こんばんは。しおりです。
11月も半ばとなり、気が付けばもうすぐ12月。1年ってあっという間に過ぎていってしまうものですね。
久しぶりに中学時代に読んだ本を開きました。
有島武郎『小さき者へ』
中国文学演習で魯迅を扱っているのですが、その関連で出てきたものです。中学時代、この作品を一読してなぜだかとても感動したのを覚えています。勇み励ますような文体、溢れ出る両親の愛情。肺結核で母親が亡くなるという悲しさが根底に存在する作品であるはずなのに、当時の私は温かい愛情の物語としてのみ受け取っていました。だからこそ、作中の「私」、本作においてはこれが有島本人と思われるのですが、彼が何度も「不幸なものたちよ」と呼びかけるのがどうしても納得いかなかったのです。なぜこんなにも愛に溢れた作品であるのに子供たちを「不幸なものたち」と決めつけるのだろう。子供たちが不幸であるのかどうかは子供たち自身が決めることであって、初めからそんなレッテルを貼る必要はないではないか。そのようなことを漠然と考えていたことを思い出します。しかし、今になって読み返してみると「不幸なものたちよ」という呼びかけにこそに、父親の愛情が感じられるように思われてなりません。母親のいない子供にしてしまったこと、それはもちろん「私」のせいではないのですが、どうやって欠けてしまった母親の愛情を補っていけるのか、その責任が父親である「私」には強くのしかかっていたのではないかと感じます。不幸ではあるけれど、そこから這い上がるだけの人間であってほしい。そして、そうした人間に子供たちが成長できるだけの愛情を母親は注いで死んでいった。この解釈が(解釈とも言えません、単なる感想ですが…)正しいかどうか(そもそも解釈に正しさもないかもしれませんが、今日はなんだか頭が働いてなくて、かっこばかり使ってしまいます…)はわからないですが、読後感が中学時代と大きく違っていることに我ながら驚きを覚えました。
中学の国語の授業で出会った作品は、今も大切に本棚に並べてあります。文庫本一冊を使っての授業でしたので、本にそのまま書き込むのですが、今となってはそれが癖になってしまって、どうにも図書館の本では読んだ気がしないのです。ペンとマーカーで思いのままに書き込みながら読んで、初めて本当に読んだ気がする。中学時代の教育って読書スタイルまで確立させてしまうものなのですね。
そして、扱われた作品の難解であることときたら、大学生になった今でも、これを中学生が解釈するのかと疑ってしまうほど。『小さき者へ』も一言で言えば、妻を失い3人の子を残された父親の物語ではないですか。父親の気持ちになって考えるなど、到底できるものではないのです。それに、難解だったものと言えば、やはり『智恵子抄』の存在を挙げずにはいられません。
あれが阿多々羅山、あの光るのが阿武隈川
妻を失った夫の気持ち、中学生なりに想像に想像を重ねて考えたのを思い出します。「ツマノシノカナシミヲゲイジュツニショウカシヨウトシテイタ」なんて、最もらしいことをさもわかったかのように述べながら、どうにか考えをまとめていました。阿武隈川一帯というと先の台風で大きな被害のあったところで、ニュースでは連日この名前を耳にしましたよね。聞いた瞬間、『智恵子抄』の土地だと思った方も多いのではないでしょうか。最近は被害状況をあまり耳にしないけれど、きっとまだまだ深刻な状況にあるのではないかと思います。1日も早い復旧を願うばかりです。
行き詰まってばかりだったけれど、結局最後まで全く理解はできなかったかもしれないけれど、記憶に残されている作品の数々。うんと背伸びして、なんだかちょっと大人になったような気がして、自由にノートに記していた数年前。根拠もなく感想と考察が入り乱れたものを書いて、それでも自分なりにどうにか作品を吸収しようとした時間は、今の私を形作るとても大切な時間だったのだと感じます。その時間があったからこそ、根拠をもとに作品を論じていける今がとても楽しく思われるのです。
明日は中国文学演習の発表です。何度やっても発表は緊張するもの。だけれども、自分の考えを述べられる時間を大切にしていきたいと思います。
今日はこの辺で失礼します。それではまた。