こんばんは。大正時代に留学しました、しおりです。
前々回からお話しているように、石川淳に倣ってしばらく現実から離れることにしました。大正レトロな世界を満喫しようと新聞を開いたのですが……、飛び込んできたのはこの言葉。流行性感冒。コロナから逃れようとしてスペイン風邪に捕まるというこのありさま。現実逃避は思いのほか難しいもののようです。
さて、今日は留学中の私が目にした流行性感冒にまつわる記事を1つご紹介したいと思います。『読売新聞』1918年11月6日の朝刊です(旧字体は新字体に改めました。なお、横書きのため踊り字は開いています)。
「風に吹かれるな安臥せよ/危険性の強烈な此頃の感冒/◇患者が全快しても日光消毒を怠るな◇」
昨今は感冒のために斃れる人が頻りにあるので、可なり強い警戒を皆様がして居られ、学校などでも今までの休校を更に延期してその伝染の危険を予防して居るところが多うございますが、この休校中と雖も各家庭に於て相当に注意を怠るやうな事があつては、折角の警戒も水の泡となつて終ひます一体今度の感冒には、肺炎菌その他の恐るべき黴菌を伴うて居りますので、普通の感冒と違ひよほど大事に静養しないと余病の併発する惧があります。普通の感冒ですと鼻水が出て咳をする位に止まり、遅くでも二三日位で快癒しますが、悪性の黴菌の伴ふ感冒は症状もズツと重く、初めはゾクゾクと悪寒がして、肩からかけて背筋、腰などが痛み、次に烈どい頭痛がして三十九度乃至四十度の高熱が出て、激しい咳嗽に襲はれます。人によつては最初咽喉を冒されるのもあり、順序は不同ですけれど兎に角熱の非常に高いことは一様です。これは重に患者の傍にゐて唾液に交つた菌を吸い込んで伝染するので重いのは咽喉から気管支、それから肺を犯され遂に肺炎にまで進むのであります。肺炎になると十中の八九は望みのないものだと云はなければなりませんから、そうした重態にならない最初に於てよくよく注意をしなければなりません。普通の感冒なら兎に角、かうした悪性の感冒の時は素人療法を止めてまづ医師の診察を乞ひ、適当な汗の出るやうに布団をかけて暖かくフウワリと熱の引くまで寝てゐなければなりません。風邪に吹かれるといふ事が大禁物です。それに高い熱のために消化器が犯され易くなつてゐますから、成るべく不消化の食物をさけて、お粥のやうな柔かい温かいものを食べるやうに注意し、熱の余り高い時は氷で冷やすも宜しい。そして家内に感冒患者が一人でもある時は、なるべく患者を一と間に隔離し、他の人は傍へ行かぬやうに注意する事です。全快したならば、患者の使用した夜具布団、寝巻の類は、悉く日光に曝らして消毒し、其の室内もよく掃除をして、カラツと明け放して風を入れ日光にあてて消毒をしなければなりません。
100年以上も前にコロナ禍が予言されていたと言われても信じてしまうくらい似通ったことが書かれていますよね。大正時代というと私の中では竹久夢二の描いた世界のイメージでして、おしゃれなカフエーにきれいな女給さんがいるような、その女給さんが良い香りのするコーヒーを運んでくるような、全てが絵になる世界を想像していました。ですが、当然ながら当時の人々にとっては日常生活を営む現実の世界だったわけでして、絵画や文学には美しい一部分が切り取られていたとしても実際はそれだけではない。新聞記事を目にすると、そんな当たり前のことを今更の如く実感するわけです。
さて、次回は何を見に行きましょうか。小旅行気分を味わうために(大正時代なのですから、「小旅行」である必要はないのですが)浅草辺りに行ってみたい。スカイツリーの代わりに凌雲閣でも見てきたいと思います。令和の日常に書くことが溢れる日が来るまで、今しばらく大正現地報告にお付き合いください。
それでは、また。