桜は散り、梅はこぼれ、牡丹は落ちる

おはようございます。
しょうこさんから「正統派日文生」の称号を賜った、エセ正統派日文生のかつーんです。
土曜日に、祖父母のお墓参りに行ってきました。
自宅からバスや徒歩で行けるほど近くにあるので、お参りしやすくて有り難いです。
そういえば、彼岸に咲く花と言えば、ヒガンバナ(別称:曼珠沙華、死人花、剃刀花など)が有名ですよね。
ただヒガンバナは秋の花なので、春の彼岸花は無いのかなーと思って調べたら、ちゃんとありました。
キンセンカ(別称:カレンデュラ)が春の彼岸花とされます。

[出典:Wikipedia]
他にも、ヒガンザクラやボタンを春の彼岸花とする意見があるようで、春の彼岸花の定義は曖昧なようです。
秋の彼岸花の印象が強すぎる弊害のような気がしてなりません。
さて、今回は日本の春を代表する花、桜について取り上げたいと思います。
桜は和歌でいう「花」が桜を指しているほど、昔から親しまれてきた有名な花です。
百人一首三十三番「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ」(紀友則)などで見られますね。
とは言え、「花」が桜を指すようになったのは平安後期からで、それ以前(奈良時代など)は梅を指していたのですが。
よく聞く話ですが、是非気を付けたいことだと思います。
『源氏物語』にも桜を詠んだ歌があります。
竹河巻の「桜花 匂ひあまたに 散らさじと 蔽ふばかりの 袖はありやは」(女童なれき)がその一つです。
この歌は、桜花を賭けて碁に興ずる玉鬘邸の女君達の唱和歌です。
(唱和歌とは、一つの場を共有した三人以上の人物が次々と歌を詠んでいくものです)
大君と中君姉妹が桜の花を賭けて碁を打っていました。
中君付きの女房大輔君が「池に落ちた花びらも集めたい」と詠み、女童が実際に集め始めたので、大君付きの女童なれきがこの歌を詠みました。
以下、口語訳です。
桜の香りをあちこちに散らさないようになさっても、それをすべて蔽うような大きな袖をお持ちでしょうか。
こちらにも漏れた香が薫ってしまいますよ。

(高野晴代『源氏物語の和歌』(笠間書院 2013年2月20日)より引用)」
この歌は『後撰集』の言葉を借りて反論しており、この後も巧みな切り返しがされます。
その為、「歌の競い合いを生き生きした臨場感のもとに描いていて楽しい」と鑑賞にあります。
『源氏物語』の和歌の素晴らしさを実感すると共に、桜は本当に昔から愛され親しまれて来たのだと感じます。
時に、桜と言えばソメイヨシノがもっとも有名な種です。
ただし、日本では明治の中頃に多く植えられた種なので、この歌の桜はソメイヨシノではありません。
恐らくヤマザクラなのではないかと思われます。
(和歌にも数多く詠まれている種だということで判断している為、真偽の保証は致しかねます)
ヤマザクラはソメイヨシノよりも赤色が強いので、玉鬘邸の中央の壺庭には綺麗な淡紅色の花びらが舞い散っていたことでしょう。
夕方になって桜が散り始めたとあることから、夕焼け色に少し溶けて花びらは集めにくかったかもしれませんが。