ずいぶんと冷え込む季節になってきましたね。お久しぶりです、しおりです。
9月末から10月半ばにかけて教育実習に行ってきました。その間、ブログはお休みをいただいていたので久しぶりの投稿となります。コロナ禍での教育実習、当初は中止になるのではないかという不安もありましたが、無事に全日程を終えることができました。このような状況下にも関わらず温かく迎えてくださった先生方、そして真剣に授業に耳を傾けてくれた生徒の皆さんには本当に感謝してもしきれない思いです。
さて、実習を終えた今、何を感じるのか。実習日程の詳細などについては様々な情報を含む可能性があり、外部に発信することは望ましくありません。そこで、私自身が授業を行い何を感じたかについて、ここでお話いたします。
最も痛感したのは、自らの理想と中学校の授業で求められる形のバランスを取ることが非常に難しいということでした。私が担当したのは魯迅の『藤野先生』という作品です。以前にもブログに書きましたが、昨年度、中国文学演習を履修していたこともあり、作品名を聞かされた時には大変驚きました。そして第一に思ったことは「とにかく作者である魯迅を中心とした読みを展開しなければならない」ということでした。私がこのように感じたのは、自らが演習授業の中で中国文学と日本近代文学の読み方の違いに非常に困惑した経験があるためです。日本近代文学のようにテクスト論で中国文学に向き合おうとしていた私は、魯迅の思想や、それが色濃く表れた随筆を参考に作品と向き合うことに対し当初は強い違和感を抱いていました。しかし、1年間をかけて学んでいく中で、魯迅の文学は魯迅という人物を排除しては決して理解できないことを痛感したのです。だからこそ、たとえ対象が中学生であろうともその読み方だけは崩してはならないと強く心に決めて指導案の作成に取り掛かりました。
しかし、そうして出来上がったのは演習のレジュメと何ら変わりのない文章。論文をあさって様々な情報を取り入れて。今思い返せば、指導案とも呼ぶことのできないものであったと感じます。指導担当の先生は、はっきりとおっしゃいました。「授業と講義は違います」と。話してしまえば楽で、説明をしてしまえば生徒は聞いてくれる。だけれども、生徒自らに考えさせて生徒自らの言葉を引き出すのが中学校の国語なのだと。その言葉を耳にして、ようやく自らが「指導案」だと信じてきたものが自己満足にしか過ぎなかったこと、そこに中学生という対象の存在を全く考えていなかったことに気付かされました。
とは言え、私自身も授業に対する自分の理想は貫きたいと思っていました。それは、必ず論文に立脚した読み方を提示すること。主流となる読み方を提示すること。何故ならば、他教科で間違ったものを教えることはあり得ないためです。文学の解釈に「正しさ」や「間違い」などがあるのかという点は物議を醸しそうですが、主流となる読み方はありますよね。つまり、中国文学ならば作家論で読むということ。魯迅という人物を中心に据えて作品と向き合うという姿勢です。『藤野先生』という作品、作中の「私」を魯迅と捉えなければ、国境を超えた先生と生徒の絆のみが焦点化されるかもしれません。しかし、そこに魯迅という人物を踏まえるのであれば、試験問題漏洩事件と幻灯事件が非常に痛ましいものと見えてきて、作品発表年である1926年という時代も大切になってくる。どうしてもテクスト論で読むのは違う。周辺事情を理解しながら読むことは、中学生にも絶対にできるはずだ。担当の先生もその考えを大変尊重してくれました。私自身の理想とする形を崩さず、どのように授業の形に変えていくか。実習中、何度も何度もアドバイスをいただきました。そして、どうにか授業の形まで持っていってくださいました。
授業後、ワークシートを配布しましたが、そこには魯迅という人物を理解した生徒たちの言葉が綴られていました。中にはそのまま演習で発表できるのではないかと思うほどの鋭い指摘もあり、大変感動しました。しかし、未だに考えてしまうのは、果たしてその言葉が教師から与えられた一方的な言葉になっていなかったかということです。社会科の回答を作る時のように、理科の実験手順をテストで書く時のように、全てを覚え込んで吐き出すだけになってはいなかったか。それが悪いとは言いません。むしろ、情報を整理する能力や、論理的に説明する能力が身に付くとも考えられます。しかし、自らの感性で作品を味わう時間というのも、やはり同時に大切にすべきであったと思われるのです。
教育実習は本当に色々なことを考えさせられる時間でした。理想的な授業については、まだ私の中で明確な答えが出せません。しかし、だからこそ非常におもしろいものです。もっとこうしてみたい、もっとこういう投げかけもしたい。そう思った時には既に授業も終わっていて、もっと実習が続いてほしいと思いました。来年度以降に実習を控えているという方、今は不安を感じているのではないかと思いますが、教育実習は大変充実した学びの多い時間となります。ぜひ、楽しみに、そして最大限の準備をして望んでほしいと思います。コロナウイルスもその頃にはきっと落ち着いているはずだと、私も強く願っております。
さて、実習の終了を誰よりも待ち構えていたものがあります。机の上に並べられた参考文献と論文たち。そうです、卒業論文でございます。とにかく書かなければいけません。もはや書けないとは言っていられません。気持ちと頭を入れ替えて、全力で取り組みたいと思います。
それでは、また。