むーです。
7月ですね。7月といえば、そう!!!!!
『BEASTARS』最新刊が、7月8日に出ます!!!!!!!!
―――――最近太字を覚えたのですぐ使いたくなってしまいます。よくない。
いやそれはさておきですよ、待ちましたこの日を。あと2つ寝ればBEASTARS。あぁもうほんと嬉しい。課題、テスト、将来のことが山積していて頭がくらくらしますが、とりあえず今は気持ちがはやっています。
BEASTARS。
この漫画のキャッチコピーは、「動物版ヒューマンドラマ」です。
舞台は擬人化された動物たちが暮らす世界。ライオン、コウモリ、トラにビーバー、ラクダ、オオカミなどなど、多種多様な動物が共存しています。『ズートピア』から夢の国感を抜いた感じを想像してもらえれば◎。そんなこの世界の絶対的タブーは、「食殺」。肉食獣が草食獣を食べる事は重罪、決してしてはいけない。この倫理観の上に社会は成り立っているのです。
物語は、高校生のアルパカ、テムが校内で食殺されたというショッキングな事件から始まります。
主人公のレゴシはハイイロオオカミの高校2年生。心優しく平穏を好む青年で、自身の肉食獣としての本能に思い悩んでいましたが、「あること」がきっかけで1つ歳上のウサギ、ハルに恋をします。
同級生のテムが食殺されたことと、ハルに恋をしたこと。レゴシはここから、肉食獣と草食動物、大型獣と小動物、イヌ科、ネコ科、シカ科など、自身の世界を取りまく多様性と共存の問題に、真正面からぶつかり合っていくことになります。
数々の漫画賞に輝いていて、アニメ化も決定している『BEASTARS』。名前は知っていたり、本屋さんで見かけたことがあったり、読んだことがある、そもそも全巻読破しているという方も多いかと思います。
私がこの作品を好きなのは、組み立てられた綿密な設定をもっているから。ストーリにはもちろん校内や町中の背景のひとつひとつ、漫画の1ページ1ページにすごく反映されていて、読んでいてすごく楽しいのもめちゃくちゃにあるし、個性豊かに描き出された登場人物も魅力的です。その等身大の姿から、作者さんがそれまでの人生でいかに人間と関わって、その深いところに接してきたのかを邪推してしまいます。
けれどブログの場でぐっと押して伝えたいのは、やはり「共存」について。
ちらっと先ほど『ズートピア』の話を出しました。『ズートピア』と『BEASTARS』の一番大きな違いは、その関心の在りかにあるだろうと感じます。『BEASTARS』は肉食獣が草食獣にむける「食欲」まで描き切ろうとしている。『ズートピア』の肉食獣と草食獣の関係は、そこまでは獣ナイズされていない、より人間に近い比喩の範囲内で、おそらくは留められています。
『ズートピア』以前に、そもそも子ども心に感じたような、擬人化された動物たちがでてくるファンタジーへの違和感--しまじろうとトリッピーが仲良しなのはおかしいよ。だってトラはトリを食べるじゃん、みたいな、そんな感覚に対しても『BEASTARS』はある意味アンサーを返しうる作品だと思います。「違い」というものを、とことんつきつめようとする作品です。おそらくそこに『BEASTARS』の本旨があります。
あと、もう1つ。比較したい作品があります。『あらしのよるに』。
嵐の夜にひみつのともだちになったヒツジのメイとオオカミのガブ、とても気の合う二匹ですが、ガブは「ともだちなのにおいしそう」とメイへの「食欲」に苦しめられます。
食べ、食べられる関係に加えて、二匹の間にはお互いの群れの仲間からの目も立ちふさがり、そんなかれらの種族を超えた友情は成り立ちうるのか。みなさんは、この絵本の結末を覚えているでしょうか。
『あらしのよるに』の刊行から、今年で25年が経つそうです。『BEASTARS』の、特に11巻を読んでいて、「25年の年月は社会のありかたをこんなに変えたのか、こんな物語がうまれる社会なのか、私の生きる現代は」と、切に感じました。
すごく、いろんな意味であつい物語です。厚いし、アツい。これから先をずっと追っていきたい、この物語がどんな結末を迎えるのか、その瞬間を見届けたい。そう願ってやみません。
というわけで、ご興味のある方はぜひ!! 7月8日発売の14巻もよろしくお願いします!!!(?)
それでは今日はこの辺で失礼します。お相手はむーでした!