2020年1月1日。私は今年最初のブログを担当しました。東京オリンピックにディズニーの新エリア誕生。感動が沢山詰まった1年になることを楽しみにしていました。けれど、現実はそうでなくて、外に一歩も出られない日もあったり、毎日毎日更新される感染者数に落胆したり。家に籠ってばかりいて、ブログに書くことなんて何もないと焦ったこともありました。でも、こうして無事に大晦日を迎えられて、直接は会えないけれどパソコンや電話を使って大切な人の声は聞けて、明日の朝になったら「明けましておめでとう」って言えるのってとても幸せなことなんだと感じます。2021年、どんな年になるのかはわからないけれど、やっぱり新しい年を迎えるのは楽しみなものです。
さて、今年最後はどんなお話をしましょうか。1年のまとめといえば、4年生の場合、やはり卒論の話になります。私自身、これまであまり卒論についてはブログに書いてきませんでしたので、書き終えた今思うことを今日はお話したいと思います。
3年生の頃から約2年間をかけて仕上げる卒業論文。書き始めは規定の字数にただただ圧倒されて、本当に書けるものなのかと不安を抱きました。書いている最中も不安だらけ。論の方向性に無理はないか。わかりにくい構成になっていないか。先行研究で実は言われていたなんてことはないか(しっかりと目を通したつもりでも時折あります。論の主軸ではない部分でさらっと一行触れられているなど)。調べたのに何も役に立たなかったなんてこともありました。少し前、テレビで外国の方がこんな言葉を真剣な表情で語られていて、その時は笑ってみていたけれど本当にその通りだった。「われわれは、ここには〈いない〉という痕跡を発見した。」ジャングルで何かの動物を探す番組だったような気がするのですが、この言葉って結局のところ何の痕跡も発見できなくて事態に進展はなかったってことですよね。それをいかにももっともらしく言うとこういう表現になる。しかし、卒論ではまさかこんな風に書くわけにはいきません。「実際に当時起きた事件と本作の描写は何の関係もないという事実を発見した」なんてね。調べたものが関係なかったとなると、費やした時間を振り返って不安になる。ゼミ発表まであと何日と数えて焦り、教育実習があることに気付いて焦り、データの保存が上手くいかなくて焦り。私は提出の際にあろうことか添付の仕方を間違えまして、提出後も達成感より落胆する気持ちの方が大きかった…。取扱った作品タイトル同様、それはまさしく「苦の世界」。自宅でずっと一人でいることがだいぶ影響したのだと思いますが、本当に2年間「苦の世界」に紛れ込んだ気分でした。
けれど、不思議なことに、「苦の世界」に紛れ込みながら書き終えた瞬間の心は「楽しかった」という気持ちで満たされていました。不安になって焦ってばかりいたのに、何が「楽しかった」のかは実はいまだによくわかりません。例えば、旅行に行って「楽しかった」というのは、どの瞬間を切り取っても楽しい思い出としても残っていますよね。しかし、執筆中はどの瞬間を切り取っても常に不安や焦りと共にあったように思います。その心理状態は決して純粋に「楽しかった」と言えるものではないわけです。しかし、その不安と焦りでできた瞬間が集まって構成された卒論執筆期間というのは楽しい思い出として私の中に残っている。達成感や満足感ではなくて純粋な楽しさとして残っているのです。これは不思議な感覚です。実は『苦の世界』という作品も、描かれる一つ一つのエピソードは救いようのないものなのですが、全体を通して見ると何だか楽観的な明るい世界として見えます。どうやら、作品に漂う雰囲気は卒論執筆中の私たちに大きく影響するようです。不安と焦りでできた救いようのない毎日だったけれど、全体を見ると何だか明るく楽しい2年間だった。扱う作品によっては2年間の感じ方もきっと異なってくるのでしょう。作品世界にどっぷりと浸った、個性あふれる感想を共有したいものです。
あと少しで新年です。明日は家でまったり過ごす予定。そういえば、『苦の世界』にも「ある年の瀬」と題して年末年始の光景が描かれていました。類にもれず救いようのない年の瀬なのでこれはあまり実践したくないけれど、おせちを食べてお餅を食べて、お酒は飲めないので(作者・宇野浩二もお酒が飲めないらしい。何だかちょっと嬉しい)ジュースで乾杯をして、平凡だけど特別な1日を過ごしたいと思います。
それでは皆さま、良いお年をお迎えください。