うつくしま ふくしま

先輩方、今さらですがご卒業おめでとうございます!
先輩方の記事を読んでいて、なんだかじ~んとしてしまいました(ρ_;)
特にこのブログでもおなじみの、わか先輩にはサークルでお世話になりました…[:love:]!
21日にお会いしましたが、「思い残すことは無い!」という表情で颯爽となさっていて、私は先輩の充実した4年間に思いを馳せたのでした!
しかも残される後輩へのあのお心遣い・・・かっこよかったですヾ(´▽`)ノ!
本当にありがとうございました!とても寂しいですが…[:汗:]


今日は福島の思い出話を語りたいと思います(‘-’*)
母がいわき市小名浜出身で、私も鎌倉に越すまでは、横浜と福島をよく行ったり来たりしてました。そのころ私は自称公園ハンターで、ありとあらゆる遊具を制覇した幼児でした。
ハンター「小名浜の公園はすべて自分の庭と言っても過言ではない(キリッ」
どうして公園ばかり行っていたかと言うと、単純に福島には友人がいなくて、することがなかったんです(※察してあげてください)
「ふねのこうえん」と呼ばれている公園は、海の近くにあって、花壇に囲まれて、大きな船の遊具のあるハンター一押しのスポットです。
ここには何度も足を運びました。なぜかというと、何を隠そう、花壇の世話をしているのがうちのじいちゃんなんです(ノ*^▽)ノ夏とかは2時間かけて水やりをしているんです。その2時間ハンターは独り海賊ごっこをしていたんです。
そう言えば、船の公園によく行った時期って、母が弟を妊娠して入院してて、祖父母に預けられてた頃だったんだなあ。寂しかったからよく覚えているのかもしれない。生まれてくる弟への期待やら憎しみやらで複雑な気分の4歳児でした。
大抵は、私は独り海賊ごっこに興じていたんですけど、1日だけちょっと年上の男の子が遊んでくれたことがありました。
顔とか名前とかは全然覚えていないません[:汗:]……微かな記憶ですが、それにしても彼の海賊ごっこスキルは半端無かったですね。
いや、違うな。年下がどう遊んであげたらどう喜ぶかを、よく知っていたんです。めちゃくちゃ楽しかったな~。
「そっか、弟が生まれたら、こう遊んであげよう」
彼のお陰で、少しだけ大人になれました。
あと、ひとつ強烈に覚えていることがあって、彼は船の見張り台(?)から、海(芝生)へ棒を伝ってしゅるしゅるしゅると華麗に降りていったんですけど、私ハンターなのにその棒が遊具であることに気づいてなかったんです(笑)いやあ……衝撃でした。
「この技を身につけて、弟に見せてやろう―――尊敬を一身に受けてしまうかもしれない」
野望を秘かに燃やしてました。
それから、あの男の子に会うことは無く、私は棒からしゅるしゅる降りていく勇気も付けられないんまま、この歳になってしまいました。お姉ちゃんになる勇気だけはあの少年がくれました。時間の流れは恐ろしいもので、大好きな公園の遊具達も、事故を理由にその多くが撤去されてしまいまい、私は空間に何があったのかを思い出せません。
震災で、おじいちゃん自慢の花壇は無事だったのでしょうか。あの少年は無事だったのでしょうか。今は確かめるすべがありませんが、心より無事をお祈りしております。
本当に恥ずかしいくらい少ない額ですが、義援金を母に託しました。微力ですが、少しでも役に立てると嬉しいです。
家の屋根が吹っ飛んだり近くまで津波が来たり、祖父母は色々不便で大変だったと思うのですが、昨日
「じゃがいも植えたよ~( ‘o’)b」
って電話してきた……福島県民強いなあ…