こんばんは。しおりです。
11月の最後の土曜日、秋季大会が行われました。今年度は東京大学教授、上代文学ご専門の品田悦一先生をお招きし「改元と万葉ポピュリズム」のご演題で貴重なお話を伺いました。万葉集の東歌は、天皇から庶民までの歌が収録された国家の一大歌集であるという認識がありますが、実はそれは大きな誤りであり、その実像は豪族中心に作成されたものであったそうです。その結論にも純粋な驚きを抱くと共に、結論を導く証明の過程が非常にわかりやすく、先生の熱のこもった語りと相まって大きな感動を覚えました。既存の認識も研究によって崩されていくことがあるということ。その事実は、文学研究にもまだまだ未知の領域があることを教えてくれているように思われます。そろそろ3年生も卒論に本腰を入れなくてはいけない時期になりましたが、この時期に非常に新鮮な刺激を得ることができたこと、大変ありがたく思いました。
さて、国文学会学会の行事も3年生が携わるものはこれで全て終了しました。1年生から委員を続け、気がつけば3年目。今になってもわからないことばかりで、様々な方にご迷惑をおかけしていますが、今日は委員をやって感じた思いを率直に記したいと思います。きっと、とりとめもなく長くなってしまうのでお時間のある方のみお付き合いください。
私が委員になった理由。まずはそこから始めさせてください。それは高校時代のある経験に遡ります。私は附属高等学校で生徒会長を務めていました。立候補した理由は附属中学校との連携を図りたかったから。どこの学校でもそうでしょうけれど、通学マナーって問題になりますよね。西生田は駅から学校までの歩道が狭いので、いつだって苦情がきます。苦情が来る度に生徒会は動きます。けれどもなかなか改善しない。その理由を考えてみました。そして見えてきたのは、中学生は高校生のせいに、高校生は中学校のせいにしている現状でした。校舎は隣にあるのにまるで別の学校で、全く生徒会同士の連携が取れていなかったのです。先生方曰く、昔は目白に高校があった(?)からみたいですが、それって一体いつの時代の話なのでしょうか。そうしたふとした違和感から、中高連携をスローガンに選挙に立候補しました。無事に選挙も終え活動は順調に始まりました。けれど、やる気に満ち溢れていたのは初めの1ヶ月だけ。後は失敗の連続でした。私は全く話し合いをまとめていけなかった。リーダーになり切れなかったのです。そして致命的であったのは、生徒会中心の生活になることを私自身が許せなかったことでした。なぜなら私は高校生だから、高校生の一番の仕事は勉強のはずだから。そう思っていました。中高連携はやりたい、だけれども全てを生徒会に縛られる理由はないはずだと。
こうして書いていても怒りを覚えます。当時の自分に対して。ひどい話ですよね。自分で立候補したのに。生徒総会の準備をして、リハーサルをして、原稿を作って、沢山仕事をした。当然ではないですか。私が立候補したんです。初めてとなる中高合同討論会も開催しました。だから、ちゃんと仕事をしたことになるのでしょうか。私は公言したことを守ったに過ぎない。それは前提であってその上でどのように動けたか。そこが、本当に「ちゃんとやったかどうか」というところなのですよね。私以外の生徒会メンバーはそれが完璧でした。何時まででも残って仕事をして嫌な顔一つしない。私はリーダーという位置にいるのに、本当は誰よりもやらなくてはいけないはずだったのに、前提をこなす以外は何一つできなかった。最悪な生徒会長でした。高校時代の思い出はこうして幕を閉じました。後悔だけが残りました。あの時は自分は正しいと思っていたけれど、思おうとしていたけれど、本当は違った。自分があの時の他のメンバーのように動けるのか最後に一度だけ試してみたい。私が国文学会委員に立候補したのは自分を試すためでした。
最後の行事を終えてまず感じたのは、あの時の生徒会メンバーへの謝罪の思いです。見えないところで何かをしてくれていた人がいたこと。当時は意地を張って、遅くまで残って仕事をする意味があるのかと思っていたけれど、その中でこそ進められた活動があったのだということ。何も知らずに前提だけやって、それでまるで仕事をやった気になって。本当に申し訳なかったと何度も何度も思いました。だけれども、どんなに思っても苦い思い出は消えないものですね。残酷ですが、失敗は取り戻せない。しかし、その思い出と今こうして再び向き合うことができたのは本当に良かったと思っています。そして、どんな経験も、それがたとえ思い出したくない記憶であっても、必ず何かに繋がっていく。そうした意味では、よく言われることですが、無駄なものは一つもないのかもしれません。
長々と書きましたが、今日はこの辺にしたいと思います。まだ引継ぎはしていないので終わりではありません。だから、「ありがとうございました」とはまだ言えないのです。本当に全てが終わったところでもう一度、この場を借りてご挨拶させてください。今日はその序章ということにしておきたいと思います。
それでは、また。