東京ロックダウン

「な〜に見てるの?」
「いや、久々に海行きたいな〜と思って」
 私は先輩に覗き込まれて、急いで旅行雑誌を後ろ手に隠す。
「あ〜、海はねぇ、まだ無いからね。そんなん見ても虚しくなるだけでしょ。プールで我慢しな」
「あっ、先輩!」
 先輩は私から旅行雑誌を取り上げると、ぱらぱらとめくり「でも雪が降る中で露天風呂は久しいな〜」と呟いた。
 東京がロックダウンしてから10年。当時付き合っていた彼の都合で東京に残ることを決めたときは、不安しかなかったがもう既に慣れてしまっていた。見渡す限り遠くに見える高い壁も、新独立都市国家TOKYOとして独自政府として歩み始めたのも、当初はびっくりしたが、いまではすんなり受け入れてしまっている。東京都が壊滅すれば日本は終わるなどと言われていたのも懐かしい。日本は東京が無いままでも、まるで最初から無かったかのように十分機能していた。といってもこれはニュース映像から分かることだけど。
「とは言ってもTOKYOも便利になったよね。旅行に行けない分の鬱憤も解決しつつあるし」
 先輩は目の前の高いビルを見上げる。最近の開発では、「TOKYOの中に日本を作る」をキャッチフレーズとして、土地の再開発に注目が集まっている。TOKYOだけが阻害されたことで、ハイテク化が高まり独自の進化を遂げた超IT大国となったTOKYOは高機能化を一旦やめ、自然を取り戻すことを目標にし始めた。
「葛飾区の方は東京湾を取り込んで本格的に海にするって言うけど……」
「奥多摩の方は常に気温を下げて雪を降らすんでしたっけ」
 そう上手く行くかなー?と言いながら大きく伸びをした。
「えー?そんなに心配ですか?」
 透明なレールの上を物資が行き交い、ドローンが空を飛び交う。頭に取り付けられたICチップからは常に健康状態が観測され、腕に取り付けた小さな液晶に転送される。
「こんなに発展してるのに」
「けれども、よ」
 先輩は手元に持っていた紙資料で私の頭を叩く。紙資料なんて珍しいけど、何の情報だろう。
「あのね、天気を操るところまで行って良いと思ってるの?たかが人間のくせに。TOKYOが外から何て呼ばれているか知ってる?」
「へ?」
 思ったより紙の束が痛くて私は涙目で先輩を見上げる。
「超えてはいけないラインを超えてしまった都市国家」
 私はつい足元を見てしまう。超えてはいけないラインはどこに引いてあるだろう。超えてしまったのか。
「そのうち祟りでも起こるよ」
「祟りだなんて非科学的ですよ。共同社会が成り立つために必要な都合良く設定されたルールじゃないですか」
 ついきつめに反論してしまう。だって祟りなんてそんな、いまどき……
 先輩の目が厳しくなる。
「隔絶都市TOKYO。私たちは進化しすぎた。もう何もすべきではなかった」
「だからって!TOKYOに隔離され閉じ込められた『病気』を治すためには技術的な進歩は必要だったじゃないですか!」
 ここで引いてはいけないと捲し立てている途中でビーッと甲高い音が鳴った。
「緊急アラート!」
「ここも、もうだめかなぁ」
 突如どこからともなく現れたAI『TOKYO cleaning』達が一斉になんらかの液体を放射する。
「危険度E危険度E,この区域はただいまから立ち入り禁止です。安全が確認されるまで立ち入らないようにしてください。目安は一週間程度です」
 私たちは急ぎ足で移動すると、その場にシュンと薄い青色のフィールドバリアが展開した。
「最近増えてきましたよね」
「自然の開発なんてするから……」
 新独立都市国家TOKYO。これはかつての東京に生きる私たちの物語である。