4年間やってみて思った!文学のたのしさのはなし

こんにちは! 今日のお相手はむーです。

卒論は終わっていません。書けば書くほど書き足さなきゃいけないことが出てきて、なんだか段々、永遠に完成しないのでは……? と思うようになってきました。サグラダ・ファミリアみたいな。完成する未来が見えません。

と、最近口を開けば卒論、卒論ばかりで、卒業まであと数えるほどしかないブログの更新日を自分の進捗報告に吸い取られるのも悲しくて、今日1日、何を書こうかなと悩んでいました。

でもやっぱり、卒論について書こうかなと思います。私が文学の、難しいけれど本当に面白いところだと思っていることについて。

皆さんは「花粉の落ちた花」という比喩を聞いて、どんな様子が思い浮かべますか?
今わたしはこの比喩に、冗談抜きで死ぬほど頭を悩ませています。

わたしが取り扱っているのは、戦後の女性文学です。近代文学専攻で、自分の性に合った学問を揺蕩うことが出来るのは本当に楽しく、得られたものも本当に沢山あって。日本文学科に進んでよかったと心から思っています。

その「得られたもの」はかなり様々なのですが、その内の大きなウエイトを占めているものに、「雑学」があります。

文学は、文学だけを勉強していたのでは、読み解くことが出来ません。いくら白樺派の作家たちの名前を諳んじられるほど文学史に詳しくなったり、宮沢賢治の作品を全て読破したり、『こゝろ』の先行研究を読みつくしたりしても、それは対象テクストを読み解くための材料の一部分に過ぎません。

テクストを読み解くためには、実に様々な知識が必要になります。
時代背景や小道具、人物の服装。舞台設定、象徴的な装置。そうしたものについて1つ1つ調べ、その意味を探ろうとすると、日本史や世界史について独自に調べたり、調査が哲学や医学、天文学、地学、そこから現代日本の福祉制度の領域にまで及んだり、時として「チェス」や「麻雀」のルールを1からさらうことになったりします。

文学は1つの学問ですが、これを通して膨大かつ様々な領域の学問にアクセス出来る。それが文学の大きな魅力だと思っている、の、ですが、やはりここがすごく難しいところ、とも同時に思っています。

話は戻り、「花粉の落ちた花」。これは私の対象テクストに用いられている比喩で、50代くらいの女性が「花粉の落ちた花」のようだと、テクスト末尾で喩えられています。

花粉の落ちた花、とは……………………?

植物に全く詳しくなく、花粉が花から「落ちる」ケースにどのような場合があるのか、本当にわかりませんでした。生殖機能を失ったことの示唆なのか、老化ということなのか。でも、何かが実を結んでも、花粉は落ちるのかもしれない。そうなるとテクスト末尾の読みは大きく変わってきます。

調べようにも、おそらく植物界では常識中の常識なのでしょう、そんな基本的な情報は見つけることが出来ませんでした。けれど、小中学生向けの教材などを見てもやはり掲載されていません。花が老化すると雄しべが落ちることがある、とか、花は受粉すると急速に枯れる、とか断片は拾うことができても、もっと他にも何かあるのではないか、私の知らない知識で他の読みが展開出来はしないか、と不安でたまりませんでした。

そんなときです。何気なくしていた作業通話で、ぽろりと私が「花粉の落ちた花ってなんなんだ」と嘆くと、友人がそれを拾って、こう返してくれました

「ユリの花とかって、飾るとき花粉取るよね」

もう、もう!!!
その時の私の感動と言ったら!!!!!!!

本当に、全くの目から鱗でした。全然知らなかったのです。彼女の教養に敬服すると共に、知識が読みを開くってこういうことなんだ、と改めて実感させられました。「知らない」と「知る」の間にこんなにも隔たりがあるとは。そもそも知らなければ、じゃあそれについて検証しよう、という発想すら生まれません。
生け花に関する知識もなく、ずっと植物としての知識に固執していた私は、花を飾るという方向の発想に至れなかったのです。これで、飾るために取る、という場合にどう読めるのかを確かめて、自分の従来の読みと比較することが出来ます。大きな前進を遂げた瞬間でした。

正直言うと、これを読んでくださった方ひとりひとりに「花粉が落ちるってどういうことだと思いますか……?」と聞いて回りたいほどなのですが、仮にそれが出来たとてもはや還元できる時間もありません。
そんな私から皆さんへ、知識や教養は、文学に限らずとも様々な場面であなたを助けてくれるものと存じます。広く知ろうと思ってする行動は全く損ではないと思うし、またもしあなたが文学を学んでいるのなら、それは自ずと果たされていくだろうとも思います。

それからそもそも、今の時点であなたには、本当に様々で、時にある分野に特化した教養が備わっていることと思います。100人に聞いて、99人が持っていなかった知識を、あなたが持っていることは十二分にあり得ます。

何が言いたいんだ、という感じですが、教養って大切だし、その人の経験とか生き方を反映してるんだな……というしみじみとした感傷のまま、ここまでブログを書いてしまいました。

その自分が得てきた教養や、調べて読んで新たに得た知識、また時として偶然知ったこと、そんな全部を組み合わせて立ち向かい、最後には思考の力で答えを見つけ出そうとするのが文学研究なのかな、と思っています。

今の私は、自分の持ってる知識のカードを、思考に移して移して移しまくる段階にあります。卒論、頑張ります。次回のブログでは、「終わったーーーーーーーーーーーーー!!!!!」と第一声言えることを目指して!!!!!!!!

それでは今日はこのへんで。お相手はむーでした。