こんばんは、れいです。
最近の私としましては、東博の「正倉院の世界」前期展示に滑り込みし、螺鈿紫檀五絃琵琶を見ることができました!ただひたすらに美しかった…。言葉が見つからないのですが、見ていたら泣きそうになりました。感動ってこういうことなんだと思います。
最近あることがあって、井伏鱒二の言葉を思い出しました。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
有名な、干武陵「勧酒」の訳です。私には、この言葉の深い意味はまだ理解できていません。大きな別れを経験していないかでしょうか。きっともっと歳を重ねた時に、分かるのかもしれません。
でも、私はこの言葉が好きです。眼前に、儚くも優しげに吹きすさぶ桜の風と香りに包まれながら、せつなく胸がいたくなるような思いになります。
確かに、人というものは、出会いと別れの繰り返しだと思います。人が成長するためには、他の人の存在が不可欠です。出会いが私を動かし、導くのです。だけれども、別れは突然やってくる。常に不可抗力に、静かに。でも人はまた、別れを通して様々なものを得るのです。
この井伏鱒二の訳は、たったこの四行で、人の本質と普遍性をついているように思います。
普遍性といえば、最近また感じたことがあります。私は斉藤由貴さんの「いつか」という曲がとっても好きなのですが、これはあるミュージシャンとの関係が噂された後に、由貴さんが出したアルバム「LOVE」内に入っている曲なのです(後にシングルになりました)。全曲由貴さんが作詞をしたので、当時の心境が多分つまった歌詞なのでしょう。
けれども私は、当然ですが私自身のこととしてこの曲を聞きます。聞いて、自然に自分自身の想像の世界が膨らんでいくのです。そこに、由貴さん自身の経験は介入することはできない、あくまで自分のためだけに目の前に存在するものです。
小説、詩、短歌、歌詞。言葉の表現には多くの種類がありますが、それは作る人の想像や経験がもとになっていることが多いです。けれども受け取った側は、誰にでも自分自身にその内容を当てはめることができるのです。これは、作品自身の経験の「固有化」から「普遍化」への昇華だと思っています。
みなさんも時間があったら「いつか」聞いてみてください。メロディーのさわやかさといい、由貴さんんの言葉選び、何もかも欠けるものがないのです。
今年もあと残りいよいよ二か月切りました。
私は最近お腹の調子が悪いですが、皆さんはいかがでしょうか。無理をしないように暖かい恰好でおやすみなさい。
Good Night!
(タイトル思いつかない…!工夫のないタイトルすみません…)