今年の夏

「今年は夏できそうにないな〜」
 そうこぼすと、電話口で笑う声がした。
 クーラーをガンガンに効かせた部屋で一人、ビールを片手に電話を繋ぐ。例年だったらこの時期はサークルのみんなでバーベキューや、友達と海に行っていてたはずなのだ。
「ため息なんてついちゃって、センチメンタルってやつかい?」
「笑いごとじゃないんですよ、先輩!」
 電話相手の先輩は僕のこの憂うべき重大な悩みを、笑って聴き流している。
「大体、夏になったというのに! 何もできないんじゃ夏が来てないのと一緒ですよ!」
「あはは、大層ご立腹なようで」
 僕はこぶしを振って、声を荒げん限りに主張したいほどなのに、先輩はそうかそうか、と相槌を打つだけで、まったく相手になってくれない。
「そもそもね、どれだけ遊んだって毎年、夏を満喫しきったのかって思うんですよ。本当に満喫し尽くしたかって。夏休み終わった後になんとなくやり残したことがあったような気がして、どうかなって思うくらいなのに、何もできないんじゃあ、どうしようもないですよ」
 先輩もそう思うでしょ!?と聞くと、どうかなあと流された。いかん、テンションが上がってきたせいで酔いも回ってきた。
「あの夏コンプレックスって言葉もあるくらい、夏は大切なんですよ。それをこもりきりなんて、あんまりだあ。まだ山と海に囲まれた田舎のひまわり畑で、長い黒髪と白いワンピースのおねえさんにも会ってないのに!」
 涙が出るほどに熱弁してみるが、先輩の心には響かないみたいだ。なかなかそんなシチュエーションないでしょ、と冷静につっこまれる。
「でも!」
「真っ白なワンピースなんて、なかなか無いよ」
 先輩の声が優しくなる。
「長い黒髪なんて暑くて伸ばせないし、ひまわり畑も今年は暑すぎるよ」
 だけどさぁ、となだめるように続くから、本当に涙が出そうになってしまう。
「うちの近くに、下がアスファルトの空き地があるから、手持ち花火でもやろうよ。あと海と言ってもビーチは混んでるから、夜の海を遠巻きにドライブでもどうかな? それなら混雑にはならないでしょ」
「え、先輩、一緒にやってくれ……」
「夏は来てるの。毎年毎年、どんな世だって。いつだって。だって今年もこんなに暑い。夏を見つけてくれないのは、あなたじゃない」
 先輩はくすくす笑う。確かに先輩の言う通りかもしれない。自分が諦めてしまってただけで、夏は今年も来ていたのだ。先輩から電話がかかってきたように。
「先輩! 僕と……」
「夏は来てるよ、よろしくね」
 電話は突然に切れた。テロンとまぬけた電子音が一人の部屋に寂しかった。

 思い返せばそもそも、バイト先に女の先輩なんていなかったのだ。

あの先輩こそが今年の夏だったのだ。