お久しぶりです。しおりです。
以前のブログで「大正時代に留学する」と言いましたが、どうやら昭和に不時着してしまいました。大正8年頃に行く予定であったのですが……、昭和37年……。高度経済成長期真っ只中ですね。さて、どうして不時着してしまったか。燃料不足?故障?そもそも私は何に乗って留学する予定だったのでしょうか。それは私にもわかりません。ただ、不時着した理由は明確でした。原因は、祖母から送られてきた一冊のストックブック。
持ち主は私の祖父。今から10年以上も前のこと、私が小学校3年生をもうすぐ終えようとしていた2月に亡くなりました。小学校3年生の2月と言えば、中学受験塾で4年生の学習が始まる頃。中学受験は2月に行われるので新学期の始まりも2月です。本格的に受験勉強を開始した丁度その時。誰よりも教育熱心で、誰よりも私の受験を応援してくれていた祖父は突然私たちの前からいなくなりました。それから、夢にさえ一度も出てきません。私の中に残る記憶も、ビデオテープを見てそこから無意識に作り上げてしまったものであるのか、本当にその光景の中に私自身がいたのか、正直なところ今となってはわかりません。中学時代、高校時代、そして大学生の現在。勉強に関する話をした後には必ず母や祖母が呟くのです。「一番伝えたい人が、一番喜んでくれる人がいなくなっちゃったね。」
こうして書いていると何だか悲しい話のように思いますが、初めに言っておきます。これは悲しい話なんかではないのです。実は最近になって、ものすごく祖父の影を感じるのです。(ついでに言っておきます。怖い話でもないのです。)ずっと以前のブログで、それはちょうど介護等体験に行った時のことでしたが、ものすごく感動的な話がありますがそれはまたの機会に、と書いたことがありました。その話を今日はお伝えしようと思います。
お世話になったデイサービスセンターに1人のおじいさんがいました。地理に詳しい方だったので、これまでに行ったことのある観光地についてお話をしていました。その時、私がふと母の出身である和歌山県の話をしたのです。すると、その方の出身も和歌山県であることがわかりました。偶然行った介護等体験先で、偶然お話した方が和歌山県出身であったことに大変驚きました。しかし、その驚きはまだ始まりに過ぎなかったのです。お話を伺うと住んでいた地域まで非常に近いことがわかりました。嬉しくなった私は、祖父母が和歌山県の川湯温泉というところで小さな民宿をやっていたことを話しました。するとその方は、川湯温泉にある宿の具体的な配置を話し始めたのです。その正確さは決して旅行で訪れた程度のものではありませんでした。一軒一軒の宿の隣に何があったかまで正確に把握されていました。そして、私が祖父母の民宿の名を出した時、「そこはあの辺では珍しくユースホステルもやっていたね」と仰ったのです。まさしく、その通りでした。あまりの偶然の重なりに言葉を失いました。偶然訪れたデイサービスセンターで偶然話した方。その方が偶然にも和歌山県出身で偶然にも住んでいる地域が近く、小さな温泉街の、小さな宿に過ぎない祖父母の民宿を正確に記憶している。奇跡としか言いようのない出来事でした。そして、その時にふと祖父の気配を感じたのです。忘れないでほしい、ちゃんと見ているよって、そう伝えてきているのではないかと。そんな気がしたのです。
そして、その祖父の影はもっと明確な形で(いいえ、面白い形でと言った方がいいかもしれません)、先日、私の前に現れました。それが、祖母から送られてきたストックブック。地歴公民、学校の授業では社会が大の得意だった祖父は中学時代から切手を収集していたようです。中を開くと、各地を旅行した際の記念切手や東京オリンピックの記念切手、また、戦前の切手なども色々とコレクションされていました。もしも今、祖父と話が出来たなら。かなわないことですがそんなことを想像してしまいます。祖父は喜んでストックブック片手に色々な話をしてくれたのかもしれません。私が成長して、沢山のことを話せる日が来ることを楽しみにしてくれていたのではないかと思うのです。一枚一枚の切手を見ながら、交わされるはずだった会話を想像しました。
何だかまた暗い方向に話が進んでいますね。ですが、ご安心ください。話はここで終わりません。和歌山県、つまりは関西人の祖父。当然ながら、感動なんかで終わらせるわけがない。笑わせてなんぼ。オチのない話は話じゃない。
さて、祖父はどんなオチをつけたのか。それはストックブックを手に取った瞬間わかりました。自分の名前、至る所に書き込んでいるんです。イニシャルにしてみたり、筆記体にしてみたり、くずし字風にしてみたり。その数、実に18か所……。B5よりも小さなサイズの中にですよ。どこを開いても祖父の名前が飛び込んでくる。「ここにおるで!」「わしのストックブックやからな!」「ふりがなもふっといたで!」。そんな声が聞こえてきそう……。もう笑いが先にこみ上げて来て、これでは「オチ」でもないですね。初めから笑わせに来ている。祖父との会話を想像して、介護等体験での奇跡を思い返して、しんみりした気持ちでページを開くと、大迫力のお名前の登場ですよ。わかった、わかった、夢には出てこないけど、ちゃんとそこにいるんだねって、笑いながら実感したのでした。
「あつめ始め、昭和37年(1962年)(12月4日)」
最初のページにこの一文がありました。いつの日か未来の人の手に渡り貴重な資料として保管されることを想像していたのかもしれません(でも、そのためには、お名前は1個で十分だったと思うよ)。何の脈略もなく、突然に祖母から送られてきたストックブック。大正時代に留学しようとしていた私に、まずは昭和に寄っていけ(というか、自分の切手見ていけ!!)と言っているような気がしました。
乱雑な入れ方も祖父らしい。折角なので、そのままにしておこうと思います。
13年目にしてようやく近くに感じられた。それでまた笑わせてくれた。
ありがとう。色々と世の中が落着いたら、そう伝えに行きたいと思います。
