健やかな秋の毎日を

こんばんは。しおりです。
後期が始まるとともに、待ってましたとばかりにやってきたのは演習の数々。はじめての中古の演習、今から不安が募ります。

3年生ともなれば、どの時代も難なくこなせるものであると思っていました。それが大きな間違いであることを思い知らされたのは、夏休みに近世のレポートに取り組んだ時のこと。いつものようにパソコンを前にして、机の電気を付けて。それなのに、いつもとは違って全く頭が働かなかった。第一、調べ方からわかりませんでした。論文を引いて、執筆者の挙げていた参考文献に目を通して。沢山の本を開いたことで、やった気にはなりました。しかし、それは先行研究と同じ作業を繰り返しているだけ。述べたいことはあっても、それを補強する新しい資料の探し方がわからない。何度も読み直して、何度も書き直して、しかしその度にどんどん納得がいかなくなって。ついに提出の日を迎えてしまいました。はじめての時代を知るのは面白いことですが、自分の力の無さを痛感させられるものですね。

そうやってレポートに悪戦苦闘している時、皆さんも感じたことがありませんか。胸が締め付けられるような息苦しさ。焦り、不安、苛立ち、悲しさ、辛さ。様々な負の感情が塊となってまるで気管を圧迫しているかのよう。演習をやっている時、レポートを書いている時、テスト勉強をしている時。いつからでしょうか、気がつけばその塊が私の身体から離れなくなってしまいました。そして突然、不安が襲いました。気持ちがぷつりと切れてしまうような気がして。何でそんなことを思い出したのか、考えてみてもこれといったきっかけはないのです。大学生活にも慣れてきて、中だるみをしてしまっているのだと言い聞かせていました。

しかし、それが最近になって、ようやく理由がわかったのです。

切れてしまいそうなのは、気持ちではなく身体でした。

高校生、いいえ中学生の頃からでしょうか。私は椅子に座るとすぐに腰が痛くなり、肩が固まってきて最終的には頭まで痛くなります。100分授業、そういう意味で本当にきつかった。だけれども、私にとってはそれがずっと普通だったものですから、特に何も思っていませんでした。痛くなって当たり前、だって長時間座っているのだからと。しかし、街中を颯爽と歩くご老人の姿を見て考えさせられました。

10年後、20年後、私の身体はどうなるのだろう…?

同じ生活を続けた場合、痛みがなくなるとは思えません。想像されるのは、もっと酷くなるということ。気持ちよりも先に身体が持たなくなるかもしれない。瞬間的にそう思いました。そして、あれほど(どれほどかと言うと、高校の水泳の授業でテストを受けさせてもらえなかったほどです。ちゃんと出席はしていたのに)運動音痴な私が、意を決して通い出しました。ジム(のようなもの)に…!!

ジムと言ってもストレッチとちょっとした筋トレだけ、30分ほどで終わるもので好きな時に通えます。夜も遅くまでやっているので、私は図書館帰りに直で向かうことがほとんどです。はじめて1カ月。まだまだ体力はありませんが、不思議なことに心がすっと軽くなりました。気持ちがぷつりと切れてしまうような感覚は、実は身体からのSOSだったのです。何とも言えない息苦しさでとにかく椅子から立たせて、座った体制から解放させようとする。「頭を使って疲れているのだから運動なんてもってのほか!」と考えていた自分を反省しました。

最近肩が凝る、頭が痛い、目が疲れると思っている方、それは正常ではありません。気持ちが疲れてきたと思っている方、それは単なる中だるみではないかもしれません。頭を使いたいのならば、同じように身体も動かさないといけない。当然、動いただけ身体の疲れは感じますが、その疲れがどうやらあの負の感情で形作られた「塊」を砕いてくれるようです。

涼しくなってきたこの季節、身体のためにも心のためにもしっかりと動いていていきたいと思います。

それでは、また。