こんにちは、あかねです。今回は、2月23日に行ってきた文学館めぐりについてです。森鷗外記念館と子規庵、漱石山房記念館を半日でまわってきました。東京は電車が潤っていて移動がスムーズです。
まずは森鷗外記念館から。千駄木駅から徒歩5分のここは、かつて鷗外の家があった場所です。観潮楼と呼ばれていました。
以前行った時はまだあまり詳しくなく、何故永井荷風がこのようなものを書いたのか分かりませんでした。しかし今は、荷風が鷗外を敬愛していたからだと分かります。展示を見ても、鷗外は多くの人に頼られ、多くの人の面倒を見ていたとありました。お医者さんだからなのか、彼の人間性なのか……正岡子規を「人誑し(ひとたらし)」と評していましたが、案外鷗外自身が世話焼きだったことも影響していたのかもしれません。
現在の特設展は、九州の小倉にいた頃の鷗外の生活を書簡や新聞の投稿から見るというものでした。賀古鶴所(かこ つるど)という7歳上の親友に「工事が始まって、夜の12時までやっているから退屈しない」等と送っています。また、家へは「醤油が届かないから通運会社に聞いてみているが早く送ってほしい」といった、関東と九州で異なる味付けに苦戦した様子が見られました。
モリキネカフェでラプンツェルやハム、コンビーフのセットを食べた後、子規庵へ。
正確に言うと子規庵は文学館ではありません。正岡子規の住んでいた家です。……更に正確に言うと、家自体は戦争の際に焼けてしまったので、弟子や家族が協力して再現したものです。東京都の文化財に指定されています。
普段「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の掛け軸が吊るされている所には、12月に催された蕪村忌の寄せ書きがありました。私も蕪村忌に行った際書きましたが、その時よりもずっと賑やかになっていました。友人へお土産を買った後、漱石山房記念館へ。
……時間配分にはお気を付けください。漱石山房記念館の中にあるsouseki cafeはラストオーダーが17時です。東京メトロ早稲田駅に着いたのは16時40分。坂を上って下って上って、結局片道10分はかかるところを5分で行きました。人間、頑張ればどうにかなるものですね……。
そのような理由で、写真撮影は後回しにしました。だんだん暗くなっていく写真をお楽しみください。
カフェで渋柿のアイスを堪能した後、ショップで黒猫のマスキングテープを購入。以前来た時、帰宅してから後悔が物凄くあったため、今回は必ず買おうと心に誓っていたものです。無事買えました!
展示は留学中の漱石についてでした。立花銑三郎という日本人翻訳者と漱石は友人関係にあり、立花も漱石より前から留学中の身です。公開されていた書簡では、インフルエンザに罹って帰国の途につく立花へ「僕の下宿に寄っても構わない」という旨を送っていました。日本文学科では一年次から「変体仮名演習」という必修の講義で、ミミズのような昔の字を読めるよう訓練されます。しかし、習っていなくても読めるような漱石の筆跡の「インフルエンザ」を拝むことが出来ました。病名は100年以上前と変わらないんだなと驚く一方、結局立花さんは帰国途中に亡くなり、漱石が帰国すれば同郷の親友である正岡子規も亡くなっているわけですから、なかなかにシビアで切ない現実です。
帰路
今回は文豪の作品ではなく、生き方を見る旅でした。中世の教授である石井先生は「非リア充からしか文学は生み出せない」とよく仰ります。神経衰弱の時に高浜虚子から進められ文壇に登場した漱石、病に侵され窓から見るだけとなった世界をそれでも歌い続けた子規は、確かにその通り当てはまります。今回の展示で、医者の家の長男として軍医になりながら、興味は文学の方面へと向かう鷗外の姿にも気が付きました。恐らく鷗外もまた、家督を継ぎ医者となるのが本望ではなく、本当は小説を書き歌を詠んでいたかったのではないかと思いを馳せてしまいます。何かしら思い通りにはならなかったことがあったからこそ「文豪」は誕生したのだと思いました。
やりたいことは体が動くうちに、生きている間にしたいものです。現代は明治・大正当時と、家の在り方も病気への対処法も違いますからね!それに、足が動かなくなってから後悔することは多いです。正岡子規もきっとこんな気持ちだったのだろうと思えるほどに狭まった世界で生きています。今回は3つとも回れましたが、もう少し寒かったら途中で断念していました。そういうリスクも私の外出には必ず付きまといます。どうか皆さんが、いつ何が起こっても後悔しない日々を送ってくださることを願います。多分、鷗外も子規も漱石も、失ったから文学が書けたのだと思います。しかし失った自由や時間や健康や足や友人は帰ってきません。欠落から文学が生まれるのだとしたら、文学というものは穴を埋めるための塊になってしまいますね……。誰かの心にははまるけれど、書いた当人の穴は埋まるのでしょうか。埋まっていたら良いなと思います。
さて、しみじみしたところでお知らせです。生誕150年を記念して、創作能「子規」が3月17日、新宿区の矢来能楽堂で13:30からあるそうです。料金は学生がなんと3000円!全席自由!宇髙通成さんがシテ役で子規を演じます。老人が実は子規で、歌を歌い舞い踊るという典型的なあらすじですが、32歳で亡くなった子規が老人になって登場するというだけで、あの世で老成したのかなと勝手に嬉しさと切なさを感じています。子規庵にチラシが置いてあったのですが、ちょうど後期の講義で創作能レポートを出したところだったのでタイムリーだと思い、この場で宣伝致しました。近代文学と古典芸能のコラボレーションを是非、たった一度の機会ですから見に行きませんか?
私は都合が合わないので、見に行けないのですがね!悔しい……!生誕200年になったら絶対行ってやると固く心に誓ったあかねでした!