ひとのつながり四方山話

こんにちは!むーと申します。
日本文学科の4年生で、ブログ部の部長をさせていただいています。どうぞよろしくお願いします。

新生活と予想外のイレギュラーの重なり合いで、皆さん本当に本当に大変な思いをなさっていると思います。
そんな中で私にどんなお話が出来るだろうか。
色々と考えてふと、一昨年受講した講義のことを思い出しました。
皆さんは、日本人がものすっっっっっごく昔からバーチャルな世界に身を置いていたことをご存知でしょうか。

どのくらい昔からかと言うと、中世以前から。中世って? 歴史の時代区分で言うと、鎌倉・室町時代あたり。
そんな時代に、SNSのようにバーチャルな交流の場になっていたのは「和歌の世界」でした。

和歌の世界≒SNS。その解説を初めて聞いたとき私は、日本人歪みないな、と思うと共に、自分達と同じような感覚をはるか昔の人々も感じていたことを知って、不思議とほっとしたのでした。

かるーく説明します。当時は、贈答歌や歌合など、歌を通したコミュケーションが盛んに行われていました。
歌集も多く編纂され、たとえ身分の低い人間であっても和歌さえ巧みなら、高官や上皇の目に留まる可能性が十二分にあったのです。
そんな地盤の上で、和歌の世界は主従や身分の貴賤といった現実での関係性を飛び越えて、心と心を通わせる社交の場として機能していきました。
中でも有名なのが上皇と歌人たちの交流。院と呼ばれる人々は、常に身分争いの渦中にあります。誰にも打ち明けられない思いや孤独を抱えながら生きる。その過酷さは、身分も時代もかけ離れた私にとってすら想像に難くありません。
そんな上皇たちにとって心の癒しとなったのが、和歌を通した歌人たちとの交流です。
例えば、崇徳院と藤原俊成や、後鳥羽院と藤原定家ら当時の歌人たち。特に後鳥羽院は「水無瀬殿」という特別な建物を建て、身分の差を感じさせないような空間として演出し、歌合など家臣たちとの交流を楽しみました。

なぜ和歌がバーチャルな社交の場となり、心の癒しとなったのか。
それは和歌が演技性を持つからだ、と考える研究者がいます。
31字にすべてを込めなければいけない和歌。自分の素直な気持ちを詰め込むにしても、おのずとその心情を演出し、芸術表現に昇華していかなければなりません。それはひとつの「演技」。みな現実の自分から離れて、和歌の世界に1つのアバターを作るのです。
そうして生み出されたアバターを通して、人々は誰にも言えなかった思いを交わし合い、またそれに誠実に向き合って歌を返すことで、主従を超えた友愛の情を育んだのでした。

バーチャルな世界だからこそつながる縁は、確かにあると思います。

私も今就職活動でweb〇〇続きで、企業の方に会えない、企業の方にも私をきちんと見ていただけないかもしれないという不安を抱えながら日々を過ごしています。
けれど、こんな状況がかえって、企業の性格や人事部の方の心遣いに触れる機会に繋がっているのもまたひとつの事実です。バーチャルな関係性だからこそ、見える相手の姿がある。もちろんそれは相手側にとっても同じなので私の姿も……という感じなのですが、そんな気持ちをよすがに、このイレギュラーの中を歩んで行けたならと思います。

というかそもそも、私たちブログ部と皆さんと関係性ってバーチャル以外の何物でもないですよね!? あほだわ、まじで今気がつきました。
きっと後期に学校が始まって、皆さんと学校ですれ違うことが出来たとしても、私たちはお互いに認知することはないかと思います。(そもそもブログ部のメンバー自体互いのHNとブログしか知らないみたいな関係性なので、互いに互いを認知できないのです……)

それでも、今この文章をここまで読んでくださっている方がどのくらいいるかは分からないけれど、私たちはブログを通して繋がっています。少なくとも私は今、普段友人たちにはめったに語らないような心の根っこの方で考えていることを、このブログに滔々と書いています。
だからみなさんも、なにかこう……そういうツールを見つけて、自分を表現して、人と交流していっていただければと、思います……(どんどん自分で言っていて気恥ずかしくなっていく図)

皆さんが、このご時勢を活用して、一生ものになりうる人とのご縁や友とつながることができますように。

それでは今日はこの辺で。お相手はむーでした!