こんなこと考えるのは私だけでしょうか

久々に雪が降りましたね[:雪:] 前回成人式の日に降った時は、カマクラを作り損ねてしまったので[:ニヒル:]、今回こそは作ろうと思っていたのですが… 今見たらあとかたもなく、なくなっていました[:ぎょ:] うーん残念(+o+)
 最近「痛み」についてよく考えます。私は寒いのがあまり好きではなくて、「寒さも一種の苦痛だよなぁ。なんでこんな痛い思いしなきゃならないんだろう?そもそもどうして痛い思いしなきゃならないんだろう…」と、自転車で坂を下る度に思います。包丁で指を切るだけでも痛い、裸足で廊下を歩くだけでも痛い、たんすの角に足を引っ掛けるだけでも痛い…もっと大きな事故に合ったら、この傷は今もうどうしようもないことはありありと分かるのに、痛みだけは痛烈に続くという最悪な状況になる訳です。
 最近知人がサッカーの試合中に、二人に同時に踏まれて粉砕骨折をしました。「事故当時のことが怖くて思い出せない…」とのこと。考えるだけでも痛すぎる!!!
 
どうしてこうも痛い思いをするのか…近頃ずっといやだいやだとばかり思っていたんです。でも、痛みがなかったら…それは、もっと恐ろしい事だと思ったのです。
ある話では、手の痛覚がない子がいて、その子は火の上に自分の手があっても全く気付かなくて、焦げ臭いにおいがして初めてそのことに気づくのだそうです。自分の手が火事になっているのに気付かないなんて…その後のことを考えると恐ろしすぎますね。それを聞いて衝撃を受けました。
「痛み」は危険を知らせてくれる信号だから、「痛み」がなかったら、人間は死んでしまう。本当はすごくありがたいものなんですよね。痛い思いをするから二度と同じ過ちを繰り返さないし。人前で恥をかいても、その苦痛を二度と味わうまいと、気を付けられますもんね。
そう思うと、「痛み」って実はすごいプレゼントなんですよね。
(こういうことを考えだすと、私の思考が止まらなくなるのですが)どうして「痛み」を感じるのかも不思議じゃないですか?どういう構造で「痛み」を感じるのかも理論では分かるかもしれないけれど、、「痛み」を感じるこの肉体を、作れるのかと言ったらできません。昔『鋼の錬金術師』という漫画で、そんな話があったけど、人間の肉体を構成している材料があっても、人は作れないと言う事が、本当に神秘的だなぁと思います。
 
 そんなことを考えながら、自分の「痛み」と向き合う今日この頃です。[:あうっ:]