有限の時間

みなさん、こんばんは。さやかです。

基本大学と家とバイト先にしか行かない私ですが、先日遠出をしました。私は地方出身なのですが、この前母校の文化祭が行われ、それに遊びに行ってきたのです。
地元に帰るのは一年半ぶり。新幹線をおりた瞬間から、なんだか空気がなつかしくて高校生に戻った気分でした。駅の入り乱れたゴチャゴチャな感じも、一年半前と変わりませんでした。おかげで一瞬迷子になりかけました。

さて、私の母校は文化祭にとても力を入れています。一、二年生はもちろん、受験生のはずの三年生も「受験生の夏」を捨てて準備をします。おかげで、文化祭前に行なわれる定期テストは皆悲惨なものです。それほど、文化祭に命を懸けている学校です。
そして、今年もどうやらそれは変わらないようで。必死に作ったプログラムを格安で販売したり、90分にも及ぶ劇をクラス単位で行なったり、雑貨屋さんがあったり、文化部の発表があったり……世代が変わっても例年どおりに行なわれていることに、とてつもない喜びを感じたと同時に、ノスタルジックな気持ちに襲われました。「私も数年前あそこにいたんだな」と、高校生時代が遠い昔のような、少し寂しい気持ちになりました。
中学一年のころ、あの高校の文化祭に友達と行って以来「この高校に入りたい」と強く思った私にとって、文化祭はとても重要なものでした。そして実際に高校生になって、いざ自分が文化祭を作る立場になると、やっぱり大変なことがたくさんあって。ものすごい不安や焦燥感に駆られながら文化祭準備期間を過ごしていたように思います。それで、文化祭が終わると「なんとか無事に終わってよかった」と、そんな達成感を抱いていました。
しかし、今思い返すと、そういった必死に頑張っていた準備期間や文化祭当日がすごく楽しかったのだなと気づきます。当時は様々な物事に対して「やばい。どうしよう」としか思っていませんでしたが、そうやって焦りながらも、仲間と全力で遊んでいたことが、たまらなく幸せだった。
だって、そんなことができるのは、あのころしかないから。外野は「遊んでないで勉強しろ」と言うけれど、それでも友達と全力で何かを作り上げること、何かを成し遂げることができるのは、学生時代だけだと思うのです。
そして、今年も後輩のそんな姿を見ることが出来て、「自分はもうこれができないのか」という寂しさが生まれてしまいました。
もし、このブログを読んでいる高校生がいたら、どうか今しかできないことを全力でしてほしい。何物にもとらわれずに何かできる時間は有限なのですから。

……なんだか真面目な感じになってしまいました。一言でまとめると、母校の文化祭、とても楽しかったです。
それでは、また!