、どこか冷静になっていた。でも月日が経ち、久しぶりにアカウントに戻ってみると、人が徐々に消えていきガランとなったTLにもの悲しさとやるせなさを感じている。
……かく言う私も近日中にアカウントを消そうと思う。新しく出発するべきだ。
今日の文章は皆のために書いたものではない。大学四年間、どのような思いでいたのかを自分自身で整理し、心に留めておくために書いた。愚痴が多いし、最後は中二病感が否めないのは勘弁してほしい。気持ちのまままに書き記してたら、こうなった。
うん、話が長くなったし、楽しい記憶は改めて10月31日を再更新しよう。
それでは、アディオス☆
「ディズニーのこれからの発展を願って。ハッピーハロウィン」