最近、本当に後悔が多いです。
2年生の時は、初めての本格的な演習があったり選択の学科科目を多くとって、新しい知識がどんどん自分に入っていくのが、とにかく楽しみでした。けれども3年生になって、また新しい世界がたくさん見えて、自分の未熟さを改めて感じたように思って、悔しいです。課題を出したりすると、もっとこう言えたはずなのに、とか色々考えてしまいます。
けれども同時に思うのは、悔しいと思った瞬間こそが自分が一番成長できるということです。これってとても当然のことであるのですが、自分のエネルギーの源は、単純に楽しいという気持ちもあるけれど、悔しい気持ちも大きいように思います。
遠隔授業になって気づいたのは、やっぱり私は話すのが(好きだけど)苦手だ、ということです。
文にして書くと色々と言葉が溢れてくるのですが、それを急に発しようとすると、頭の中がこんがらがる気がして…言い終わった後に、もっとこの言葉使えば正確に伝えられたなと思う瞬間がたくさんあるのです。
みんななんでこんな早く反応できるの…?と思う瞬間がたくさんあります。ほんっと昔から私という人は人より一歩遅れて生きている気がします。それが自分の良いところでもあるわけなのですが…。
こんな時だからこそ、あまり人に流されないというのも必要だと思います。慌てない、慌てない。深呼吸。一つずつ着実に進みたいと思うのです。
相変わらず課題は大変だけれど、少しずつ慣れてきたこともあり、前より楽しめている気がします。
なによりも、提出した課題に先生がコメントを下さるのが嬉しい…!先生方からすると、遠隔授業で既にものすごく授業準備に時間がかかっている状態で更にご負担だと思うのですが…。私は先生と授業後に話すのが好きで(本当にごめんなさい)、特に昨年度の後期の講義で、授業後に先生と数人の友人で話す時間が楽しくて、今でも時々思い出したりします。専ら授業に関連したことで自分の経験を話したりとか、こんなのに気が付いたとか、本当にたわいもないことなのですが、自分にとってはそれがかけがいのない時間だったと、今になって気づきました。
これを書いていて思い出したのが、非語頭のハ行転呼音で、要するにとても簡略していうと古典で「恋」のことを「こひ」と書くけれど、今私たちは「こい」と読むという現象の原因?理由の話です。
当時(多分11世紀ごろ)ハ行はファフィ…のようにF音だった(と思われる、またはp音)のですが、
そうすると先程言った「恋」だと[k o Φ i]になります(多分合っているはず…)。で、[Φ](要するにF音の部分)は無声音なのですが、周りが有声音なので環境同化を起こして有声になりW化を起こした…。というのがハ行転呼のざっくりとした説明です。
で、これで何が起こるかというと、現代には非語頭(単語の二文字目以降)にハ行が現れないということです(少なからず和語に限っては、の話です)。
その話を先生がした時に、和語で見つけてごらんとおっしゃったので、私は絶対見つけてやるーー!みたいな謎の闘争心にかられ、一週間移動時間とぼーっとしている時間に探しまくりました。で、一週間後授業後に先生に見ていただいたら、殆ど見つかったのは漢語だったわけなのですが、一つだけ「阿保」は確かにねとおっしゃってくださって、それが自分にとってなんだかとても嬉しかったのです。結局「阿保」というのは、どうも大陸の方からきた言葉でハ行転呼が起きた時よりも後に入ってきているので、「ほ」と非語頭のハ行のままだった、のだと思います。あと自分で見つけられたのは地名で、たとえば奈良県の佐保とか。他には「気配」「アヒル」なんかがあるらしいです。みなさんも見つけてみてくださいね。
で話を戻すと、こういう風に先生とお話できるのが私は本当に授業時間と同じくらい?それ以上(笑)に楽しい時間で、こうして遠隔授業でもコメントを頂けると、対面でなくても先生とお話できてる!嬉しい!っていう気持ちになるのです。
これに限らずですが、色々な授業をとることで様々な分野の先生に出会えることも私は大学での醍醐味だと思います。その授業だったり、先生のお話の中に思わぬ出会いがあったりして、この経験というのは貴重なものだと思います。
…で、何の話をしていたのかすっかり分からなくなってしまいましたが、とにかく言えることは、焦らずに時々休憩しながらも、今後も頑張ろうということです。学ぶことは、辛いし課題大変だしやりたくないことも往々にしてありますが、結局は楽しくて、だからこそ悔しいと思うこともたくさんあって…。これに尽きます。
雑なまとめでごめんなさい。
とにもかくにも、最近暑いので体には気を付けて、良く寝て良く食べようと思います…!皆さんもどうか健康でお過ごしくださいね。
ではでは!