前回タイトル忘れてた

頂いたチョコレートと、キムチを交互に食べると飽きないことを発見。
全世界激震のディスカバリー…後世に名を残してしまうかもしれないちえかです。
[:雪:]
この前、私の中で人生観が変わる読書体験をしました。
皆さんも御存じでしょうが、三島由紀夫の『午後の曳航』です。
「こんな素晴らしい小説があっていいのか…?」読んでいる間、存在が信じられず、目をパチクリさせながら何度も表紙を確認してしまいました。
三島作品はまだ五作目の私は多くを語れないのですが、文句を言わずに彼の著作のベストワンに選べます。ただ、代表作の『金閣寺』を現在読んでいる最中なので、ランキングはすぐに変わってしまうかもしれませんが。


ここまで衝撃を受けたのは、読んだ時期も良かったのかもしれません。
最近、犯罪心理学に興味があり、関連書籍を読んでいました。というのも、刑事が好きなんです(笑)
そんな不純な動機なので、学問といっても、私がしていることはあまり高尚なものではなく、並の知識しかありません。
濫読している中、世界は私の知らない理不尽な暴力であふれている、と物凄く悲しい気持ちと、自分の無知さを恥いる気持ちでいっぱいになりました。
海外の事件は次元が違いすぎるため、麻痺してしまうのですが、日本にも数多くの残酷な事件の歴史があり、
「日本って平和じゃないの・・・?なんでこんなひどいこと、私は知らなかったんだろう」
すっかり事件が風化していることに、ショックをうけました。
それからよく、家に強盗が入るという夢を見るようになりました・・・まあ、その話は関係ないので、そろそろ本題に入ります。
私はそういった事件を読んでいるときは(当たり前ですが)シンパシーを感じるのは被害者側の方です。
良心の無い加害者の気持ちは、理解から遠く離れたところでふわふわ漂っています。…まあ、分からないからこそ、好奇心を持って接していたのかもしれません。
また、私にはどうやら背徳の喜びというのが無く、そのためか若い時に読んだのにも関わらず『ライ麦畑につかまえて』のホールデン少年には全く共感が出来ませんでした。
残酷な人間や社会への反抗とは私にとって、そういう霞のような存在だったのですが、『午後の曳航』の首領は、はっきり説得力を持って迫ってきました。
もちろん、こんな早熟な十三歳がいてたまるか・・・!とも思えるんですけど(笑)
それと、首領や登に共感できてしまう箇所がいくつかあって、驚きました。美徳がよろめきまくりです。それほど、彼らにリアリティがあったということなんでしょうけど、実在の少年犯罪の事件の犯人より、フィクションの中の彼らの方がなんだか身近に感じられるのが不思議です。
あまりに書き過ぎると、ネタばれになってしまうので、内容については、ここからは言及を控えます(笑)!
「カタルシス」って、言葉の意味は知っていたのですが(文庫解説で解説者がやたら使いたがるし)、実際「これカタルシスか~」って自覚できたのは今回が初めてです。
実は中島敦の「かめれおん日記」も同じような気分になってました。彼ほど知的ではないにしろ、同じような悩みを綺麗に説明されて、「ああ、私の悩みってこれだわ!」みたいな感動があった(笑)でも、私バカだからよくその感動をあの時は理解できていなかったんだよな~。
それと、私は「文学部で、本当によかったのかな?」と少し困っていたんです。
読書はまあそこそこ好きだったのですが、学問として客観的に「あーだの、こーだの」することとなると違う。人の解釈聞くの嫌だし(笑)第一そんなに高尚なものなの?私の中で娯楽の域を出ないんじゃいの?と考えていたんです。
こんなこと書いたら、色々なところから怒られそうだし、反論される余地も沢山あるのですが、一つ言い訳すると…
すいません! としか言えない…青い悩みだよね┐( -”-)┌
納得いってなかったことだから、人からどういわれてもこればっかりはしょうがないのですが・・・
でも、この『午後の曳航』を読んで価値観が変わった。
文学が、なぜ世の中に必要なのか、という実感が断片だけだけれども、掴めたような気がしたんです。
小娘に何がわかるんだって感じですが、それほど大きな感動でした。
価値観を変える一冊は、人によって違うと思います。皆さんはもう出会えましたか?
[:雪:]
前回の記事のタイトル入れたいけど、前の記事を読みかえす勇気がない