夏の京都

最近、夏バテ気味でお腹を壊しています。
かき氷とアイス大好きなのに全然食べることができない。残念極まりない。
皆さんはいかがですか?

こんばんは、れいです。
少しずつ涼しくなってきて、秋の空気ももうそこまで来ていると感じます。
こんな時に思い出すのは、

夏と秋と 行きかふ空のかよひ路は かたへすずしき風や吹くらむ

という凡河内躬恒の和歌です。蒸し暑い中にさわやかな秋の風を感じて、ふと上を見ると真っ青な空に、綿菓子みたいな雲が漂っている。昔の人もきっと同じ思いだったのかな、と想像します。

 

先日、私は京都の同志社女子大に国内留学している友人のところに遊びに行ってきました。実は私も、高校生の頃から国内留学には興味があったのですが、教員免許取得を考えるとやはり難しくなってしまい、泣く泣く諦めたのです。その友人も、我らが同じ日文生で、京都でももちろん同じく日本文学を学んでいます。
私は小学生からの自称京都マニア(?)で、好きが高じて京都検定というご当地検定の3級を持っています。ですが、最近は日本全国の寺社を回ってみたい!という気持ちが強くなって、少し疎遠になってしまっていました。なので、今回その友人に約半年ぶりに会うのもとても楽しみだったし、同時に久しぶりに京都に行ける!という喜びもありました。
ただ一つ残念だったこと…。本当は2日目に奈良の飛鳥に行って、万葉の舞台を肌で感じたい!と思っていたのですが、暑さに体が追い付かず断念したことです。飛鳥は奈良の中心から離れているので、京都からは遠い上に休憩できる場所も少なく、歩く距離が尋常ではない…。諦めて、これもまた行きたいと思っていた、興福寺と春日大社に行きました。でもやっぱり飛鳥行きたかった!!!涼しくなったらリベンジです。

とにかく盆地の京都は暑くて灼熱地獄だったので、暑さに弱い私はとってもスローペースで巡りました。そんな旅の中でも、今日はぜひ皆さんに紹介したい!という寺社や私の体験をお話ししようと思います。

 

まずこちら。五山の送り火です。

今回の目的の一つに、五山の送り火を見るということがありました。毎年テレビでは見ているのですが、いつかこの目でという気持ちがあり、叶えることができました。
一番の見物スポットは出町柳の三角州の所らしいのですが、とても混雑するとのことだったので、松ヶ崎で「妙」の字を目の前で見ました。

 

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今回初めて知って驚いたのが、五山の送り火の火は20分ほどしか保たないことです。綺麗で儚く、その短さが日本の夏の終わりを告げているように感じて、見ていて少し名残惜しく、寂しくなりました。私の家では、ちょうど京都に行く前に迎え火をしていたので、送り火を見ながら、心の中でおじいちゃんにまた来年ね、と自然に声をかけていました。
もちろん私のように半ば観光のような形で来る人も多かったのですが、地元の人もたくさんいて、いかに京都の行事や文化が根付いているかを肌で感じることのできる体験でした。

 

続いて紹介したいのは、北野天満宮の御手洗川足つけ燈明神事です(ちょっと難しい名前なのですが、正式名称通りに記しました)。もとは平安京ゆかりの行事で、清めの神事なのだそうです。境内の御手洗川をろうそくを持って歩き、足を清めた後、更に御本殿の中に特別に入れていただきました。
ネットでこの行事の詳細が出てこなかったので、詳しいゆかりが分からずなのですが、夏越の祓のように、身も心も穢れを祓って清めることで、無病息災で健康に過ごせることを願った行事なのだと思います(不確かでごめんなさい)。

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この上の写真の通りなのですが、この行事は「京の七夕」という京都のイベントの一つで、神事の受付も夜の8時までやっているのです!私は少し暗くなってからお参りに行ったのですが、とても幻想的できれいでした。

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また、冷たい御手洗川に足を付けることで今までの汗もすっと消えて、清々しい気持ちになりました。あと半年間(もないですが)気持ちを新たに頑張れそうです。
最後に本殿の周りをぐるっとして、神事は終了なのですが、ちょうど本殿の裏側に来た時、周りに光がなく、星がきれいに見えたのが印象的でした。星というといつも『建礼門院右京大夫集』を思い出すのですが、ここに祀られている道真も右京大夫も空を見上げたのだろうなと考えると、とても感慨深かったです。忘れられない夜でした。

 

最後に紹介したいのは、祇王寺です。祇王寺といえば、言わずもがな『平家物語』の舞台の一つなので、名前は知っているという方も多いかと思います。私も高校生の頃に『平家物語』を読んで、あまりにも人間の愛が移ろいやすく哀しく、ただ打ちのめされた覚えがあります。
その時から祇王寺に行ってみたいと思っていたのですが、奥嵯峨にあり駅からも遠いので、行くのを躊躇っていました。ちなみに今回は暑さに我慢できず、タクシーを使いました。運転手の方がとても気さくで道中とても楽しかったです!友人によれば、祇王寺は人力車でもいけないそうで、嵐山の駅近くと比較できないほど、人がおらずひっそりとしていました。

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境内はこの青々とした苔が有名で、青紅葉が光に透けて淡い光が地面を柔らかに照らしていて、別世界のようでした。自然の音しか耳に届かず、祇王も仏御前もこの自然の中で安らかに眠ってほしいと心から願ってお参りしました。
祇王は出家して尼となり、どんな思いでこの自然を見ていたのだろうかと考え、私とさほど年齢も変わらないのにいろんな経験をして、尼になった彼女の人生を想像すると、胸が締め付けられる思いでした。

また、とっても静かな場所だったので、自分のことを見つめる時間にもなりました。

 

この三日間、二日は友人と一緒に京都奈良を巡って、夜は二人で将来のことや、互いの半期の講義のこと、履修のことを、久しぶりにゆっくり話すことができたのも忘れられない思い出になりました。また、私は実家暮らしで家に帰ればご飯があるのが当たり前だったのですが、一人暮らしの生活を目の当たりにして、友人のことを改めて尊敬し、自分も東京で頑張らなければと強く感じました。

そして京都を久しぶりに訪れてみて、実際に古都の空気を感じてみると、祖納と思いが膨らむ自分がいました。京都は「文学の舞台」と簡単に形容されてしまいますが、それだけではないと今回感じました。たとえ千年前だったとしても、そこで懸命に生きた人々がいて、そういう人々が紡いできた時間によって、初めて文化や行事は重みを持って行われるのだと思うし、文学の中にいた人々、物語の書き手など、一人一人が生きた証が京都にはたくさん残っているからです。「舞台」という言葉を使うのは、あまりにも軽々しい、と思ってしまいます。

前に、「追憶」という映画がありました。その映画自体は見ていないのですが、「追憶」という言葉がなぜかとても印象的で、心の中に残っていました。「追憶」には、過去をしのぶこと、思いをはせること、という意味があるのですが、京都って「追憶」の場だなぁと思うのです。東京にももちろん江戸の歴史があるのですが、京都はずっとずっと古い。約1200年。そして、その歴史や時の積み重ね、文化の系譜が直接肌で感じられる場所です。
これからもこんな素敵な京都の歴史が守られるように、と感じています。