今年のサンタクロースはマスクをつけてやってくる

世界で一番優しい嘘は、サンタクロースのことだと思う。
白い嘘、という言葉がある。これは相手のことを思ってつく、小さな優しい嘘のことだ。サンタクロースもその一種だと思う。だから「サンタクロースなんて存在しないんだよ」なんて、言ってはいけない。これは規則とかルールとかではなく、ナンセンスであるからだ。だから、この先そんな無粋なセリフを言うことなどないと思っていた。
「サンタクロースはいないんですよ」
言った。

気がついたら12月24日だった。今までで一番感慨も何もないクリスマスイブ。今年は全体的に色褪せた一年だった。目には見えないものに、ずっとてんやわんやして、嫌な緊張感と閉塞感、終わりの見えない不安を抱えながら、気がついたら時間が経っていた。淡い日々だった。クリスマスというのも、もはや恋人たちの専売特許に成り果てたイベントで、当たり前のように恋人のいない僕は、このご時世わざわざ外に出ることもない。ピザを頼み缶チューハイを開け風呂に入って猫のミミちゃんを撫でて寝る。普段と何も変わらないただの12月24日の夜。それだけだと思っていた。
「は?」
子どもがかぶるような赤いサンタクロースのコスプレをした女がいた。風呂から上がった直後、リビングのラグの上に座り込んでいる女が見えた。声をあげると気づいたのか、こちらの方を向く。
「え、警察」
「あ、いや、違うんですよ。警察呼ばないで」
「呼びますけど」
「いや、いやだって、違っ、いやほら見て、サンタクロースですよ。だから警察呼ばないで。ほら、どこからどう見てもサンタクロース」
「いや、サンタクロースはいないんですよ」
それ、空き巣って言うんですよ。しかも今空いてないし。

「ちょっと落ち着いて聞いてください」
12月24日に入ってきた空き巣がサンタクロースの可能性について考えながらも、いつでも110できるように、スマホは手から離さないようにして、説得に応じてみる。落ち着いてください、はこちらのセリフだが。女は武器などは持っていなさそうだし、僕はだいぶ酔いが回っているし。あと律儀にマスクをしている姿が、憎めなくて。
「まず、私はサンタクロースですね?」
「違います」
終了。
「いや、もうちょっと聞いて! サンタクロースです」
「プレゼントもらえるならまだしも、もの盗むやつがサンタを名乗るな」
「でもサンタクロースなんだもん! 本当!」
「もしかして三田(さんだ)さんみたいな名前だから、あだ名がサンタクロースとか?」
「違うもん。ほんとだもん……」
三田さん(仮)は白と茶色の三つ編みの先をくるくる指に巻きつけながら、涙を溜めている。いや、スルーしてたけど、白と茶色ってすごいな。どうやって染めたのかな。
「とりあえず不法侵入ですよね?」
「サンタクロースにそれ言うの反則でしょ」
「なんとお前はサンタクロースではないんだよ」
もう、面倒になってきてしまった。そもそもこの部屋に盗まれて困るほど高いものもないし、さっき財布とスマホが盗まれてないのは確認したから、さっさと帰らせよう。警察に連絡するのも面倒だし、いいや。
「だいたい、サンタクロースって寝てる間に来るんじゃないの」
僕はどうでもよくなってしまって、三田さん(仮)に缶チューハイを渡し、自分ももう一缶開けた。三田さんは丁寧に断りつつも、おつまみに出したスモークチーズと柿ピーは一人で全部食べた。食い意地張りすぎでは。
「寝込みを襲うのはさすがに……」
「寝込みを襲うとか言うなよ。お前はサンタの設定を守りたいのか壊したいのかどっちなんだよ」
「でも寝てるときじゃ意味ないし。今現れてみせることがプレゼントだし」
「いや、サンタクロースは姿見せちゃいけないし、その点でもお前はサンタクロースじゃないんだよ」
「じゃあなんで誰も見たことないのにサンタクロースには赤い帽子と白いお髭とふくよかなお腹のおじいさん、というパブリックイメージがあるんですか」
「うわ〜面倒! 妖怪と一緒みたいなもんじゃないですか? あ、あと不法侵入も駄目だよ」
「サンタクロースだし……」
議論はずっと平行線だ。なにより、茶髪白髪の高校生くらいの女の子相手に、ずけずけ問い詰めるのも気が咎める。
「だいたいさぁ、俺はもうプレゼントもらえないでしょ。こどもじゃないし、良い子でもないし」
「そんなことないよ」
三田さんは僕の肩に手を置いた。
「まさくんは良い子だよ」
「え」
思わずのけぞってしまう。
「確かにね、まさくんはもう大人って呼ばれてるかもしれない。20歳も過ぎたし、お酒だって飲める。皆からは大人って呼ばれてしまう。でも、でもね、バイトも頑張って、大学も頑張って、何より先も見えずに不安ばかり募るこの世界を、なんとかめげずに生き抜いたってことだけで偉いよ。疲れたね。大変だったね。そんなこと言ったって、皆そうでしょ我慢しなきゃって言われちゃうから、全部全部飲み込んでぐっと耐えて、我慢してたの偉いね。疲れたね。良い子だね」
三田さんが僕の頭を撫でてくれる。暖かい手のひらに、懐かしい感覚に喉の奥が苦しくなってくる。油断したらしゃくり上げてしまいそうだ。
「サンタクロースが誰だか分からないなら、誰がなったって良いでしょ。きみにとって、クリスマスが誰の誕生日だって関係ないかもしれないけど、素敵な日が一日増えたと思ったら嬉しいでしょ。良い子も悪い子も分からないけれど、サンタクロースが来てくれたんならきみは良い子だ。それで良いと思うんです」
三田さんは後ろ手に持った袋の中から、小さな箱を取り出した。赤い包装紙に金色のリボン。
「メリークリスマス。何も無かったような、何も無くなってしまったような一年に確かな愛を。辛かったきみにねぎらいを。頑張ったきみに祝福を。聖なる夜にサプライズ。今日だけの特別なミラクル。それこそがプレゼント。私はずっと見てたよ。だから褒めてあげるの」
金色のリボンを解くと、中から現れたのは、
「ミミちゃん⁉︎」
うちの飼い猫だった。そして三田さん(仮)は忽然と姿を消していた。

そういえば、うちで飼っているミミちゃんは、白地に茶色の模様が混ざった猫で、人で数えると高校生くらいのメスの子猫である。あと、よくよく考えれば、うちの部屋のドアはオートロックだし、5階だから窓から入るのも難しい。あと、「まさくん」なんて母親しか呼ばないから、母親とやりとりしてる場面を見た人じゃなきゃ知らないはずである。

サンタクロースがいないなら、誰だってサンタクロースになれるということでもある。クリスマスに特別なことが起きるなんて、クリスマスだからこそ特別不思議なことでもないし。