声が出ない

こんにちは!ももです

最近インフルが流行り始めてるとか、花粉症になる人増えてるとか聞きますが皆さん大丈夫でしょうか?寒暖差で死にそうになりますが強く生きましょう。

本日の演題でございますが、私今本当に声が出なくなっております。正確にはカッスカスの声しか出ません。何なら先週の金曜から改善されておりません。

咳は出るけど喉痛くない、熱もない、食欲問題ない、体は特にだるくない…とさして風邪らしい症状がないのに声が酷いことになってる。耳鼻咽喉科に行ったら、鼻からカメラを突っ込まれ、声帯が腫れてると言われました。

声帯は左右八の字になったひだ状の器官で、通常は2本とも真っ直ぐなんですが、カメラで見てみると両方とも少し腫れていました。んで腫れた声帯の間に少し痰が溜まってるという。人生初めてのことだったのでポカーンとなりました。さっき言った通りさして風邪らしい症状がないので、お医者さんもちょっと頭捻ってました…。

風邪といえる風邪なのかすらよく分からないんですが、本当に声が出ないって不便の極みでしかない。咄嗟に声が出ないんですよ。無理に出そうとすると変な音出るし。言いたいことあるのにこんなガラガラのカッスカス声なので喋るのも何だか億劫になる。今週バイト入れなくてよかった…と思いつつ、いつになったら治るんだと不安が加速する日々。さすがに今年が終わるまでには治ってくれよ頼むから。こんな酷い声晒したくないからホンマに頼む…。

皆さん本当に体調に気をつけてくださいね。喉は大切に…。Have a nice day!

久しぶりに開いたページ

こんばんは。しおりです。

11月も半ばとなり、気が付けばもうすぐ12月。1年ってあっという間に過ぎていってしまうものですね。

久しぶりに中学時代に読んだ本を開きました。

有島武郎『小さき者へ』

中国文学演習で魯迅を扱っているのですが、その関連で出てきたものです。中学時代、この作品を一読してなぜだかとても感動したのを覚えています。勇み励ますような文体、溢れ出る両親の愛情。肺結核で母親が亡くなるという悲しさが根底に存在する作品であるはずなのに、当時の私は温かい愛情の物語としてのみ受け取っていました。だからこそ、作中の「私」、本作においてはこれが有島本人と思われるのですが、彼が何度も「不幸なものたちよ」と呼びかけるのがどうしても納得いかなかったのです。なぜこんなにも愛に溢れた作品であるのに子供たちを「不幸なものたち」と決めつけるのだろう。子供たちが不幸であるのかどうかは子供たち自身が決めることであって、初めからそんなレッテルを貼る必要はないではないか。そのようなことを漠然と考えていたことを思い出します。しかし、今になって読み返してみると「不幸なものたちよ」という呼びかけにこそに、父親の愛情が感じられるように思われてなりません。母親のいない子供にしてしまったこと、それはもちろん「私」のせいではないのですが、どうやって欠けてしまった母親の愛情を補っていけるのか、その責任が父親である「私」には強くのしかかっていたのではないかと感じます。不幸ではあるけれど、そこから這い上がるだけの人間であってほしい。そして、そうした人間に子供たちが成長できるだけの愛情を母親は注いで死んでいった。この解釈が(解釈とも言えません、単なる感想ですが…)正しいかどうか(そもそも解釈に正しさもないかもしれませんが、今日はなんだか頭が働いてなくて、かっこばかり使ってしまいます…)はわからないですが、読後感が中学時代と大きく違っていることに我ながら驚きを覚えました。

中学の国語の授業で出会った作品は、今も大切に本棚に並べてあります。文庫本一冊を使っての授業でしたので、本にそのまま書き込むのですが、今となってはそれが癖になってしまって、どうにも図書館の本では読んだ気がしないのです。ペンとマーカーで思いのままに書き込みながら読んで、初めて本当に読んだ気がする。中学時代の教育って読書スタイルまで確立させてしまうものなのですね。

そして、扱われた作品の難解であることときたら、大学生になった今でも、これを中学生が解釈するのかと疑ってしまうほど。『小さき者へ』も一言で言えば、妻を失い3人の子を残された父親の物語ではないですか。父親の気持ちになって考えるなど、到底できるものではないのです。それに、難解だったものと言えば、やはり『智恵子抄』の存在を挙げずにはいられません。

あれが阿多々羅山、あの光るのが阿武隈川

妻を失った夫の気持ち、中学生なりに想像に想像を重ねて考えたのを思い出します。「ツマノシノカナシミヲゲイジュツニショウカシヨウトシテイタ」なんて、最もらしいことをさもわかったかのように述べながら、どうにか考えをまとめていました。阿武隈川一帯というと先の台風で大きな被害のあったところで、ニュースでは連日この名前を耳にしましたよね。聞いた瞬間、『智恵子抄』の土地だと思った方も多いのではないでしょうか。最近は被害状況をあまり耳にしないけれど、きっとまだまだ深刻な状況にあるのではないかと思います。1日も早い復旧を願うばかりです。

行き詰まってばかりだったけれど、結局最後まで全く理解はできなかったかもしれないけれど、記憶に残されている作品の数々。うんと背伸びして、なんだかちょっと大人になったような気がして、自由にノートに記していた数年前。根拠もなく感想と考察が入り乱れたものを書いて、それでも自分なりにどうにか作品を吸収しようとした時間は、今の私を形作るとても大切な時間だったのだと感じます。その時間があったからこそ、根拠をもとに作品を論じていける今がとても楽しく思われるのです。

明日は中国文学演習の発表です。何度やっても発表は緊張するもの。だけれども、自分の考えを述べられる時間を大切にしていきたいと思います。

今日はこの辺で失礼します。それではまた。

行かないで縋る君との決別を

寒い。本当に寒い。いきなりすぎません?もう少し秋は長引いてくれても良いのではないでしょうか。寒さは生きるエネルギーを奪っていくように感じます。「さびしい」と「さむい」と「ひもじい」は良くないっていつだって言いますよね、どうも、はるかです。
前回の番組差し替えはなんだったかって?いろいろあったんですよ。それはもう、いろいろ。
最近は演習が続き参っています。11月後半になぜか集中しまして。うーん、なんともつらいもの。さらに冷え込むでしょう?つらいな。布団から出られないな。あの魔力はなんでしょう。あの暖かみはなんでしょう。わたしを捕らえて離さない、天国が羽根の下にあるのです。毎朝、毎朝夢を魅せる天使に別れを告げ這い出ているのでています。暖かくて優しくて、けれど離してくれないその様はまるで束縛メンへラ彼女。まあそっけなくされても困るから良いんですけど。存分にもたれかかってくれハニー。
なんか今日は文章のキレが悪いなあ。最近小説を読んでいないからか?それは良くないね。一刻も早く読まなければ。このブログのためだからね、仕方が無いね、気になっていたあの本も、お勧めされたこの本も、本棚で読まれることを待っている本達も全部読んであげないとね、全く仕方無いよね。どの本から読もうかな。
あっ、演習の準備……
そういえば、図書館の前のかまぼこで創作自主ゼミの作品の展示が行われています。良ければお寄りください。わたしも書いてまーす!

国立博物館 御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」

こんにちは、あかねです。私は先月と今月、国立博物館の特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」を見に行ってきました。前期・後期ともに見てきたのは初めてだったのですが、国宝は半期しか出していなかったり、前期には出ていなかった重要文化財が見られたりしたので行って良かったと思いました。今回、あまりにも数が多すぎたので自分の中で感動した物の紹介に留めたいと思います。
正倉院展
まずは森鷗外です。何故ここで文豪の名前が出るのかと不思議に思われるでしょうが、彼は大正期、国立博物館の館長を務めていました。今回の特別展では、入り口には宝物殿の閂を開ける音を詠んだ句が、出口には今までもこれからも伝統や美が伝えられることを願った句がありました。とても大きなパネルで、始まりも終わりも鷗外であったことに驚きつつ、その鷗外の歌も後世に遺されていくんだなあとしみじみしました。

次に心に残ったのは螺鈿紫檀五弦琵琶です。社会の資料集で、ラクダに乗った人が描かれた綺麗な琵琶を見たことがありませんか?あれの実物です。実物は漆の部分に経年劣化がやや見られましたが、螺鈿部分は今もなお輝いていて美しかったです。復元したものも少し離れたところに展示してあったのですが、楽器のお尻の部分の模様は自然界で生み出されるもののようで、多少異なる点がありました。しかし、赤い花の模様がうっすらと浮き出るようにされているなど趣向も実物と変わらず緻密でした。制作風景のビデオも流されており、職人の方々の技術力の高さとプレッシャーへの強さが凄いなと思いました。非常に細かな作業ばかりでした。まさしく「寸分狂わぬ」手さばきです。
三つ目に感動したのは白瑠璃碗です。碗は「椀」ではなく「碗」です。白瑠璃で出来ているそのお皿は、丸い模様が均等についているような物でした。多分これも社会の資料集で見たことがあると思います。ただ、写真と違い、昔の物は反対側の丸い模様がこちら側の丸の中に幾つも光って見える工夫が為されていました。手でCの字を作ってみてください。親指側から見ると、他4本の指の丸や手のひらの部分の丸がちらちらと輝いているのです。灯篭流しの明かりのような、クリスマスのキャンドルのような、小さくも眩しい光が星のように浮かび上がる様子はとても神秘的で、これは確かに国宝だと感じました。心が惹きつけられるとはきっとああいうことを言うのだと思います。
最後に、甘竹簫です。奈良時代の物なのですが、明治時代に12本の竹の筒を組み合わせた楽器として修繕されました。しかしその後、更なる竹の筒が発見され、明治時代の修繕は誤りだったことが判明します。貼り付けるための糊の部分だけを酵素で溶かし、虫食いが進んでいた箇所には木の皮と漆を混ぜたものを塗布し補強するなど、現在修繕が進められているそうです。これもビデオで紹介されており、修繕は宮内庁が受け持っていることや、一度修繕されたものでも新たに直す時は直すこと、そのための技術もあることに驚きました。前述の森鷗外は年齢もいっていましたし、仮にこの簫を見たとしても12本の竹筒のものだったことを考えると、なんとなく不思議な気分になります。現代に森鷗外がタイムスリップしてくる小説は幾つかありますが、現代の修正され始めている簫を見てどう思うのだろうと考えてしまいます。
黄熟香
おまけに。ガチャポンは一回500円でした。これは黄熟香というお香で、権力者たちが削って使用した跡が残っています。小さな短冊がついているのが分かりますでしょうか。右から足利義政、織田信長、明治天皇です。お香は焚くのが正しい使用法ですが、あまり使ってしまうとそれはそれで何とも言えない気持ちになりますね。意外と織田信長の使用量が少なくて面白かったです。
以上、「正倉院の世界」展レポでした。11月24日(日)までとなっていますので、皆さんも是非ご覧になってみては?特に本女の皆さんはキャンパスメンバーとして1200円のところを1000円で入れますよ!ちなみに、後期の展示を見に行った日は大饗の儀の直後、土曜の京浜東北・山手運休の前日だったので、平日の14時にも関わらず1時間待ちでした。お気を付けください。これを逃すと次は何十年後だろうという特別展です。この機会に、現代までまもられ、未来へ伝えられていく物たちを見てくるのはいかがでしょうか。

ほかほか

最近は昼間と朝晩の寒暖差が激しいですね。毎日何を着ていいかわからなくなっている次第です。
寒い日に食べたくなるものといえば、そう、鍋です!
私は小さい頃からお鍋が大好きです。
料理としてももちろん好きなのですが、みんなで鍋を囲むという感覚が楽しかったんだと思います。
冬は毎日お鍋でもいいくらいです。
我が家は夕飯がお鍋だと自動的に朝もお鍋になります。朝からあったかいものを食べると体もほかほかしますよね。
そんな我が家の鍋に欠かせないものはもみじおろしです。
近頃、近所のスーパーで見かけなくなってしまいがっかりしています。そんな時はキムチが代役を務めてくれています。
たまに入荷があると、その日が鍋でなくとも買ってしまいます。
そしてもう一つ。これは我が家というよりも私になのですが、マロニーちゃんがないとテンションが一気に下がります。
日ごろから麺類には目がない私ですが、お鍋のマロニーちゃんは普通の麺類とはまた違った魅力を持っています。
好きなものは最後にとっておく派なので、全部食べた後、締めのマロニーちゃんが最高なのです。
みなさんも今度お鍋を食べる機会があれば、ぜひマロニーちゃんを入れてみてくださいね!
おやすみなさい。良い夢を。

みなさん、こんにちは。ここです。

季節もだいぶ冬に近づいてきて、朝など寒いですね!周りで風邪をひいている人がとても多いです。寒暖差が激しいので、体調崩しがちですが、頑張りましょう。

さて、そんな中私は恒例の演習漬け期間を迎えております。二つの演習が見事なまでに重なり、軽くパニックを起こしている状態です笑 (大丈夫かな)

図書館に籠っていると、当然本に囲まれた生活が続くわけで、普段見ないような本の背表紙をよく見ることになります。まあ、演習を進めにに来ているわけなので、読むことなく大抵はスルーするのですが…この間、どうしても読みたい本をみつけてしまって、ついつい借りてしまいました!その名も、『アイドルはどこから 日本文化の深層をえぐる』。見つけた瞬間、手に取ってしまいました。全く読む時間をとれる気がしていないのですが、頑張って読みます。(もし読んだらここに軽く感想を書きます。多分。)

私はアイドルが好きなんです。特定の誰か、というよりはアイドルという職業にとても興味があります。アイドルって何だろう。なんで私はアイドルが好きなんだろう。とよく考えます。アイドルは、生き様を作品として私たちに提供してくれるものだと思っています。それがどのような層に向けられているのか、とか、どのような人々がどのような形で受け取って、どのように消費しているのか、ぜひ一度調べてみたいです!

ひとまず、この本を読み終えるところから始めます笑

それでは今日はこの辺で。

最近の嬉しいこと

こんにちは、みのりです。

秋はすぐ終わるものという固定観念ばかり先行して、もう秋終わったかな?もう外寒いかな?ともこもこセーターを着てしまいますが、外に出るとお日様がぽかぽか暖かくて普通に服間違えたなあとなる日が続いています。でも朝と夜は寒いからな〜〜もう分からんな〜!

先日髪を染めたら思っていたより明るくなってしまって少しショックだったのですが(というか精神的にいつまでも暗くて狭い場所が落ち着く人間なので、髪色が明るいと日の下に無理やり連れ出された気持ちになって憂鬱)、内定先の研修で髪色暗めの指定が入ったので心置きなく染め直せました!

でも染めたばっかりでまた染め直すという贅沢は庶民感覚的に受け入れがたいものもあり、これに応えられる善行を積まなきゃなという精神状態です(?)

あと私的一大ニュース、髪と一緒の日に念願のピアス穴も開けました!

高校生の頃からあけたいぞ〜あけるぞ〜と思っていたのに、気付けば大学四年の秋!!

いつかいつかと思っているとそのいつかが来ないうえに時の濁流に流されて忘れ去ってしまう

ピアスに関しては病院であけると割と費用がかかるので、先立つものの余裕が必要だったのもありますが、あっという間に四年以上の月日が経過していました。驚き。

大学一年生の時に「そのうち穴あけるやろ」と思って買ったかわいいピアス達……、大学二年生の時に親から誕プレで「イヤリングとピアスどっちが良い?」と聞かれ意気揚々と「ピアス!」と答えたこと……、大学三年生では友達に手作りピアスあげるよと言われ、「まだ穴あいてないよ」と伝えたこと…………わ、我ながら生き様が情けない

一年生の時に買ったピアス、いくつかあるのですが、お気に入りは武蔵美の学祭で買った海老天丼のピアスです。めちゃめちゃかわいいんです。小さめでイラストちっくなのに造りはしっかりしてて、よく見ると天丼、、、。

天丼のピアスなんて大学生が若気の至りで着けるとかしか許されないのに、穴をあけずにいたせいで残された時間が残り3ヶ月ばかしに!悔やんでも仕方ねえ!過ぎた時間は戻らねえ!

年が明けてから、にこにこしながら天丼ピアス着けたいと思います!!!

年明けまではしっかり毎日消毒して、綺麗に穴が定着するように見守りつつ、またかわいいピアス探しの旅に出る!

長年の希望が叶わなかったのは自分の怠惰故ですが、都合の良い人間なので願いが成就した現実の方を喜んで上機嫌で過ごしたいと思います。

嬉しい現実といえば、この前偶然町で現実の推し(長年ファンをしてる神絵師の方)に遭遇しました。訳が分からず動揺しまくりだったのですが、まず会えたことが嬉しく、加えて何よりその方が私の方を認知していてくれたことがこの上なく幸福でした。ゔっ(思い出し泣き)

少し会話をして、握手をしていただき、最高に挙動不審を晒しながらその場を後に。自分から掴みにいく幸せもあるけど、急に舞い込んでくる幸せもあるんですね。知ってるけど知らなかった血液沸騰するかと思った……

すごく幸せだったのに、その時ふと「こんなに幸せで良いのか?」と不安を感じた自分がいました。

ほんとは舞い込んでくる幸せを万全の態勢で漏らすことなく受け止めてあまりある自信のある人間になりたいし、推しを全力で推せるだけの素晴らしい人間になりたいんだ〜〜とも強く思いました。

そうなるための努力をするときに、きっとこの思い出が背中を押してくれるなと思うとそれもまた非常に幸せであったり

とにかく、幸せが極まりすぎて色々考えてしまいましたー!

恵まれた環境とか幸せを感じやすい性格なのもありますが、色々なハッピーの余韻で人生の楽しさが底上げされてるな〜という気持ちです。穴のあいたコップを塞ぐたくさんの幸せで、今日も私に新しい幸せがなみなみ注がれていく

私の人生を豊かにしてくれる全てのものに感謝です!好きなものを好きでい続けられる自分になるためもっと頑張るぞ〜〜〜!

それではまた〜!

ルキンフォー

皆さん今晩は。如何お過ごしでしょうか、えぬです。毎日肌寒いですね…皆さんインフルエンザの予防接種は受けましたか?今年も猛威を振るっているようですので、受験生や就活生の方(自分も…)はきっちり予防しておきましょうね!

さてさて何を書くべきか…実は前回11月の最後の週にゼミの発表があると書いたんですが、それが一週間ずれて12月の頭になってしまいました。ほっとしている反面、さっさと終わらせてしまいたい気持ちもあって、微妙な心境です。

私は太宰治の作品を扱うのですが、これがまたなかなか先行研究が見つからない作品を選んでしまったがために、先行論を探すのに苦労しました。ただやっぱり思うのは、太宰の文章は綺麗だなという事。論文探しに奔走してくたびれても、それだけで全て清算される気になります。最近いくつか読んだ中で文章の美しさに感動したのは『ダス・ゲマイネ』ですね。有名な作品なのに何だかんだできちんと読んだことがないなあと思ってちびちび読んでいたんですが、まずあの入りの「恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった…」で全てを持っていかれます。卒論の作品を変えようかとブレる程に感動しましたが、この作品は研究せずにただ浸っていたいという気分の方が大きかったので、諦めて先行論探しに奔走します……。

 

ところで今年も残すところあと一ヶ月と半分になってしまいました。時が流れるのは本当に早い…近づいてくる就活の足音…(泣)毎年恒例紅白歌合戦の出演アーティストも次々予想されています。今年はofficial髭男dismが音楽シーンを沸かせていたと思うので出演が楽しみです!そして私の推しバンド・スピッツの出演が週刊誌などで騒がれていたのですが、年末までツアーがあるのと朝ドラの主題歌を担当しようが「テレビは見るもの」というスタンスを当時から貫いてきているので、今回もオファーは断ってそうですね、そんな推しが大好きです。

実は丁度一ヶ月後にアルバムツアーに参戦するのですが、やれインターンだゼミ発表だと不安が多すぎて本当にライブに行くのか…?という気持ちでいっぱいです。ライブ前とライブ後に完全燃焼してしまって就活が手につかなかったらどうしよう…??助けてくれ推し…!!!

いつもいつも後回しにしては後悔している駄目な人間なので、そろそろまともになろうと思います。後悔しないように、推しにも胸張ってライブに行けるように。大好きな『ルキンフォー』という曲に、「ルキンフォー 珍しい生き方でもいいよ、誰にもまねできないような …」という歌詞があるのですが、このフレーズに励まされながら不器用ながらも頑張っていこうと思います。それでは今回はこの辺で。えぬでした!

爆破、映画、すみっコぐらし

こんにちは。むーと申します。

今日、本学に爆破予告があって、14時以降キャンパス内立ち入り禁止、三限以降の全ての授業が休講になる、という措置が取られました。
今まで生きてきて、学校に爆破予告→休校、というニュースは幾度となく目にしてきたけれど、あわや自分の所属する大学にも同じ事態が起こるなんて思ってもみませんでした。

ざわざわする心のまま、二限後とにかく大学を出て、電車に乗り帰路につき、座席に腰かけてスマホを見て、突然思い立ちました。

そうだ、映画すみっコぐらしを観に行こう。

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最近、わたしのTwitterのタイムラインで話題になっていた、映画すみっコぐらし。

巷では「逆詐欺映画」と称されていて、穏やかでゆるい印象を受けていたら、ものすごく予想外の展開が待ち受けていて、そんでもってものすごく泣けるともっぱらの評判でした。
ツイートを見ていると、子供の付き合いで観に行ったはずが自分にもがっつり刺さってしまった、みたいな親御さんや、評判を見て単身観に行きビチャビチャに泣いたという男性などなど、種々様々な人々が映画について言及していました。すみっコぐらしファンの方からの評判もすごくよく、「すみっコぐらし」にしか描けないお話、とのことで、ゆるく気になるなぁとだけ思っていたのですが、今日突然午後の時間が空いてしまって。調べてみたら新宿でいい感じの時間に上映していて。
今日の三限代わりだ、と変な風に思い切った私は、クレジットカード決済で、チケット大学生1枚を購入したのでした……

ちなみにその時点で残席は4つのみ。かなり広めのシアターにも関わらず恐ろしい人気です。平日の昼間やぞ。


 

映画すみっコぐらし。11b3567bc8c7f7a6231a053982e9568c

おはなし自体はとってもシンプルです。絵本の世界に迷い込んだ「すみっコ」たち、そこに現れた謎のまいご、灰色の……「ひよこ?」 みんなはお家を探してあげながら、桃太郎、マッチ売りの少女、人魚姫などなど、いろいろなおはなしの世界を旅します。

御多分に漏れず、私もぼろぼろ泣きました。すごく優しいお話でした。かわいいしさみしいし、心のもやもやした部分から水が出てくる感覚。

以下、主観100%の推しポイント紹介です。話半分に聞きながしてね。

 

①「ぺんきん?」と「ひよこ?」

このふたりのコンビがすごく良いです(日本文学科にあるまじき語彙力)
ふたりとも、名前の最後に「?」がついていることからもわかるように、実は本当の「ぺんぎん」と「ひよこ」ではない……というか自分の正体に自信がない、似たもの同士なのです。
映画オリジナルキャラの「ひよこ?」に対して、「ぺんぎん?」は最初期からいるメインキャラクター。きっとファンの方からしたら思い入れの深い存在なのではないかな、と思うのですが、またこの「ぺんぎん?」がすごいのですよ(語彙力)

ほかのメインキャラクターには、仲良しかつニコイチ、理解者たるキャラがいます。「しろくま」には「ふろしき」、「とんかつ」には「えびふらいのしっぽ」……

けれど、「ぺんぎん?」にはそんな存在がいません。映画で描かれていなかっただけかもしれないのですが、いつもヘッドフォンをつけて本を読み、とってもマイペースで「しろくま」とは喧嘩しがち。
そんな「ぺんぎん?」の隣を埋める存在が、映画における「ひよこ?」なのです。「ひよこ?」に出会えたこと、そして一緒に経験したすべてのことは「ぺんぎん?」史(?)においてもかけがえのない出来事で、そう思うと映画で起こる悲喜こもごもがダイレクトに迫ってきて、私は結果泣きました。

あとポスター、この記事を読み終わったら、一番最初に挿入した画像をぜひもう一度観てみてください。人助けだと思って、お願いです。きっと私の言わんとしていることがお分かりいただけるだろうと思います。いやそんな大げさなあれではないのですが、やっぱりこのふたりはこのふたりなんだなぁと……ううう(ハンカチを噛んで唸る)
②子供向けの丁寧さ、対象を広く見据えた大人の本気

そもそも「子供向けだから所詮子供だましだろ」みたいな考え方自体間違っていると思うのですが、それは置いておいて、柔らかな色鉛筆と水彩で描かれた背景と、かわいいコロコロしたキャラクター達が描く世界はとてもほんわかしていて優しくて。
正直、かわいらしい「すみっコ」たちが映画の中で戯れているだけでも、子供やすみっコぐらしファンは満足したのではないかな、と勝手ながら思ってしまいます。けれど、そうはしなかった。「すみっコぐらし」だから描ける「刺さる」物語を描いて、ターゲットを広く設けたことで、この作品はヒットしたのではないかなと思います。

もしご興味を持たれた方はぜひぜひキャラクター紹介をご覧くださいませ。

そういえば中学生の頃、友だちからもらったすみっコぐらしのメモ帳の、裏側にあったキャラ紹介を幾度となく眺めていたことを思い出しました。キャラの設定自体がすごく良いのです、ぜひ。

あと期せずしてもらった来場者プレゼントを貼って置きます。かわいい。この子は「とかげ」。

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こちらは第二弾のクリアポストカードだそうですが、これから観に行かれる方はぜひ第三弾の期間に行かれることをおすすめします。第三弾のプレゼント、初見時の終演後に見たら確実に泣く自信があります。

うう狂ったようにキーボードに感想をぶつけてしまいましたが、ご興味のある方はぜひ! 何かの参考になりましたら幸いです。

不意に降りかかった悪意の結果、やさしい物語を観に行くことになった変な1日。
そんな日にブログ担当になったのも何かの縁だったのでしょうか。とりあえず今は、ちゃんと明日も大学に通う、そんな日常が続いていくだろうことにほっとしています。

それでは! 今日のお相手はむーでした。

こたつむりと架空

みなさまこんにちは、てるです。

最近夜が冷えますね。妹と『花ざかりの君たちへ』を観返すのが日課になっているのですが、先日、視聴中寒さに耐えきれず妹が布団に逃げました。「よし、こたつ出すぞ」という私の意見と、「こたつ出したら出てこられなくなる」という妹の意見がぶつかり合いましたが、隙を見てセッティングしたら、なんやかんや落ち着き、今では夜になるとこたつ周辺に集うように。

みなさまはこたつ準備しましたでしょうか。

~唐突に始まるこたつあるある~

①こたつで横になるとヒーター部分がふくらはぎあたりを熱するので、途中で「あっちい!」って脚を外に出すものの、またひんやりしてきて、元に戻り、また「あっちい!」ってなっての繰り返し…。

②こたつ内で複数人で横になろうとすると、たいてい足がぶつかるため、うまいこと体を斜めにする。ただ、途中で入ってくるひとほど難易度がアップする。

③正方形のこたつだと、横になった際足先だけ外に出てしまい足先がとても冷える。そのため、多くの場合、脚を曲げることが要される。

④こたつの端のほうで横になるとたいてい体の片側が露わになってしまうため寒い。何度か寝返りをする運命。

…こたつあるある終わり。

まだ昼間は暖かいので、こたつの電源は入っていたり入っていなかったりですが、これから、寒くなるにつれて、顔だけこたつからだした状態━━時にそれは「こたつむり」と呼ばれる━━にはならないよう気をつけたいです。

話は変わりまして、本日初めて中目黒とやらに行ってきました。中目黒駅を降りたあと、川沿いを歩いてチーズケーキを食べてお昼ごはんを食べて目黒区美術館にゆきました。

美術館では『線の迷宮〈ラビリンス〉Ⅲ 齋藤芽生とフローラの神殿』という展示がされてまして、興味本位で入ったのですが、ほんっっっっっっとに!!!創作意欲がぶおんと沸きたつ展示でした!!!!!恥ずかしながら、絵画の展示はすいすーいと進んでいってしまう人間なのですが、今回はまじまじ見てしまいました。

齋藤氏によって創作された架空の植物が展示されているのですが、説明も絵画内に記されており、楽しんで文も読んでいました。ひまわりではなく「かげまわり」という植物があったり、ひとの指に羽がついた指先蜂など、絵を細部まで見たくなる要素がてんこもり。実際にはいないけれど、いるかもしれない、そういう微妙な境界を貫く植物がたくさん。いるかもしれない、と思わせる理由のひとつとして、筆致の細かさが挙げられると思います。

ちょいとした設定でも細部まで練られていると、リアル感が増すではないですか。怖い話も、嘘だと思いつつも、設定が細かいと「ほんとかも…」ってなるではないですか。その感覚と似ているんじゃないかな。

また、幻想的な画面の中に、ふとんたたきやペットボトル、下着、物干し竿など、どこか日常を感じさせるアイテムがちりばめられていて、この画面ではどんな意味を持つんだろうとか考察が滾ります…!

帰宅してから、齋藤氏の作品についていろいろ調べており、久々に好奇心のわくものに出会えて新鮮な気持ちになりました。

12月1日まで展示しているとのことなのでぜひぜひ行ってみてください…!
行けたらもう一回行きたいなあ。

最後に、お昼に食べた鶏肉のトマトソースの写真を置いていきます。肉がぷるぷるしてました。美味。

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本日はこのへんで失礼します。

それでは、また。