「最後に人に会ったのいつだっけ? あ~嫌だなあ、この現状。誰にも会えないし、終わりも見えないし。あと淋しい」
「ご主人様でも堪えるのですね。普段は呆れるほど楽観的に過ごしているのに」
私がぼやくと、執事のエレックは「おやまあ」と口元に手を当て、意外そうな顔をした。
「馬鹿にしてる?」
「まさか! 前向きな性格はご主人様の長所だと思っておりますよ。美点美点!」
「あ~ほら、適当なこと言う~」
私はホログラムに向かって「えい」と拳を突き出したが、感触は無く空を切った。
近頃のウイルスの蔓延は深刻化し、国はついに緊急事態宣言を出した。それがほんの半年前のことで、今は人類滅亡阻止計画という仰々しいものに名前を変え、世界が対策に乗り出した。害悪ウイルスとの徹底抗戦、AI開発の推進、オールエレクトリック(全世界電子化計画)、個人の健康の総管理、健康状態のパラメータの可視化、バーチャルリアリティー世界移住計画など、私には訳の分からないところまで話が進んでいる。それだけやばいってことなんだろうな、という浅い感想しか出てこないが、氾濫する情報を理解し、捌ききったところで私には「外に出ない」しか対策がないので、なんとも言えない。まあ私には一人暮らしで、健康維持成績模範生として、電脳ヒューマンアシスタントが支給されているから、生活に困ることはない。一秒前に更新されるバイタルチェックは良好だし、働かなくても生活基本水準支援金がもらえるから、普通の暮らしができるし、総管理住宅だから部屋は常に清潔だし、インフラの心配もない。食事も食材の取り寄せもエレックが管理してくれるし、適度な運動施設も部屋の中にある。つまり私の部屋は万年床と化していて、私はこの部屋の主として鎮座してればいいわけだ、世界のためにもなるし。暇な時間は検索エンジンでエンターテインメントを見れば良いわけだし。ただ最近の情勢的に撮影ができないのか、なかなか新作は上がらないが。
「いつになったら外に出れるのかなあ」
「もうここの生活には飽きたのですか?」
「いや飽きたわけではないけれど……。こう刺激が足りないというか? せっかく世界は広いんだから、やっぱり外出たいというか?」
「人の青年期、言い方を変えれば思春期の思考っぽいですね。抑圧からの解放。もしかして自分を籠の中の鳥とでも?」
「わ、そう言われると恥ずかしくなってきた……」
「もしくはほら、ラプンツェルなんてどうでしょう。塔の中に閉じ込められて、窓から長い髪でも垂らして歌います? 王子様でも待ってみます?」
「いや、違うけど。あ、そういえば最近髪切ってなかったわ」
「切って差し上げましょうか」
「う~ん、どうしよう」
私は伸びっぱなしの髪をなでる。切ったところで誰にも見せる気がしないと思うと、なかなか気乗りしない。そして顔まで手を持って行く途中で気づいた。ごつい機械の感触。
「この機械付いてるの忘れちゃうんだよね、生命防護型マスクレベル5。一回とっていい?」
「駄目です」
「え? だめだっけ?」
「駄目ですよ」
エレックに両手を抑えられた。とは言ってもエレックは実体が無いので、実際には手の部分に手のホログラムが重なっただけだが。
「そっか……。あ~でもやっぱりどれだけ便利な部屋でも、身を守るマスクでも窮屈感はあるなあ。もっと解放されたい、っていう気持ちはエレックには分からないだろうな」
ちらりとエレックを見遣ると、彼はこちらを見てふふんと笑った?
「分からない? 私も分かりませんねえ、実体に拘る理由が。タンパク質なんてもので身体を作るから、ウイルスに負けるんですよ。外に出るのが窮屈もなにも、ご主人様のその身体こそ、私には窮屈に思えます。旧人類はなんとも弱々しくて憐れですねえ」
エレックはくつくつと笑ったあと、玄関のチャイムに気づいて、配送品を受け取りに行った。なぜか、ドアの外は私に見せてくれない。窓も封鎖されている。こういうところがよけい窮屈感を増しているんじゃん!と思うのは本当。
「エレックさあ、一応ヒューマンアシスタントなんだから、多少はご主人様に優しくしてくれてもよくない?」
「優しさだけが愛ではないって人間はよく言いません? 私AIだから優しさとか感情とかそこらへんよく分かりませんが」
「うわーAIマウント取っちゃってさ、そうやって。いつか外に出れたら、友達のヒューマンアシスタント見せてもらうから。きっとエレックより優しいよ」
そう言うと、エレックは猫のように目を細めた。
「ご主人様は本当に外に出たいのですか?」
「え?」
思わず固まる。そりゃあ出たいよ。毎日言っている通り。
「本当に? 外に出られると思っているのですか?」
エレックがじっと目を見つめる。
「え、何? どういうこと」
「例えば、こうは考えなかったのですか。とっくにこの世界はウイルスに網羅されていて、一瞬でも外に出た人間は死んでしまう、とか。そもそももうほとんどの人類は死んでしまったとか」
「は」
つう、と汗が背中に流れる。バイタルが体温が上がったことを知らせてくる。
「あるいは、人類はみんな脳だけになって、これはその脳が見せている映像だとか。バーチャルリアリティーの世界だとか」
「え、ちょっと」
「人は夢を見ますでしょう。そのようなものだったらどうします? 胡蝶の夢なんて、言うほどですし、いかにも人が好きそうなソレだとしたら?」
エレックが口を三日月の形にする。私は頭が混乱して、その場に座り込んだ。
「エレック、いじわる、言わないで」
やっとのことで言葉を絞り出すと、彼は不意を突かれきょとん、とした後に、照れ隠しのように首を傾げた。
「ご主人様ったら、私がいるのに、淋しいなんて言うから」
「あ、え、そんな引きずってたの? もしかして、いじけてた?」
「う~ん、まあ、そうとも言えるし、そうではないとも言えるというか」
気まずそうに目線を逸らしている姿はなんとなく可愛げがある、やっぱり感情あるんじゃん。じゃあ、優しくしてくれても良いと思う。
「じゃあ、さっきの言葉も意地悪で、全部嘘なのか……」
「そうとも言えるし、そうではないとも言えるというか」
エレックはにっこり笑った。
「秘密です」
「はあ~?」
「人は一つや二つ秘密がある方が魅力的って言うじゃないですか」
「エレックは人じゃないでしょ」
「じゃあ、これが私の優しさってことで」
「分かりづらいよ」
そういうことで許してあげる、と言うと、エレックはパッと星のエフェクトを散らした。彼は案外かわいいところもあるのだ。