はじめまして!

 初めてブログを書かせていただきます。
 一年坊主の若輩者でございます。
 これを閲覧していらっしゃる外部や内部の方々や右や左のだんなさまがこちらの内情をどこまでご存知なのかは分かりませんが、この『新・当世女子大生気質』というブログは、大学の先生がたによる検閲を通さないことが売りのひとつであるようです。制約というにもためらわれるほどささやかな決まりはありますが、それも「宗教・政治・野球」という三大トラブルメイキング話題ぐらいなものでして、それ以外はまったくの自由ということになっています。そんな寛容さもまたこの日本女子大文学部日本文学科が持っている懐の広さを現していると言えるんでしょうねたぶん。
 しかし、その三ヶ条は手を出す勇気がないので放置するにしても、そこで言及されていない第四の存在すなわち「下ネタ」については、どこまで許容が為されるか……というのが目下の興味の行きどころです。
 


 書くと思った?
 下ネタを書くと思った?
 [:にひひ:] へっへっへ
 この白魚のごときおぼこい指先が、この誰が見ているとも知れぬワールドワイドウェブに、大学の名を負いながら、あんなことやそんなことをタイピングすると思った? しねーよそんなん。誰がそんな初っ端から危ない橋わたっておのれの人物評価をフイにしようとするものでしょうか。
 まあ初っ端といっても入学からもう半年以上経っているのですが……時の流れのなんと早いことでしょう。少年老い易く学成り難し、まさにそのとおりだと近ごろよく実感いたします。特に学が成り難いこと甚だしい。
 そもそもわたしは一応それなりに上品に育てようと親が頑張ってくれた部類の娘と自負しておりまして
 そのためか下ネタの引き出しの少なさといったらもはやコンプレックスになるほどです。というか永らく下ネタと認識していたものが今いざ披露してみるとすでに下ネタではなくなっているということが往々にして生じるためこのエントリーで危ない橋わたってみたくともできぬというのが実情ですわ。ここのところは非常にやりづらいですわ。下ネタに限らずジョークを言う気も失せるというもの。次々と価値の基準が移り変わるなか、下ネタの基準だけが移り変わらないわけはありませんから、仕方のないことではあるのでしょうが、今日び「ともだちんこ(※)」などと呟いてみたところで誰も目など留めてはくれません。その聞くからにトンチキな語感のためにドン引かれこそするでしょうけどそんな反応を求めているわけではない…… ていうかまずそもそも呟かないけど。
 機械がどんどん小さくなり、髪の色や目の色も思うがままに変えられる今日このごろです。過激ないし斬新でなくば目的の意味を為さないというわけです!(もちろんそればかりではありませんが、そういう傾向があるのはたしかです) したがって下ネタを下ネタとして披露するためにはより激しくよりモーレツな下ネタを追及してゆかなくてはいけません。人間の技術発展と探究心はまったく嫌いじゃありませんが、いったいそのなかの個人においてはどこまで極めさせようというのか、まったく末恐ろしくて末恐ろしくてもう。「見る」というたったそれだけの言葉ですでに性的な接触を暗喩していた時代、あの奥ゆかしさが懐かしくて懐かしくてもう。つまり男女がお互いの顔を見るほどの距離になったとき為すことはひとつしかなかった時代、言い換えれば、それを為すとき以外は男女がお互いの顔さえ見ることのなかった時代というわけですよ。
 その好例は『平家物語』、なかでも有名な『先帝身投』のくだりにあるといえるでしょう。
 平家軍の明らかな敗北でありながらなおも「戦はどうなってんですか!」などとおめでてえことを尋ねる女房たちに対し、平知盛が呵呵大笑しながら「めずらしきあづま男をこそ御らんぜられ候はんずらめ」と言うシーンがあります。これは直訳すれば「もうじき珍しい東国の男たち(=源氏軍)をご覧になれますよ」という意味になるのですが、しかし意味するところは「このままいけばあんたがた激レアな源氏の蛮兵どもと×××できますぜヒャッハー」にほかならないといえるでしょう。敗軍の女といったらそういう目に遭うものであると当時は相場が決まっていたわけです。それは今も同じなのかもしれませんが……できればあまり考えたいことではありませんね。 (日文に入って一度目か二度目の授業でお教えいただいた内容に、恣意あふれる尾ひれをつけるとこうなります。ただしこうした解釈があるのは事実ですので、こう考えよとは申さぬにしても、「これは間違いだ」とは考えなくとも良いと思います)
 しかし今どうでしょう。
 この平成でおりおり用いられる「見る」という言葉にそんなことを見出すのはほぼ不可能、というか見出したら言語交流が立ち行かなくなるしもし見出していることがばれれば変態扱いは免れえません。しかしながらそれはすなわち現代がより一層強い刺激に慣れ、そして欲しているということの証明にほかならないともいえるでしょう。そうなりますと、もはや現代と鎌倉時代どっちのほうがより変態くさいと言えば良いのかわたしには分かりかねますわ。
 なお言っておくけどこれはズブの素人による休みに似たりの浅知恵なので、「見る」以外にこのような性質の語はないのかもしれないし、あるいは「見る」よりいかがわしいが一見普通の動詞があるかもしれない。
 ※ともだちんこ:小林よしのりのギャグ漫画『おぼっちゃまくん』に登場する有名なネタなのですが、たぶん近ごろは(そしてこのブログを閲覧している方々では)知らない人のほうが多いかと存じます。私も原作を読んだことはありませんが、たまたまコマーシャルで見たのでそこだけ知ってます。
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 以上の話は性的な方面に基づいて考えましたが、ホラーでもほぼ同じ話ができるでしょうかね。
 たとえば初めに作られたゾンビ映画と最近のものを比較したら特殊メイクやCGなどの発達によってずいぶん刺激の強いものになっているでしょう。今も昔も人間の内臓には何ら変わるところなど無いのに、その複製を作る技術の発達はちゃくちゃくとなされ、しかしそれに対して比例するほどの恐怖を覚えはしないというのですから、それはすなわち感覚の麻痺です。しかしよりリアルな恐怖ビジュアルを作ろうとするのは、麻痺した感覚をまたかつてのように喜ばせたいという衝動です(もちろんそればかりではありませんが、そういう傾向があるのはたしかです)
 なおほんとうに恐いホラー作品は今見ても恐いよ! という場合はあるでしょうが、これは「人間は枯れ尾花(であるとすでに分かっているもの)を相手にしながらションベンをちびるほど怯えられるのか」というきわめて低い次元の話です。ゾンビなんぞちょっとした霊です。死体です。例です。
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 さ~て
 適当に日本文学科っぽさを交えつつ、ほどほどにインテリジェンスな感じで、かといって新米らしさを忘れずに、なおかつ当初の目的(=下ネタ限界ラインへの挑戦)を達成できるよう書いたつもりでおりますけれど、どうでしょうねーこのエントリーは。怒られずに済むのでしょうかねー。ウィットに富んだ下ネタはかつてフランス貴族の必須品だったんですよ……
 まあ削除されたらされたで当たり障りのない献血かヘアケアの話でもしようと思ってますけど、せっかく末端冷え性の指先を懸命に叱咤しながら書きしたためたものですので、できれば削除せずにおいてほしいものです。文は一字一字のそれぞれが我が子の毛髪同然です。
 あとわたしはおぼっちゃまくんこそ知らんにしても近ごろの小林よしのりの著作は個人的に興味深いと思っているのです、が、これについてあんまり喋ると宗教政治野球という三大タブーのうち真ん中のひとつを犯しかねないので、やっぱり削除される恐れが出てきます。といったって多分どなたからも絡みやトラブルがなければ削除しなくていいんじゃないか? とも思うわけですけど、それでは「伝書鳩」をなくせばよいという結論に(わたしの脳中で)なってしまいます。よくありません。それはよくありません。自ずから律することこそが大事であり、また美徳でもあるのです。
 そのように自主規制の大事さを改めて考えたところで改めて知盛の台詞(拙訳のほう)をごらんください。×××だなんていう慎ましくクソださい伏字は普段なら、絶対に、断じて、子に泣かれようと地頭に打たれようとしたくないところなんですが、さすがに今回ちょっとは空気を読んでみました。「クソださい」という言葉がまずいのならば「風流でない」「いなせでない」と言い換えてもいいけどこれじゃ通じないでしょうたぶん。下ネタと同じことよー 迂遠にしすぎるとそのうち繋がりさえしなくなるのよー
 この大学で、この学部で、そしてこの学科で、
 楽しい日常を送らせていただいていることが多少なりとも垣間見られる、そんなエントリーを今後も書いてゆけるようならば幸いと存じます。ながながつらつらと書いてまいりましたが、こればっかりはまごうかたなき本心です。どうぞよろしくおねがいします。
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 ちなみにわたしも来年度の新入生歓迎メッセージ書いてます!
 なおもちろんそちらは真面目に書きました。そもそも普段はこれほどハッスルいたしません。なにしろ禁欲的ですから。禁色一代女ですから。