どうも、はるかです。
日文喫茶に寄稿した日文エッセイの内容を、折角だから載せておこうと思う。それなりに上手く書けたし。
東京は目白、朝も早く人の群れにまみれて電車に乗るやう、全く厭になる。まるで遠く異国の地に運ばれる畜生のやうで、人間の尊厳なんてモンはありゃァしない。青い顔で死人のやうに口も聞かず、屍ばかりが行儀良く並んで人を全うし難い様子なのだから、あんまりだ。厭世家を気取りたくなる心向きも仕様が無いでせう。さて降り立ちましては雑司ヶ谷。目白は乗り継ぎに骨が折れるため、地の下を這いずるメトロにお世話になつてゐる。山手など由りよほど好い。それから歩いて十五分程。大學にようやっと着く。大學といふものは、それなりに楽しいもので、なあに、嫌いぢゃあないが、毎朝律儀に行つてやるのも疲れる。興の乗らない日もある。サボタアジユを考える日もある。それでもどうにかして怠けたいなァと口にして、今日も門をくぐるのだ。
如何にして授業を乗り切るか、その為に頭をひねる。言うまでも無いが授業は真面目に聴いてゐる。元来真面目な性格なのだ。また授業は大抵は面白い。勿論面白くない授業も有る。大學の教授様なんぞ、良いご身分の癖して怠慢するのだからたまらない。けれどもやはり面白い授業は多い。何故なら学問は面白いのだから。さうでなければ、何が嬉しくて毎朝電車に揺らるるものか。何が嬉しくて蒲団を撥ね除け顔を洗うものか。厭に成ることもあるが概ね楽しいから行ってゐるのである。
さて、文学の面白さと云へば語るに尽きぬものなれど、くどくどと説くのも品が無い。簡潔に済まさうとすると、それも中途で言い足りない。文学は難儀なものなのだ。少々気難しいが、されども生涯の良き友と成つて呉れる。ううむ、やはり此処等で止しておこう。らしいことを言うのは小ッ恥ずかしく、何しろ柄で無し。
図書館の噺でもしやうか。きみも知つているだらう、彼のハイカラなライブラリィの噺だ。あんなにでかい図体をして、洒落た中身をしてゐるのに、如何したことか、日本文学を学ぶ輩の本拠地は、日も当たらない地下なのだ! 何たることか、僕達が何をしたというのか、階段を降り日の当たる空間から暗いところへ落ちるのを、毎度悲しく思いながら通ってゐるのだ。B1F、其れは日本文学の徒の根城である。足を踏み入れたが最期、表情の無い日文生を大量に見ることに為る。ガウンガウンと書庫が動く音、濃厚な紙の匂ひ、カタカタと一心不乱にコンピュウタを打つ音、執念のやうにコピィを繰り返す者。何処からともなく聞こゆる聲。「ホンコク」「ロンブン」「ハンポン」「イドウ」「シンゼンシュウ」「カンジガヨメヌ」「カナガワカラヌ」「ロンガマトマラヌ」「テイシュツビ」などはほとんど悲鳴の様相だ。地獄のやうな有様だ。
其れでもやはり図書館に通い、身を切り詰めて学問に励むのは、ひとえに学問の楽しさに有る。先程散々に申した通り、その面白さを上手に書けぬ己の力量不足が惜しいのだが、例えで一つ言うとするならば、斯の様なエセ純文学風文章が書けるやうに成る。
タイムスリップ出来るものなら明治のしがない書生になりたい。
何?時代やジャンルが統一されていない?でたらめな書き方をしている?混濁している?だから「エセ」って書いてあるじゃないか。見逃してくれよ。
それよりも、純粋に面白かっただろう?それならそれでいいだろう。ぼくはもう布団に入らせてもらう。日文喫茶をよろしく。